10.かつての、少年の日のような、清四郎の笑み。 悠理の胸が、愛おしさに疼いた。 それは、無茶に思えた行為が成功し、体が元に戻ることができた喜びの笑みではなく。 ”愛してる”という言葉以上に、清四郎の想いを悠理に伝える笑顔だった。 悠理もまた、取り戻したのだ。 意地悪な恋人の中に、確かにまだ息づいている、あの真っ直ぐな目の愛しい少年を。 「・・・悠理」 清四郎の声が、甘く悠理を包み込んだ。 潤んだ目に、欲望の色が宿っている。 悠理の体の弱いところをゆるやかに責める手に、意識がまた眩みそうになった。 「もう一度、ちゃんとおまえを抱きたい」 清四郎は片手で悠理を煽りながら、もう片手で悠理の手をつかみ、自分の体に 触れさせる。 導かれた手の先で、清四郎の男が、悠理を欲して昂ぶっていた。 こうなった男の性が、どんな化学反応を体内に起こすか、悠理は先程体験 させられた。 無意識に体が震える。 快感と怖れに。 「今度のことでは、良い勉強をさせてもらいました」 清四郎は微笑した。 「おまえの体のどこがどんなふうに感じるのか、よくわかった」 あくまで、清四郎は清四郎だった。 クスクス笑いながら、意地悪な指先で、悠理を翻弄する。 悠理は快感に流されそうになりながら、身を捩った。 懸命に手を伸ばし、男の髪をつかむ。 そして、清四郎の耳元で、大声を上げた。 「ダメだっ!おまえとは、もうしないっっっ」 そのときの、清四郎の愕然とした顔は、なかなかの見物だった。 宣言と同時に飛び起きた悠理は、まだ固まっている男を残してベッドを 滑り降りる。 そして、決意が冗談ではないことを示すように、素早く衣服を身に纏いはじめた。 「な・・・な、なんで」 清四郎はらしくなく吃った。 悠理はしかめっ面で振り返った。 賢明な男が、どうしてそんなことがわからないのか、理解できない。 「だって、また入れ替わっちまうかもしんないじゃん。せっかく元に戻れたのに」 やっぱり、自分の体が一番。 男の身体になるのは、一度で十分だ。 「だからって・・・」 清四郎はまだぶちぶち言っていたが、悠理はさっさと制服を着込んだ。 いくら必要がないほどささやかな胸とはいえ、いつもしているブラをしていないのは、どうも 締まりがない。 悠理は清四郎に服を投げ渡す。 「まだ夕方だよ。早くこんなとこ退散しようぜ。あたい、腹が減った!飯食いに 行こう」 「なんて、即物的な女だ・・・」 ぶつぶつ言っている清四郎に、悠理は頬をふくらませる。 「おまえだって、ベンキョウしたんだろ。あたいの体は、腹がへるんだ」 説得力のある悠理の言葉に、はじめて清四郎が完敗した瞬間だった。 苦虫を噛み潰したような分かりやすい表情で、清四郎は着替えはじめた。 制服のズボンに足を通し、清四郎は上衣を肩に引っかけたまま、ベッドを降りる。 「悠理・・・」 甘えるような声で、清四郎は背後から悠理の肩に腕を回した。 清四郎も、まだあきらめきれない。 耐え続け、忍び続けた恋。 もう、我慢はしないと決めたのだ。 「な、懐くなよ」 ペッタリ大きな男に肩を抱かれ、悠理は身を強張らせた。 本気で逃れたいわけではない。 もう、清四郎に捕まってしまったことは、わかっている。 「おまえ以外、抱かないって言ったでしょう。この歳で禁欲生活に突入させる気ですか?」 「これまでは、違ったのかよ?」 「なんだ、それで拗ねてるんですか?」 腕の中の悠理の顔を、清四郎は後ろから覗き込んだ。 「ち、違うけどさ」 悠理は唇を尖らせる。 悠理は清四郎としか経験がない。しかも、そのたびにとんでもない事態に遭遇している。 「いやその・・・入れ替わるだけじゃなくて、今度はあたいがバアちゃんに変わっちゃったら?」 悠理の言葉に、清四郎は虚を衝かれた。 