kiss kiss kiss 2
一週間だけの恋人<7>





清四郎が、告げたのは、明らかに失敗だった。
悠理の恋を知っていると。

魅録と可憐は駅で待ち合わせしているのか、ここのところいつも一緒に登校している。
朝、車から降りて彼らに会ったとたん、悠理はしゃがみこんで泣き出してしまった。
魅録のまえで、自分を抑えることができずに、泣きじゃくる悠理。
清四郎が、一番見たくなかった、見せたくなかった悠理の姿だった。
清四郎と喧嘩でもしたのかと、友人たちは思ったようだが。
こんな状態の悠理を、魅録と同じ教室に置いておけない。
清四郎は、すぐに悠理を剣菱邸に連れ帰った。

ここ数日、悠理は一度もまともに授業を受けていない。
それは、清四郎も同じ。
ふたりで、ずっと部屋で抱き合っていた。
その間も、ずっと悠理の涙は止まらなかった。






【そして、七日目】





清四郎は、ベッドサイドに置いた自分の腕時計で確認する。
知らないうちに、また日付が変わっていた。今日は、月曜日だ。
あれから学校など行っていないから、忘れていた。
この週末、ほとんど悠理の部屋で、ふたりで過ごしていた。

「清四郎・・・どこ?」
隣で、悠理が清四郎のぬけでたシーツを手でさぐる。
まだ寝ぼけているのがわかる、幼い仕草。
「ここにいます」
愛おしさに、清四郎は悠理の手をひいて胸に抱きこんだ。
抱いて抱いて、声をあげさせて。
つながっている間だけは、心も通じているような錯覚をもてた。
いつも、最初は身を硬くする悠理だったが、こんなふうに無意識に近い状態だと、甘えてさえくる。
だから清四郎は、意識を失わせるほど、激しく悠理を抱きつづけた。
きつく閉じた悠理の目から、また涙が流れる。
清四郎は唇をよせ、その涙を吸いとった。
心を閉ざし、なにも考えない。
閉じたまぶたの裏で、悠理がだれの面影を追っているのか、だれを想っているのか。
わかっているはずの事実から、清四郎は目をそむけ続ける。
ただ、悠理の体だけを、飽かずにもとめた。

ひなたの似合う悠理の健康的だった肌が、男の精を浴び透けて白く光る。
伸び伸びとした若木のような四肢は、柔らかく曲線を描きシーツの海にうねる。
少年のようだったきつい眼差しは、快感に潤み、唇は甘く艶めく。

清四郎は、悠理の体に溺れていた。
だから、気づかなかった。悠理が、ろくに食べなくなっていたことに。
清四郎自身も、なにも食べていなかったのだが。
食べることが好きで、生きることが好きで。
だれより輝いていた悠理の笑顔を奪ったのが自分だとは、清四郎は気づかなかった。
なによりたいせつなものを、見失っている自分にも。



*****




心と体が、バラバラになる。
涙は、枯れない。

自分がなぜ、なにも言えないか悠理はわからなかった。
だれかの代わりに抱かれるのは、嫌だった。
なのに、清四郎を拒む言葉も行動も出てこない。
体中で清四郎のことを感じて、息もできないほど抱きしめられている間だけは、 すべてを忘れることができた。
心は拒否するのに、体はとろけてゆく。
いや、悠理の心がもとめているから、体がこたえるのか。

たったひとつだけ、悠理にもわかることがあった。
”もう、僕らは後戻りできない”
悠理を動けなくした、清四郎の言葉。
もう、友達にもどれないなら。
清四郎を失わないために、悠理は目をつぶって耐えるしかなかった。
悠理を愛してもいない男に、抱かれる屈辱に。
そんな酷い男なのに、失いたくないと切望している、自分の卑屈さに。



もう何度目かわからない絶頂感。
意識を飛ばしていた悠理は、目元の冷たい感触で、現実に引き戻された。
「…なに?」
目が見えない。タオルかなにかで、ふさがれている。
「ずいぶん、腫れてますから」
清四郎が、濡れタオルで目を冷やしてくれているのだ。
泣きすぎて、目が開けられなくなっていた。
冷たいタオルの感触は、心地よかった。

