5.野梨子はとうに学校に着いていると思っていた。 いつもは使わない、大通り沿いの通用門。 そこから聞えてきた悲鳴に、走り出した悠理、魅録、清四郎だったが、もっとも早く 野梨子の元に駆けつけたのは、動物的反射神経と長いコンパスにものを言わせた 『清四郎』――――悠理だった。 野梨子は帽子を目深に被った若い小太りな男に、羽交い締めにされていた。 見るからに、不審者、ストーカー。 「野梨子になにしやがるっ」 迷わず悠理は得意の飛び蹴りで先制攻撃を放った。 飛び蹴りは男の頭に見事決り、野梨子は歩道に投げ出される。 野梨子なりに抵抗した結果だろう。倒れた野梨子の両足のタイツは破れ、血が滲んでいた。 その血の色に、悠理の脳天は沸騰する。 「この野郎、よくも野梨子を!」 すでに倒れ伏している男に、悠理は渾身の拳を振り下ろした。 「やめろっ、殺す気か!」 遅れて駆けつけた清四郎が、焦った声を出した。 いまの悠理は男の力を備えている。 しかも、強靭な清四郎自身の体だ。 手加減なしでいつもの喧嘩殺法の拳をふるえば、脆弱な男など殺してしまいかねない。 清四郎の怒鳴り声に、悠理はすんでのところで力を抑えた。 気絶しない程度に男をボコる。 「いったいどうしたんだ、野梨子。あんなに早く家を出たのに」 清四郎が野梨子を助け起こした。 「ごめんなさい、悠理」 野梨子はよろりと立ち上がる。 「実は・・・先週末から、あの人を家の周りで見かけてましたの。それで、清四郎をあてに してたのですけど・・・」 だから、野梨子は清四郎の家の前で待っていたのだ。 幼なじみのいつにない行動に、野梨子の不安を気づいてあげるべきだった。清四郎は後悔する。 男を殴りつけている悠理の表情も、こわばった。 ふたりが野梨子をひとりにしてしまったために起こった事件だ。 「人気のない道を避ければ大丈夫かと思って、遠回りして登校したのですけど、やっぱり・・・」 野梨子は歩き出そうとして顔をしかめた。 足を挫いてしまったのだ。 悠理がさっと動いた。 「肩貸すよ」 悠理は野梨子の腕を取る。 しかし、いつもの悠理の体でも野梨子とは10センチ以上身長差がある。いまの体では、とても肩など貸せない。 悠理は舌打ちし、野梨子の体に腕を回した。 「きゃ・・・清四郎?」 驚く野梨子にかまわず、悠理は野梨子を横抱きに抱えあげた。 「医務室に連れてくよ」 悠理は清四郎と魅録に告げた。 「あ、ああ。じゃ、俺はこのストーカー野郎を警察に突き出してくる」 魅録は男を捕らえ、立ちあがらせる。 野梨子を抱いた悠理は、立ち去ろうとして、もう一度変態男を振りかえった。 「今度、野梨子に近寄ってみろ・・・命の保証はないぞ」 自分が半殺しにした男を見下ろす、怒りに燃えた視線。 抱かれた野梨子も、魅録も、驚いて息を飲んだ。 めずらしいくらい、『清四郎』が感情をあらわにしていたためだ。 『清四郎』はそのまま、野梨子を抱いて校舎に向かった。 『悠理』は残された野梨子の鞄を拾い上げ、ため息をつく。 校舎の窓という窓には、いまの一件の一部始終を見ていただろう観衆の顔。 地面には砂にまみれた小道具のマスク。 もう、『清四郎』(=悠理)は仮病作戦は使えないだろう。 悠然と、お姫様を抱き上げ去って行くヒーローに、校舎から歓声が上がった。 「ちょっとぉ、今朝のアレはなによ。清四郎ってば、むちゃくちゃカッコ良かったじゃない!」 「ああ可憐、見てたのか」 昼休み。差し入れ弁当を山ほど抱えて部室に向かう途中、清四郎は可憐と出くわした。 もちろん、可憐の言う『清四郎』が自分のことではなく、今朝のヒーローであることは解っている。 