君に薔薇の花束を




三幕



悠理は清四郎が追いかけてくるなどとは思いもしていなかった。
走り出したのは、衝動にかれてのこと。
なんだか、腹が立って恥ずかしくって。
放課後の学園内。講堂から渡り廊下に飛び出し、中庭を突っ切って校舎内に駆け込んだ。
一息ついたそのとき。
周囲の生徒達が悠理の背後をあっけに取られた表情で見ていることに気がついた。
振り返った悠理は、ぎょっと目を剥いた。
午後のまったりとした学園内に、異次元空間が現出している。
光源氏が裾をからげて走ってくる。清四郎の怖い顔をして。



*****





思わずふたたび逃げかけた悠理だったが、立ち止まっていた間に距離をつめられ、清四郎に 首の後ろをつかまれていた。
「ぎゃあっ」
猫のように引き上げられ、悠理は手足をバタつかせる。
「待て、って言ったでしょう!」
清四郎は声を荒げた。
「く、首が絞まる〜!放せよ、あたいは猫じゃないぞっ」
「わかりました。放してあげるから、逃げるなよ」
「に、逃げない、逃げたわけじゃない!追っかけてきてるの知らなかったんだ!」
清四郎は悠理から手を放した。
悠理は制服の襟を緩め、首をさする。
涙目で清四郎を見上げると、清四郎はため息をついた。
清四郎の眉根は険しく寄っている。

「悠理」
「は、はいいっ」
「誰がスケベーなんですか?」
「えと・・・ゴメンナサイ・・・」
悠理の語尾が小さく消えた。
混乱しつつも、悠理にだってわかっていたのだ。自分が理不尽に突っかかったことは。
身を縮こめた悠理に、清四郎は愁眉を解いた。
「芝居と現実をごっちゃにしないでくださいよ。僕は源氏じゃない」
「・・・うん」
「ずっと大切に育んできた想いを、源氏のように押し付ける気はありません。 体も心もまったく準備できていな い相手にね」
「・・・は?」
「ほら、婚姻の朝に源氏が歌を送るでしょう。それなのに紫の君は返歌もしないほど混乱していたんですよ。 源氏は義母の藤壷の宮への報われぬ想いを抱えているとはいえ、 いたいけな少女を無理に妻にしてしまうなんて、無体なことをしたものです」
いつもの講義口調で、清四郎は腕を組んでなにやら遠い目。
悠理はその清四郎の横顔をぼんやり見上げた。
「ずっと大切に・・・」
悠理は清四郎の言葉をポツリと繰り返す。

「言っときますが」
清四郎は悠理に顔を向けた。
少し、戸惑ったような照れたような顔。
「僕は源氏とは全然違うタイプですよ。彼や美童のようにあっちの花こっちの花と、 目移りして飛びまわれる蝶々男じゃありません」
美童が花と咲き誇る女性達の間をひらひら飛ぶのはよく似合う。
「そういう方面では疎い方だし、情熱的だとは我ながら思えませんし」
清四郎の背に蝶の羽を想像しても――――なるほど、ものすごく似合わない。
「ま、他に目移りするほどの余裕がないのが本当のところですが」
清四郎は苦笑して肩をすくめた。

「・・・そーゆーの」
悠理は清四郎から目を逸らし、つっかえつっかえ呟いた。
「野梨子に、言えよ、あたいじゃ、なく」
つっかえたのは――――なぜだか、涙があふれてしまったから。
下を向いた拍子に、廊下にポタポタ涙が落ちた。

「なんで、泣いてるんだ?」
困った声の清四郎。
「・・・わかんない」
悠理は正直に答えた。
頭上から清四郎のため息が降ってくる。
ポンポンと頭を叩かれた。
戸惑ったように。なぐさめるように。

「今回の配役で、僕と野梨子が周囲にどう見られているかわかったような気もしますが。 おまえまでそう思っているとは」
「・・・。」
「僕の幼なじみは、野梨子だけじゃないんですがね」
大切に育んできた想い。幼い頃から見守ってきた存在。
野梨子以外に誰がいるというのか。

悠理はすんと鼻を鳴らした。

「大体、ちょっとでも状況が被っていれば、あの野梨子が引き受けると思いますか」

その言葉には、少しは説得力があることを、悠理も認めないわけにはいかない。
だけど、まだ顔を上げることはできなかった。

下を向いたままの悠理の頭に片手を乗せたまま、清四郎はつぶやいた。
「・・・泣くってことは、まんざら脈がないってわけじゃないと解釈してもいいのかな?」
ひとり言のような。問いかけるような。

やっと、悠理は顔を上げた。

ぶつかったのは、思いのほか優しい黒い瞳。
「え?」
清四郎がなにを言っているのか。どうして涙があふれてくるのか。
ほんとうにわけがわからず、悠理は問い返す。
清四郎の黒い目の中に、答えを探す。

「一度みっともない失敗もしましたしね。いまさら焦る気はありません」
「・・・?」
「僕はね、現状維持が希望なんです。今のところは」
「なんの?」

清四郎は破顔した。
意地悪な笑みじゃなく、少し不器用な少年の顔。
撫でていた悠理の髪をくしゃくしゃかき混ぜる。
「こうして、皆でバカ騒ぎを続けていたいってことですよ。可能な限りずっと」
「わぁ、やめろ!」
悠理は清四郎の手からぐしゃぐしゃになった頭を引き離した。
けれど、こうしていることが望みなのだという清四郎の想いは、悠理にも伝わった。
それは少しこそばゆい、だけど胸があたたかくなる感覚だった。



