清四郎は後ろ手でドアを閉め、ため息をついた。
落ちたままの前髪をかきあげ、天井を仰ぐ。
一般的住宅の自宅とは違い、高い天井。派手な壁紙。シャンデリアの照明。
見慣れた、いつもの客間だ。
結局、清四郎は今夜一晩、剣菱邸に泊まることになってしまった。
”帰んないで”
そう言った悠理の泣き出しそうな赤い顔。
思い出しただけで、心拍数が跳ね上がった。
「1,2,3,4・・・」
清四郎は落ち着くために、手首の脈を計測しはじめた。
70を越えたとき。
背を預けたままの扉がノックされた。
「!」
思わず飛び上がりそうになったが、すぐに振りかえって、ドアを開けた。
ドアの向こうに立っていたのは、案の定、悠理だった。
「え・・・と」
悠理はまだ赤らんだ顔で、ジャージ姿。
熱があるというのに、毛布もカーディガンも脱いでしまっている。
広くても剣菱邸は暖房が行き渡っているから、清四郎自身もパジャマ一枚で、寒さを感じないが。
寒さどころか、うつむいた悠理の髪の下から覗く染まった耳を見ただけで、体が熱くなった。
――――だから、帰らせたかったのに。
「どうしたんですか?」
清四郎は努めて冷たい声をだした。
冷静になりたいのは、自分だった。
清四郎は一歩身を引いた。
まだ心臓は激しく高鳴っている。それを悠理に聞かれたくはなかった。
扉から清四郎が身を引いたので、悠理は室内に促されたととったようだ。
ペタペタと裸足のまま、客間に入ってきた。
悠理は部屋の中央にあるベッドの、ピンと張ったままのシーツに腰掛けた。
苦虫を噛み潰したような清四郎の顔も、うつむいている悠理には見えない。
顔を伏せ、ちんまり座っている悠理を前に。
清四郎はこくりと小さく喉を鳴らした。
自分が信じられなかった。
自慢の理性は?
目の前にいるのは、悠理だ。狼の前の小羊などではない。
深夜に男の部屋に女がいるからといって、飢えたように喉を鳴らすとは。
それほど、女に飢えていたのか?
清四郎は頭を振った。
たとえ、裸の美女に迫られたとしても、涎を垂らし飛び掛かるような自分ではない。
実際、それに近い状況になったこともあるが、余裕で退けた。
もじもじしている悠理の胸元に視線を落とした。
触れてしまった柔らかな感触よりも、ジャージの刺繍の方が感情を震わせた。
魅録の体操着。
わずかに頭が冷えた。
だけど、感情は昂ぶったままだった。
清四郎は手のひらにかいた汗を、パジャマでぬぐった。
悠理に感じるのは、確かに欲望。
だけど、それは彼女を傷つけるたぐいのものではない。
ただ、触れたかった。
ただ、その柔らかな髪に顔を埋めたかった。
抱きしめ、身を寄せたかった。
先程のように。
*****
「・・・その格好で、寝るんですか?」
清四郎に問われ、悠理はやっと顔を上げた。
「え?」
思わず、自分が母が用意したスケスケヒラヒラのベビードールでも着ているのかと、服装を見直した。
ごく普通のジャージ。魅録からせしめたそれは、悠理のお気に入りだった。
プレジデント学園の体操着は制服と揃いのシャレたデザインで、こんな普通の紺のジャージではない。
松竹梅家で着たときは、時宗にも千秋にも不評だったが。
「これ?部屋着だよ。このまま寝るのはちょっとゴワゴワだじょ。下にTシャツ着てるし」
ほら、と悠理は清四郎に腹をめくってシャツを見せた。
「め、めくらなくてもいい!」
清四郎はあわてて悠理の手を押さえた。
ふたりの手が触れる。
身をかがめた清四郎と悠理の目がぶつかった。
ドキドキドキドキ。
相変わらず、心臓の音はうるさい。熱をもったままの頭がくらくらする。
「・・・悠理」
至近距離で、清四郎が名を呼ぶ。
悠理の頭の中は真っ白になった。
何かを言いたくて、この部屋に来たはずなのに。
何も考えられなくなってしまった。
”帰らないで”とすがったときのように、衝動的に。
悠理は清四郎に告げていた。
「一緒にいたいよ・・・」
アルバムの中の幼い写真が示す、すれ違った十年もの年月。
それを、埋めるように。
これからも、ずっとずっと。
悠理はまた目の奥が熱くなるのを感じていた。
どうして、こんなに泣きたくなるのかわからない。
潤んだ視界の向こうで、清四郎の驚いた顔が見つめている。
「一緒に・・・いるだろう?」
そう言ったのは清四郎だ。
十年も二十年も。