「ばっちり至近距離で見てたわよ」 そういえば、可憐は遅刻ギリギリで登校し、彼らの後ろに居たはずだ。 「清四郎ってば”今度は殺す”とまで言ってたじゃない。あいつ、野梨子にマジで惚れて たのね〜!」 「・・・チガウよ」 清四郎はうんざりしながら、うっとりしている可憐に首を振った。 今日は、『悠理』(=清四郎)に弁当を差し出しながら、何人の女生徒たちが同じような言葉を言ってきたことか。 「生徒会長と白鹿様って、やはりただの幼なじみでなかったんですのね」 「美男美女でいらっしゃるから、姫君を救出する王子様のようでしたわ。いえ、騎士ランスロットかしら」 「あの方があんなに凛々しいなんて・・・。まるでドラマの一シーンのようでしたわ。いえ、悠理様が一番素敵ですが」 などなど。 いくら悠理ファンの少女達の言葉とはいえ、いつもの自分よりも女の悠理の精神を持つ方が 凛々しいだのカッコイイだの評されれば、さしもの清四郎も苦虫を噛み潰すしかない。 「そうよね、いままであたしたちの間に恋の話がなかったのが不思議だったんだわ。なんか、あんまり 近すぎて意識できなかったのよね〜」 またもや失恋したばかりらしい可憐が、廊下を歩きながらため息をついた。 「まぁ客観的に見れば、男共三人はとんでもない奴らだけど、標準以上だもんね。しっかしあの清四郎が恋ねぇ。 まさかあの男が本気で恋愛できる人間だとは思わなかったわ。相手に野梨子を選ぶのは納得だけどさ」 「どーいう意味だよ」 「ある意味、野梨子って男の理想のお嬢様じゃない。ちょっと気は強いけどさ。男嫌いっても幼なじみで気心の知れた清四郎は 特別に思ってるみたいだし。お似合いよね、あいつら」 「…兄妹みたいなもんだと思うけど」 「恋愛に関して、あんたになにがわかるのよ。朝の様子で、あたしは確信したわ!」 可憐は握りこぶし。 「…やはりこれは、表明しておいた方がいいかも・・・」 清四郎は小さくつぶやいた。 外野はともかく、仲間の可憐まで清四郎が野梨子に惚れているなどと誤解するようでは、問題だ。 なにより、今朝の態度を見せられれば、野梨子までを誤解させてしまいかねない。 菊正宗家でやったように、みんなの前で交際宣言するべきだろう。 なにしろ、これまでの清四郎は徹頭徹尾、悠理に対する気持ちを隠し通してきた。 美童や可憐でさえ、彼の想いは露ほども気づいていない。 こと、恋愛に関しては、清四郎は筋金入りの嘘つきだったのだ。今朝までは。 ずっと、抑え込んできた想い。”好きだ”という言葉。 ようやく悠理を抱きしめ、告げることができたのだから、今の清四郎に怖いものなどなかった。 たとえ、超常現象によって、自分が女の体にされていようと。 そして、たったひとりの愛する女が、男の体に替わっていようと。 清四郎は内心の決意も新たに、可憐と連れ立って部室の扉を押し開けた。 ドアを開けるなり、美童が振り返り、唇の前に指を一本あてる。 部室内には、すでに全員が揃っていた。 『悠理』と同じクラスの魅録は、清四郎が差し入れを受け取っている間に 野梨子の様子を見に行っていたが、今は野梨子とともにすでに部室にいる。 今朝のヒーローはといえば、窓際に椅子を並べその上に長い足をもてあますような体勢で横たわっていた。 「野梨子、大丈夫なの?」 可憐が小声で尋ねる。 野梨子は笑顔でうなずいた。 「足は?」 清四郎は湿布を貼ってある野梨子の足に眉をひそめた。 『清四郎』(=悠理)が皆の椅子を独占して寝入っているため、足を怪我した野梨子まで立ったままだ。 「あ、悠理、いいんですのよ。足は少し挫いただけですもの。清四郎を起こさないであげてくださいな。 風邪気味だって言ってましたでしょう。