7.昼休みが終わらないうちに、『悠理』(=清四郎)は『清四郎』(=悠理)の手を引いて校門を出た。 すぐにタクシーを拾う。 「あれ、ウチの車を呼ばないのか?」 悠理に肯きながら、清四郎は運転手に行き先を指示する。 近距離走行、車が着いたのは菊正宗家の前だった。 「おまえは車の中で待ってろ。5,6分で戻って来ます」 ろくに説明もせぬまま、清四郎はタクシーから駆け去ってゆく。 ひるがえる『悠理』のスカートをぼんやり見送っていると、タクシーの運転手に声をかけられた。 「お客さんの彼女、賢そうだし、すごい美人だねぇ」 悠理はきょとんと聞き返す。 「彼女?」 どっちかっていうと、”彼氏”だし。”美人”も、悠理自身なのだからピンと来ない。 「違うのかい?ずっと手を繋いでたじゃないか」 「えー…まぁ、そうかな」 悠理は頬を染めた。 考えてみれば、朝から清四郎は景気よく告白しまくってくれた気がする。 それまでが、嘘のように。 こんなふうに体が入替わってしまい、最初こそパニクッた悠理だったが、不思議なほど不安は感じなかった。 ”清四郎が、なんとかしてくれる” それだけは、いつだって疑ったことがなかったから。 そして、いまでは清四郎の気持ちも。 悠理自身の気持ちも。 お笑いなことに、悠理が教室からひとりになれる部室に逃亡した理由は、教室で野梨子との関係を 盛んに揶揄されたからだ。 皆口々に祝福し、お似合いだと言ってくれたのだが。 そのたびに、胸がキリキリ痛んだ。 自分の行動によって、清四郎と野梨子がカップル視されてしまったのだから、 悠理にとっては皮肉な結果だ。 これまで、清四郎の隣には野梨子。それが当然だと思っていた。 出会ったときからそうだったのだから、それは悠理の中では自然なことで。 正直、野梨子に嫉妬を感じた事もなかった。 だけど、怒涛のこの数日で、清四郎といくつかの秘密を共有して。 それまで知らなかった、見えなかったものを、たくさん悠理は知る事になった。 悠理は、変わってしまった自分を実感していた。 それは表面的な部分だけじゃなく。 いつの間にか、こんなに好きになっていた。 独占欲や嫉妬など知りたくはなかったけれど、これは恋の副作用。 そして、信じられる。あの少年の日そのままに、清四郎も、悠理を想っていてくれることを。 仲間たちの誰一人、信じてはくれなかったけれど。 「お待たせ」 言葉通り、清四郎はすぐに戻って来た。手にはボストンバックを持っている。 清四郎の指示で、車はふたたび動き出した。 「悠理、制服の上着だけでいいから脱いで、これを着てください」 バックから取り出した衣類を渡される。 清四郎自身は上着を脱がずその上からずっぽりトレーナーを羽織った。 清四郎の服だ。悠理の体にはかなり大きい。 「どこ行くんだ?」 「制服では行きにくいところです」 車が止まったのは、繁華街の外れ。いわゆるホテル街だった。 タクシー運転手のニヤニヤ顔に赤面しながら、車を降りるなり悠理は清四郎に食ってかかった。 「なんだよ、どーゆーつもりだよ!」 「決まってるじゃないですか」 とにかく飛び込んだ一番手近なホテル。 真昼の日の光の中、妖精が杖をふるうロゴが妙に毒々しい。 パステル色と可愛らしい字体の看板には 『おとぎの国』 と書かれてあった。 植え込みで隠されたホテルの入り口に入ってすぐ、部屋を選ぶパネルが出迎えた。 清四郎はひどく真剣な顔で部屋を選んでいる。 その間も、清四郎は悠理の手を握りしめていた。 小さな女の手だ。逃げようとすればできる。 だけど、悠理は赤面したまま、清四郎の手を振りほどくことはできなかった。 「あった、ここにしよう」 パネルのボタンを押し、部屋を選択して鍵を受け取る。 清四郎は悠理の手を引き、エレベーターへ急いだ。 なぜか苛立ってさえいるような様子だ。 「どうしたんだよ、二人きりになるなら、ウチでも清四郎んちでも…」 「ダメです。いつ誰が飛び込んでくるかわからないでしょう」 「で、でも、なにもこんなとこに入らなくても」 悠理は顔を歪めて安っぽい壁や天井に目をやる。 「もっと、普通のホテルとか」 「ダメです。こういうところでなくては」 清四郎は選んだ部屋の鍵を開けた。 「げっ」 悠理は蒼白。 「…ほぉ」 清四郎も、さすがにこめかみをひきつらせた。 