ローテーブルに広げられた菓子類の残骸を片付ける。 ベッドにもたれてフローリングの床に座った清四郎は、自分の水割りを書類鞄の横に置いた。 「なんだよー、まだ仕事あんの?」 ノートPCを開けた清四郎に、悠理は口を尖らせる。 「しかたないでしょ、新入社員は忙しいんです」 「だれが新人だよ。おまえの部署って、兄ちゃんとこだろ?ガッコんときからやってたじゃん」 「さすがに学生のお遊びのようにはいきません。責任がありますからね」 本当は、帰宅後は仕事などするつもりはなく、すぐにベッドに入るつもりだったのだが。 その清四郎のセミダブルのベッドには、すっかりお泊り体勢の悠理がすでにもぐり込んでいた。 清四郎のパジャマを着込んだ悠理がベッドから身を起こす。 「このベッドなら一緒に寝られるよ?」 これで、男を誘っているつもりがさらさらないのだから、困りものだ。 お互いの部屋に泊まるのなんて、昔からしばしばあった。 仲間内での雑魚寝もしょっちゅう。悠理は清四郎だけでなく、美童や魅録とだって平気で眠っていた。 「おまえ、この前もろくに寝なかったじゃん。ヤだったら、今日はあたいが床に寝るよ」 「気を遣うなんて、らしくないですね」 そう言うと、肩にゴツンと顎を乗せられた。 「今夜はちょっと寒いだろ。あたい、おコタ代わりしてやるよ。おまえ昔っからヒトのことペット扱い してたじゃん」 「おまえの寝相は知ってますけどね」 悠理は上体を預けるように清四郎の背に懐く。 悠理の頭の重み。 首筋で感じる柔らかな頬。香る髪の感触。 「・・・重い」 「いーじゃん」 肩の上で、悠理があくびをした。 清四郎は部屋の灯りを抑える。 「もう、寝ろ」 「ん」 ぞんざいな言い方をしたことを悔いた。 これでは、悠理を混乱させてしまう。 彼の身代わりになる気などないのに。 寝惚け眼で布団にもぐり込みながらも、悠理は清四郎の背に額を押し付ける。 手にしっかり清四郎のシャツをつかんでいる。 寒いのは悠理。ぬくもりを欲しがっているのも。 そんなことはわかっている。 本当に、悠理が求めているのは何かということも。 以前はこんなふうに清四郎に身を寄せたりはしなかった。 こんなふうに甘えるのは、以前ならば彼にだけ。 悠理の恋した彼にだけ。 魅録の身代わりをする気など、なかったのに。 机の上の手元を照らす液晶画面が、暗い部屋の中に浮かび上がらせる。 清四郎の歪んだ笑いを。 惨めな片恋を。 なるほど、悠理はもっとも安全な男の腕の中に逃げ込んだのだ。 長年の友人であり、彼女の恋を知る男。 決して悠理に触れず、傷つけない。 心にも体にも。 背後からは悠理の寝息が聞こえる。 全幅の信頼。 そうさせたのは、清四郎自身だ。 「・・・僕は、馬鹿だな」 小さく呟く。 たったひとりの、愛する女。 決して、手を出せない女。 傷ついた動物が息をひそめて癒そうとするように、悠理は身を丸める。 悲しみの深さなら、負けている気がする。 涙を見せたのは、ただ一度だけ。 清四郎の腕の中で、悲痛な嗚咽を洩らし泣きじゃくった。 ――――忘れてしまえ。 祈るような気持ちで、彼女を抱きしめた。 だけど、言えなかった。 ――――僕が忘れさせてやる。 告げることができなかった言葉。 ――――ちゃんと、告白しなかったからですよ。だから、諦めきれないんです。 そう悠理には言ったものの、清四郎はただ静観し続けていた。 ちゃんと告白しないのは、彼も同じ。 告白して、諦めるなんてできない。 悠理を見つめてきた。ずっと他の男を愛している彼女を。 悠理の傷が癒えることを心から願いながら、どこかで希望を持つ自分がいる。 いつか。いつの日か。 彼女が彼を忘れたら。 暗い切望。 卑怯者だとそしる声が自分の内側から聞こえてくる。 液晶の画面の眩しさが目を焼いた。 額を押さえ、うつむく。 