これからも、ずっと、ずっと。
きゅ、と重なった手が握り締められた。
「なにを不安になってるんだ?僕らは、もう友達だ。これからもみんな一緒だ」
清四郎の顔が近づく。
悠理の前髪に清四郎の息がかかる。
そっと。
額に触れた唇。
思わず、悠理は目を閉じた。
涙が一粒、零れ落ちた。
*****
思わず、額に口付けていた。
小さな子供のような悠理に。
淡く色づいた閉じた瞼の上にも、触れるか触れないかのキスを落とす。
頬を流れた涙は人差し指でぬぐった。
紅い唇が甘く誘う。
だけど、清四郎はすんでのところで堪えた。
彼女を驚かせたくはなかった。
傷つけたくはなかった。
欲望よりも、愛おしさが勝った。
「・・・友達をやめたいとは、何度か思いましたけどね」
その言葉に含んだ、自分でも気づかない想い。
悠理は睫毛を震わせて目を開けた。
潤んだ瞳に、清四郎は笑みを向ける。
「馬鹿な上に手癖が悪い、とんだトラブルメーカーで霊感体質・・・」
涙をぬぐった手を上げ、悠理の頭をくしゃくしゃかき回した。
「自分でも、もの好きだとは思いますよ」
憎まれ口をたたく。
反対の手では、小さな手を包み込んだまま。
悠理は唇を尖らせた。
「性格悪い二重人格のおまえに、言われたくないやい」
いつもの口調。
清四郎は苦笑した。
「さ、その調子なら、熱も大丈夫そうですね。明日はさっさと課題を片付けましょう」
「うえ・・・」
顔を歪めた悠理の手を引き、清四郎は彼女を立たせた。
手を繋いだまま、扉へ誘う。
「早く終わらせて、可憐の手伝いに行く約束でしょう」
今年は可憐の家でパーティを開く予定だ。
料理に腕を振るうと可憐ははりきっている。
男連中と悠理は買出し係。
「あ、クリスマスの飾り付け!」
悠理の顔が輝いた。
「プレゼントも買いに行かなきゃ」
みんなで一つ持ち寄り交換する恒例だ。
「あ・・・」
悠理は清四郎のパジャマに目を留める。
衝動的に、もう買ってしまったプレゼント。ふたりだけで交換してしまった。
悠理の視線の意味に、清四郎も気づいた。
「みんなには、内緒にしましょう」
そう言うと、悠理は真っ赤に染まった顔をこくんと振った。
清四郎は扉を開ける。
「おやすみ、悠理」
繋いでいた手を放す。
「うん・・・ふたりだけの秘密な?」
そう言って笑みを見せた悠理があまりに可愛くて。
衝動的に、また額に口付けていた。
「・・・ええ、秘密です」
唇を離し微笑むと、悠理は照れたようにまた笑った。
*****
清四郎の部屋の扉が閉まりきる前に。
悠理はきびすを返し、自分の部屋に駆け込んだ。
走り込んだ勢いのまま、ベッドにダイブする。
上質のスプリングと羽根布団が悠理の体を受けとめた。
「うわわわわ・・・」
額に手をやって、ごろごろ転がった。
顔が火照り、頭が爆発しそうだった。
だけど、胸を締め付ける不安は消えていた。
ずっと一緒だと、清四郎が言ってくれたから。
それに、悠理だって気づいていた。
清四郎の口付けた額が、燃えるように熱い。
”みんなで、ずっと一緒”
だけど、清四郎はこんなこと、絶対他の人間にはしない。
野梨子にも可憐にも。もちろん、魅録や美童にするわけはない。
悠理にだけ。
ふたりだけの、秘密。
ベッドの上に投げ出されていた鞄を手にとった。
急いで中を開け、袋を引っ張り出す。
包装を破って取り出したのは、赤いパジャマ。
悠理はやわらかいネルの生地を、ぎゅっと抱きしめた。
清四郎とお揃いの、プレゼント。
ドキドキして、くらくらして。
また、胸が痛くなった。
もう、不安なんか何もないのに。
ただ、嬉しくてたまらないのに。
「あ・・・」
そのとき、悠理は思い出した。
どうして清四郎の部屋に行ったのか。
謝りたかったのだ。
わがままを言って引き止めてしまったから。
「ごめんって、言うの忘れてた・・・」
ベッドの上で座り込んで。
悠理はそれでも動かなかった。
今夜言わなくても、明日の朝また会える。
それが嬉しかった。
一緒にいたいだけだから。
ずっと、ずっと。
NEXT
今回は、BBSでぽちさんが振ってくれた”デコチュー”でっす♪往年の「りぼん」「なかよし」路線、継続中。
ほのぼのを淡々と続けてまいりましたが、次回あたりでそろそろ終わろうかねぇ。また初恋ときめき萌えシチュを
振られたら回ってしまうかもしれませぬが。(笑)