kiss kiss kiss 2
一週間だけの恋人<12>




【続旅行一日目・夜】






「遅〜い!卓球してたんだって、あんたたち」
清四郎と美童が風呂に入り直して部屋にもどったとき、可憐と野梨子が恐い顔で出迎えた。
和室のテーブルの上には、魅録の買ったビールがいくつも空けられ転がっている。
「僕らは悠理につきあわされたんだよぉ」
美童の言い訳に、清四郎も苦笑し同意した。
「悠理は、もどってきましたか?」
「隣に着替えに行ってるわよ。あ、あんたたちも着替える?あたしたち部屋出とくけど」
「いや、いいよ。浴衣新しいの出してもらって着替えたから」
風呂に行く前、あまりに汗だくヨレヨレの美童の浴衣を見かねたのか、宿の人間が新しい浴衣を用意してくれた。
「あ、いーなー。あたいも寝巻きに新しい浴衣出してもらおっかな」
丁度、悠理が隣の女性陣の部屋からもどってきて、聞きつけた。 悠理は大きなオレンジの水玉がついたTシャツの上下揃いを着ている。
「あんた寝相悪いんだから、それの方がいいわよ」
「そうですわ、悠理。お腹を冷やしてしまいますわよ。そのパジャマも可愛いですし」
悠理は眉をしかめた。
「これ、パジャマじゃねーよ。それに、おまえらもう寝る気か?せっかくだから、散歩に行って来いよ」
悠理の言葉に、カップル達はそれぞれパートナーと顔を見合わせた。
「なんか、寺とか滝とか夜見てもキレイだって、風呂でおばちゃんたちが言ってたぜ」
「え、ええ。昔の町並みとか散歩コースになってるらしいわね」
「だろ。行って来いよ」
「じゃあ、みんなで行きませんこと?」
野梨子の提案に、悠理は首をふった。
「冗談!こんな夜に、あたいが寺とか近づくわきゃねーだろ。野梨子は美童、可憐は魅録と行って来い」
悠理は野梨子と可憐の背を押す。
「明日もさ、あたいは清四郎とテニスとか太極拳とか、約束してんだ。おまえらは、カップルで自由行動しなよ」
「悠理…」
とまどう友人たちに、悠理は笑顔を見せた。
「な、清四郎」
清四郎は、微笑してうなずく。
「ええ。僕たちにはかまわず、行ってきてください」
座っていた魅録が立ち上がった。
「可憐、行こうぜ」
美童も野梨子の肩に触れる。
「ちょっと涼しいから、上着とってきなよ、野梨子」
「え、ええ…でも」
野梨子は心配そうに、悠理を何度も振り返った。
清四郎も野梨子をうながす。
「大丈夫ですよ、野梨子。楽しんでおいで」
「じゃ、お言葉に甘えて」
清四郎の笑顔に、野梨子はやっと安堵したようだ。
「不肖の兄貴がああ言ってるし、悠理は奴にまかせとこう」
美童は清四郎に、ベと舌を見せた。



*****




カップルたちが部屋を去り、室内には清四郎と悠理が残された。
「…どうも美童の言葉には、棘がありますねぇ」
清四郎は苦笑した。何も知らない野梨子の、清四郎に対する信頼が気に食わないのか。
たしかに、美童と魅録に罵倒されるだけのことを、清四郎は悠理に対してしたのだが。

清四郎は悠理に視線を移した。
こちらを見ていた悠理と目が合う。
あわてて、清四郎は目をそらす。ここのところ、習慣になってしまった癖。
ふいをつかれると弱い。気持ちが顔に出てしまいそうになる。
必死で被っている友人としての仮面が、外れそうになる。
以前の友情をもとめている悠理に、醜い心情を見せるわけにはいかなかった。
どうしようもない恋心は、殺すしかない。

もとには戻れないと、言った清四郎だったが。
今日のような悠理を見ていると、これで良かったのだと、素直に思える。
清四郎が奪ってしまった笑顔が、悠理に戻っていた。
先ほど卓球をしているときなど、清四郎も昔のような気持ちになれた。
すでに、悠理に恋をしていたのに、そのことに気づかずそばに居れた幸せな頃のように。
自然に、悠理に触れることができた。
抱きしめてしまうことを怖れて、悠理に触れられない今とは違って。

あれから、初めての二人きりだった。
清四郎は息苦しさを感じ、浴衣を整え直した。
この部屋は清四郎たち男三人が荷物を置いている部屋だから、悠理が立ち去らない以上、 清四郎から出て行くわけにもいかない。
「…悠理」
立ったまま清四郎を見つめている悠理に、目線を外したまま声をかけた。
「明日の予定ですが」
「…ああ、勝手に決めちゃって悪いな。おまえも、どこか行きたいところとかあるか?」
「いえ。六甲牧場に中華街でしたね。お昼はどちらにしましょうかね」
「それと、テニスな!」
弾んだ声。
清四郎は悠理に視線を戻す。
悠理は真っ直ぐ清四郎を見つめていた。
「・・・楽しかったですね、卓球」
「うん、だから・・・」
まるで、かつての二人に戻れるような錯覚。それを悠理も感じたのだろう。
すがりつくような瞳。懸命に、清四郎に語りかけてくる。

”友達に、もどれるよな?”

