kiss kiss kiss 2
一週間だけの恋人<5>




【三日目】






「悠理とつきあいはじめました」
清四郎がそう告げたとき、コーヒーを吹きだして驚いたのは、倶楽部内では当の悠理だけだった。



*****



昨日は、保健室から家に舞い戻ってしまったので、悠理が部室に顔を出したのは、あの日以来。

――――ここで初めて、悠理は清四郎に抱かれた。

無残な陵辱の記憶のはずだったが、正直悠理には、さしたる感慨はなかった。
処女性など意識したこともなかったし、痛み自体も、 喧嘩慣れ怪我慣れしている悠理にはどうというほどではなかった。

それよりも、清四郎に”好きだ”と言われたことの方が、ずっと衝撃だった。
そして、目の眩むようなくちづけが。熱い吐息が。
悠理の心と体のなかに、ねじ込むように侵入してきた、清四郎の存在が。



部室にあらわれた清四郎は、先に来ていた悠理に、少し驚いたようだ。
野梨子の入れたコーヒーを啜っていた悠理から、気まずそうに目をそらした。
いつもは、視線をそらせるのは、悠理の方なのに。

なんども、”酷いことをした”と、苦しげに悠理にくりかえした清四郎は、 ほんとうにあの初めてのときを悔いているのだろう。
悠理からすれば、じゃあ、その後の、朝まで食事の際も離してもらえなかったことや、 発熱してるのにじらされた保健室での行為はなんだったんだ、と言いたい。

あのときの記憶が清四郎を苦しめているなら。
それなら、忘れてやってもいいと、悠理は思った。
清四郎のあんな顔は見たくない。
痛みに耐えるようなゆがんだ顔。自嘲する笑み。
悠理を映していない、黒い深い瞳。


清四郎は部室に入って来たが、いつもの自分の定位置には座らなかった。
悠理から目をそらしたまま、近づいてくる。
「清四郎?」
清四郎は悠理の背後に立ち、椅子の背をつかんだ。

そして、冒頭の宣言。

悠理はコーヒーを吹きだした。



あっけに取られていた一同のなか、裏返った声をあげたのは可憐だった。
「よ、良かったわねぇ、清四郎!」
野梨子も声をそろえる。
「ほんとですのね、清四郎、悠理?」
「ほんとうですよ。ねぇ、悠理」
背後から降ってくる声に、悠理はこくんとうなずく。
恥ずかしさと困惑で、顔が赤くなるのがわかった。
悠理からは見えない清四郎が、どんな表情をしているのか、わからなかった。
どうせ、いつもの冷静な笑顔に決まっているとは思う。
でも。
”隠したいのか”と言ったときの、硬い表情を思い出す。

悠理は唇を噛んだ。
意を決して、ふりかえる。

見上げた清四郎は、やはり、穏やかな笑顔だった。
わずかな安堵を感じながら。
それでも、悠理の胸から、不安は去らなかった。
清四郎は、悠理を見ていなかった。
じっと、視線は魅録と可憐を見ている。
目が、笑っていなかった。



*****




清四郎の内心など、知りもせず。
魅録は、ニコニコ笑って、清四郎と悠理を祝福した。
「良かったなぁ。おまえら、お似合いだよ」

赤面したまま、悠理が顔をゆがめる。
清四郎は思わず、悠理の肩をつかむ。
「・・・ありがとう、魅録」
ポーカーフェイスを保っていても、清四郎は声が硬くなるのが自分でもわかった。

耐え切れなかったのだろう。
悠理が、がばりと机に突っ伏した。

「恥ずかしがっちゃってぇ。悠理も女の子だったのねー」
可憐の言葉に、清四郎は安堵する。
皆が、照れているのだと思ってくれて、助かった。
魅録のまえで、悠理に泣きだされたら、どうしようかと思った。

悠理が恋しているのは魅録だ。
そして、そのことに、悠理も気づいてしまった。
でも、清四郎は、知らないふりをする。
吐き気がするほどの激しい嫉妬を感じながら。



「清四郎、今日は久しぶりに、一緒に帰りませんこと」
微笑む野梨子にそう言われ、清四郎は一瞬、躊躇した。
まだ机に顔をふせている悠理が、気になってしかたがない。
いまは悠理から目を離したくなかった。
「それとも、悠理と約束がありますかしら」
その言葉に、悠理の肩がピクリと反応した。
悠理は顔をあげないまま、片手をあげて、ひらひら手をふる。
”ないない””帰れ””バイバイ”の意だ。
清四郎は小さくため息をつく。

