kiss kiss kiss 2
一週間だけの恋人<4>




【続二日目】






プレジデント学園の保健室は、中高共用のため広いスペースがあてられている。
常勤の保健医のほか看護士も雇われていたが、実のところ、八ベッドもあるこの保健室は、 生徒に利用されることは少なかった。
なにしろ、急病の際はかかりつけの医師が飛んでくるような家庭の子女ばかり。
各部室には仮眠室も完備されているため、擦り傷程度の治療の際しか利用されないのも、無理はなかった。

「あら、剣菱さん、めずらしい。どこか怪我?」
清四郎につきそわれて来た悠理に、美人と評判の保健医が驚いた顔をした。
有閑倶楽部のメンバーがここを利用することは、一般生徒よりもなお少ない。
医者より頼りになる清四郎がいるのだから、当然だ。
美童だけは、彼女目当てに一時通ったこともあるらしいが。

「少々、発熱したようです」
清四郎が悠理のかわりに答えた。
「あら、あなたの作った薬のほうが効くって、聞いたことがあるけど」
「どうせ、知恵熱です。寝かせれば治るでしょうから、ベッドお借りします」
あまり顔をあわせることがないとはいえ、彼ら有閑倶楽部は学園一の有名人だ。
それに、中学時代は悠理も保健室の世話になることも多かった。打撲と裂傷ばかりだが。

(知恵熱ってなんだよ!……でも、そうかも?)
どう考えても、発熱の原因は、昨日からの行為のせいだろう。
(とにかく、寝よ)
悠理は小さくため息をついた。
仕切りのカーテンを開ける。
ずらりと八床ならんだベッドの、手近なところにもぐりこもうとしたら、清四郎に止められた。
清四郎は悠理の手を引いて、一番奥へ連れてゆく。
奥のベッドの横には、通用口。
清四郎は通用口のドアノブに手をかけ、大きな声で保健医に話しかけた。
「あとで、様子を見に寄りますので、それまで静かに寝かせてやってください。 僕は授業にもどります」
ハーイ、ご苦労様、と仕切りの向こうから保健医が応じた。
清四郎はドアを開け、大きくパタンと音を立てて閉めた。後手に。
さっそくベッドにもぐりこもうとしていた悠理は、ぎょっとする。
出て行ったふりをしただけで、男はドアを背にして指を一本口元に立てていた。



(…だから、これが知恵熱の原因だっつーのに!)
悠理はシーツの上に押し倒されていた。
きしり。
清四郎がベッドに乗り上がると、わずかに軋む音が立つ。
かなり距離があるので保健医に聞こえるはずもないが、悠理の心臓は早鐘をうった。
(まさか、まさか、まさか)
いくら清四郎でも、こんなところで。

ベッドからずり上がって逃げようとする悠理の体は、清四郎の強い腕に止められた。
両手を頭の上でひとつに束ねられ、もう一度唇を奪われる。
全身から力が抜けてしまうような、くちづけ。
「んんん…」
思わずもれた自分の声にも、焦った。

制服の上から、わずかな胸の隆起を痛いほどの力でもまれた。
くちづけたまま、清四郎の容赦のない手が、悠理の全身を這いまわる。
スカートの下に入り込んだ手に、下着をストッキングごと膝の辺りまで下ろされた。
足にまといつくその黒いロープは悠理を拘束する。

(う、うそだろっ)
眩みそうな意識をむりやり引き戻し、悠理は目を開けた。

清四郎は荒い息をつき、悠理を見下ろしていた。
悠理の予想した、意地悪そうな目も、情事に酔った色も、その顔にはなかった。
狂おしいほど強い視線。

(なんで、そんなにつらそうなんだ…?)
怒ったような顔をする清四郎は、いつでも悠理を不安にさせる。
清四郎の心が見えない。
悠理が清四郎の考えを読めたことなどないのだけど。
(言いたいことがあるんなら、はっきり言えよ!)
ほんとうは胸倉をつかんで、問いただしたい。
だけど、悠理にはできなかった。
声を出せないことが理由ではない。

ただ、恐かったのだ。

小さな子供のように、泣きたくなる。
そして、そんな自分が、悠理は嫌いだった。

絡み合った視線をそらしたのは、やはり悠理のほうだった。
清四郎の肩が揺れた。小さく喉の奥で音を立てる。
(嗤ってる…?)
悠理が目をもどすと、清四郎は顔をゆがめて微笑していた。

「僕は…嫉妬してるんです。魅録が羨ましい」

それは、小さなささやき声だったが。
悠理の耳には聞こえた言葉に、驚いて目を見開いた。

(嫉妬って、あたいが魅録にもたれかかってたから?でも、羨ましいって?)

