その3男の腕の重さに、悠理は目覚めた。 素肌に回された堅い腕。背後から抱きしめるように悠理の胸に触れて眠るのは清四郎の癖だ。 安らかな寝息。 いつも隙を見せない男が晒す、穏やかな顔。 体を捻って清四郎の顔を見つめ、悠理はため息をついた。 「・・・結局、こうなっちゃうんだよなぁ・・・」 こうしてまた抱き合ってしまっている。 悠理の主観としては、目下のところ恋人でも夫でもない赤の他人のはずの男と。 ”離婚するんなら、寝室は分けなさいよ!”と忠告してくれた友人の言葉は正しかった。 どうして、そんな簡単なことが実践できないのか、自分でも不思議だ。 二度の結婚と離婚という難しい局面を乗り越えた悠理なのに。 迷いに迷って四度も婚約破棄をしたにもかかわらず、同じ相手と二回も結婚してしまった。 もうまがうことなく腐れ縁。 剣菱財閥の身代をしょった悠理と結婚するなら、清四郎のような男でないと荷が重いのも事実。 もちろん長年の友人だから嫌いなはずもない。 だけどこんなに迷走するのは、相性最悪だからだろう。 いつでも悠理のことをオモチャあつかいし、手の上で転がそうとする意地悪な清四郎と、 結婚なんかしたら一生馬鹿にされると常々思っていた。そしてその認識は変わっていない。 それがまたこの始末。 「・・・それって、昨夜の返事はOKだということなんですよね?」 清四郎がパッチリ目を開けた。 「なっ、おまえ目覚めてたのかよっ」 「いえ、悠理の声で目覚めたんです」 悠理はシレッといつもの笑みを見せる清四郎の腕を振り払った。 ベッドの下に投げ捨ててある衣服をごそごそ拾って、素早く着込む。 「で、どうなんです?悠理」 清四郎はベッドに寝そべったまま、身繕いをする悠理をニヤニヤ見つめている。 その自信満々な笑みに、悠理は胸がむかむかしてきた。 「い、や、だ!結婚はもうコリゴリだ!」 きっぱり言いきると、さすがに清四郎は口の端を下げた。 昨夜、ベッドに悠理を押し倒しながら清四郎が熱く囁いたのは、何度目かのプロポーズ。 三度目の結婚、復縁を迫る言葉だった。 「懲り懲りって・・・僕はそんな酷い夫ですか?」 「だってさ、おまえってすっごい独占欲強いじゃん」 「は?」 意外なことを言われたような顔を清四郎はする。 「無自覚だったのかよ?」 悠理は口を尖らせた。 「結婚した途端にさー、あたいは自分のものってカンジに振る舞うしさ。強引で横暴なのは前からだけど」 初めて婚約した高校時代、自分にふさわしい妻にしようとレディ教育を強要された恨みは忘れていない。 さすがにそのときの失敗を踏まえてか、以降そんな強要はしない清四郎だったが、なにかにつけ悠理を縛って きたのも事実。 「そのくせさ、自分はろくに家に帰って来ないし」 清四郎は鼻白む。 仕事一辺倒であまり悠理を構わなかったのが、二度目の離婚の直接のきっかけだとは、彼も分かっていた。 「そりゃ、学生のころのように一緒にはいられないでしょ」 「結婚しててもそうなら、いまの方がいい!」 悠理はぷいと顔を逸らせた。 「僕から自由になって何がしたいんですか。まさか、他の男と恋愛したいとでも?」 嘲るような清四郎の口調。 「そうだな、それもアリだよなっ」 売り言葉に買い言葉で、悠理も答える。 「父ちゃんと母ちゃんや、魅録と野梨子みたいに恋愛結婚すりゃ良かったよ!」 「おまえが恋愛ねぇ・・・」 クスクス笑う気配に、悠理はブンッと音のするほどの勢いで振りかえった。 「どーせ、あたいに恋は似合わないっていうんだろ!おまえだって、似たようなもんじゃないか!」 清四郎は裸の肩を竦める。 「ま、否定はしません」 直接の離婚の原因は色々あるにしろ、根っこの問題は、そこなのだ。 ふたりは、恋をしていない――――腐れ縁にすぎない、ということが。 「おまえはサルだのなんだの言うけどなー、あたいだってモテないわけじゃないんだぜ!」 「知ってますよ」 清四郎は眉をひそめた。 「三度目の婚約破棄のあと、万作さんが”剣菱継げる優秀な男には悠理をやるだ”って宣言してしまった ものだから、門前市が立つほど求婚者が列をなしたじゃありませんか。あのときは結構騒動になりましたよね」 「あんなの、剣菱目当ての男じゃん。