熟慮の末、清四郎が選んだのは、『白雪姫の間』なる部屋だった。 壁にはイミテーションの蔦が絡まり、深い森を演出している。 切り株型のイスに、机。リンゴの模様の冷蔵庫。 そこかしこに、7人の小人のレプリカが顔をのぞかせる。 そして、大きなベッドの横には、装飾を施した大きな鏡が鎮座していた。 いくらディズニーランドが大好きな悠理でも、「さようなら〜」と回れ右したくなる。 しかし、清四郎はがっしり悠理の腕を捕らえたまま、部屋の扉を閉めた。 「・・・もう、我慢できない!」 恐い顔をしたまま、まず清四郎がしたことは、冷蔵庫に突進することだった。 合点がいった。 そういえば、ふたりは昼食を取っていない。山ほどの差し入れ弁当は、部室に残してきてしまった。 清四郎の体ではそんなに空腹を感じないが、いつもの悠理なら空腹で半死半生だろう。 現に、清四郎は狂ったように食材を漁っている。 冷蔵庫には備え付けの電子レンジであたためて食べられるインスタント食品が詰まっていた。 清四郎は無言で片端からそれを消費し始めた。 「・・・だからって、なんでこのホテル?ルームサービスの美味いホテルはいくらでもあんのに」 自分もピザを口にしながら、悠理は清四郎を睨みつけた。 食物を口に入れひと心地着いたのか、清四郎はニッコリ笑った。 「必要だったのは、アレです」 清四郎が指差したのは、特大サイズの鏡。 「え」 清四郎はもう一度冷蔵庫を開け、中から缶ビールとチューハイ数本を取り出した。 「ハイ、飲んでください」 「え」 目が点になっている悠理をよそに、清四郎はビールを口にしながら鞄から携帯電話となにやら袋を取り出した。 「借りますよ」 それは、清四郎のものではなく悠理の携帯電話だ。 「あ、五代?”あたい”」 当然のこととはいえ、清四郎は見事に悠理の声音で話し出した。 「今日、清四郎と出かけるから。帰んないと思う。うん、うん・・・それで、魅録や可憐たちからもし連絡があったら、 清四郎と病院に行ったって、伝えといて。え?ううん病気じゃないよ。清四郎と一緒だから心配いらないよ。 そんじゃーね!」 清四郎は陽気に電話を切った。 「これで、剣菱家はよし。うちの方も、さっきオフクロに、今日は帰らないって伝えて来ました」 まだ午後早い時間。 しかし、これで清四郎が今日はここに泊り込む気でいることが悠理にもわかった。 清四郎は先ほどの袋を開けた。袋の中身は薬のようだ。 サラサラと自らそれを口に入れ、ビールで喉に流し込む。 「ハイ、悠理の分」 「え」 粉薬を渡され、悠理の表情が強張った。思いきり腰が引ける。 「これ・・・」 清四郎は『悠理』の顔でニンマリ微笑んだ。 「ええ、催淫剤です」 悠理の顔から血の気がひいた。 確かに、元に戻るにはソレしかないかもしれない。 ミッションインポッシブル。 清四郎は不可能を可能にするために、動き出したのだ。 多少強引であろうと、清四郎には手段を選ぶ余裕はなかった。 このままでは、学校生活は無理だ。 想いが通じたばかりの恋人を、抱きしめることさえできない。 男としては、だが。 しかし、清四郎にも誤算はあった。 彼が認識しているよりも、事態は切迫した状況にあった。 清四郎は気づいていなかった。 先ほどの電話を切ったあと、五代が彼なりに推理を巡らしたことを。 「嬢ちゃまが、病院・・・病気でないのに、清四郎様と?」 有能な執事の彼は、即座に女中頭に指示を出した。 「若と奥様に、続報じゃ!”トラ・トラ・トラ”嬢ちゃまに、御懐妊の兆しあり!さすが清四郎様よ。やることが素早いわ。 この上は、一刻も早くご婚礼の支度を!」 男に生まれて19年。 女装は二度とすまいと、かつてフランスのスパでした決意は、あっけなく放棄せざるを得なかった。 しかし、このままでは制服姿どころか、ウエディングドレスと白無垢、 金銀豪奢な婚礼衣装が彼を待っている。 このときその可能性には、気づいていなかったものの。 なんとしてでも元の体に戻ると、清四郎は決意していた。 岩をも貫く信念で。
はい、「おとぎの国」編です(笑)。これからガンガン行きまっせ〜!次回から@@@で@@な展開になると
思われますので、要注意。たぶん、8,9話は台風予報。風速40mくらい、波高し。 |