B列車で行こう







観察者四名は、赤面するふたりに、首を傾げた。
「清四郎、照れてるんじゃないのぉ?」
可憐は目を細め、口の端を上げる。
「ええ?悠理相手にかぁ?」
魅録はあり得ない、と首を振った。
「さりげに、アンタって悠理に対して失礼ね」
「あいつは、女とは思えねぇ」
「それは、アンタにとってでしょう。清四郎には違うかもよ」
その可憐の言葉に、もう一度一同は清四郎と悠理に目を移す。
「あれ?」

ふたりの表情が、先程とは変化していた。
悠理はリトマス試験紙のように顔色を変えている。
赤から青、そしてまた赤。
表情は愕然と固まっている。
清四郎は赤面したまま、なにかに耐えるように顔をしかめていた。
両手を悠理の頭の両脇で突っ張り、無理に体の間に隙間を作ろうとしている。
扉にあてられた拳が、ぶるぶると震えていた。
明らかに、なんらかの異常のサインだ。

「清四郎、すごくつらそうですわ」
「ほんと、何か我慢してるみたいね。顔も真っ赤だし」
女達二人は、首を傾げた。
男達二人は、とっさに顔を見合わせる。
二人は経験上、同時に思い至った。

((清四郎のあの姿勢・・・まさか、勃っちまった?!))

清四郎だけでなく、悠理もふるふる震え出した。
先程までとは違い、不快感に顔をゆがめ、爆発寸前の表情だ。
女達は経験上、同時に思い至った。

((悠理のあの顔・・・まさか、痴漢?!))

四人は二組の思惑で、愕然と表情を強張らせた。

次の瞬間。

「いい加減にしやがれっ、この変態野郎!!!!」

悠理の怒声が、当着駅名を告げる放送をかき消す。

ボキッ

停車の衝撃に乗客の体が傾いだとき、車両内に鈍い音が響き渡った。
わかる者にはわかる、骨の砕ける忌まわしい音だった。



*****




結局、一同降車することになった。
人混みにまぎれ、姿を消したのは汗かき太っちょ男だった。
脂汗を浮かべてこけつまろびつ逃げ去って行く男を捕まえる気は、清四郎には なかった。
しかし、悠理はそうはいかない。
「くっそーっ!どこに逃げやがった、あの痴漢野郎!」
ホームを見渡し、悠理はまだ怒り狂っている。

「そりゃ、逃げるよ。清四郎が手の骨、折っちゃったんだろ?」
「あの音は、粉砕骨折だぜ」
「あたいも一発蹴り入れなきゃ、気がすまないじょー!」
悠理は目尻に涙を溜めて、地団太を踏んだ。

「いや、それ以上は過剰防衛だって」
すでに、清四郎の処置は過剰防衛だったが、それに関しては誰も触れない。
清四郎の額には、すだれよりもまだ暗い暗黒の影がドーンと下りていたからだ。
悠理の派手な怒りより、無言で相手の骨を粉砕する清四郎の静かな怒りの方が、よほど恐ろしい。

「悠理、災難でしたわね」
「ほんと、痴漢なんてサイッテーよね!」
野梨子と可憐は同情しきり。

「ま、まぁ、悠理も女に見えたわけだ。痴漢には」
殺伐とした雰囲気を和らげようとした美童の言葉は、しかし失言だった。
「美童、あんたねーっ」
「どんなに女性が恐怖感と嫌悪感を感じるか、わからないんですのね!」
可憐と野梨子が噛み付かんばかりに反応する。

「痴漢なんて、死刑にすれば良ろしいんですわ!」

野梨子の極端な言葉に、しかし、清四郎はこっくり頷いた。
「・・・そうですよ。殺しても、罪にならないとか」
そして、清四郎はパキリと拳を鳴らした。

「ひっ」
美童は蒼白。
あわてて、唯一の味方である魅録の背後に隠れた。

そして、二人は同時に考えていた。
((あんなに怒るなんて、やっぱり清四郎は、悠理のことを・・・?))