父ちゃんと母ちゃんが面白がってあたいが懸賞の障害物競走みたいに なっちゃったけど」 「最終ラウンドまで残ったのが、よりにもよって兼六の息子だったってのは笑いましたよね」 「おまえは他人事だと笑ってたけどなー」 悠理は過日を思い出して、ゲンナリと蒼ざめた。 兼六財閥ごうつくジジイの末息子は、なかなかにしぶとい相手だった。 妾腹の息子で認知されたばかりという外国帰りの兼六聖吾は、結婚ぐらいで剣菱の身代が手に入るなら、と かなり本気で迫ってきた。 兼六本家に悠理を手土産に凱旋しようとしたのだろう。 先祖代代、DNAに刷り込まれた敵対心。 彼の野望を阻止したのは、悠理と万作の強力タッグだった。 悠理を結婚させたいという気持ちは夫人と同じ万作だったが、なにしろ相手が悪すぎた。 「特設リングで”ハリケーン悠理”の飛び蹴り食らっても、立ってましたよね、あの男。 なかなかの執念だと感心しましたよ」 「おまえ、あたいが四の字固め決められても、リングサイドでニヤニヤしてただろ。 元婚約者の、深〜い愛情はビシバシ感じられたさ! 乱入した父ちゃんがジャーマンスプレックス決めなかったらあぶなかったじょ」 あの一件で、万作は悠理の婿探しをなかば諦めた。 娘が幸せにならなければ、結婚させても意味がない。 「どう転んでも、おまえが兼六と結婚するとは思えませんでしたからねぇ」 清四郎は思い出し笑い。 大柄な男に押し倒され、思わず必死の形相で清四郎の姿を探していた、あのときの悠理。 リングサイドで仲間たちと観戦していた清四郎を見つけたときに、安堵の色がたしかにその目には 浮かんだ。 すがるような瞳。 清四郎が笑顔で親指を立ててやると、ムッと口を尖らせて奮起した。 結局、悠理自身が最強最悪の求婚者を殴り倒し、昏倒させたのだ。 「あんなのばっかりじゃなかったじょ、まともな男だっていたんだからな」 「あー・・・」 清四郎は眉根に皺を寄せて遠くを見た。 「あれは、一回目の離婚のあとでしたかね・・・」 悠理がバツイチになってしばらく後。 その男は颯爽と剣菱家にあらわれた。 大きな花束を手に。 その頃になると、剣菱夫妻は、離婚後も同居している清四郎が剣菱の中枢を しっかりと握っていることもあり、悠々自適の生活をはじめていた。 だから、両親は悠理を無理に再婚させる気は毛頭なく。 悠理自身も、恋愛にはあいかわらず興味がなかったから、男っ気のない生活を送っていた。 清四郎をのぞいては、だが。 その男、黒竜は、もともとは剣菱の取引相手である若き青年実業家だった。 悠理を見初めたのはあるパーティで。 最初、悠理が剣菱の娘であることも気づかず、豪快かつ旺盛で化け物じみた食べっぷりに一目惚れしたと いうのだから、奇特な人物と言えた。 悠理が有名な剣菱のじゃじゃ馬娘であり、離婚したばかりだということも、彼には障害とならなかった。 常に、保護者然とした清四郎がそばにいることさえ。 「毎日のように花束持って、現れましたね」 「うん、あたいが食い物がいいって言ったら、ケーキや団子も持ってきたけどな」 彼は非の打ち所のない相手だった。 年こそ少々上の30代だったが、ハンサムで鷹揚。事業の腕も一流。 これまで浮いた話ひとつなく、剣菱を継ぐにしろそうでないにしろ、悠理の結婚相手としてなんの問題も なかった。 なにより、美しい容姿よりも、ありのままの男勝りな悠理が好きだという、めずらしい嗜好を持っていた。 「でもなー、今だから言うけどさ・・・あいつ清四郎目当てだったのかも」 「はぁ?」 「だって、”清四郎くんのことも込みで、あなたが好きなんです”とか言ってたもんな」 「いや、それは・・・」 清四郎は苦笑した。 本来、清四郎の最大のライバルになってもおかしくなかった彼の真摯な言葉も、悠理にはまったく 通じていなかったようだ。 「それに、なんかある日いきなりパッタリ姿消したし」 「あー・・・」 清四郎はまた苦笑した。 その笑みを、悠理は見咎める。 「なんだよおまえ、心当たりあるのか?ま、まさかおまえが・・・」 「ちょ、ちょっと待ってください、僕はなにもしてませんよ」 ひと一人抹殺したとでも誤解しかねない悠理に、清四郎は手を振って否定した。 「今でも黒竜氏は経済界で健在ですよ。先日もレセプションで会いましたし」 「あ、そぉなの?