よほど疲れているんですわ」 いつもの清四郎なら、これだけ同じ室内に人が居れば、必ず目が覚めてしまう。 中身がおおざっぱな悠理なので、太平楽に眠りこけているに過ぎない。 午前中、何度も気になり教室をのぞいたが、悠理は完全サボリを決め込んでここで過ごしたようだ。 確かに、清四郎が悠理を演じるのはたやすいが、悠理が清四郎の代わりに授業に出て答えるのは不可能というもの。 今朝、車を降りてわずか数メートル歩いただけで、”野梨子に熱愛中の王子様”になってしまった悠理だ。 清四郎にしても、ここに隠れていてくれるほうが気が楽だ。 今度は、いつものように魅録に抱きつきでもして「愛してる〜」なんてのたまう『菊正宗清四郎』などに出現されれば、目も当てられない。 自分の想像に清四郎はゲンナリと顔色をなくした。 起こさないで、と野梨子には言われたが、寝惚け悠理に先ほどの想像通りの行動を取られたらたまらない。 清四郎はツカツカ窓際に近寄った。 気持ちよさそうに寝こけている男の額を、ペチリと叩く。 「まぁ、悠理ってば」 野梨子は苦笑した。 「んあ?」 『清四郎』(=悠理)はすぐに目を覚ました。 見上げた黒い目はまだぼんやりしている。 マズイことを口にされる前に、清四郎は悠理に自分の顔がよく見えるように、顔を近づけた。 「おい、『清四郎』!サボリか!」 「わっ」 『清四郎』(=悠理)はがばりと身を起こした。 さしもの悠理も、自分の顔を見間違いようはない。 同時に鈍い頭も現状を認識したようだ。 「あ、せっ…じゃなくて『悠理』、もう昼ナンデスカ」 悠理はぐるりと周囲を見渡した。 「あっ、野梨子!」 タッと椅子を蹴って、悠理は野梨子に駆け寄る。 「大丈夫か?足は?帰らなくていいか?」 心底、心配そうな表情。 悠理であれば当然。たとえ清四郎本人であっても、野梨子は大切な幼なじみなのだから、それはそれほど不審な行動ではない。 しかし、今朝の状況が皆の目に色眼鏡をしっかり装着してしまったようだ。 可憐と美童は顔を見あわせて、ニヤニヤ笑う。 魅録でさえ、戸惑ったような苦笑を浮かべている。 「清四郎…私はもう大丈夫ですわ」 だが、とうの野梨子は、いぶかしむように『清四郎』(=悠理)を見つめ返した。 「あなたこそ、なんだか今朝から変ですわ。本当にタチの悪い病気じゃありませんこと?」 仮病作戦を放棄せざるをえないほど、見るからに健康そうな『清四郎』の異常を、野梨子ははっきり感じ取っていた。 「まるで、別人のようですわ。大丈夫ですの?」 だてに19年も家族同然のつきあいをしていない。 幼なじみの異変を、野梨子は正確に言い当てた。 そう。タチが悪いといえば、これ以上はないほどタチの悪い状態なのだから。 野梨子の言葉に、不覚にも清四郎と悠理は感動させられた。 「の、野梨子…おまえ…」 『清四郎』の目が、うるうる潤む。 悠理はひどく涙もろい。 「や、やば…」 清四郎自身も驚き感動していたが、これから起こるであろうことを予測して、戦慄した。 野梨子をじっと見つめて、感動に目を潤ませている『清四郎』。 「野梨子ぉ…!」 がばりと野梨子に抱きつこうとした男の背中に、すんでのところで『悠理』の蹴りが決まった。 「きゃっ!」 悲鳴は野梨子。 「悠理!」 非難は可憐。 「「「いきなりなにすんだっ」」」 男三人の声がハモる。 『悠理』(=清四郎)は腰に手をあて、床に倒れた『清四郎』(=悠理)を、仁王立ちで睨みつけた。 「おまえは”あたい”の恋人だろう、”清四郎”!」 フン、と鼻息も荒く、男を怒鳴りつけた。 もちろん、仲間たち皆に、聞こえるように。
もしも、悠理が本当に男だったら。ちょっと想像してみました。 |