「そんなぁ、野梨子〜」
クレームは美童がつけた。
「ちょっと調べたいことがあるので本屋に寄りたいんですけど、 清四郎にアドバイスしていただきたいんですの。美童には無理でしょう?」
美童は唇を尖らせる。
じゃあ、また明日、と野梨子は美童に笑顔で告げた。
清四郎は鞄をとって野梨子のあとに従う。

すれ違いざま、まだ突っ伏してる悠理の耳元にかがみこんだ。
「・・・あとで、家に寄ります」
清四郎のささやきに、悠理はやっと身を起こした。
真っ赤に染まった顔は、しかめっつら。
泣き顔でなかったことに、清四郎は安堵する。
ポンポンと悠理の頭を軽く叩いて、部室をあとにした。

清四郎の触れた髪に手をやって、悠理は清四郎を見送っていた。
いぶかしげな、不安そうな瞳で。



*****




清四郎が部屋から去って、やっと悠理の緊張が解けた。
自分でもおかしいと思う。
つきあっているはずの相手がいると、不安で落ち着かないなんて。

「ねぇ、悠理」
可憐がキラキラした目で、悠理の顔をのぞきこんだ。
「な、なに?」
「どういう経緯で清四郎とつきあうことになったの?あいつからでしょ、告白は」
「え・・・」
「あの清四郎がさ。どんな顔して打ち明けたのか、興味あるわぁ」
ずずい、と可憐は悠理に顔を近づける。

(どんな顔って、コワイ顔・・・だけど)

悠理は助けをもとめるように、魅録に目を移した。
いつもなら、可憐や美童のこういった無遠慮な追求を諌めてくれる魅録は、 満面の笑顔で可憐を止める気配もない。
そういえば仲間たちは、清四郎の宣言に多少驚いたものの、皆一様に手放しで喜んでいる。
よほど、清四郎と悠理をあまりものにしてしまったと、気に病んでいたのだろうか。

「ねぇ、なんて言われたの?」
重ねて問われて、しかたなく、悠理は答えた。
「ええっと・・・”あぶれもの同士、つきあおうか”って」
「へ?」
可憐が拍子抜けした顔をする。
「そ、それだけ?」
「”だって、暇でしょ”って」
「・・・・・・。」
あっけにとられた顔の三人。
「あ、あんた、そんな言われ方で、つきあうことを了承したの・・・?」
悠理は首を左右にふった。
「あたいらだけがカップルじゃなかったら、おもしろくないでしょってのも言われた。 おまえが・・・可憐が、連休に関西に行きたがってるからって」
魅録がガクリと首をたれた。
「USJに釣られたのかよ、悠理〜」

心外な言われ方だったが、これ以上話すといろいろまずいことまで言ってしまいそうだ。
悠理は口をつぐんだ。

可憐と美童は顔を見あわせて、ため息をついている。
「清四郎って・・・」
「馬鹿だよな、絶対」
全国模試トップクラスの清四郎が、馬鹿呼ばわりされることは少ない。悠理と違って。

「それで、わかったよ。なんで清四郎、あんな不機嫌なのか」
美童が苦笑する。
「不機嫌・・・だった?」
可憐と魅録はきょとんとしたが、悠理はぎくりと身をこわばらせた。
「好きな人と想いが通じたって顔か?あれが。なんか妙に緊迫してたし」
美童は微笑していたが。
その言葉は、悠理には衝撃だった。

そうだ。清四郎にずっと感じていた、違和感。

投げやりで、乱暴な行為。一転して、激しい熱情。だけど、悠理を映していない目。
ちぐはぐな清四郎の態度は、すべてそのためだったのかと、思えてくる。

(――――清四郎は、あたいを好きなわけじゃない?)

冷水をかけられたように、悠理の顔から血の気が引いた。
最初から、愛されていると思っていたわけではなかった。
だけど、激しくもとめられ、あの熱に飲み込まれてしまった。
悠理にとってはここ数日は、怒涛のように流されるうちに過ぎてしまった。
熱い腕のなかで、我を忘れた。
ほんのおふざけのキスさえ、悠理にはしてくれなかった男の。

いつも余裕の顔で、悠理をからかってばかりだった男。
憎たらしいぐらい、なんでもできる、嫌味なやつ。
だけど、悠理には自慢の友人だった。
だれよりも、頼りになった。だれよりも、悠理をわかってくれた。
対等にあつかわれないことが、腹立たしかった。
悠理ひとりが、いつだって空回りしていた気がする。
それが、悔しくて。清四郎の一挙手一投足が、気になって。