なんであいつ、いきなり姿消したのかなー」 「それはですね・・・」 その日、黒竜氏は悠理をデートに誘うべく、いつものように剣菱邸に颯爽と現れた。 休日だったし予告もしていたのだが、悠理はまだ寝ているとメイドから告げられ。 気を悪くすることもなく、剣菱家の広いエントランスで花束を抱えた彼は、 鼻歌交じりに愛しい彼女を待っていた。 用意のできていない女性の部屋に押しかけるような彼ではない。黒竜氏は紳士なのだ。 大きな階段の上の彼女の部屋が開く気配に、彼は顔を輝かせ上階を見上げた。 しかし、姿を見せたのは悠理ではなかった。 「・・・これはこれは、黒竜氏。あいにく、悠理はまだ眠っていましてね」 常は見せない気だるげな風情で、清四郎は欄干に身を預けた。 黒竜を見下ろす彼のシャツははだけられ、胸元があらわになっている。 禁欲的な表の顔しか知らない人間には、意外な清四郎の姿だった。 男のくせに妙に艶めかしい胸元に散っているのは、紅いキスマーク。 黒竜の手からバッサリ花束が落ちた。 蒼白を通り越して土気色になった黒竜の顔に、清四郎はニヤリと笑みを浮かべる。 彼の元妻は、前夜確信犯に激しく責められ、そんな一幕も知らず寝入っていた。 悠理と清四郎が離婚はしても寝室が同じであるのは、その頃も同じ。 そして、そんな悠理に求愛する者は、黒竜氏が静かに退場してからはまだ一人もいない。 「まったく何もしていないとは、言えませんがね。僕のことも込みでおまえを愛してるという言葉が 本当だったなら、黒竜氏は諦めるはずはなかったんですがねぇ」 「・・・・・。」 悠理は無言で清四郎を睨んだ。頬を染めて。 「おや?まさか、黒竜氏を好きだったんですか?」 「・・・なわけ、ないけどよ」 悠理は大きくため息をついた。 「なんだって、おまえはあたいと結婚したいわけ?」 清四郎は悠理の問いに虚を衝かれた。 唖然と悠理を見つめている。 考えたこともない、という顔だ。 悠理の疑問も当然だった。 以前ならいざしらず、今では清四郎の剣菱での地位は盤石だ。悠理がたとえ誰と再婚しても、 いまさら揺らぐことはない。 すでに家族となってしまっている剣菱家の人々とも、離婚後も変わらず生活している。悠理も含め。 それが問題とも言える。 友人としてのふたりの仲が切れることはないのだ。何度離婚しようとも。 「・・・僕の性格はよく知ってるでしょう」 清四郎はわずかに戸惑いを浮かべて微笑した。 悠理は肯く。 「知ってるよ。完璧主義で独善的で、そのくせ面倒なことは嫌いで」 悠理は顔を歪めて吐き捨てた。 「あたいと結婚したのも、いまさら他の女口説くのが面倒だからだろ?」 清四郎はあっけに取られていたが、しばしの後、突然プッと吹きだした。 「・・・・・。」 しばらくクスクス笑っている。 悠理はムッと顔をしかめた。 「違うのかよっ」 「面倒って・・・おまえは、自分がそんな手軽な女だとでも思っているんですか?」 「そりゃ、だって一番手近だろうし」 清四郎はまだ苦笑を浮かべたまま肩を竦めた。 「キスしただけで婚約破棄。抱きしめても同じ。結婚したらしたで、遊びに付き合わないと離婚。 ・・・どう考えても、楽な相手ではなかったんですがねぇ」 悠理は赤面した。 「う・・・うるさいやぃ!」 全部事実なだけに悠理も反論できない。 「だけど、あたいだって成長してるんだからな」 「ええ、わかってますよ」 清四郎の目が色めいた艶を宿す。 キスひとつで大騒ぎしていたのは過去のこと。 いまでは、ベッドを共にするときに清四郎を放さないのは悠理の方なのだ。 体力にまかせ貪欲な悠理の要求に応えられるのは、清四郎ぐらいだ。彼の楽観と自信はそのあたりにも 根差している。 何度離婚しようとも、ふたりが切れることはない。 性格の不一致は否めないものの、あちらの相性は最高だ。 それをどこまで悠理がわかっているのかは謎ではあるが。 清四郎の目に浮かんだ淫靡な色に、悠理は反応した。 まだ腰を下ろしていたベッドの端からスイと身を放す。 「だいたいなー、よく考えたら、あたいっておまえしか知らないんだよな」 清四郎は悠理のふくれっつらに、やっとベッドから体を起こした。 裸の上半身に、シャツを羽織る。 「悠理?」 