清四郎は悠理の髪をかきあげ、首筋をきつく吸った。
胸にも、太腿の内側にも、昨夜清四郎に付けられた所有の痕が残るのに、まだ足りないというように。
昨日からさんざん慣らされた体が、とろけてゆく。
大きく無骨に見える清四郎の手が、繊細に悠理の弱いところを探し、攻めた。
長い指がどこまでも入りこむ。
悠理の、奥の奥まで。

「は、はぅ・・・」
耐え切れず声がもれ、体がびくびく痙攣した。
悠理を指先で翻弄しながら、清四郎は自分は服ひとつ乱していない。
黒い瞳は、熱情とは違う冷然さで、悠理を見つめていた。
まるで、憎しみを抱かれているようだ。
清四郎の手は性急に悠理を翻弄する。
それは乱暴なものではなかったが、慈しむものでもなかった。

(なんで・・・?)
”好きですよ”
清四郎は悠理にそう言ってくれた。だから、つきあいだしたふたりなのに。
どうして、清四郎はこんなつらそうな顔をするのか。
清四郎が、なにを考えているのかわからない。
どこを、見ているのかわからない。

(清四郎は、あたいを見てない?)

一滴の毒が、悠理の胸のなかに落ちた。



*****




清四郎は自分の迂闊さを、嘲笑した。
魅録の名を出したとたん、悠理の顔色が変わった。
体は清四郎の愛撫にふるえるのに、悠理の心がこわばってゆくのを、清四郎は感じていた。

悠理は、気づいていなかったに違いない。
――――自分の恋に。

ずっと、悠理を見つめてきた清四郎でも、さきほどまで確信がなかったのだ。
あのままではきっと、悠理は気づかなかっただろう。

ほんの、淡い想いだったはずだ。
自分の性を意識したことがなかっただろう悠理の初恋は、 芽生える前に終わってしまったかもしれない。
清四郎が、悠理に気づかせなければ。

無理やり、清四郎が、悠理を女にした。
それが、悠理に魅録を意識させる結果になったのか。

ほんとうに悠理を愛しているなら、どうすべきかは、わかっていた。
自分勝手な清四郎の手から、悠理を自由にしてやるのだ。
悠理に、自分の心と向き合わせるべきだろう。
悠理には、その権利がある。たとえ、すぐに失恋したとしても。

魅録には可憐がいる。
まだ手もつないでいないらしい微笑ましいあのカップルを、壊す気はないだろう。

どちらが悠理にとって、残酷だろうか。
淡い初恋が消えるのと。
ほかに好きな男がいるのに、別の男に抱かれている事実と。

考えるまでもないはずだった。
それなのに、清四郎は悠理をむさぼる手を止めることはできなかった。
自分の心は、嫌になるくらいはっきりしていた。
たとえ悠理がだれを想っていたとしても、もう放すことなどできはしないと。
悠理の心をこじ開け、自分の存在で満たしてしまいたかった。
このまま抱いていれば、悠理はかなわぬ恋を忘れてくれるかもしれない。
いつかほんとうに、清四郎のものになるかもしれない。

思いのたけを込めた、抱擁とくちづけ。

こわばっていた体から、力が抜けてゆく。もう悠理は清四郎の手に慣らされてしまっている。
しかし、流され、意識を飛ばしながらも。
悠理はぎゅっときつく目を閉じた。
清四郎の顔を、見たくないと言わんばかりに。

閉じた瞼の裏に、なにを見ているのか。
だれの面影がそこにあるのか。

清四郎は耐え切れず、悠理の瞼にまでキスを降らす。
「このまま、帰りましょうか。やはり、熱が高い…」
耳元でささやいた。
清四郎も授業になどもどる気はなかった。
「あ、や…」
声を殺しながらも、悠理はせつない息をもらす。
一時も、悠理を放したくはなかった。
それは、愛しさゆえよりも、不安のために。
悠理が偽りの恋に流され、清四郎以外のなにも考えられなくなるように、してしまいたかった。

隅々まで知った体の弱い部分を、指先だけで責めながら。
やわらかく溶け、濡れる体を煽りながら。
初めてのときの暴力的な行為よりも、まだ残酷なことをしているのだと、清四郎はわかっていた。






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