星が森へ帰るように




いつも一緒に居たかった。
隣で笑ってたかった。
季節はまた変わるのに――――心だけ立ち止まったまま。



********




「なにも、卒業と同時に引っ越さなくてもさぁ」
ほろ酔い加減の悠理は、上着を振りまわして口を尖らせた。
ほとんどひとり言のつもりだった。
夜空に酒臭い息を吐き出して。

「魅録の研修期間が過ぎれば結婚するんですから、いいんじゃないですか。 可憐の家はおばさんと二人きりだし、魅録と同居した方がなにかと心強いでしょう」
少し後ろから歩く友人を、悠理は振りかえった。
久しぶりの夜遊び。友人の婚約を祝う帰り。
仲間たちは一人減り二人減り、終電もなくなったいま、残ったのは二人きり。
「・・・そういやおまえ、野梨子を送って行かなくってよかったのかよ」
「野梨子はとっくにタクシーで帰らせました。美童のなじみの三軒目で飲んだときには もう居ませんでしたよ。気づかなかったんですか?」
「そーいや、そーだっけ」
悠理は気のない返事を返す。
くるんと清四郎に背を向け、悠理は道路の端を千鳥足で歩きはじめた。
二歩ほど離れた清四郎は、あぶなっかしい足取りの悠理を止めない。
そういえば、と悠理は思う。
ひどく口うるさかったこの男が、いつからかあまり小言を言わなくなった。

「・・・魅録は公務員になるんだぜ。可憐は店を継ぐけど、養子になるわけじゃないんだろ」
「おばさんはまだ引退するには若いですからね。可憐はおばさんの元で数年は勉強でしょう」
「経営だったらさ」
悠理は友人に背を向けたまま、ポツリとつぶやいた。
「可憐と結婚するの、おまえのが、良かったんじゃねー?魅録よか」
悠理の背後から規則正しく聞えていた足音が止まった。
「・・・馬鹿言わないでください」
「だってさ、おまえ経営の勉強してるんだろ。可憐の力になれるじゃんか」
言いながらも悠理自身、馬鹿なことを言っていると、わかっていた。
魅録と可憐が結婚するのは、もちろん店のためなんかではない。
ましてや、清四郎は関係がない。

「・・・ごめん」
悠理も立ち止まり、彼に背を向けたまま、謝った。
足音がふたたび、悠理を追ってきた。
悠理は安堵して歩きはじめる。

「あたい、おかしいよな。魅録のことも可憐のことも大好きなのに。ふたりが 幸せになることが嬉しいのに。なんでさっきから文句ばっか」
うつむいて、自嘲気味に笑った。

背後から、小さなため息。

「・・・ちゃんと、告白しなかったからですよ。だから、諦めきれないんです」

その友人の言葉で、悠理は歩道から足を滑らせた。
「おわっ」
転びかけた悠理の体を、大きな腕が苦もなく支えてくれる。
まるで、予想していたかのように、自然に差し出された手。
ああそうか、と悠理は思う。
いつの頃からか。
うるさく言わなくなったかわりに、いつでも清四郎はこうして悠理を支えてくれるのだ。

悠理は清四郎の手に背を支えられたまま、彼を見上げた。

「いつから・・・?」
「ずっと前から」

清四郎は穏やかな笑みを浮かべていた。
哀しくなるくらい、それは優しい笑みだった。



********




いつから、魅録に恋してたのかなんて、悠理にはわからない。
誰よりも、気が合った。一緒にいるだけで、楽しかった。嬉しかった。
それは、14の秋に出会ったときから、ずっと。
「あたいの方が、可憐より先に会ったんだ・・・たった半年だけど」
悠理は清四郎の腕に身を預けたまま、つぶやいた。
「そうですね。だけど、魅録と可憐が付き合いはじめたのは、大学に入ってからですよ。 おまえが、高校時代に自分の気持ちを打ち明けていれば、魅録だって意識したかもしれない」
「だって!」
悠理は叫んだ。
「だって、気づかなかったんだ!」

ずっと隣にいた。一番近くにいて、はしゃぎまわった。まるで、兄弟のように。親友のように。
魅録の前で、自分が女なのだと意識したことなどなかった。
だから、気づかなかった。
恋をしていたことに。

清四郎の表情が、わずかに揺らいだ。
「気づいて・・・なかったんですか」
悠理は賢明な友の顔を見上げる。
「清四郎は、わかってたんだ?」
悠理自身が知らなかった想いを。
彼は苦笑し、同じ言葉を繰り返す。