悠理は霊感体質で、トラブルメーカー。望むと望まざると、面倒騒動を引き寄せるやっかいな体質だ。 だけど、それも清四郎にとっては今更。 そのぐらいの障害は、ものの数ではない。 清四郎はニッコリ微笑んだ。 「僕は年上OKです。問題ありません!」 キッパリ言い切る。 「ヨボヨボなら?」 「悠理なら、可愛いおばあちゃんになりますよ。ねぇ、だから・・・」 清四郎は悠理の胸に、服の上から手を這わせる。 悠理はくすぐったそうに、身を捩った。 「いや、あの、ちっちゃい子供に変わっちゃったら?」 「ロリコンはねぇ・・・仕方ありません、ゆっくり育つのを待ちますよ」 そうは言ったものの、まっぴらゴメンだった。 ロリータ悠理が、ではない。これ以上、待つのが、だ。 しかし、ここは悠理の言葉にヘコんで見せるわけにはいかない。 清四郎は余裕の笑みを恋人に向けてみせた。 「一からもう一度、イロイロ教えてやりますよ。光源氏と紫の上ですな」 『源氏物語』がわからない悠理は、キョトン。 アッチだけでなく、古典も仕込んでやらなければ、と清四郎が考えていると、悠理は更なる 難題を考えついた。 「ええと、そしたら、犬や猫になっちゃったら?アケミやサユリに変わっちゃたら?」 フ、と清四郎は鼻で笑った。 悠理の突飛な思考回路も、清四郎は耐性がある。 「獣姦ですか。なかなかハードですな。そういえば、知っていますか。昔、女のいない村で、 ニワトリ相手に犯った男がいたそうですよ」 「ど、どひ〜〜!マ、マジ?」 自分から話を振っておきながら、悠理は本気で目を剥いて驚いた。 「・・・しかし、なんか話がそれてませんか?それとも、焦らして楽しんでるんですか?」 清四郎の手が、制服の下から潜り込む。 片手は、腹から胸に素肌を這い登る。もう片手は、スカートの上から体の線を何度も辿った。 「あ、あ、あの・・・じゃ、じゃあ・・・」 悠理はもぞもぞ動き回る手から逃れようと、無駄な抵抗を試みる。 「あたいが早死にしちゃったら、おまえ、どうする?」 「・・・・・・。」 これには、さすがの清四郎の手も止まった。 「清四郎?」 答えない背後の清四郎を、悠理は見あげた。 清四郎の目は曇っていた。 「怒りますよ、悠理」 清四郎は悠理をひょいと抱き上げた。 「わっ」 問答無用、悠理はあっという間に、ベッドの上に抱き下ろされていた。 「おまえは死なないって、言っただろう。天変地異が起ころうが、飛行機が落ちようが」 清四郎は悠理を抱きしめながら、熱く見つめる。 その目に、クラクラする自分を意識しながら。悠理は真っ赤な顔で叫んだ。 「なんでだよ、んなことわかんないじゃんか!」 清四郎は微笑んだ。 余裕の笑みでもなく、意地悪な笑みでもなく。 「僕が、一生――――守ります」 そう告げた真摯な言葉。 悠理しか知らない、清四郎の笑顔。 ぎゅ、と抱きしめられ、悠理の体から力が抜けた。 彼女の抵抗も、ここまでだった。 気まぐれな女神の悪戯ではじまったふたりの恋の迷走は、 ひとまずここでおしまい。 おたがいが、運命の相手だと、もう知っている。 そして、どんな運命が待ち受けていようとも、ふたりなら、乗り越えられる。 これからも、何が起きても。 さて。 その後、ふたりがどうなったのかと言うと。 とりあえず、翌朝剣菱邸に戻ってきたふたりは、もう入れ替わってはいなかった。 彼らを待っていたのは、執事からの連絡を受けて急遽帰国した両親の、狂喜乱舞しながらの涙の抱擁だった。 「でかしただ、悠理!初孫は男を生むだよ、頭が清四郎くん似の男の子を!」 「あら、子供は悠理似の女の子ですわ!今度こそ、おとなしく可愛らしく育てますのよ!」 これには、悠理ばかりでなく清四郎もあっけにとられた。 しかし、清四郎はふとつぶやく。 