「悠理」 清四郎の呼ぶ声に、悠理は意を決して顔を上げた。 せめて、お邪魔虫は帰るよ、と笑って告げるつもりで。 強張った笑顔の悠理を、清四郎の困惑した瞳が見つめていた。 「・・・え?」 目の前に差し出されたのは、携帯電話。 もう通話を終えていると思っていたのに、まだ通話中のサインが出ている。 「おまえにです」 「?????」 理解不能のまま、悠理は反射的に携帯電話を受け取ってしまった。 喉の奥がカラカラで疑問の言葉も口を出ない。 ただ、息を止めて電話を耳に押し付けることしかできなかった。 『悠理?』 携帯から聴こえてくる、細い綺麗な声。 「の・・・野梨子?」 やっと、声が出た。 『まぁ、ほんとに悠理が居ましたのね!』 野梨子の声は弾んでいた。 驚いて、清四郎の顔を見上げる。 清四郎は苦笑していた。しかし、困ったように眉は顰められている。 ”清四郎は、恋してる?” ”ええ、悠理” ”・・・野梨子?” ”・・・いいえ” 清四郎は否定したけれど、やはり野梨子だったのかと――――悠理は誤解しかけた。 彼の憂い顔の理由を。 『悠理が清四郎と一緒に居てくれて良かったですわ。昨夜から、悠理の携帯にもメールしてましたのよ。 剣菱邸に電話したら居ないと言われますし』 野梨子は嬉しそうに話を続ける。 『昨夜、急に可憐から連絡をもらいましたの。ずっと研修に行っていた魅録が帰って来たのですって。 それで急遽報告したいことがあるから、集合できないかって』 「報告?」 『きっと、結婚の日程が決まったのですわ。魅録の仕事の都合でずっと延び延びになってましたでしょう。 ふふふ。可憐ってば、私たちに見て欲しいものがある、なんて。華やいだ声でしたわ』 「・・・結婚・・・」 悠理は鸚鵡返しに繰り返した。 巡りの悪い頭が中々働かない。ぼんやりと感情は霞がかっている。 清四郎がつらそうに顔を歪めた。 悠理を見つめる目は、心配そうに細められている。 やっと、悠理にも理解できた。清四郎は悠理の気持ちを思い、案じているのだ。 「うん、もちろん行くよ。清四郎と一緒に。10時に可憐ちだな?」 悠理は野梨子との会話を終え、電話を切った。 しばらく、手元の携帯を見つめる。 清四郎の恋人からの電話ではなく。悠理の片恋の相手の結婚を予告する電話。 悠理は顔を上げた。 強張った笑みのかわりに、先ほど清四郎が浮かべていたような苦笑を浮かべて。 「ごめん、勝手に切っちゃった」 「構いませんよ。・・・本当に行くんですか?」 「あたりまえだろ」 悠理は鼻の下をこすった。 「あいつらの新居は、引っ越しの手伝いに行ったきりだ、あたい。薄情者って、可憐になじられそうだよなぁ。 けど、今日はご機嫌だろうから、旨い昼飯にありつけるかも」 鼻の奥がツンと痛い。 もう一度こする。真っ赤になってしまうのもかまわず。 「・・・悠理、無理するな」 清四郎の大きな手が、悠理の髪を掻き回した。 「だ、だいじょうぶ!」 絶対、泣かない。彼らの前で、悠理は涙を見せたりしない。 温かな手が、何度も髪を撫でる。 目の裏側が熱くなってしかたがない。 胸の痛みは消えない。 だけど。 本当は、ずっと会いたかったのだ、幸せそうな可憐に。 以前のようにはしゃぎたかったのだ、魅録と。 ずっと変わらない、友人として。 清四郎が悠理の頭を自分の胸に押し付けた。 「無理するな」 もう一度、清四郎は囁いた。あの夜のように、悠理を抱き寄せ。 なにも悲しくなんかない。魅録と可憐が付き合いだして四年。卒業と同時に婚約し、 既に一緒に暮らしている。結婚は時間の問題だった。 とうに、覚悟はしていたのだ。 ただ、祝福したかった。心から。 もどりたかった。大好きな友達の隣に。 いつか魅録と流れ星を数え、願った望みを思い出した。 ”ずっと友達でいれますように。” 魅録と、可憐と、美童と、野梨子と――――そして、清四郎と。 それなのに、どうしてだか涙が溢れそうになった。 石鹸の匂いの残る、真新しいシャツに顔を埋め。 卑怯な安堵感。 まだ、この胸は悠理を包み込んでくれる。 いつかは、何も感じなくなるのかもしれない。 だけど、今の愛しい痛みは、忘れたくない。 魅録を忘れることなんて、できない。 だけど、笑顔でふたたび会うことはできるはず。 清四郎がこうして、悠理の涙を受け止めてくれるから。 なくしたものを越える強さをくれるから。 どうしても緩んでしまう惰弱な涙腺を悠理は許した。 ただ、願いたかった。まだ、心からは願えなかった。 大好きな友達の恋が叶う日を。 力強い腕が勇気をくれる。 瞳を閉じても、感じられる。 あの日、見てた星空。 願いをかけて、ふたり探した光。 清四郎の、深い黒い瞳。 心も体も、愛おしさに震える。 悠理の胸の中に空いた穴に温かな何かが満ちていった。 溢れるのは涙だけでなく。 「清四郎・・・」 ”ありがとう”の言葉は言えなかったけれど。 笑みと共に、唇は彼の名を紡いでいた。 安堵感が胸を詰まらせる。 心のどこかで、この温かな胸が自分のものではないことを知りながら。 ひどく切ない旋律は、清四郎の心音。 誰かを愛している鼓動が――――聴こえる。 |
平井堅の「瞳をとじて」だと、清四郎くんの歌詩なんだけど。前回の「一途な夜、無傷な朝」が清四郎だったので、
今回は悠理ちゃん視点です。初恋は一生忘れられないと思うので、このシリーズはそれぞれ片思いで
終わるつもりだったんですが、なにやら悠理ちゃんはグラグラ揺れてる模様。書き手の清四郎贔屓が
如実に出てしまったようです。(笑)
次のお話でシリーズ完結させられるかな?有閑倶楽部久々の再会編。