前編
四駆の助手席で、ほろ酔い気分の悠理は上機嫌だった。
「どうせだったら、ノブにはバイクに乗せてもらいたかったなー。いっぺん
ツーリングにつきあってよ」
「だめでしょ、悠理さん。事故ってバイク廃車にしちまって、乗るの禁止されてるって、
魅録さんから聞いてますよ」
運転席にはプロの二輪レーサー。
もともと魅録の友人の彼を、発掘しデビューさせたのは、悠理自身だ。
今日は、剣菱のバックアップしているレーシングチームの壮行会だった。
悠理も野生の勘と決断力で、たまには仕事をこなすこともある。
主に、得意ジャンルに限られるとはいえ。
悠理の見立てに狂いはなかった。下戸のため一滴も酒を飲まなかったため、今こうして
悠理を送って行く役目をこなしている彼は、おそらく一流のレーサーになるだろう。
「ちぇ、魅録のおしゃべり。あたいは怪我なんかしてやしないのにさ。”メットは被れ”だの
”100キロ以上出すな”だの”山攻めはするな”だの”ひとりで走るな”だの、魅録もアイツも
うるさくって!」
悠理はふてくされて頭の後ろで手を組み、背もたれに体を預けた。
「あたりまえっすよ。あ、シートベルト、ちゃんと着けてくださいよ」
「もう、おまえもうるさいな。アイツみてー」
悠理は少し酔った目の下を赤くしながらも、シートベルトを着用した。
「アイツって、ひょっとして、清四郎さんですか?」
「あれ、おまえ、会ったことあったっけ?」
「ええ、魅録さんといつもの店で飲んでるとき、何度か御一緒させていただいたことがあります。
自分らが騒いでるときも、静かに飲んでるだけでしたけどね」
「ふぅん、知らなかった。あの野郎、あたいに黙って魅録と飲んでたりするんだ」
悠理は拗ねた口調でブーイング。
「よく、悠理さんの話も出ますよ」
「げっ、アイツろくなこと言ってないだろー」
ノブは前方を見たまま、苦笑した。否定をしないところをみると、その通りなんだろう。
「魅録さんも、あの人も、すげーカッコイイですよね。悠理さんの周りにはイイ男ばかりだ」
「そっかぁ?」
「魅録さんなんて、公道じゃ伝説的存在ですもん。マジで走ったら、オレよかテクあるっすよ。
あの清四郎さんも、見るからに賢そうでなんか人種が違うってカンジなのに、以前オレらが酔っ払いにからまれた
とき、あの人がちょっと動いただけで、大の男二人がもんどりうって一回転しましたもんね」
「あー、アイツはな、武道やってっから」
ノブは上目遣いに、悠理を見つめた。
「あの・・・どちらかが、悠理さんの恋人なんですか?」
「・・・まさか」
悠理は大きく息を吐いた。
「おまえ、アイツらがあたいの話してるの聞いたんだろ?アイツら、あたいのこと女なんて思ってや
しねーよ。清四郎なんて、バカだの犬だの、もう昔から酷いあつかいなんだぜ」
子供のように唇を尖らせた悠理に、ノブはまた笑った。
そのまま話が途切れ、しばらく無言のまま夜の街を車は走る。
二輪とはいえ、プロドライバーだ。完璧なテクニック。
「あ、ここ曲がって。そしたらもうすぐで家だから」
最近引っ越したばかりの新居。悠理も注意していないと、指示する道を間違えそうになる。
「9時までに帰らなくちゃいけないって、誰か待っているんすか?」
ノブは軽い口調で聞いてきた。
「いや、今夜9時頃、外国に住んでてめったに会えないダチが家に来るんだよ。そんで」
「へぇ・・・そのダチって、男性っすか?」
「うん、一応」
悠理は懐かしい友人の顔を思い浮かべる。
「一応って」
車は止まった。
悠理の指示した玄関前。
「サンキュ、ノブ。助かったよ」
ノブはハンドルに身を預けたまま、悠理に顔を向ける。
「あの・・・悠理さん」
「ん?」
「実は、オレ・・・身のほど知らずって言われるかもしれないけど」
「なに言ってんだ?おまえ、もう立派なプロで、チームの一員だぞ。絶対今度のレースで結果出すって!」
なにやらモジモジ顔を赤らめ、ノブは首を振った。
「いや、そっちじゃなくて・・・オレ、オレ、前から悠理さんのことを・・・」
しかし、ノブは言葉を続けることはなかった。
目を見開き、あっけにとられた表情で、悠理の背後を見つめている。
「ん?」
悠理はノブの視線を追って、振り返った。
車の窓の外に見える玄関。
そこに仁王立ちしている男。
彼は大股に車に近づき、助手席の窓を拳でコンコンと叩いた。
「・・・おかえり」
「わ、清四郎」
清四郎の眉は思い切りしかめられている。
思わず悠理は腕時計を確認した。まだ8時。
