日曜日はパジャマのままで  6












どこかで聴いたことのあるメロディ。
意味をなさない、英語の歌詞。
懐かしさよりも、胸を弾ませる記憶。

昨夜なかなか寝付けなかった清四郎が目覚めたのは、小さく口ずさまれた曲とそれにまつわる 記憶とともに。
「・・・・ブラックルシアンですね?」
枕から頭を上げないまま、歌声の方に目を向ける。
ベッドサイドにはふわふわの髪。
「よくわかったなー」
ベッドに頬杖をついていた当家の令嬢は、少し照れたような笑顔。
なかなか部屋を出てこない清四郎を起こしに来たくせに、寝顔を見ながら 鼻歌を歌っていたらしい。

清四郎は悠理の髪に手を伸ばした。
「おはよう、悠理」
指先に明るい色の髪をからめ取る。
それは自然な行為だった。
「おはよ。でも、もう昼前だじょ」
悠理は清四郎の手を拒まなかった。
手を髪から額に滑らせる。
「熱は?」
「もう、全然元気!」
その言葉通り、悠理は晴れやかな笑顔を見せた。
額から頬に触れた手を、離しがたく留まらせる。
へへへ、とくすぐったそうに首をすくめて笑う悠理を、抱きしめたくなって困った。

もう、清四郎は自覚していた。
胸をざわめかせる、感情。
悠理に触れたくてたまらない理由。

こんな日曜の朝が嬉しかった。
目が覚めて最初に見える笑顔。
彼女の歌声。
趣味も合わない。性格も反対。だけど、悠理と魅録の好きだった曲を、清四郎も知っている。
いくつもの記憶を、共有している。
それが胸の中をあたたかく満たした。

「おや」
ふと、気づいた。
悠理の襟の色が、昨夜着ていたジャージの色ではない。
清四郎はベッドから身を起こした。
床に座り込んでベッドに肘をついている悠理は、赤い真新しいパジャマ姿。
「それ、着たんですね」
清四郎と揃いで買ったパジャマだった。
「うん。あたいは、ほんとはすぐに着たかったんだぜ。おまえが、おまえんちでは着ないでくれって 言うからさぁ」
悠理はシュールな柄を指し示す。
「な、カワイイだろ?」
わけのわからぬセンスの柄ではあったが、清四郎は心から答えた。
「・・・ええ、すごく可愛い」
その言葉に込めた意味が伝わったのか。
悠理はほのかに頬を染めた。
「お、おまえも同じの着てるんだぜ!」
「そうですね」
それが嬉しい。

清四郎は鼻歌でも歌いたくなるほど幸せな気分で、ベッドの上で伸びをした。
「でももう昼前ですか。いつまでもパジャマのままでいるわけにもいかないな」
「いいじゃん、日曜だし」
「日曜もなにも、冬休みじゃないですか」
「でも、なんか日曜って、特別じゃねぇ?」
一緒にいることが。こうして迎える朝が。

ずっと、こんな朝がこれからも続くことをなぜか信じられた。
悠理に告げたように。
清四郎は疑ったことがない。ずっと、一緒にいる未来を。

「この格好で来てしまいましたからねぇ。着替えを豊作さんに借りなければ」
そう言うと、悠理はそわそわもじもじし始めた。
「ええと・・・」
立ち上がった悠理は、つつつ、と後ろに下がる。
もう清四郎の手が届かない距離。
「どうした?」
生まれた距離が、少し淋しい。
「あのさ・・・」
「?」
「昨日は、ごめん!」
悠理はぴょこんと髪を揺らして頭を下げた。
「わがまま言って引き止めて、ごめんなっ」

清四郎は悠理のつむじを眺めていた。
彼の方こそ、無神経な言動で悠理を泣かせてしまったのだから、謝りたかったのだけど―――― 悠理にいま告げたいのは、詫びの言葉ではなかった。

