kiss kiss kiss 2
一週間だけの恋人<9>




【続一週間後】







”彼女のもとに駆けつけて、跪いて許しを請え”

美童の言ったとおり、清四郎は悠理のまえに膝をつく。
同じ高さになった悠理の目と、清四郎の視線がからんだ。
悠理は、怯えた表情でふるえていた。
清四郎はくじけそうになる勇気をかき集める。

「悠理、おまえは、どうしたい?」

それは、この一週間で初めて、清四郎が悠理に問いかけた言葉だった。
”好きだ”
自分の気持ちだけを、ぶつけて。勝手に、嫉妬して。
悠理の気持ちを問うたことはなかったのだと、清四郎は自嘲する。
唇を引き上げると、魅録に殴られた傷が痛んだ。

「おまえが、二度と顔を見せるなと言えば、僕はそうします」
完璧に、悠理のまえから消えてしまう自信はあった。
学校をやめ、国さえ出てもいい。
清四郎には、正直、そのほうが楽なのだ。
友人として、近い場所に居続けるより。

しかし、悠理は首をふった。

「あたいは・・・」
友達にもどりたいと、すでに何度も悠理は言っていた。
そして、もう引き返せないと、清四郎は言った。
けれど。
魅録に指摘されたように、それは、清四郎が逃げ出したかっただけで。
どんなにつらくても、清四郎は悠理の望むとおりにしなければならない。
悠理に、笑顔を取り戻させるために。

こうして日の光の下で見ると、悠理の憔悴した様子が清四郎にもわかった。
片恋の焦燥のあまり、抱きしめて抱きしめて、悠理を窒息させていたのだ。
友人でありたいと願っていた女を、強引に自分のものにして。
悠理にしても気づきたくなかったに違いない、淡い初恋まで、気づかせ、踏みにじって。

「おまえには、つらい思いをさせてしまった。僕が身勝手だったんだ」
清四郎の想いに応えられないのは、悠理の罪ではない。
悠理の目が、苦しげに揺れる。

”あたいだって、おまえを好きだったよ”
そう言った悠理。
”明日からは、友達にもどれるよな?”
あれほど傷つけても、なお。清四郎への信頼と友情は、悠理の中で消えていないのだ。

悲鳴をあげる恋心を、清四郎は抑えつけた。
「友人にもどりたいというなら・・・おまえの、望むようにします」
ついに悠理の瞳から涙が零れ落ちた。
「・・・うん」
悠理は何度も、うなずいた。

「わかりました」
審判は、下った。
清四郎は、立ち上がる。

清四郎は、悠理に背を向け、いつもの自分の席についた。
机の上に積んである新聞を手に取る。
唖然としている仲間たちの前で、清四郎は先週の新聞を広げた。

あの一週間を、なかったものとして、過ごせばいいだけだ。
そんなことは不可能だと、清四郎自身はわかっていた。
だけど、嘘をつくしかない。心を殺し、仮面を被るしかない。
どんなに困難でも、それが清四郎にできる、悠理に対するつぐないならば。




*****




清四郎は新聞をめくっている。
落とした箸を拾いもせず、悠理は弁当を見つめている。
魅録と可憐は固まっている。
立ち上がったままの野梨子が、清四郎に非難の目を向け、なにか言おうと口を開いた。
「・・・野梨子。お茶淹れてくれる?」
美童が立ち上がった。
「僕も一緒にやるから」
「美童、でも・・・」
「いいから。清四郎も飲むだろう、お茶」
新聞を置いて、清四郎は微笑んだ。
「ええ、頼みます」
まだ少し青ざめていたが、清四郎の表情は、彼らが見慣れた落ち着きを、すでに取り戻していた。

「・・・あ、あっと、可憐。六限目の古典の件・・・」
「あ、古語辞典ね。いいわよ、魅録。あとで教室に取りにらっしゃいよ」
可憐と魅録が、場を取り繕うように、あたりさわりのない会話を始めた。
野梨子の背中を押すようにして、美童は茶の準備をはじめる。
「ねぇ、美童・・・どういうことですの?」
食器を出しながら、小さな声で野梨子が美童に問う。
「僕だって、よくわかんないけど。あいつらは、友人にもどったんだろ」
「だって、清四郎は悠理をあんなに愛してますのに」
「……」
美童は野梨子の横顔を見つめる。
「好きだからって、気持ちを押し付けるばかりじゃだめなんだ。そうだろ?」
野梨子は少し頬を染めた。
しかし、それは甘やかなものではなかった。
瞳を曇らせた野梨子は、真剣に友人たちのことを案じている。
「あんなに傷ついてる悠理は、見てられませんでしたわ・・・眠りながらも、泣いてましたの」
美童は眉をよせ、ため息をついた。
彼らが聞かされた清四郎が悠理に負わした傷を、とてもじゃないが、女子には言えない。
「泣きながら、清四郎の名を呼んでましたのよ。だから、私はてっきり、悠理も清四郎をって」
「・・・嫌がってる感じじゃなく?」
「ええ、置いていかれた子供みたいでしたわ」
美童は手を止めて、背後をふりかえった。