「なんだよ、まだ美童が来る時間じゃねーじゃんか。なに恐い顔してんだよ」
悠理はぶつぶつ言いながら車を降りる。
清四郎は、無言で悠理の荷物を手に取り、まだ車の中を睨みつけていた。
「・・・君、ノブくんでしたね。悠理を送ってくれてありがとう」
言葉は礼儀正しいが、表情が裏切っている。
「い、いえ」
蒼白な顔で、ノブは首を振った。
清四郎は悠理の肩を抱いて、家に誘った。
「お茶でも飲んで行きますか?」
ノブはぶんぶん首を振る。
清四郎の眼光はただ事ではない。
本能的に危険を察知し、彼は悠理に告白するよりも、逃走の道を選んだ。
挨拶もそこそこに、車はプロドライバーがアクセルを踏みきったスピードで、瞬く間に
視界から消えていった。
*****
悠理が仲間以外の男と出かけると、清四郎はひどく機嫌が悪くなる。
悠理はとうにそのことに気づいていた。
一人前にヤキモチを妬いている様子なのが、なかばくすぐったく、なかば腹だたしかった。
”恋人など、いらない”
悠理が清四郎への想いに気づいたそのとき、そう言ったのは清四郎なのだ。
清四郎に抱かれた肩を振り切って、悠理は玄関に乱暴に靴を脱ぎ捨てた。
ここは、清四郎が悠理と暮らすために手に入れた一戸建てだった。
二階まで吹き抜けの広々とした玄関を入って目の前が、20畳以上ある広いリビング。
思いきり採光を取られた広い窓の外には、芝生の庭。
間取り的には3LDKだが、建築士が凝りに凝って作った家だ。
廊下などなく、吹き抜けのリビングから直接二階に上がる階段の上には、一見ロフト風の
作りに見える空間に、ベッドルームが二部屋。一階にはゲストルームも兼ねて畳の間もある。
しかし、まだこの家に来客が泊まったことはない。主に清四郎が座禅を組む部屋になっている。
「まだ美童が来るまで時間あるだろ。あたい、風呂入ってくる」
悠理は広い総桧の浴室に入った。
ひとりになって、悠理はまた大きなため息をついた。
そう、ノブに言ったことは嘘ではない。
清四郎は悠理の恋人でもなんでもなかった。
ふたりが同居をはじめて、一ヶ月。
表向きはルームメイト。しかし、実態はペットと主人。
”悠理は犬かと思ってたけど、猫だったんですな”
前のようには無邪気に甘えられない。だけど、そばにいたい。
そんな悠理の想いが、相反する行動を生む。
以前のように擦り寄ってみたり、かまわれるのを拒否して身を離したり。
”猫”とは、それに対して清四郎の漏らした感想だった。
「清四郎の、お馬鹿」
悠理は浴槽にぶくぶく身を沈める。
”恋愛なんて出来ない”
そう清四郎は思い込んでいる。
だけど、独占欲は人一倍。そのために、恋もしていない悠理に、プロポーズまでした清四郎だ。
”おまえも僕と同じで、恋愛に縁のない人間だから”
と言われ、
”あたいだって、恋くらいするよ”
と、指輪は突っ返した。
清四郎はなんと、あのときの指輪を可憐の店に返品したらしい。
実際は返金はなく、預かりになっているだけらしいが。
後日、可憐が血相変えて怒り狂っていた。
また清四郎に殴りかかったらしいが、一度は決まった可憐の平手打ちも、清四郎はあっさり避けたそうだ。
そういうときには黙って殴られてやるものだが、そんな分別のある男ではない。
憤慨した可憐に、引越しパーティの際、あんたたち何考えてるのよー!と怒鳴られた。
だって、悠理は受け取れなかった。
清四郎に恋していることに、気づいてしまったから。
あの鈍感で恋愛音痴で、そのくせ嫉妬深い、最低の男に。
*****
長風呂で、少しのぼせてしまった。
風呂から出て、パジャマを着る。来客とはいっても、身内同然。
どうせ朝まで飲み明かすか、雑魚寝だ。着飾って出迎える相手ではない。
風呂の引き戸を開けると、居間ではすでに金髪の友人が晴れやかな笑顔を振りまいていた。
「悠理ぃ!」
久しぶりに会った美童は、準備していた大きな花束を、悠理に差し出した。
「同棲おめでとう!」
大輪の花束は、すべてピンクの薔薇。
それは、以前清四郎に贈られたものと、同じ花。
もっとも、花屋の若奥さんにもらった一輪を渡されただけなのだが。
「・・・バーカ」
悠理は苦笑して花束を受け取った。
”同棲”の言葉に赤面して美童を殴りつけるほど、もう悠理も子供ではない。
これまでも、散々揶揄されてきたのだ。
花束をリビングのカウンターに乗せる。
美童は夕食を終えてやってきたようで、テーブル上に清四郎が用意しているのは
酒のつまみばかりだった。
低いソファに座っていた清四郎が、ポンポンと自分の前の床を示した。
