君に薔薇の花束を




二幕


舞台の上に清四郎が姿を現すと、ライトが彼の動きにあわせて静かに移動した。
BGMは静かに響く虫の音と衣擦れの音。
『源氏の君が自らの屋敷で慈しみ育てられた紫の姫君のもとへと足を運ばれたのは、 正妻である葵の方が非業の死を遂げられて四十九日が過ぎて間もない頃のことでございました』
モノローグは一ノ蔵彩子。
恋に狂いそうとしらず生霊と化した女に、殺された女。二人の女の苦しみと男の業の深さが語られる。
そして、無垢なる姫君。

少女の装いの野梨子が、無邪気に清四郎に駆け寄った。
「お兄様ぁ」
「もう、兄と呼ぶのはおよしなさい。姫は私と妹背になるのですから」
救いを求めるかのように、男は少女に手を伸ばす。
「あなたをそばに置きずっと待ちつづけてきたのです。今夜を」
「光る君・・・?」
手を握られ少女は身じろぐ。
「幼き頃からあなたを見つめてきました。この黒髪が長く豊かになる年月を。 あなたと私は比翼の鳥ような二人になるでしょう・・・・永遠を誓うよ」
男の言葉が泡沫の夢であるかのように、ライトは変わる。
背後からの明かりに、御簾越しに抱きあう二人の姿が浮かび上がった。



*****





「・・・ねぇちょっと、これって」
可憐は頬を染め、隣の魅録をつついた。
「清四郎が嫌がるわけだよ、な」

通し稽古を観ているのは関係者のみ。
芝居の主題は、男の身勝手さに泣かされる女の話などではなく、夢想と現実のはざまで肥大する自己と 芸術に悩む女の物語ではあったのだが――――高校の演劇部でヒロインの処女喪失を明らかに 匂わすその演出は大胆といえただろう。

「清四郎と野梨子をイメージして、ねぇ」
美童は暗転し場面転換する舞台をニヤニヤ見つめている。
「・・・・・・・・・・・・・・・。」
そして悠理は愕然と固まっていた。
さしもの悠理にも、一場のシーンの意味は読み取れたのだ。
赤らんでいた顔がゆっくりと蒼白に色を変える。そして、唇は噛み締められた。
蒼ざめた顔の中で、唇が震える。激しい怒りに。



*****





自分の出番が終わるなり、清四郎は控え室に飛び込み、化粧を落とした。
舞台上ではまだ芝居が続いているが、とにかく慣れない衣装を脱ぎたかった。
今日は通し稽古のため、部長のダメ出しも最後まで出ない。 もっとも、稽古の初期から清四郎には教師も一ノ蔵もほとんど演技指導はしなかった。 立ち位置の確認や台詞のテンポを指示されただけ。
なるほど、清四郎をイメージして書いたというだけはあり、素人の清四郎が素のままで 演じてもボロが出ないよう、巧みに演出が計算されてあった。

衣装のままドーランを落とし顔を拭いていると、控え室の戸がノックもなしに乱暴に開けられた。
「悠理?」
強張った顔の友人を鏡の中に見出し、清四郎はほっと息をついた。
控え室は男女別に分けられてはいない。客演で大事にされている清四郎はともかく、数少ない男子部員は 肩身が狭い。皆がもどって来る前に着替えようと思ったのもそのためだ。

「ああ、そう。おまえに言っておかなければと思っていたんだ」
清四郎は悠理に向き直った。
「二場で僕『道長』が満月を自分にたとえるシーンがあったでしょう。以前教えた ”此の世をば我が世とぞ思ふ望月のかけたる事も無しと思へば”は彼の作なんですよ。 藤原氏の栄耀栄華を現す歌として有名ですから、覚えておいて下さいよ。ちなみに道長の 息子の頼通がこの前みんなで行った京都の宇治の平等院を建立したんです。 歴史と文学にちょっとは興味を持てば、勉強も結構おもしろく・・・って悠理?」
いつもの講義口調で語っていた清四郎は、やっと悠理の様子がおかしいことに気がついた。
「どうしたんですか?」
悠理は扉を背に、うつむいて立っていた。
肩が小刻みに震えている。
「・・・せーしろーの・・・」
悠理はやっと顔を上げた。くしゃりと歪んだ顔。
「スケコマシ!!!」

投げつけられた言葉に、清四郎は一瞬、頭が空白になる。
「・・・は?」

蒼白な顔の中で、目だけが赤い。
泣いているような悠理の顔。だけど、涙ではなく怒りがその目からは吹きだした。
「野梨子が、野梨子が可哀想だろっっ」
「はい?」
「おまえのこと、あんなに信頼してんのに、酷すぎるぞ!」
「ちょ、ちょっと待て」
清四郎は悠理の眼前に手のひらを突き出した。
悠理がさきほどの芝居で混乱していることに気がついたのだ。
「さっきのはお芝居ですよ?あれは光源氏の台詞です。僕が野梨子に言った言葉じゃありません」
そこで、清四郎もやっと顔色を変えた。ほのかに赤く。
「まさか、悠理。僕と野梨子があそこで本当に・・・したとか、思ってませんよね?」
「そ、そこまでバカじゃねーやい!」
言いながら、悠理は首を振る。目はまだ赤い。
「でも、でも、あれは嘘には見えなかったんだもん!」

