もう恋なんてしない




中編


突然、美童の携帯が音を立てた。
握り拳でなにやら怒っていた美童の表情がパッと変わった。
「ハーイ、僕だよ〜」
甘い声。とろけるような笑み。
その顔で、電話の相手が知れるというもの。
「うん、僕もトモコさんに会いたいよぉ、もちろん」
通話相手には見えないだろうに、美童は惜しげもなく思わせぶりな流し目と笑みを振りまいている。

久しぶりの友人のあまりにあいかわらずな姿に、悠理と清四郎は顔を見合わせて吹きだした。
「美童は変わんねぇよなぁ」
「死ぬまで治りませんな」

その声が電話の向こうにも届いたのか。
「えっ、ゆ、友人の家だよ!男の!」
美童があわて出した。
受話器を押さえ、キッと悠理をにらむ。
「なんだよぉ、あたいの家だぞ。しゃべっちゃいけないのかよ」
プウ、とふくれる悠理にかまわず、美童は清四郎を片手で拝む。
「悪い、清四郎!ちょっと代わって」
「は?僕がですか?」
無理矢理美童に携帯を投げ渡され、清四郎は眉を下げた。
携帯からは、甲高い女の声が洩れ出ている。
日頃の美童の素行を少しでも察しているなら、女が疑うのも当然だろう。

「あー・・・はじめまして。美童の友人です」
苦虫を噛み潰した顔で、清四郎は電話に出た。
携帯の向こうのキーキー声が効果覿面、沈静化する。
「ええ、美童は今夜は泊まって行くはずですよ。ご心配なく」
清四郎はよそいきの声で、静かに応対している。
横目で、この貸しは高いぞと言わんばかりに美童をにらみながら。
「え?さっきの声・・・ですか?」
清四郎の眉がまた下がった。
女は聞こえてきた悠理の声にやはりこだわっているらしい。
一瞬、悠理に電話を回そうとした清四郎だが、美童があわてて腕でバツ印を作った。
悠理が出て友人だと言っても、疑いは晴れるはずはない。
美童に惚れる女は、世の女すべてが彼に夢中になると信じているのだ。 それを信じさせる美童が見事なのだが。
「ええ、彼女も美童とは古い友人ですよ。いえ、そうではなく」
正直に話してどうするよっ、と美童が身悶えする。口の前で手を開け閉め。 ”適当に話しろ”とのボディランゲージ。
「そんな心配はありません。保証します。なぜって、それは彼女は僕の、その・・・」
清四郎は困った顔で悠理を見ながら言った。
「・・・妻ですから」
悠理はラッパ飲みしていた日本酒を吹きだした。
美童は小さく口笛。
しかし、美童は切れた携帯で、ゴツンと清四郎に殴られた。
「いい大人に、未成年のアリバイ電話みたいなことさせないで下さいよ」
未成年であるときにはそんな電話をしたこともない男が言った。
思春期のころから親にはともかく女にはそんな電話ばかりしてきた男は笑った。

「トモコさんって、情の深いひとでさ。僕もマジなんだ、今度ばかりは」
悠理が濡らした床を男二人が拭き掃除。
当の悠理は真っ赤な顔でふたたび日本酒をラッパ飲み。
「何人目のマジだよ、美童。おまえ帰国したばっかじゃん」
「悠理、そんな飲み方、体によくないよ」
「うっせい、あたいが酒に強いこと知ってるだろ」
日本酒を牛飲している悠理の横顔を美童は見つめた。
「・・・知ってるけどね」
いらえは、悠理の顔が染まっている理由の方だ。
美童はふわりと微笑んだ。
「何人でも、何度でも、恋っていいもんだよ」
さりげなく悠理の抱え込んでいる一升瓶を奪い、自分のグラスに注ぐ。
残っていた赤ワインと交ざりロゼ色になったグラスを悠理に掲げた。
「誰かのことを愛しいと思う気持ちは、僕を幸せにしてくれるよ」
恋多き男、美童は恋愛をゲームとして楽しみ、女に愛されることに喜びを感じているが、 一方で、自分もまた思いきり恋をすることを楽しんでいるのだ。いつだって。
「ふん、そんなもんかな」
悠理は興味なさそうに、美童に相づち打つ。
しかしその顔は、グラスの中身の酒よりも染まったまま。
「天国にいるような舞い上がった気分にもなれるし、地獄にも叩き落とされる。 悠理、そういうの得意だろ?ジェットコースター気分」
美童の言葉に、悠理は首をぶんぶん振った。
「・・・得意じゃない」
そう言って悠理はまた酒をあおった。



*****




「・・・めずらしいね、悠理が先につぶれるの」
悠理はこてんと寝入ってしまった。
「帰ってくる前にも打ち上げだとかで飲んでたみたいですからね」
清四郎はソファにもたれた悠理の体を引き寄せる。
悠理は素直に清四郎の膝に上体を預けた。
膝の上の悠理の髪を梳いている清四郎に、美童は複雑な視線を向ける。

「・・・なんで、結婚しないわけ?」
清四郎は唇を歪めた。
「・・・さっきは、僕らを試しましたね?」
清四郎に、妻だと言わせた。
そして、悠理の反応を見た。
美童ともあろうものが、女性を上手く言いくるめられないはずはないのだ。