悠理はいつものように、清四郎の足元に腰を下ろす。
清四郎が取り出したのは、ドライヤーだった。
後ろから悠理の濡れた髪を、温風で乾かしはじめた。
広いリビング、皿の並んだテーブルからは距離がある。
それなのに、美童はあっけにとられたような表情でふたりを見つめていた。
「いつも・・・そうやってるの?」
呆れたような口調に、悠理は首を傾げる。
一緒に暮らすようになる前からの習慣だ。
飼い犬の毛づくろいは自分の仕事だと言わんばかりの清四郎に、悠理は慣れてしまっている。
「そういや、あたいは風邪なんかひかないのにな」
背後の男を見上げると、温風の向こうで清四郎は首を振った。
「悠理はよく拭かないびしょ濡れ頭のままベッドに入るので、枕や布団が濡れて困るからです」
納得。
この家には悠理の寝室もあるが、マンションの頃は週末訪れるたびに清四郎のベッドを強奪していた
悠理だ。その頃に始まった習慣。
当人達からすれば色気も素っ気もない話なのだが、傍らの友人はあらぬことを妄想したようだ。
「ごちそうさま♪」
美童はニヤニヤ笑った。
「なにを誤解しているかは、想像つきますがね」
ドライヤーを使いながら、清四郎は美童をちろんと半眼でにらむ。
「僕と悠理はただのルームメイトなんですよ」
悠理もうんうん肯いた。
「はい?」
美童が目を丸くする。
「なんですと?」
清四郎はドライヤーを止めた。
美童に顔を向け、苦笑する。
「僕も悠理も恋愛には不向きなタイプなんでね。共同生活ってやつですな」
美童はポカンと口を開けた。
恋愛こそ人生、と昔から公言して憚らない美童だ。
まるっきり理解不能、と顔面には大書きされてあった。
「だ、だって・・・悠理はずっと・・・あれ?清四郎だって・・・」
美童は両手の人差し指を交差させる。青い目が、寄り目になっている。
悠理は小さくため息をついた。
「なーにが共同生活だよ。ひとを犬猫あつかいしてるくせにさ」
「人聞きの悪い。ちゃんと大事にしてますよ」
清四郎は悠理の乾いた髪を撫でる。
悠理は口を尖らせて、清四郎から目をそらせた。
でも、彼の手を振りほどけない。
それが、どうしてなのかもうわかっている。
不毛な恋。
自覚してから、どんどんつらくなる。こんな清四郎の無神経さが。
唖然と口を開いていた美童が、わなわな震え出した。
なにやら、怒っている様子だ。
「み・・・魅録のやつぅ・・・」
歯ぎしりとともに、美童は親友の名を吐き捨てた。
「魅録がどうしたんですか?美童」
清四郎が金髪の友人に、怪訝な顔を向ける。
美童はキッと青い目を清四郎に向けた。
「まぁぁぁぁったく、信じられないよ!おまえがここまで馬鹿だとは思わなかった!」
突然の非難に、清四郎は目を見開く。
悠理と違い、彼は他人に馬鹿呼ばわりされることに慣れていない。
「魅録も魅録だ!あいつが、口出しすんな、って言うから僕は静観してたのに。
久しぶりに帰国してみたら、あんまりあいかわらず馬鹿やってるんで、我が目を疑ったよ!」
「び、美童?」
美童の剣幕に、悠理も気おされる。
「魅録だけじゃない。野梨子はしかたないとしても、可憐はなにやってたのさ!?」
美童の怒りの矛先は、今度は可憐に移った。
「僕がいない間は、この手のことはあいつがフォローすべきだろ!」
この場にいない友人に対して、美童はプンプン怒っている。
もしも可憐がこの場にいたら――――「あたしだって、清四郎をぶん殴ったり、プロポーズけしかけたり、
精一杯やったんだからね!」と反論したことだろう。
しかし、当家の住人ふたり、悠理と清四郎はわけがわからず顔を見合わせるばかりだった。
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はい、「天使のウインク」→「そして僕は途方に暮れる」→「瞳はダイアモンド」の続きでございます。
けっして「ら・ら・ら」の馬鹿夫婦シリーズではございませぬ。(笑)
あちらは双方無自覚なのでギャグですが、こちらは悠理ちゃんが自覚しているため、どうしたことかシリアス部屋。
やってるこたぁ大差ないのになー。こっちはプラトニックですが。
さて鈍感清四郎くんに槇原ソングのごとく落ち込ませてやろうとタイトルをつけたのですが、どうなることやら。
当初意図していた方向にはまったく動いておりません。悠理ちゃんもこんな男よせばいいのに、出て行く気配なし。
やはり冒頭の対抗馬を”ノブ”にしたのがまずかったか。”タクミ”にすりゃー、しっかり送り狼化してさらって逃げて
くれただろうに。(爆)