「ずっと前から」



********




もう、魅録の隣は悠理の指定席ではない。
彼に恋人ができてから、四年も経つ。
とうに、慣れたはず。
それなのに、いまになってこんなに淋しいのは、どこかでずっと思っていたから。
”バーカ”
そう言って、くしゃくしゃ悠理の髪を掻き回す癖。
抱きつけばわかる、骨張った意外に細い背も。
いつだって、悠理が訪ねて行けば、あの部屋で大好きな彼が迎えてくれる。
変わらない笑顔で。

初めて、涙が滲んだ。
「・・・もう、あの家に行けないね」

遠い南の島で、彼が恋に落ちたときも。
可憐と付き合いはじめたと、照れた顔で打ち明けられたときも。
こんなに胸が痛まなかった。だから、気づかなかった。

「そんなことを言ったら、時宗さんが悲しみますよ。悠理のことを自分の 娘みたいに思ってるんだから」
悠理はクスリと思い出し笑い。
「おっちゃん、酔っ払うと”悠理くん、嫁に来いー!”って叫ぶんだ。そんでもって、 父ちゃんが、”おめにはやらねーだ!千秋ちゃん一筋じゃなかっただかー!”って 怒鳴り返すんだ」
いつも、酔っ払い親父二人をもてあまし。
魅録と顔を見合わせて笑った。
「父ちゃんもおっちゃんも、バカだよなー・・・」
笑いながら、涙があふれた。
悠理の頬から零れ落ちたそれは、清四郎の腕を濡らした。

「・・・思いきり、泣いたほうがいい」
清四郎が悠理の体を自分のコートで覆う。
まるで、包み込むように。守るように。
だけど、悠理を傷つけるのは、自分の内側にある感情。

恋に気づかなかったから、泣けなかった。
気づいてしまったら、もう堪えられない。
こみ上げてくる激情。
喪失感。
彼しか見えなかったのに。彼のそばに居たかっただけなのに。
もう悠理の居場所は、魅録の隣にはないのだ。
彼のアドレスは決して消せないのに。

「・・・うー・・・」
奥歯を噛み締め、耐えていたのは最初だけ。
声を上げて泣いた。
清四郎の胸に取り縋って。
鳴咽を堪えることさえ、できなかった。
魅録とは違う、広い胸。筋肉質の強い腕。
黙って抱きしめてくれる友人に感謝しながら、彼ではないことが、悲しかった。

ピンク色の透ける髪。
煙草の香り。
小さな仕草も、彼を構成するすべてが好きだった。

思い出が多すぎて、忘れることなんてできない。
これからも、友人で居続けなければいけないのに。



********




――――よくがんばりました。

かつての家庭教師の口調で、清四郎は言った。
「それでも、悠理は皆の前では、笑ってましたよね」
清四郎がゆっくりと背を撫でてくれる。
「嫌な顔もせず、二人を祝福して。つらかったに違いないのに」

悠理を落ち着かせる声。温かな大きな手。
慣れた男の匂い。

清四郎はいつもそばに居てくれる。
いつの頃からか、悠理がそうと意識しないくらい、自然に。
清四郎はいつも悠理の前か、後を歩く。
趣味も違う。話が合うわけでもない。
だけど、いつでも悠理を支え助けてくれるのは、この腕だ。
腐れ縁、幼なじみ。
言葉にすれば、そんな関係に過ぎないけれど。

魅録とはいつも、隣あって歩いた。
肩をぶつけあい、笑いあい。
彼の歩調にあわせ、悠理も精一杯の大股で。

先程、店を出たときに見送った恋人たちを思い浮かべた。
遠ざかる、黒いジャケット。寄り添うタイトなコート。
魅録は可憐の歩調に合わせて歩く。
身を寄せ肩を抱く以前から、それはずっと。

悠理がたとえ告白していたとしても、魅録を戸惑わせた だけだろう。
彼が悠理を女として見た事はないだろうから。
悠理が、女として見られたくはなかったから。

自分が、恋なんてするとは思わなかった。
親友のまま、ずっとそばに居られると思っていた。

胸に空いた空洞。
失った恋の傷跡。
清四郎は悠理の痛みを癒すように、ゆっくりと背を撫でてくれた。
嗚咽はもう止まっていた。
涙だけが止まるはずもなく流れた。
忘れられるはずもないけれど、ほんの少しだけ心が軽くなった気がした。



********




清四郎に甘えている自覚はあった。
ふたりきりになるなり、愚痴をぶつけ、泣きわめき。
それを許してくれる彼に感謝した。
清四郎の前だから、泣くことができたのだ。

悠理は友人を見上げた。
長い付き合いだけれど、彼がこんな優しさを持っていることを知らなかった。
いつも理性的で冷静なこの男には、情に欠けるところがあるとさえ 思っていたから。

「清四郎は、恋したことある?」
悠理の問いかけに、清四郎はふいをつかれたように目を見開いた。

ふと、悠理の脳裏に小柄な幼なじみの面影がよぎった。
いつも、清四郎の隣にいたのは彼女だった。悠理ではない。
清四郎は野梨子の歩調にあわせる。魅録が可憐にそうするように。
はるか昔から、ずっと。