悠理はあいかわらず、弁当をにらみつけている。
清四郎も、平静を装ってはいても、ほんとうに新聞を読んでいるとは思えない。

「うーん・・・悠理は結局、清四郎を赦してるんだろうけど」
美童は手を頬にやり、思案した。
「悠理は以前から、清四郎を意識してたよ。ほら、あのキス騒動のときだってそうさ」
「そうですわ。だから、ふたりがつきあうことになって、私はほんとうに嬉しかったのに」
野梨子は小さなため息をついた。
恋に落ちることが、怖い。あんなふうに、傷つけたくも、つけられたくもない。
野梨子の心中を察して、美童は軽く肩にふれた。
うながされ、野梨子は美童の持った盆の上のカップへ人数分の茶を注ぐ。
「清四郎は、焦りすぎたんだろうなぁ・・・ったく、未熟者め」
顔をしかめて、小さくつぶやく。
「はい、お茶お待たせ〜」
自分も表情をあらため、美童は偽りの日常を演じている仲間たちのもとへと、身をひるがえした。



*****




【数日後】





「やっぱし、まだまずいんじゃねぇの?」
「・・・ん。そうよねぇ」
部室の片隅で、可憐と魅録が声をひそめ内緒話をしている。
無粋と思いつつ、悠理はカップルの会話に割って入った。
「なにが、まずいんだ?」
「わ、悠理!」
正直者の二人の表情で、やはり自分の話か、と悠理は顔をしかめた。

この数日、仲間たちは、悠理と清四郎を腫れ物のようにあつかっている。
たしかに悠理の心の傷は、まだあちこち疼いているが。
「おまえら、なー」
友人達の気遣いは嬉しかったが、いつまでもこの状態だと、悠理も落ち着かない。

清四郎はもとの生活を取り戻している。
慇懃無礼な物言い、おだやかな笑み。
他人行儀というほどではない。悠理をからかって、笑うことすらある。
まるで、あの一週間が夢だったように、清四郎はもとのように振舞っている。

ただ。

からかうときに。なぐさめるときに。
髪をくしゃくしゃとかき混ぜてくれた、あの大きな手が、悠理にふれることは、二度となかった。
だけど、それくらいは耐えられる。
いや、いまの悠理にとっては、ほんの少しだけ生まれたそんな距離が、救いだった。

一番つらいのは、悠理が忘れられないことだ。
偽りの恋人の、熱い視線。抱きしめてくる腕の感触。
眩むようなくちづけの、激しさまで。
ふいに、思いだすたび、体がふるえる。
一週間だけの恋人が変えてしまった、心と体を、思い知らされる。

まだ癒えるはずもない傷を、見ないふりをして。
悠理は、自分の望んだ日常に、それでも慣れていった。

「なにが、まずいんだよ」
重ねて問うと、可憐が首をすくめた。
「ええと、ゴメン。もうすぐ、連休でしょ?それで・・・」
言いよどんだ可憐に、悠理はポンと手を打つ。
「あ、ユニバーサルスタジオ!」
そう、可憐は連休の旅行計画を立て、楽しみにしていたのだ。
「ううん、べつにもういいのよ、今回は。また、別の機会にみんなで行きましょうよ」
可憐はあわてて言葉を続ける。
「なんでだよ、行こうよ!すっかり忘れてたけど、あたいも楽しみだったんだぜ!」
悠理はくるりとテーブルをふりかえった。
「美童、野梨子、清四郎!今週末、大阪行くよな?」
突然の呼びかけに、思い思いのことをしていたテーブルの面々は、あっけにとられた顔をしている。
美童と野梨子は、咄嗟に清四郎に視線をやった。
そんな友人の反応に、清四郎は苦笑する。
「いいですよ。もともとその予定だったでしょう。でも、いまから宿の手配は大丈夫ですか?」
清四郎の言葉に、可憐は困った顔をする。
「え、ええ。たぶん・・・」
「そうと決まったら、計画立てようぜ。あたい、神戸も行きたいな。二泊三日にしよっか」
悠理は、ぴょんと元気よく跳ねて見せた。

「なぁなぁ、清四郎、じっちゃんとこで会った、太極拳のすごい親父、神戸の中華街にいるって言ってなかったっけ?」
「ああ、黄海峰氏ね。そうでしたな」
「あたい、いつでも食べにおいでって、言われてるんだよな〜。ウシシ」
「って、悠理、あんたとこは九江がいるじゃない」
「神戸の中華街って、横浜よりも小さいのでしょう。そういえば、私行ったことありませんわ」
「結構、雰囲気いいよ。門構えも立派だしさ」

以前のような、気の置けない会話。
どこか張りつめがちだった空気がゆるむ。
こうして、少しずつでもいいから、以前のような関係にもどりたかった。
そして、それは幸せな恋をしているカップルたちにとっても、そうだった。
この旅行がいい機会になるかもしれない。
いつのまにか、ほんとうに楽しみになっていた。

もとの通りに笑いあえる日々を、だれもが望んでいた。
悠理に、心からの笑顔が戻る日が来ることを。






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