「そういえば・・・避妊してませんねぇ」 もちろん、体が入れ替わってしまった最初の行為ではなく、 『おとぎの国』でのこと。 悠理は顔色を変えた。 今日の今日で、結果が出るはずもなく。 もし、本当にデキてしまっていたら、それは清四郎が妊娠したということだ。 清四郎は内心冷や汗をかいた。 もし、あれで元に戻ることができなかったら。そして、妊娠してしまっていたら。 女としてのセックスは思いのほか良かったが、さすがに出産まではカンベン願いたい。 「悠理、とにかくパリで色々買い込んで来たのよ!さぁ、着せてみせてちょうだいな!」 有無を言わさず娘の手をひいて最強の百合子夫人が開陳して見せたのは、 ウエディングドレスとお色直し用のお姫様ドレス各種だった。 「ぎぇぇぇぇっっっ」 レースとビラビラの大群に、悠理は悲鳴。 もしかして、それを着せられるのも、自分だったのかも知れない―――― 清四郎は、額の汗をぬぐいながら、洪水のような婚礼衣装の大群を、 かろうじてにこやかな笑顔を保って、見つめていた。 賢明な彼は、それが今後の悠理との交渉カードになりうることも、 計算していた。 ”試験も婚礼衣装も、入れ替わってあげますよ” そう囁けば、単純で安直な恋人が乗ってくることは、お見通し。 もちろん、万が一また替わってしまっても、元に戻る方法は会得済。 スリリングな夜の生活を、約束されたようなものではないか? そして。 聖プレジデント学園の生徒会、別名有閑倶楽部の面々は、翌日とんでもない 宣言を聞かされることになった。 『交際宣言』から一足飛びに『婚約宣言』。 「な、な、なにとち狂ってんの、あんたたち〜〜!」 可憐の叫びは、皆を代弁していた。 「ど、ど、どうしてまた、そんなことに・・・」 野梨子が目を白黒させる。 悠理の婚約、といえば以前の騒動をどうしても思い出さずにはいられない。 困惑顔の仲間たちの前で、清四郎と悠理は顔を見合わせた。 「いやまあ、どうしてって・・・」 悠理は顔を真っ赤に染める。 「お、おい、結婚式まで決まってるのかよ!」 魅録が手元の白い紙を、あぜんと見つめた。 手まわし良く五代が用意し、いま全員に渡された婚約披露宴の招待状には、結婚式の 日取りまですでに印字してあった。 「いや、まだ昨日の今日で、妊娠したと決まったわけじゃないんですけどね。早ければ 早い方がいいと、両家が合意しまして」 しれっと答えた清四郎の頭を、悠理が殴りつける。 「よけーなこと言うなーっ」 仲間たちは、一瞬、凍り付いた。 「ゆ、悠理が・・・」 美童は吃った。 「まさか、マジかよ!」 魅録は青ざめる。 「最低ですわ、清四郎!いくら薬でおかしくなっていたとはいえ、悠理を 襲うなんて・・・!」 野梨子は赤面しながら怒りに震えた。 可憐はハラハラ涙を流す。 「だから、言ったじゃないの!男は狼なのよってーっ!」 可憐の絶叫は、生徒会室の外にまで響き渡った。 仲間たちの非難が集中した清四郎は、平然と口元に笑みを浮かべた。 「いや、どちらかというと襲われたのは、僕の方なんですがねぇ」 「えっ」 これには、悠理も目を剥いた。 「あ、でもそうか・・・?い、いや、やっぱりチガウと思うぞ?」 こんがらがった悠理は、アレ?と首を傾げる。 「まぁ、どちらにしろ、僕の初体験は悠理に奪われましたからね、両方とも。 きっちり責任を取ってもらいます」 「両方ともって・・・でも、そうか、そういえば」 悠理は真っ赤になりながら、思い出すようにあらぬ方を見上げた。 その悠理の言葉と。 ニッコリ微笑んだ悪魔の笑み。 あぜんと言葉もない仲間たち一同、顎が外れそうになったのも無理はない。
今回のお話の”運命の女神”は、私ではなく、hachi様でっす♪
(いただいたリクは1話のあとがき参照) |