残酷で、無邪気な望み。どれほど、それが清四郎にとってつらいことか、わかっていない。
清四郎は微笑した。だけど悠理と真正面から向き合った今、やはり笑みは上手く作れなかった。

清四郎の目に、なにを読み取ったのか。悠理の顔が陰った。
「ゴメンな、清四郎」
悠理はうつむいた。唇を噛んでいる。
「どうして、悠理が謝るんです」
「だって、おまえ、無理してる・・・ほんとは、もうあたいの顔なんか、見たくないんだろ?」
それは、本当だった。悠理を見ているのは、つらい。友人として望まれていることも。
だけど、それを言うわけにはいかなかった。
いつもそうしているように、嘘をつけばいい。それはわかっていた。

「あたいなんか、嫌いになった?」
悠理の目から、ポロリと涙が零れ落ちた。

清四郎は何も言うことができなかった。
違う、と叫んで抱きしめたい。
あまりに強すぎる衝動。
それを抑えるだけで、苦しくて、苦しくて。
声を出すことができなかった。

悠理は涙をぬぐった。
何も言ってやれずにいる清四郎に、くるりと背を向ける。

「ゴメン、泣くつもりなんてなかったんだ。ほんとに今日は楽しかった」
悠理が背を向けたことで、ようやく清四郎の呪縛は解けた。
「・・・僕が、おまえを泣かせてばかりいるんだ」
やっと出た声は、情けないほどかすれていたが。
悠理は背中を向けたまま、また手で顔をぬぐった。
本当に、清四郎は悠理を泣かせてばかりいる。笑顔を見たいのに。

「あたい・・・あの一週間、すごくつらかった」
悠理の声はふるえていた。

清四郎は胸を強打されたような衝撃を受ける。
悠理が、あの一週間のことを口に出すとは思っていなかった。
なかったことに。
忘れたふりで。
そうやって、取り繕ってきたのだ。

「おまえといると、あたい、すごく嫌な奴になってくようで・・・苛々して鬱々して・・・なのに、 なにも言えなくて。こんなの、あたいじゃないって、いつも思ってた」

残酷な、悠理。その言葉は、清四郎の罪を一つ一つ糾弾する。
もうやめてくれと、懇願することさえ、清四郎には許されていない。

ふるえる肩が、背中越しの声が、悠理の痛みを伝えていた。
悠理は、あの日々を忘れていない。心の底では、清四郎を赦してさえ、いない。
やはり、悠理の前から、消えてしまった方がいい――――清四郎は、そう確信した。
彼女が彼女らしく笑えないなら、清四郎がそばに居る意味がない。想いを押し隠してまで。

旅行が終われば、なにも告げず学園を去ろうと清四郎は決意した。
そうして、悠理とは二度と会わない。
悠理にとっても、清四郎自身にとっても、結局それが最良だろう。
清四郎がつけた悠理の傷を、仲間と時間が癒してくれる。
清四郎がそばに居れば、悠理は忘れることはできないのだ。
離れても、清四郎の罪が赦されるわけではない。
清四郎自身は、決してあの一週間を忘れることはないだろうから。

慣れた悲しみと後悔が、清四郎の胸に滲みた。
けれど、悠理があの日々のことを口にしたことで、いっそ楽になった。
もう、嘘をつかなくてもすむ。
明日と明後日で、悠理とは最後だ。

清四郎には、ひとつだけ確認しなければならないことがあった。悠理のそばから去る前に。
ごくりと唾を飲みこんだ。
「悠理・・・あれから、ずっと気になっていたことがあるんです」
清四郎は、勇気をかき集める。これだけは、悠理に訊かなければならない。
「一つだけ、教えてくれませんか」

清四郎の硬い声に、悠理の背がびくんと揺れる。
「な、なに・・・?」
悠理はふりかえった。

「あの、あれから」
さすがに清四郎は言いよどむ。ずっと気になっていた。でも、口に出せずにいた。
清四郎も逃げていたのだ。これ以上悠理を傷つけることが怖くて。
「あれから、生理は・・・ありましたか?」

悠理はポカンと口を開けた。
悠理にとって、あまりに意外な質問だったのだろう。
「その・・・最初の何度か、僕は配慮を欠いていたので・・・」
清四郎の言葉に、悠理の顔が音を立てて赤く染まった。
同時に表情が激変した。
照れて、なんて可愛いものじゃなく、怒髪転をつく、といった形相だ。
「な、な、な・・・」
悠理は怒りのあまり絶句したようだった。
”その”可能性を、悠理が考えていなかったのは、明らかだった。