「・・・悠理」
清四郎はベッドの上で足を組み、悠理の名を呼んだ。
そして、自分の隣のシーツをポンポン叩く。
「?」
首を傾げた悠理は一歩近づく。
「おいで」
もう一度、ベッドをボンと叩くと、悠理は大人しく清四郎の隣に座った。
「な、なに?」
「おまえに、訊きたいことがあります」
清四郎はふたたび悠理の髪を指で弄び、肩に触れる。
びくりと身を竦ませるのにも構わず、清四郎は悠理の肩をそっと押した。
そのまま枕の上に上体を横たわらせ、上から見下ろす。
悠理はびっくりした目で、清四郎を見上げていた。
パジャマと同じ色に染まった頬。

「昨日、僕に触れられると病気になるって、言ってましたよね」
「だ、だから、ごめんって」
「怒ってるんじゃありません。僕も同じだから」
「え?」
「胸が苦しくなって、頭に血が上る?」
「う、うん・・・」
「なぜだかわかる?」
悠理はふるふる首を振った。

「じゃあ、教えてやる」



*****




清四郎の目を見つめているだけで、昨夜と同じ激しい動悸。
悠理は自分の胸元を抑えた。

”教えてやる”
そう言ったのに、清四郎は何も言わなかった。
ただ、ゆっくりと悠理の髪を撫で続ける。
苦しいくらい胸はドキドキしているのに、少しも嫌じゃなかった。
こうして、見つめあっていることが。

どれほどそうしていたのか。
やっと、清四郎の唇が動いた。
声は、音にならなかった。
清四郎の言葉は、悠理には聞こえなかった。
自分の心臓の音が、うるさすぎて。

だけど。
聞かなくても、なんの不安も感じなかった。
同じだと、わかったから。
清四郎も同じ気持ちを感じてる――――それが、とても嬉しい。

悠理は目を閉じた。
それでも、清四郎の存在を感じられる。
髪を撫でていた優しい指が、悠理の額にかかった前髪をかきあげた。
指先は頬を辿り、唇に触れたあと、静かに離れた。

心がふるえる。
ほんの少しのおそれと、胸を締め付ける愛おしさ。
そう。
もう、悠理にだってわかっていた。
急な発熱。それは知恵熱。
初めて自覚した感情からくる、医者が治せない病。
恋の病。

清四郎の吐息がかかる。
額に感じる、柔らかなぬくもり。
ふるえる睫毛をついばみ。
唇は、指のあとを辿った。
頬に触れる息。
そして・・・。



*****




ふたりの唇が重なる寸前。
客間の扉がノックされた。

「清四郎ちゃん、百合子です。開けてもいいかしら?」

清四郎が我に返るよりも先に。和尚仕込みの身のこなしで、悠理はベッドから飛んで離れた。
ゆうに、3メートル。
だから、百合子夫人が扉を開けたときに目にした光景は、ベッドに身を起こした清四郎と、はるか離れた 壁に張り付いている娘の姿だった。

「悠理、あなた清四郎ちゃんに渡してくれって頼んだのに、置いていったでしょう、着替え」
悠理は壁に顔を向けたまま、こくこく肯いている。
娘の無作法に慣れている夫人は、悠理の方を見もせず、清四郎に笑顔を向けた。
百合子は腕に何着かの服を抱え、期待に満ちた目を輝かす。
「豊作のものだけど、あの子が袖を通してないものが何着かありますの。サイズは問題ないと思うわ」
「・・・すみません、おばさん」
剣菱夫人自ら用意してくれた着替えを、清四郎は受け取った。
さすが、瞬時にそつのない笑顔を浮かべることに成功している。
しかし、布地に目を落とした途端、その笑顔がひきつった。

「豊作さんの・・・ですか」
常識人の悠理の兄が袖を通さないのも道理。
その衣装をこの日本で違和感なく着こなせるのは、美童をおいて他にはいまい。
そう。それは、ビラビラヒラヒラのレースがふんだんに使われた、特注の衣装だった。