どうしてこんなことになってしまったのか、悠理にはわからない。
清四郎はもう、優しい目で笑わない。
そして、その目に、悠理は映っていない。

(どうして・・・・?)
悠理の胸に、差し込むような痛みが走った。

ただ、これだけは信じられる。
悠理を抱いた清四郎の態度には、悪ふざけや冷酷さはなかった。
余裕をなくし、懸命な男の素顔。
内心の葛藤に苦しむ瞳。

そうだ。清四郎は苦しんでいる。

清四郎は、恋をしている。
懸命に、苦しい恋を。



*****




久々の落ち着いた時間。手応えのある知的な会話。
野梨子と本屋を出た清四郎は、思いもかけない安らぎに驚いていた。
だてに十九年も、家族同然のつきあいをしていない。
やはり、清四郎が一番心を許せるのは野梨子なのだろう。

「ねぇ、清四郎、私は喜んでますのよ」
野梨子は頬を上気させてそう言った。
「なにをです?」
「もちろん、悠理とのことですわ」
ふふふ、と野梨子は口を押さえる。
「だって、清四郎、ずっと悠理のことを想ってましたでしょう」
清四郎の足が止まった。
「・・・知ってたんですか・・・さすが野梨子ですね」
「あら、私だけじゃありませんわよ」
「・・・・・・。」
清四郎は、深々とため息をついた。

悠理とともにいるときに、清四郎を焼く焦燥。
自分が自分でなくなる感覚。
そうと気づかぬまま、さぞ、みっともない姿を皆の前でも晒していたのだろう。

「浮かぬ顔をしていますのね」
清四郎は肩をすくめた。
「僕のは、片想いですから」
野梨子は微笑みながら首をかしげる。
「そうですの?・・・まぁ、相手があの悠理ですものね。 でも、清四郎は女性や恋愛を馬鹿にしているところがありましたから、少し苦労なさったら?」
「あいかわらず、辛辣ですな」
清四郎はコロコロ笑う小柄な幼なじみを、眉をひそめて見下ろした。

「しかし、野梨子も・・・美童には冷たい態度ですね。愛されていることが、わかっているからですか」
野梨子は頬を染める。
「嫌な言い方なさるのね」
「だってそうでしょう。その気がないなら、きっぱりと拒否するのが 野梨子流だとわかっていますから、僕ら周りのものも、美童とはつきあっているものだと思ってますよ。 それなのに、今日のことといい、あいかわらず美童が一方的に想いを寄せているようにも見えますね」
意地悪な言い方だとはわかっていたが。
いまの清四郎には、他人事ではない。

――――一方的におしつけるだけの愛。

それを、だれよりわかっているのは、清四郎なのだ。
「・・・一方的というわけではありませんわ」
野梨子は眉をよせて、うつむいた。
照れているにしては表情が暗い。
「でも、そうですわね・・・そう言われてもしかたのない態度だとは、私も思いますわ」
「野梨子は、美童が信じられませんか」
「そうかも、しれません」
これまでが、これまでなだけに。
しかし、だからこそ、すべてを投げ打ち野梨子一筋の美童の態度は、仲間たち皆を感心させているのだが。
「それに、私は怖いのかもしれません」
「恋を・・・することがですか?」
「美童と、恋をすることが」
野梨子は顔をあげ、清四郎を見つめた。
大きすぎる瞳が、惑いに揺れている。
「美童がいまは真剣に私を見てくれていることは、わかっています。でも、あの人はいつでも真剣でしたでしょう。 あれでも、嘘をつかない人だってこと、ずっと知っていました」
恋多き男美童は、それでも誠心誠意相手を愛し、嘘はつかなかった。たとえ一瞬だけのうたかたの恋に対しても。
「野梨子に対しては、これまでとは違いますよ」
「ええ、そう。わかっています。違いますの。私が怖いのは、自分なんです」
野梨子は指を一本立てて、耳の上に立てた。
「私、きっと鬼になってしまいますわ。あの人の優しさにさえ疑心暗鬼になって」
野梨子は、無理に口元に笑みを浮かべた。
「恋をすると、醜い自分ばかりが出てきてしまいそうで。いままでの自分が壊れてしまいそうで」
「野梨子・・・」
「私は、怖がっているだけなんです。これ以上、好きになるのを」
野梨子の目は、すでに恋にとまどう女のものだった。

おだやかで静謐な表面からは、想像もできないほど、情の強い内面。
やはり、野梨子と清四郎は似ている。

野梨子の怖れは、清四郎の現在だ。
立ち止まる暇もなく、逃げ出す猶予もなく、この恋に落ちてしまった。
清四郎はもう、引き返せないところまで来てしまっている。

でも、もし。
やり直せるとしたら、どこからやり直すのか。
もちろん、最初の陵辱は、清四郎も悔いていた。
だけど、あそこから――――悠理に告白するところから、やり直したとしても。
悠理の心に魅録がいるなら、清四郎の恋が叶うことはない。
見つめるだけ、見守るだけで、そばに居れるほど、清四郎は大人ではなかった。

大人になれなかった。






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