清四郎は訊かない。悠理の涙の理由を。

悠理にだって、わからないのだ。
怒りも屈辱も悲しみも、たしかに感じているけれど。
非難も抗議も別れも、告げることができない理由。止まらない涙の理由。

清四郎が悠理の前髪をすく。
長い指が髪に絡まる感触が、気持ちいい。
優しく撫でられ、悠理の胸が締め付けられる。
愛おしげな仕草に、誤解しそうになるから。
目を冷やすタオルをそのままに、悠理の唇を清四郎の指がたどる。
指が熱い唇に替わった。
深く合わさった唇。
吸いあげられ、舌と唾液がからまる。
慣れたはずなのに、激しいくちづけに意識が眩んだ。

清四郎の心を、誤解したくなる。
こんなに激しく欲されているのは、悠理自身なのだと、錯覚しそうになる。

タオルで目をふさがれたまま、清四郎の唇が、首筋を伝い降りた。
何度も愛された胸の突起を、唇で含まれる。
髪を撫でていた手が、わき腹をさまよい、下肢に滑り降りた。
体と心が、潤みほぐれる。
こうなると、悠理はもう抵抗できない。自分の体と心が、清四郎を受け入れることに。
ゆっくりと侵入してくる清四郎に、声を上げた。
悠理の感じるところを探るように、下肢を持ち上げた清四郎は角度を変える。
揺さぶられ、突き入れられ。
目からタオルがずり落ちた。
薄く開けた目に、清四郎の顔がぼやけて見える。
真剣な男の瞳に、欲望の熱が映っていた。
心の弱い壁を、突き崩される。
全身で清四郎にしがみつこうとする、自分の心を、抑えられない。
快感と、愛されもとめられる錯覚に、酔いしれて。



目を開けた悠理は、清四郎が自分を見つめてくる瞳に、真実を探した。
清四郎は泣き出しそうな目で、悠理を見下ろしている。
”愛したい、愛されたい”
途方にくれた、子供のような黒い瞳。
罪悪感と焦げつくような渇望が、その目には映っていた。
「…違う…」
思わずつぶやいてしまい、悠理は自分の口を手で押さえた。
悠理の知っていた清四郎の黒い目は、いつも深く澄んでいた。
落ち着いたその色は、悠理を安堵させた。
照れくさくて、真正面から見つめることはできなかったけれど。

悠理は、清四郎のあの目が、とても好きだった。
そうだ。
もう認めるしかなかった。
悠理が見つけたのは、自分の中の真実。

漏れそうな嗚咽を、悠理はこらえた。
――――清四郎が、好きだったのだ。ずっと。



*****




ようやく目を開けた悠理は、清四郎の顔を見た。 悠理の表情から、陶酔の余韻が消える。
「…違う…」
小さなつぶやきが、清四郎の胸に刺さった。
もう慣れたはずなのに、いつまでも胸を焼く痛み。
清四郎は込みあがってくる激情を、こらえた。
黒い感情に覆われそうになる心。
しかし、かつてそれに身をまかせ、悠理を傷つけてしまった愚挙の記憶が、 かろうじて清四郎を押しとどめた。
二度と、悠理を傷つけたりはしたくない。

自分の口を押さえている悠理の手を、清四郎はつかんだ。
「我慢しなくて、いい」
――――おまえが魅録を想って泣くなら、涙が枯れるまで、待っているから。
「僕を、見てくれ・・・・悠理」
悠理はいやいやをするように首をふる。
――――あいつのかわりでも、かまわないから。
清四郎は悠理の頬を両手ではさむ。
愛しくて、愛しくて、たまらなかった。

「おまえが、好きだ、悠理」
何度目かの告白。
悠理が恋を知ってしまったいま、そう告げることは、悠理を追いつめてしまうかもしれない。
けれど、言わずにはおれなかった。

悠理は大きく目を見開く。
息をつめ、凍りついたように清四郎を見つめている。

「いまは、つらいかもしれない。だけど、いつか・・・」
せめて、可能性だけは信じさせて欲しい。
いつか、想いが通じる日がくると。
「いまは、愛せなくても・・・」
心ごと、悠理を抱きしめたい。