*****





気がつくと、廊下で話していたふたりは相当遠巻きながら生徒達の注目の的となっていた。
ただでさえ目立つ学内超有名人の有閑倶楽部のふたりの追いかけっこ。しかも清四郎はメイクこそ取ってはいるものの平安装束。
もう乾きはじめている涙を悠理は袖で拭う。
さすがに、気恥ずかしくなった。
「・・・おまえ、なんて格好してんだよ。悪目立ちしてるじゃんか」
「いまさら何を言ってるんです。だいたい誰のせいですか」
清四郎は開き直ったように、着物の裾をバサリと叩いた。
片手に握りしめていた烏帽子を思い出したように伸ばしている。大事な舞台の小道具が、皺になってしまったようだ。
清四郎は少しヘタレた烏帽子を頭上に載せた。
「そろそろ劇が終わった頃ですよ。舞台を観ずに逃亡したと野梨子に知られれば剣呑です。戻りましょう」
「うん」
ふたりは並んで歩き始めた。
学園内では仮装も同然のとんでもない格好だったが、清四郎は堂々と胸を張って歩いている。曲がった烏帽子をそびえさせ。

「おまえ、恥ずかしくないの?」
悠理の声には厚顔な友人に対する呆れが滲んでいた。
清四郎はムッと顔をしかめる。
「・・・あの芝居をおまえに観られたことの方が、恥ずかしいんだが」
その上、人の気も知らず誤解するし・・・と口中ブツブツ言っていた清四郎だが、ピタリと歩みを止めた。
「悠理、ひとつお願いがあるんですが」
「なに?」
「本番は、観ないでもらえませんか?」
「なんでだよ」
「さっきの稽古は無我夢中で演りましたが、あんなふうに思われていると知ったら、 どうも照れてしまいそうです」
「なんで、あたいだけ!」
「悠理だから、困るんです」
立ち止まった清四郎の困惑したような目。
懇願しているような目。

悠理は頬を染めて顔をしかめた。
「あたいだけ観ないわけにいくかよっ!だいたい演劇部のやつらにも約束してんだ。 あの紫の薔薇が受けてさ。あれのでっかい花環を祝いに贈るって。なのにあたいが観にいかないなんて 変じゃないか」
「高価な紫の薔薇で花環ですか。たしかに剣菱ならではですな。おまえんちのセンスではパチンコ屋の 開店祝いになりかねないが」
「うるせーやい」
言いながら、いつものような空気がもどってきたことに、悠理は内心安堵する。
知っているようで知らない顔をする清四郎は、落ち着かない。
あの黒い目をみると、胸がざわざわする。悠理はこんな感覚に慣れていない。
照れ隠しに、ぶんっと頭を振ってそっぽを向いた。
「ラ、ラブシーンくらいチャッチャとこなせよ!」
「・・・わかってて言ってるんですか?」
「抱き合って”今宵うんぬん”つって暗転、だろ。あたいでもわかるよ」
「いや、そっちじゃなく」
清四郎の表情に意地悪な笑みがもどってきた。
「お言葉に甘えて、チャッチャとすませましょうかね」
清四郎は歩き出そうとしていた悠理の首根っこをふたたび捕らえた。
クイと引っ張られ、悠理は体勢を崩す。
「なにす・・・」

身をかがめた清四郎の頭から、烏帽子が転がり落ちた。

一瞬、頬にあたたかい感触。
悠理は呆然自失。

清四郎は落ち着いた仕草で烏帽子を拾い上げた。
「ま、僕も男なんで」

「ど、ど、ど、ど、ど」
「”どういう意味だ”?」
吃る悠理の言葉を引き取り、清四郎は首を傾げた。
悠理は声もなくコクコク肯く。
「花束は贈られるより贈りたいってことです・・・いつかは」

にっこり。

いつも通りのその笑顔に。
悠理は頬を押さえて絶叫した。

「ひとの顔、舐めんなー!」

清四郎は笑いながら悠理を置いて歩き出した。
その背中に拳を振り上げながら悠理は後を追う。
「バッチィだろっ」
「バッチィとはひどいですな」
晴れやかな笑い声。

「ツバつけといただけです。とりあえず」
「・・・・?!」
悠理はまたもや絶句。
「と、とりあえずってなんだよー!」
「いまの段階じゃ、また決闘とか言って完全防備の防具姿で立ち向かって来そうですからね、おまえは」
清四郎は悠理の拳を避け、足を速めた。
気長に行きますよ、と笑いながら。



*****





たしかに、可憐がそうと思った毎度のドツキ漫才を繰り広げているふたりではあったが。
美童が薔薇の芳香を味わいながら予感した、近い将来、遠くない未来。
腕一杯の花束を抱えた男が、女に告げる日が来るに違いない。
いつか、きっと、薔薇の花言葉を。




薔薇の花言葉

愛・愛情・美・嫉妬・あなたを尊敬します
温かい心・照り映える容色・内気な恥ずかしさ・恋

――――私はあなたにふさわしい

                                                                  




2005.1.16


紫の薔薇の花言葉は寡聞にして知りませぬ。ので、上はノーマルな薔薇全般の花言葉です。
でも、速水真澄じゃあるまいし、清四郎も紫では攻めないでしょう。
チュウぐらいさせてやろうと思ったのですが、それすると間違いなく、初めてであろうが告白してなかろうが、ベロチュー に及び(参照:「バレンタイン・キッス)、光源氏を非難できなくなるでしょうから、 今回はほっぺたペロリに抑えていただきました。自称「情熱的ってわけではない」清四郎さんですのでね。
悠理に惚れ狂ってるアンドレ男や初恋ときめき少年やニブニブ鈍感男とは違う彼を書いてみたかったのでした。
え?いつもと大差ないっすか?(汗)

 

TOP