悠理はぜいぜい肩を揺らした。うつむいた頭から湯気を出しそうだ。
何発か殴られても、しかたがない。清四郎は訊かなければならなかった。
まだあれから二週間。結果はわからないかもしれないが。
何事もないと確認するまでは、悠理の前から姿を消すなど、論外だ。
いくら、言い訳理由を重ねても、清四郎は逃げ出すわけにはいかない。
清四郎とて、事実を受け止める準備ができていたわけではなかったが。

数分、うつむいたまま固まっていた悠理は、ゆっくり顔をあげた。
「・・・そういや、そうだよな。そーゆーこともあり得るんだ」
まだ真っ赤に顔は染まっているが、悠理は冷静になったようだ。口調は落ち着いている。
「どうなんですか?」
清四郎は、祈るような気持ちで問いかけた。これ以上、取り返しのつかない罪を重ねたくなかった。
もう十分すぎるほど、悠理を傷つけてしまったのに。
「あたい、いつもすごく正確なんだけど・・・」
悠理は赤い顔で言いよどんだ。視線がさまよっている。
「そういや、予定じゃ先週くらいに始まるはずだったんだよな」

まさか、と思った。
清四郎は悠理の言葉に、目の前が真っ暗になった。
床が抜けたように、足元に感覚がなくなる。
頭の内側で、ガンガンと自分の心臓の音が鳴り響いた。
清四郎は、壁に背を預けた。
立ち眩みがした。
どこかで、やはり楽観していたのだ。
まさか、本当にそんな事態を予測していたわけではなかった。
そこまで、悠理の人生をむちゃくちゃにしてしまうとは。
清四郎が社会的な責任を取ることは、簡単だ。
悠理の両親でさえ、二人の結婚は以前から望んでいた。
だけど、清四郎が全ての責めを負っても。
清四郎を愛していない女を、一生縛りつけることになる。
結婚という形によってではなく、これから生じる二人を繋ぐ絆によって。



*****




悠理は、ちらりと清四郎を見る。
清四郎は真っ青な顔で、衝撃を受けていた。
こういう場合、男の方が結局、覚悟も度胸もないのだ。

悠理はため息をつく。
「けど、おまえが出てったあの日の夜に始まっちゃったんだ、そういや」
たぶん、ショックで。
いつもは正確な体の周期が狂ってしまった。清四郎に去られた衝撃で。

血の記憶。
野梨子と可憐に抱きしめられて眠ったあの夜。
自分が女なのだと、痛いほど思い知らされた、長い夜だった。
血を流しつづけていたのは、心だった。
喪失感と後悔に引き裂かれた胸のうちで。

悠理は少し意地悪な気持ちで、清四郎の狼狽ぶりを観察していた。
ちょっとした見物だった。
「〜〜〜〜」
壁づたいに、清四郎はずるずるとその場に腰を下ろした。
言葉も出ないほど、驚いたことは明らかだ。
長いつきあいだが、清四郎がここまで狼狽するのを見たのは初めてだった。
こんな顔を清四郎にさせることができるのは、いまは悠理だけなのだ。
悠理は暗い喜びを感じた。
こんなに、醜い感情を自分が持つことができるなんて、知らなかった。
清四郎といると、どんどん自分が嫌いになる。
悠理は軽蔑感に顔をゆがめた。
目の前の情けない男と、自分に対しての。

ハァァァ、と大きく息を吐き、立てた膝の間に清四郎は顔を埋める。
「んなに驚いたのかよ。みっともねーな」
悠理だって、その可能性など考えたこともなかったから平気だったのだが。
「・・・いまさら、でしょう。僕は、いつでもみっともない姿ばかり晒してるだろう」
清四郎は、顔を埋めたまま、情けない声を出した。

「おまえに惚れてから、冷静だったことは一度もない。いつだってボロボロだ」

「・・・え?」
悠理は、清四郎の言葉の意味が、一瞬わからなかった。

清四郎は顔を上げる。膝の上に顎を乗せ、悠理を見つめる。
「僕だって、おまえといると、すごく嫌な奴になっていた。こんなの自分じゃないと、思いたかった」
清四郎はもう目をそらさなかった。そらして心を隠さなくても、もう吐露してしまっていた。
「おまえを、好きで、好きで・・・おかしくなってしまっていた。たかが恋で、自分がこんなになって しまうなんて、思いもしなかったよ」
清四郎は、いつもの敬語さえ使わなかった。
口元には苦笑。しかし、いつもの笑みよりも、脱力した自然な表情だった。

悠理はその場に、ぺたんと腰を落とした。
足から力が抜け、立っていられなかった。
あまりのことに、衝撃を受け。

あの熱い目とは、違う。静かな黒い瞳が、悠理を見つめていた。
それは、決断した目。清四郎はなにかの決着をつけたのだ。
呆然自失状態の、悠理を取り残して。



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