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さて、ここがどういうホテルか今ひとつ理解しないまま。
悠理も彼女なりに困惑していた。
「野梨子に断られたって・・・おまえ着付けってできんの?」
赤い顔をしてそっぽを向いた清四郎の横顔を見つめる。
悠理からすれば、清四郎はできないことはなにもないと思わせるほど、なんでも 器用にこなす男だ。
だから、なんとかしてくれるのだろうとはぼんやり思った。
朝から剣菱家お雇いの着付けのプロが悪戦苦闘していた様が悠理の脳裏を過ぎる。
苦闘の理由は悠理が大人しくしていなかったためだが。
悠理は自分の肌襦袢の胸元を見下ろした。
袂から手を差し入れられ、胸を押さえるように締め付けられた。
薄衣の上から下から、何本もの紐で結わえられ。
背後から羽交い締めも同然にきつく抱きしめられ帯を締められた。
あげく、胸の厚みが足りないと、何枚ものタオルを胸元に突っ込まれ。
悠理が今顔を拭いているタオルは、その一枚だったりする。
隣に立つ清四郎の大きな手に視線を落とした。
着付けのおばちゃんのふっくらした手とは違う、あのごつごつした手が、素肌を這うのか。
考えた途端、頭がバフンと噴火した。
「うひゃぁぁぁっ」
悠理は動揺のあまり、ぴょんとベッドの上に飛び乗って清四郎から距離を取った。
******
奇声を上げてベッドに飛び乗った悠理に、清四郎は度肝を抜かれた。
せっかく皺にならないよう広げた振り袖の上に座り込んでいる悠理の姿に、頭に血が上る。
「馬鹿っ、なにしてる!」
思わず、着物と帯をつかんで悠理の腰の下から引き抜いた。
「ぎゃっ」
足を取られて、悠理はベッドの上に仰向けに転がった。
ものの見事に肌襦袢がめくれあがり、柔肌が晒される。
「うあっ」
あんまりな姿に、清四郎も声を上げた。
あらわになった太股を隠そうと、慌ててベッドに乗り上げ、悠理の襦袢を引っ張る。
しかし、どうも力を込め過ぎたらしい。
足は隠れたものの、紐がほどけて今度は上半身から布は滑り落ちてしまった。
「「!!!!」」
あらわになった白い胸。
条件反射のように悠理は襦袢をかき合わせ胸元を隠したが、薄い布を通してでさえ色づいた胸先が透けている。
ベッドの上で悠理の上に体を乗り上げたまま。
たっぷり10秒間は清四郎は凝固していた。
頭に上っていた血がドクドク脈打つ。
さしもの理性の人、菊正宗清四郎も人の子。いくら老け顔でも19歳。
「これは悠理だ、これは悠理だ、これは悠理だ・・・」
ぶつぶつ口中で呪文のように呟いたが、いっかな理性はもどってこない。
脳内では、あんな妄想こんな 妄想(*注)が、瞬時に展開し渦巻きまくっていた。
「せ、せいしろー・・・?」
別世界を漂いつつあった清四郎の意識がもどってきたのは、いぶかしむような悠理の声のためだった。
ほとんど半裸で清四郎に押し倒されている自分の現状をわかっていないのか。
頬は染めてはいたが、清四郎を見上げる悠理の目に曇りはなかった。
信頼しきった、真っ直ぐな瞳。
情動に挫けそうな男の前で、怯えの色一つないその目に、清四郎の頭は冷えた。
「・・・悠理、実は僕は・・・」
「な、なに?」
「経験がないんです」
「え?」
「まったく知識がないではないが、これまで興味がなかったもので。だから・・・」
「だ、だから?」
「だから、抵抗しないで大人しくしてくれ」
清四郎の意図は通じた。
悠理は頬を染めたまま、こっくり肯く。
「うん・・・」
「嫌じゃないのか?」
「嫌・・・というか恥ずかしいけど」
そう言って揺らぐ心を隠すように。睫毛を伏せる悠理は、思いのほか女の顔をしている。
初めて見るように、清四郎は悠理の赤らんだ顔を見つめた。
悠理の白い喉が、こくりと動く。
伏せていた目を開けた悠理の目は、いつもの意志の強い瞳。
「清四郎だったら、いいよ」
きっぱりとそう言った悠理の声にも目にも、清四郎への信頼が溢れていた。
羞恥にふるえる女と、無邪気な少年が同居している。それは清四郎を惹きつける瞳。
「あたいこそ、ごめんな」
えへ、と悠理は小さく笑った。