「学生時代からずっとおまえらとばっかつるんでて、そんでもってそのまま婚約だろ」 「それは僕も同じですよ。それに、婚約は5回もしたんだから。人跡未踏の記録ですよ、この回数は」 「でも、おまえとばっかじゃん!」 そう、悠理にとっては恋愛経験もないまま、あれよあれよという間に結婚してしまったようなもの。 選択の余地すらなかった。 「あたいって、初恋すら経験ないんだよな」 清四郎はなにを言い出すかと、苦笑している。 当然過ぎて言わずもがなの相づちを打った。 「僕だって同じです」 「結婚もおまえとしかしたことないし!」 「僕だってそうですよ」 「キスもエッチも、おまえとしか経験ないし!」 「・・・・。」 そこで相づちせず口をつぐんだ清四郎は正直者だ。 「いきなり、黙るな〜!」 悠理は顔を真っ赤に染めて、清四郎に殴り掛かった。 清四郎はその悠理の拳をあっさり手のひらで受け止める。 「なんだ、そんなことを気にしてたのか?」 「ち、ちがわい!」 「・・・ったく、馬鹿の上に嫉きもちやきとは」 「なんだとー!」 頭から湯気を出して怒る悠理を、清四郎はつかんだ手を引いて引き寄せる。 ふたたびベッドの上に乗り上げる形となった悠理の腰に清四郎は腕を回した。 「約束します。僕は浮気はしません。過去も、今後も」 「面倒だし、母ちゃんが恐いからだろっ」 離婚したとはいっても、百合子がそれを認識しているかどうかは怪しい。 悠理が先に他に男を作ればともかく、清四郎が浮気なんぞしようものなら、東京湾に沈められる前に、 マシンガンか手榴弾の洗礼を浴びることは必至。 「でも、おまえも僕とするのは好きでしょう?」 清四郎は強引に抱き寄せた悠理をシーツの上に横たえた。 「・・・お、おまえなぁ」 悠理がまだ憤怒に顔を赤らめているのに、清四郎は笑みを浮かべている。 半裸の体からは、昨夜の名残の熱がまだ感じられた。 「やっぱり、結婚しましょう、悠理。僕は留守がちだから、どうも心配だ。 結婚している間はおまえは僕だけのものだ。妙な男も近寄って来ない」 「・・・・!」 やはり、無意識なのだろう。清四郎の独占欲は。 愛撫するように何度も唇をついばみながら、男は囁く。 「ようやっと、こんなこともできるようになったんだから」 口付けは、激しく。 舌をからめ息を吸い、意識を眩ませる。 「ここまで来るのに、何年焦らされてきたと思うんだ?」 唇を離しても、またすぐに捕らえられる。 悠理は口付けに応えながら、苦しい息の下で唸った。 「んでも・・・」 抵抗はもう言葉だけ。 それでも、悠理は首を振った。 「結婚しなくても・・・いいじゃんかよ」 こんなに清四郎に馴らされ、離れられない体に変えられ。 もう悠理に果敢な男は近寄ってこないだろう。 実のところ、離婚していても何も変わりはしないのだ。 抱きしめてくる腕が少し強引になるくらいで。 結婚という社会制度で束縛できないなら、体で束縛しようとするかのように。 結婚している間、留守がちな清四郎を悠理は待つばかり。 愛されている実感もなく。 それなら、このままの関係の方がよほどいい。 「・・・こういう関係のまま?」 清四郎が悠理の耳たぶを甘く噛む。 「う・・・うん」 「こんな関係をなんと言うのか知ってますか?」 たとえ、腐れ縁のふたりに過ぎなくても。 捕らえられてしまったのは事実だった。体だけじゃなく、心まで。 清四郎はクスクス笑う。 「セフレ」 「?」 「セックスフレンドっていうんですよ」 彼が言い終わらぬうち。悠理は男の股間を思い切り蹴り上げた。 しかし、もちろん予測していた清四郎は難を逃れた。 お互いに、手のうちは読めているのだ。だてに長い付き合いではない。 恋なんて知らない。 愛されているなんて思えない。 だけど、今日も明日も、ともに居る。 「死ぬ前くらいには、わかりますかね・・・愛のある結婚生活だったかどうか」 「遅いわい!」 いっぱい喧嘩して。 笑って、怒って。抱き合って。 ずっとずっと、一緒にいよう――――そんな約束は、言葉にはしないけれど。
大変間が空いてしまいました。馬鹿夫婦シリーズでございます。なにしろ、ふたりの会話を妄想するのが
楽しくって、お話を作れませんでした。結局、軽い痴話喧嘩してるだけの話に。 小説置場TOP |