清四郎が額に影を落としつつどう謝辞しようかと考えているとき、百合子はやっと 娘に視線を移した。
「あら・・・」
悠理は壁に顔を向けたまま、背中を見せている。 染まった耳元はわずかに見えるが、髪に隠され表情は見えない。
しかし、夫人は白い手で口を覆い、目を細めた。
娘の挙動不審の理由を、一目で看破したらしい。
雄弁なカマボコ型の目で、ちらりと清四郎に視線を向ける。
百合子の視線は、ふたりのお揃いのパジャマの間を行ったりきたり。

ここで赤面するのはマズイとわかっていながら、清四郎はポーカーフェイスが崩れるのを自覚した。
蛇に睨まれた蛙。
清四郎は敗北の白旗を心の中で掲げた。
プライドの高い彼も、剣菱百合子夫人には負けを認める。戦わずして。

「・・・ふふふ。無理に着替えなくってもよくってよ。日曜日ですものね。 ずっとパジャマでいてもいいのよ〜〜」
百合子はくふくふ笑いながら、後ろ手で扉を開けて部屋からあっさり出ていった。
しかし、廊下からは遠ざかる足音とともに、 晴れやかな高笑いがしばしの間、聞こえていた。


*****




壁に額を押し付けていた悠理が、清四郎にやっと顔を向けたのは数分後。
「・・・着替える?あたい、出てようか?」
「馬鹿」
清四郎は脱力した表情でベッドに腰を下ろしていた。
ベッドの上に放り出している衣服を指し示す。
「僕が、アレを着てる姿を見たいんですか?」
少し投げやりな口調。
だけど、清四郎の表情は力の抜けた自然な顔。
悠理は安堵した。
おだやかな朝が、もどってくる。
いつもの、清四郎。

「ちょっと、見たいかも」
悠理はニッと歯を見せて笑った。
いつもの、悠理。
まだ胸はドキドキしているけれど。
なにも、変わったわけじゃない。

「美童じゃあるまいし、こんなの着れませんよ。パジャマの方がよほどいい」
「気に入ったんだ、そのパジャマ」
「まぁね」
清四郎もいつもの笑みを浮かべた。
「悠理がベビードールを着て見せてくれるなら、考えますけど」
「ス、スケベー!」
「おや、女の子あつかいして欲しかったんじゃないんですか?」
「いらないやい!」
悠理はぷいと顔を背ける。
清四郎がベッドを降りて、近づく気配。

ふわりと背後から回される腕。頭に乗せられた顎。
「・・・あたいのスケスケなんか超おもしろくないぞ。なんか勘違いしてんじゃねー?」
「勘違い、しようがないんですけどね、今となっては」
清四郎の手がぎゅ、と悠理を拘束する。
「もしも、なにかの勘違いでも・・・ずっとそれが続けばいいと思ってますよ」
「ずっと?」
悠理は思わず、清四郎を振り仰ぐ。
至近距離で優しい目が笑っていた。

「ええ、ずっとね」

それは、初めて見る笑みじゃない。
いつでも、隣にあった幸せ。

なにも変わらない。
おたがいの気持ちが同じだったと知っただけ。

これからも、いっぱいケンカする。
趣味もあわない。性格も正反対。
だけど。
”ごめん”と言えないまま眠り込んでも、翌朝は笑顔で会える。
同じ物が好きでなくても、同じことをしていなくても、分かり合える。
もう、悠理も信じられた。
ずっと、一緒にいると言った清四郎の言葉を。
十年後も、二十年後も。
すれ違った日々を埋め合わせて、もっともっと。

笑って暮らそう。
日曜日は、パジャマのままで。







2004.12.27 おしまい


シリアスの片手間に書いたほのぼの癒し系。すごく楽しかったです♪
しかし、オチのないほのぼの話のつもりだったのですが、 やっぱり、いつものごとく、おまぬけな展開に・・・(笑)
ま、いつもならラストでベッドに引きずり込んでますものね。そうならなかっただけヨシとしよう。
悠理たんのスケスケベビードールもちょっと書いて見たかったんですが。(爆)

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