その笑みは不意打ちのように清四郎の胸を衝いた。
「え?」
「おまえ、そんな気なかったのに」
そう言う悠理に否定はできない。
悠理を女だと思ったことはなかったのだ。
だけど、清四郎は思わず告げてしまっていた。
「でも、僕は好きですよ。おまえの・・・」
着物姿が。
それは、本当だった。
アケミ&サユリ柄であろうと、あでやかな振り袖は悠理に似合った。
――――僕が、おまえを綺麗にしてやる。
着付け初心者の清四郎が、それを口には出せなかったが。
******
「せ、清四郎・・・痛いよ」
悠理の胸元をかき合わせようとする手は清四郎に封じられた。
「悠理、もっと体の力を抜くんだ」
「やっ・・・もっと優しく・・・痛くしないでっ」
往生際の悪い悠理の口をふさいでしまいたい衝動に清四郎は駆られる。
清四郎にも余裕はない。
「せめて、この紐をとってよぉ」
悠理は身動きを封じるように膝に縛り付けられた紐を指差した。
「手を縛らないだけ、感謝しなさい」
「もう暴れないから」
懇願する悠理に負けて、清四郎は悠理の素足に結び付けた紐をほどく。
素肌に食い込んだ紐の痕が赤らんでいた。
言葉通り。ふるえる白い足はもう抵抗しなかった。清四郎が膝から太股に指を滑らせても。
ごくりと息を飲む。
清四郎は無抵抗の悠理にゆっくりと告げた。
「悠理、後ろを向いて、壁に手をつくんだ」
「・・・清四郎」
不安気な悠理に笑みを見せる。
「皆が待っている。痛くなんかしない。早く終わらせるから」
我ながら非情な笑みだと清四郎は思ったが、悠理はこくんと肯いて華奢な背を向けた。
その体に清四郎は無骨な腕を回す。
「よし、いい子だ。じっとしてろ」
「あ、あうっ」
腰を抱きしめ力を込めると、悠理は無意識に逃れようと身をよじらせた。
「動くな!もう嵌まってる。すぐに終わる」
上手く結べない帯留めに焦れて清四郎は悠理の体を力任せに揺すった。
バサリと袖が舞う。
腰に腕を回したまま、清四郎は悠理の体を反転させた。
乱れた髪を指で梳き上げる。
くったりした体。上気した頬。
悠理の襟元を直しながら、何度も髪を撫で付ける。
「・・・ほら、綺麗だ」
そう言うと、悠理はますます頬を赤らめた。
紅を引く必要ないほど艶やかな口元が、吐息を漏らした。
「清四郎って、やっぱサド・・・」
その言葉に、悠理を抱き支えていた腕を外した。
ガクリとよろける悠理から、わずかに距離をとる。
またもや妄想をたくましくしそうな頭を振って、清四郎は天井を見上げた。
「ま、なんとか形にはなりました。さて、皆も待ちくたびれていることだろう。戻りますか」
「うん」
悠理はぎちぎちに締め付けられた帯を揺すって緩めながら肯いた。
見よう見まねで結び付けた後ろの帯は単なる縦の蝶々結びだが、それなりに様になるものだ。
なにやら紐やらタオルやら、余ってしまったものの。
「車にもどれば、野梨子がきちんと直してくれるでしょう」
清四郎は浮かんでいた額の汗をタオルでぬぐった。
「あ」
それを見て悠理は口を押さえる。
「そ、そのタオル」
「ああ、どこにこんな何枚もタオルを持ってたんだ?」
悠理は真っ赤に染まったしかめっ面で清四郎の手からタオルを奪い取った。
「いいの!おまえは知らなくて!」
悠理はプイと頬をふくらませる。
余った着付け用品を抱えた悠理と清四郎は、部屋の扉を開けた。
部屋は一階だったので、フロントはすぐだった。
******
室内で精算せず入室30分ほどでフロントに現れたふたりに、無表情な従業員はなにも言わなかった。
狭いロビーの二脚置かれたソファーに座った悠理は、清四郎が精算する間、 机の上に置かれたキャンディボックスを開けていた。
抱えられてここに来た悠理は、財布はおろか草履も履かない足袋姿。
椅子の下でブラブラ揺らされている汚れた足袋に清四郎は目を留めた。
「どうします?抱いて帰ってあげましょうか?」
「冗談!」
ここがどういうホテルなのかいまだ気づいていない悠理も、清四郎の申し出は即座に断った。
清四郎は苦笑する。
ここがどういうホテルなのか分かっていてでさえ、悠理を抱き上げて白昼出て行けてしまうだろう 己の厚顔ぶりに。