*****




心臓が、止まるかと思った。
”好きだ”
清四郎がそう言ったときは。

”いまは、愛せなくても”
わかっていても、心が凍る。

――――もう、だめだ。
心が、壊れてしまう。
堰を切るように、哀しみと絶望の奔流が、悠理を襲った。

「・・・いやだっ」
悠理は清四郎の手を、ふりはらった。
清四郎は、悠理を愛する努力をするという。いつか、可憐を忘れるという。
「おまえはそれでよくても、あたいは耐えられないっ・・・」
清四郎を好きだと、気づいてしまったから。
だれかの代わりなんて、もう悠理は耐えることができない。
「なれないよ、だれも、代わりになんて・・・!」
酷い、酷い男。
優しく触れられるだけで、心が切り裂かれる。
息を殺し、自分を殺し、それでもそばにいたいと思ってしまう。
「悠理・・・」
愕然とした清四郎の顔。
伸ばされた手から、悠理は逃げた。

ベッドから出た悠理は、手近なシャツをあわただしくはおった。
腰の下まで覆う大きすぎるTシャツは、悠理のものじゃない。
清四郎のシャツを着たまま、悠理は男をふりかえった。
清四郎もベッドから降り、服を身につけている。
素肌にワイシャツをはおって、ベルトを締める。 下りたままの前髪で隠れ、表情は見えない。
悠理はTシャツの胸元をつかんだ。胸が痛かった。

「清四郎・・・・もう、やめようよ」
もう、悠理は自分を偽れない。
「あたい、嫌だ、こんなの・・・これ以上、嘘はつけない」
清四郎は、まだ顔をふせている。
「もう、やめよう」
重ねて、悠理は言った。
「友達に、もどろうよ・・・!」

それが、いまの悠理にとって、たったひとつの望みだった。
清四郎を失いたくはなかった。
この期におよんでも、なお。

手に入らない女の代わりに、悠理を抱いた男。
愛してもいないのに”好きだから”と言う男。
こんな、ひとでなしなのに、いつの間にか恋してしまった。
無理やり犯されたのは、体じゃなく心だ。

「悠理、後生だから・・・」
清四郎は顔をあげた。ゆがんだ表情で、悠理に哀願する。
こんなに、感情を見せる清四郎を、はじめて見た。
悠理は、崩れそうになる自分を、必死でささえる。
「あたいにだって、感情はあるんだ!」
悠理は血を吐くような思いで叫んだ。
「もう、ごまかせないよ・・・!」
清四郎の顔から、表情が消えた。
蒼白の面のなかで、ガラス玉のようななにも映していない瞳。
もとより、悠理のことなど、その目に映っていなかった。
悠理の想いも痛みも、清四郎はわかっていない。
だから、こんなに残酷になれるのだ。

「あたいだって、おまえが・・・好きだったよ」
清四郎の体が、ぐらりと揺れる。
悠理は、ふるえだしそうになる自分の体を抱きしめた。
「だから、友達にもどろう」
意地もプライドも、かなぐり捨てて。
それだけ口にするのが、悠理は精一杯だった。



どれだけ時間が経ったのだろう。
清四郎が動いた。
無言のまま、清四郎は自分の荷物をまとめる。
「清四郎・・・」
部屋を出ていこうとする男に、声をかけた。
悠理の声はかすれる。
「明日からは、あたいたち・・・友達にもどれるよな?」
それは、切望だった。
それだけが、せめてもの望みだった。
顔をふせたまま、清四郎は立ち止まる。

「・・・無茶を、言わないでください」

清四郎は、扉を手にふりかえった。
その目が濡れていた。
「悪かった、悠理。酷い目にあわせてしまった。・・・でも、僕はこの一週間・・・」
清四郎は、なにかを言おうとしてやめた。
首をふって、悠理から目をそむける。
黒い瞳が、前髪に隠れた。
「さよなら、悠理」
悠理をふりかえらないまま。
清四郎は扉の向こうに消えた。



清四郎の足音が遠ざかっても、悠理はしばらく佇んでいた。
やがて、ガタガタと体がふるえだす。
崩れ落ちそうな体を、チェストで支えた。
顔をあげると、壁にかかった鏡に、青ざめた貧相な女が映っていた。
着ているのは、大きすぎる男物のシャツ。
清四郎の残り香に包まれて、やっと、悠理は気がついた。
映っているのは、自分。
恋も、プライドも、失った。

「あ、ああああああっ・・・・」

悠理の口から出たのは、悲鳴。
拳で、鏡を叩く。
悠理にも、やっと理解できたのだ。

――――恋だけじゃなく、清四郎を、失ったことに。





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