清四郎は笑っていた。声さえ立てずに。 卑怯でも、望むことをやめられない。 いつの日か、と。 叶わないものならば、いっそ忘れたいのに。 忘れられない。 彼女でないとだめなのだ。 だから、彼は待ち続けている。 名を呼ばれた気がして、清四郎は伏せていた顔を上げた。 「・・・・ぅ・・」 悠理の身じろぎ。小さな声が漏れる。 まだ、彼のシャツをつかんだまま、悠理がなにか呟いた。 悠理の目尻を転がり落ちる涙の滴。 「悠理・・・?」 あれ以来、彼女は涙を見せなかった。起きているときには決して。 だから、悠理自身は知らないのだろう。 こうして眠りながら流す涙を。 どんな夢を見ているのか、想像することしかできない。 夢の中までは、抱きしめることはできない。 「・・・ろう」 悠理の呟きに、ドキンと胸を衝かれた。 ”清四郎”と呼ばれた気がして。 零れる涙。 シャツをつかむ悠理の指を自分の指で解く。 そのまま、指をからめ、小さな白い手を包み込む。 悠理は目覚めない。 だけど、きゅ、と手を握り返し、微笑んだ。 やわらかな、儚い笑み。 誰に向けた笑みなのか。 胸の痛くなる笑みだった。 もしも――――。 崩れそうな理性。 信じたくなる。彼女が呼んだのは、自分の名なのだと。 悠理は弱っている。だれかに、すがらずにはいられないほど。 新しい恋は、傷ついた彼女を癒すことができるかもしれない。 いまの彼女は抗えないはず。 このまま、心のままに抱きしめ、悠理を自分のものにすれば―――― 激しい衝動が清四郎の胸を焼いた。 「悠理・・・僕を呼んだのか?」 声が、震えた。 悠理の手を握る指も、震えている。 眠る人の頬にそっと触れた唇も。 愛しい、愛しい女。 初めて触れた彼女の頬は、涙の味がした。 だけど、心のどこかではわかっていた。 彼女は語尾をはっきりと発音しない。 ”せいしろう”ではなく、”せいしろぉ” 悠理が呟いた名は、結局、”みろく”だったのかもしれない。 いつでも、一途に彼の名を呼んだ。彼だけを見つめていた。 そう、わかっていた。 悠理は魅録を忘れない。 忘れられるわけはない。 魅録はずっと彼女の親友だった。これからも、きっと。 十年にも渡る初恋。もう悠理の一部になっているほどの、長い恋。 そして、清四郎自身にとっても。 叶わない想いでも、捨てることができない。 彼女でなければ、独りの方がマシだ。 悠理が魅録でないとだめなように。 「ん・・・」 悠理が清四郎の胸に顔をすりつけた。 それで気づかされる。無意識のうちに彼女を抱きしめていたことに。 ベッドの中。彼のパジャマを着た腕の中の悠理。 想いを抑えることには慣れている。 ――――清四郎、恋してる? 「・・・ええ、悠理」 そう問われ、頷いたけれど。 ――――いつか。いつの日か。 それだけしか言えなかった。 壊れ物のように彼女を抱きしめ。 これ以上動けない。 ”愛してる”とは、言えない。 いま悠理に告げれば、追いつめてしまう。 逃げ道を奪ってしまう。 もう、悠理は泣くことができなくなる。 清四郎の前で、二度と。 傷つき弱っている彼女に必要なのは、ただぬくもりだけだった。 そして、彼自身にとっても。 許されるならば、抱きしめていたいだけ。 待ち続けたいだけ。いつか彼女の痛みが消える日を。 眠っている彼女にすら、想いを告げられず。 ただ、抱きしめる夜。 無傷な朝を願う―――― 一途な夜。 |
「星が森へ帰るように」の続編です。続かない方が、清四郎くんはいい男のままでいられたのですが。
他のSSを久保田利伸聴きながら書いてたら、無性に書きたくなりまして。「Missing」が大好きなんですが、
あれは清×悠っぽい歌詩じゃないしなぁ。”出会いがもっと早ければと”
って、4歳で出会ってんだから、それ以上はムリってもんです。(笑)
で、「一途な夜、無傷な朝」です。