そして、胸をくすぐるのが、悪戯心以外のなにかであることに。
ホテルを出た悠理は、外気に身をふるわせた。
「う、うひゃー寒いっ」
清四郎も寒気に身を竦めたが、指先をこすりあわせている悠理に着ていた羽織りを渡した。
「おまえは裸足だし。これ着てなさい」
「いーよ、おまえだって寒いだろ」
「僕は大丈夫です。和尚のところでは道着一枚なんですから」
「あたいだって、指先が冷たいだけだい!」
なにを対抗心を燃やしているのか、強気の悠理に清四郎は吹きだした。
「じゃ、手を温めてあげます」
清四郎は悠理の小さな手を自分の手で包んだ。
息を吹きかけてやると、指先よりも悠理の顔は赤く染まった。
「え、えと」
「まだ冷たい?」
引っ込めようとする手を強く握り、清四郎は行きは駆け上がったホテル前の階段をゆっくりと降りた。
下駄の音のあとに、ペタペタと悠理の足音も続く。
手をつかんだままなのだから当たり前だったのだが。なんだかその音に、清四郎は心躍った。
振りかえると、悠理はまだ赤い顔で視線をさ迷わせていた。
その目が一点に止まる。
「『ムカエハル』?」
ホテルに掲げられた横断幕だ。
「『迎春』です。新年の挨拶ですよ」
「し、知ってらい!」
読み方はともかく。
悠理の赤い顔に、まさか『サービスタイム』でホテルのお里が知れたのかとあやぶんだ清四郎だったが、 そうではなかった。
悠理はたんに、無知を指摘されてバツが悪いだけらしい。
「あーあ、一年の計は元旦にありってゆーけど、結構あたい、最悪じゃねー?」
「そうですか?」
清四郎は握り締めた悠理の手に視線を落とす。
うんざり顔で悠理はつぶやいた。
「新年早々、喉に餅は詰めるし、ゲロ吐くし・・・」
「おまえの大食いも、死にかけて僕に助けられるのも、いつものことじゃないですか」
けれど、握った手と手は、いつもではない。
そのことに悠理は気づいているのかいないのか。
「そーゆーのが嫌なの!」
ぷいと顔をそむけた悠理の横顔を見つめながら。
清四郎も考えていた。
一年の計は元旦にあり。
清四郎は携帯電話をもう掛けなかった。
道路沿いに歩いて行けば、初詣予定の神社に行きつく。それまでには仲間と合流もできるだろう。
またあわただしい一年が始める。
しかし、今はもう少しこうしてふたりで歩いていたい。
有閑倶楽部として仲間たちとつるみはじめてからのこの数年、とても楽しかった。
そこには必ず、騒動を起こす悠理がいて。
そういうのが嫌だと言った悠理だが、この一年、また清四郎に面倒をかけるに違いない。
そして、悠理とは反対に、清四郎は決してそれを嫌ではないのだ。
そのことに、はっきりと気づかされた新年。
この小さな手のぬくもりを離せないくらいには。
謹賀新年。
清四郎は心中つぶやいた。
初仕事は、悠理の着物を脱がせてふたたび着せるという愉快な仕事だった。
さしずめ、本年の抱負は、これに内実を伴わせることか。
それが、どういう感情からくるのか、理解するにはまだ間がある。
ゆっくり、考えればいい。
ふたりを迎える、春の日までは。
******
そして。
車中の一同は困惑していた。
手を繋いで堂々ホテルから出てきたふたりに。
「30分・・・微妙だよねぇ」
美童がつぶやく。
「悠理の着物の乱れも、微妙だわねぇ」
可憐が頬を染める。
野梨子と魅録は言葉もない。
ただ静かに、掛ってくるかと待っていた携帯の電源を、二人それぞれ切った。
運転手の名輪は、ふたりの後ろを追走しながら、気づかれないうちに道を曲がろうと決意していた。
彼の主人たるお嬢様は、迎えの車を待っている素振りはない。
裸足にもかかわらず、寒風の下で。
春は、もうすぐ。
2005.1.4 A HAPPY NEW YEAR!
あれ?お馬鹿部屋収録作品でしたっけ、これ。(爆)
キーボードを打つ手が勝手に創作しちゃいました。
なんか微妙に自覚してますね、清四郎。やっぱ、清→悠が書きやすいです。逆だとねー、どうしても可哀相なことに。
しかし、調子に乗って清四郎くんの妄想も
おまけであります。本年の姫始め(汗)はそちらで、こそっと。