そばでずっと見守ってきた少女――――その彼女に永遠を誓う男。

少なくとも、脚本を書いた一ノ蔵彩子は清四郎と野梨子をそう見ていたのだろう。
そして、観る者のなかにも。
悠理の表情はそれを如実に語っていた。
「・・・お芝居だって言ってるじゃないか。第一、なんで悠理がそんなに怒るんです?」
清四郎は首を傾げる。
悠理の顔が、火のついたようにボッと赤く染まった。
あせって、悠理はくるりと背を向けた。
だけど、清四郎は見た。悠理の目尻に涙が滲んでいるのを。

「・・・おまえが、スケベーだからだっ!」
捨て台詞のようにわめくと、悠理は背後の扉を勢いよく引いた。
「待て、悠理!」
飛び出そうとする悠理を止めたのは、だけど清四郎の声ではなかった。
開いた扉の向こうには、ドアに張り付いて聞き耳を立てていたらしい友人が二人。
美童と可憐は、悠理にぶつかるように控え室に転がり込んできた。

まだ続いている劇の野梨子の熱演を観ているのは魅録一人。
美童と可憐は、悠理が険しい顔で控え室に向かったので追いかけてきたらしい。
こちらでは彼ら好みの現実のドラマが進行していたのだから、目ざとい二人が見逃すはずはなかった。



*****





千客万来。
悠理は美童と可憐にかまわず、身をひるがえして部屋の外に駆け出した。
あっけに取られている清四郎を置いて。

「だ、誰がスケベーだ?!」
清四郎が放心していたのは一瞬だった。
「待て、悠理!」
清四郎もすぐに悠理を追って走り出す。

つむじ風のような二人に巻き込まれないよう、美童と可憐は戸口近くの壁に張り付いていた。
それでも、清四郎の衣装の袖がすれ違いざま可憐のスカートを捲り上げた。
「きゃっ」
「・・・たしかにスケベーだ」
美童はクスクス笑った。
長髪の二人の髪も、風にあおられ乱れている。
しかし、突風の元は振り返りもせず走り去ってしまった。

「あーあ、舞台衣装のまま行っちゃったよ。いいのかねぇ」
ニヤニヤ笑っている美童の顔を見ながら、可憐は髪をまとめた。
「ねぇ・・・あれってどうよ?」
「ん?」
「悠理のあれって婚約騒動のときの野梨子の反応とそっくりだけど・・・やっぱりブラコンの一種なわけ?」
悠理との婚約を清四郎が表明したとき、野梨子は涙を浮かべて清四郎を平手打ちした。
あんまり悠理が可哀想だと。

「んんん・・・そうだなぁ」
美童は室内に飾ってある紫の薔薇を一輪手に取った。その芳香を味わうように顔に近づける。
「まぁ、処女の潔癖症はたしかに一緒だろうけど」
ちらりと流し目をくれる青い目の友人の前で、同じく処女の可憐は赤面した。
「野梨子と悠理は、僕ら倶楽部内の男を男だと意識していないところがあるからね」
あたしだって、と可憐は内心付け加える。
意識をすれば、対獲物モードになってしまう。いずれも標準以上の三人の男性陣を、可憐は玉の輿候補として見たことはない。
得がたい大切な友人だから。

可憐の考えを読み取ったように美童は続けた。
「可憐は僕らが男で自分が女だってこと理解しているけど、野梨子と悠理はそれを突きつけられるのは嫌なんじゃないかな」
「・・・ふぅん。そうかもね」
なんだがっかり、と可憐は肩を落とした。
「まさか、悠理が清四郎に恋をしてるのかと思っちゃったわ」
六人のバランスは心地いいけれど、恋はビタミン剤。あの暴れ馬のような友人が恋をしたらどう変わるのか。
秘かに楽しみにしていた可憐は、気が抜け、走り去った友人ふたりに興味を失った。
どうせ、毎度のドツキ漫才をどこかで展開しているのだろうと。

「あたし、劇の続き観てこよっと。あとで野梨子に嫌味言われるのやーだし」
そう言って戸口に向かった可憐だったが、美童はまだ薔薇を手にたたずんでいた。

美童は楽しんでいた。
クスリと思い出し笑い。

「・・・ま、清四郎が悠理の後を追いかけて行くとは思わなかったけどね」
野梨子に引っ叩かれた、かつてと違い。我を忘れたように駆け出した清四郎。
そして。
少年じみた暴れん坊の友人が、頬を染め目を潤ませていた。まるで恋する乙女のように。







アバウトな『源氏物語』でごめんなさい。一ノ蔵さんの超訳だということでヨロシク。(笑)
『源氏』なんぞ大学の一般教養でやっただけです。しかも、教授はガリ版刷りで漫画「あさきゆめみし」を 違法コピーして学生に配ってたし。情景の完璧な訳だっつって。(笑) 「あさきゆめみし」は大和和紀ファンですから揃えてたんですが、高校の古典の女教師に貸したまま、 国語準備室の資料と化し帰ってきませんでした。きっと私の母校では代々読みつがれていることでしょう。
しかし、一ノ蔵彩子は清四郎を「菊正宗くん」と呼んでいたことからまず確実に同じ歳。剣菱家の事情の 婚約騒動は留年後だろうから、時期がおかしいですねー。一ノ蔵さんも留年組?(笑)
ま、「有閑」で時期うんぬんは突っ込まないでください。夏休みやお正月なんか何回やったか。
案外、婚約騒動を高2あたりで考えるとそれはそれで萌えられるかも・・・あ、でも式はすぐにでも、と 言っていたので清四郎くんが18歳越えてないと無理ですね。

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