清四郎は小さくため息をついた。
「・・・ええ」
「恋・・・してる?」
「ええ、悠理」
はっきりとそう言った清四郎の目には、強い意志の光。
黒い瞳には、彼の恋が宿っている。
深くて広くて、優しい想い。
「野梨子?」
そう問いかけると、その目は細められた。
笑みの形を作った唇は、否定の言葉をつむぐ。
「・・・いいえ。違います」

小さな安堵が胸に灯る。
まだ、この胸に懐いてもいいのだと。
真実か否かなんてどうでも良かった。
我がままな独占欲。
自分の醜さに辟易し、悠理はぎゅ、と清四郎の胸に顔を埋めた。
こうして抱きしめてくれるのが魅録だったら、と思っているくせに。

「あたい、絶対おまえの味方するからな!」
顔を埋めたまま、悠理は告げた。
「・・・。」
清四郎が小さく笑う気配。
「泣きたくなったら、言えよな!」
そんなことしか、できないだろうけど。
この男が、泣くなんて思えないけど。
「・・・そのときは、頼みますよ」
だけど、清四郎はそう答えた。
感情の滲んだ声だった。

春だとはいえ、まだ夜更けになれば肌寒い。
だけど、悠理の体は温かだった。
清四郎がコートに包み込んでくれている。
冷たかった心も、小さな灯が暖めてくれる。

清四郎の肩越しに夜空を見上げた。
涙で滲んだ空には、星がよく見えない。

「いつか、忘れられますよ」
清四郎の慰めの言葉は嬉しいけれど。
「そっかな・・・そうだよな」
だけど、どうすれば忘れられるかなんてわからない。
自然に生まれた想いだから、自然に消えてゆくのだろうか。
星が森に帰るように。
夜明けの月が、消えるように。

「悠理、あいつを忘れたら・・・いつか」
清四郎の腕に力がこもった。
少し苦しいくらいに。
わずかに声が震えているのは寒さのせいか。
悠理はもう寒くなんてないのに。

悠理は問い返す。
「いつか?」
誰かを愛してる清四郎の胸が、とくんと鳴った。
愛しい、愛しい――――と。清四郎の鼓動が泣いている。

「・・・いえ・・・」
清四郎は何かを言いかけて、やめた。
悠理にだってわかる。
彼もまた、叶わない想いに苦しんでいるのだと。

「自然に隣を歩ける相手を、好きになれれば良かったんですけどね」
野梨子のことだと、思った。
誰が見てもお似合いだと思う二人なのに、恋をしたのは別の相手。
「振り向くはずもない相手なのに・・・追いかけてしまう」

切なかった。
いつだって冷静で落ち着いたこの男が、泣いているようで。
その目に涙は見えなかったけれど、苦しい想いは映っていた。
消えそうな夜空の星の代わりに。

「・・・忘れられると、いいね」
「僕は、忘れません・・・・諦めません」

悠理はコートの中で清四郎の背に手を回し、ぎゅっと抱きしめる。
清四郎も凍えているなら、暖めてあげたいと思った。
幸せな恋を、と願った。



********




しばらく、そうやって抱き合っていた。
たぶん、同じ痛みを抱えて。

まだ、涙は乾かない。
つらいのは自分だけじゃないとわかっても、なお。

「・・・清四郎は、強いね」
「まだ、振られたわけじゃありませんし。振られても、諦めません」
そう言った清四郎は、いつもの彼で。
自信に満ちて、頼れる友人。
「おまえを振るなんて、すごい女だな。泣きたいときは、あたいに言えよ」
本気で言ったのに。
悠理の言葉に、清四郎は少し笑った。

いつか。
いつの日か。

もう一度、恋ができるなら。
誰かを、愛せるなら。

星が森へ帰るように、自然に帰りたい。
あいつを忘れられる勇気をくれる、誰かの胸に。











2005.3.16

タイトルも内容も、プリンセスプリンセスの「M」より拝借。
私のカラオケ十八番はプリプリでして。(←世代)でも「ダイアモンド」とか「ジャングルプリンセス」とかアップテンポの曲しか歌ったことがありませんでした。 のに、先日会社の飲み会で「M」を無理やり入れられ、歌わされたんですよね。そして、初めて歌いながら、泣きそうになりました。 この歌って、まんま悠→魅じゃんかー!って。(爆) 瞬時に妄想を展開し、マジで涙ぐんでしまいました。(注:会社の飲み会最中に)お馬鹿や・・・あまりにもお馬鹿や・・・。いつものことだけど。
でも、なんか悠理ちゃんよか、清四郎の方が切なくなってしまったかも。

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