「だいたいなーっ、痴漢野郎はなーっ!」
死刑賛成派らしき悠理は、まだ真っ赤な怒り顔で拳を振りまわした。
悠理の大声に、周囲が何事かと振りかえる。
清四郎が興奮する悠理の背後から、両手を回した。
そのまま、両手で悠理の口をふさぐ。
「もう忘れましょう、悠理」
「むがっ」

清四郎の腕の中で悠理はしばらくもがいていたが、きつく拘束され、やっと大人しくなった。
「むがが」
「落ち着きましたか?」
「・・・・。」
悠理は赤らんだ顔のまま肯いた。
その赤面は、先程までとは違い、怒りゆえに見えない。

四人はあっけにとられて、清四郎と悠理を見つめていた。
悠理を背後から抱きすくめている清四郎。頬がわずかに染まっている。
その腕の中で、悠理は赤面したままうつむいていた。

((((や、やっぱり・・・!))))

四人は、正視できずに、清四郎と悠理から視線を外した。
さりげなさを装い、背中を向ける。
「・・・ど、どうしようか、二駅手前で降りっちゃったもんねぇ」
「え、ええ。でももう次の電車に乗るのは、うんざりですわ」
「駅を出て、タクシー使っちゃおうよ」
「そ、そうだな、二台に分かれりゃいい」

なにげない会話を交わしながら、背後のふたりをちらりと盗み見る者。
耳をそばだてる者。

いまだ後ろから悠理を抱きしめている状態のまま、清四郎はそっと悠理の耳元に 口を寄せた。

「悠理・・・あいつらには、内緒ですよ」

それは小さな小さな、ささやき声だったが。
耳ダンボ状態の四人はしっかり聴き取っていた。



*****




背後から体に回る大きな手。清四郎のぬくもりに包まれ。
口をふさがれているためだけでなく、悠理の呼吸は止まっていた。
ドクドク脈打つ、自分の心臓の音だけが頭に響く。

もう抱きしめてもらえないかと思っていたのに、いかにも自然に、清四郎は悠理を腕に捕らえた。
そしてそれは、心まで。

「悠理、約束してください」
清四郎の大きな手が、やっと悠理の口を解放する。
それなのに、心も体もまだ解放されない。
背後から顔をのぞきこんでくる清四郎から、悠理はブンッと音がするほど勢いよく顔を背けた。
清四郎の視線を感じ、耳まで熱い。
赤らんだ顔は隠しようがないけれど、清四郎は怒っているからと、思ってくれるかもしれない。
悠理は本当に怒っていたのだし。
もちろん、清四郎にではなく、無粋な痴漢男に。

あの変態には、まだ怒りと嫌悪感が収まらない。
つまらない女のプライドなど無縁の悠理だが、ふたりの時間を醜悪で不快なものに変えられた怒りは深い。
清四郎にとって、満員電車が最悪の記憶になってしまったことは疑いようがないから。
悠理にとっては、胸が痛むほど、得がたくあたたかなひと時だったのに。

「悠理?」
顔を背けたまま、悠理は唇を尖らせた。
優しく囁くように耳元で名を呼ばれ、そのまま背中の清四郎に体重をかける。
思いきりもたれても、清四郎はしっかり抱きとめてくれた。
ほんの少し、しかめていた顔がゆるむのを、自分でも感じた。
悠理は大きく息を吸いこんでから答えた。

「・・・わかってるよ。ふたりだけの秘密な!」

不快な記憶も、甘美な時間も。そして、わずかに触れた唇の秘密も。



*****





((((ふたりだけの秘密・・・!!!))))

背中を向けたまま心臓を踊らせている聴衆に気づいてか気づかずか。
清四郎はため息をついた。

「できれば、忘れてください」
「う、うん。あたいも気色悪かったし!」

もう通常の声にもどっている悠理の返答に、聞いていた美童と魅録は震え上がった。
悠理が痴漢にあった事実は、秘密でもなんでもない。ということは”秘密”とは別のこと。
清四郎が忘れさせたい、その秘密とは?
痴漢に憤慨していただけにしては、先程の車内での清四郎の様子は変だった。
清四郎なら、やはり静かに冷たく処断するはずだ。
美童と魅録の脳裏に、顔を赤らめ身をかがめて何かに耐えていた清四郎の苦しげな表情が再びよぎった。
そのとき考えた疑いとともに。

((やっぱり、清四郎・・・体が反応してしまったのか。しかし”気色悪い”って。一刀両断か、悠理よ!))

男の生理現象とはいえ、あの清四郎がそうなってしまったのは驚きだ。
それは、悠理に対する特別な感情を赤裸々に告白しているも同然。
女どもになんと言われようと、男の純情。

思わず、美童と魅録は振りかえった。
バッサリ男の純情を切り捨てられた清四郎に、同情の視線を送る。

案の定、清四郎はガックリ肩を落とし顔を伏せていた。
「・・・僕も、満員電車はコリゴリです・・・」
らしくないほど力の無いその姿に、思わず涙が滲みそうになる。
もちろん彼らの同情は見当違いだったのだが。



*****





清四郎は抱きしめたままの悠理の頭の上に顔を伏せ、わずかの落ち込みを感じていた。

まったく、不覚以外、なにものでもない。
悠理が”気色悪い”と評したのは、あの一瞬のキスではないことはわかっている。
手首がぐしゃぐしゃに粉砕され、今ごろ病院に駆け込んでいること間違いなしの、痴漢野郎に対してだ。
明らかな、過剰防衛。ひょっとしたら、一生手は治らないかもしれない。
しかし、清四郎には一片の同情も後悔もなかった。
なにしろ、男の清四郎の体をまさぐってきた変態野郎だ。そのぐらいの報復は、当然の権利。
あまりのことに頭が真っ白になり、悠理が叫びだすまで身動きできす、かなり好き放題にさせてしまった。
被害が、悠理におよばなくて幸いだったが。

もし、本当に悠理が痴漢にあっていたら――――清四郎は、殺人者になってしまっていたかもしれない。
それくらいの、自覚は芽生えさせられた。
はからずも、満員電車の人混みの中で。

痴漢を殺していいという法律はない。
清四郎は心から、その法律の制定を待ち望んだ。
まだ、悠理の体に回した腕を、ほどかないまま。

少しの落ち込みと、それを上回る喜び。
伏せた顔を上げられないのは、緩んだ表情を見られたくはなかったからだ。
さりげなく抱きしめてみたけれど、悠理は逃げようとはしなかった。
もう満員電車でもないのに、清四郎に体重を預け、ふくれっ面。
後ろから伺ったその顔は、真っ赤に染まっている。
清四郎と同じ想いを彼女も感じているのだと、悠理の体の重みが伝えていた。

人混みのプラットホーム。
出口へ向かう、仲間たちの背。
そろそろ歩きださなければならないと思いつつ、ふたりはまだ動けない。
調子に乗って唇を奪えば、さすがに蹴り飛ばされるかもと、清四郎は逡巡していた。









2004.11.26


はい、Aの次はBでした。微妙に清×悠のB行為ではありませんが。(爆)
あ、もちろん、C列車はありませんよー!いくら私でも、列車内でCは、ちょっとねぇ。
(寝台車ならできるか・・・?)
しかし、痴漢って不快ですよねーっ!痴漢に間違われる男性は気の毒ですが、あれは女の敵!
あ、今回は男の敵ですが。あはは。しかし、男連中のなかで一番痴漢にあいそうなのは美童ですな。主に痴女。そうでなくても 普段遠巻きの他校のファンに、これ幸いと髪の毛くらいは引っこ抜かれそう。
ま、私は清四郎ちゃんの過剰なフェロモンに年中くらくらしてるので、いつもセクハラの対象は彼になるのじゃ。

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