清四郎は苦笑し、肩をすくめた。
「プロポーズしたんですが、断られたんですよ」
思いもしない返答に、美童は驚いて身を乗り出した。
「嘘っ」

「僕と悠理はそういうのじゃないんですよ」
「どこがだよ、その様で」
膝の上で眠る悠理の頭を撫でながらでは、清四郎の言葉にはなんの説得力もない。
「こうやって触れられるのだって、無意識のときだけですよ。起きてたら、 嫌がります」
それは本当だった。以前はよく無防備に抱き着いてきたり、身を寄せて眠ったりしていた 悠理だったが、今では意識的に避けてさえいる。
いつからそうなのか、清四郎ははっきり覚えていた。
結婚してくれと、悠理に言ったあの日からだ。

「・・・二階に、寝かせてきます」
清四郎は悠理を起こさないよう、そっと抱き上げた。
そのまま階下に美童を残し、階段を昇って二階の悠理の寝室に入った。
キングサイズのローベッドがさして広くない部屋の真ん中にある。
「・・ん・・せいしろ・・・?」
小さくつぶやかれたのは、意味のない寝言。
悠理に掛け布団を掛けてやり、清四郎は悠理の寝顔を見つめた。

悠理を失いたくなくて、自分だけのものにしたくて、強行したプロポーズ。
指輪はあえなく突っ返され、悠理はそれから身を強張らせるようになってしまった。

清四郎も健康な男だ。
男女が同じ屋根の下にくらしているこの状況を不自然に感じないわけではない。

眠る悠理の小さく息をつく桃色の唇に、そっと顔を寄せた。
ただ一度のキスは悠理の方からだった。
求婚を断られたあのときに。
結婚はしなくても、恋人にはならなくても、そばにいることは許されるのだと ――――清四郎はあのとき思った。
悠理はそれを望んでいるのだと。

不自然でも、始めることができたふたりの生活。
自分がなにが必要でなにを失えないのかは、もう知っている。

だから、起きているときは決してできない。
清四郎が男として悠理をもとめていることは、気づかせてはならない。
そっと触れた唇。
それは、悠理が眠っているときだけの秘密の行為。

昔から、悠理は無邪気に抱きついたり子犬のように懐いたり。
それは清四郎にだけじゃなく、魅録や美童にも。
十代の頃からのそんな毎日で、悠理を女と見ることは、清四郎にとって禁忌だった。
だから、欲望には蓋をする。
知られてしまえば彼女を失ってしまうと、清四郎は思っていた。
心にも蓋をする。
彼女をもとめる想いの、真実に。



*****




階段を降りて行くと、美童が先程と同じ物言いたげな目で 清四郎を見上げていた。
寝かせに行っただけにしては、時間が掛かり過ぎたとでも思われたのか。
清四郎は赤面しそうになる顔を友人の視線から背けた。

隣に座ると、美童は清四郎のグラスにワインを注ぎ足した。
美童の視線が横顔に痛い。
豊潤な色と香りを楽しむ余裕もなく、ワインを空けた。

「悠理は綺麗になったね。恋をしていると思わないか」
それは美童らしい、だけど清四郎が聞きたくもない、言葉。
「・・・馬鹿な」
笑おうとして、清四郎は失敗する。

『あたいだって、恋くらいできるよ』
かつて、そう言ったのは悠理自身だったから。

この友人の恋愛に関する慧眼には、清四郎も昔から一目置いている。
清四郎は空いたグラスをテーブルに置いた。

「正直、僕は恋愛というやつがよくわからないんです」
人に弱みを見せるのが嫌いな清四郎が、美童に吐いたのは弱音。
「悠理が恋をすれば・・・この家を出て行くんでしょうね」
清四郎が怖れていたのは、いつか悠理を失うこと。
悠理が誰かに恋をして、去って行くこと。

「いつまで、悠理を生殺しにする気だよ」
「え?」
「清四郎のことだから、どうせ悠理に他の男を近寄らせないようにしてるんだろう」
「そうもできません」
やっと、清四郎の顔に苦笑が浮かんだ。
「悠理も最近は剣菱の仕事で外に出ることもありますからね。今日だって、魅録の友人の青年に送られて 帰ってきましたが・・・彼は、悠理を好きらしい」
「ふぅん」
美童も皮肉な笑みを浮かべた。
「嫉妬はするんだ。なのに、恋愛がわからないって?まさか、まだ自分が恋愛できないって思ってる?」
美童の質問に、清四郎は肯いた。

胸の高鳴り。
乱高下する感情。
そんなものは知らない。

「盛り上がったり浮かれたりひどく落込んだり・・・恋だの愛だのに振りまわされて理性を 失うなんて、僕からすれば理解しかねますな」

あっけに取られた顔で、美童は清四郎の顔を見つめていた。
「・・・おまえ、やっぱり馬鹿だ」
美童は同情さえ滲んだ声で、罵倒した。
「悠理の気持ちが分かるわけないよな。自分の気持ちすらわからないんじゃ」
「自分の気持ち・・・ですか?」
わかっていると思う。
欲しいものはたったひとつ。それはもう、悠理に告げた。
おまえだけが欲しいと。
ずっと、そばにいて欲しいと。
恋じゃなくても、愛じゃなくてもいいから。

「おまえは身勝手な独占欲で悠理を拘束してる。このままだと、悠理は耐え切れなくなるよ」
清四郎は友人に顔を向ける。
男にすれば綺麗すぎる繊細な顔の中で、青く澄んだ瞳が射抜くように清四郎を見つめていた。
「悠理に対する僕の執着は自覚していますが。これは恋とやらじゃない」
「じゃ、なんなんだよ。まさか、妹みたいに思ってるから、抱きたいとは思わない?そんなわけないだろ。 あんな目で、悠理に触れているくせに」
自分の中の欲望を指摘され、清四郎はわずかに動揺した。
「悠理が他の男に恋しても平気なのか?そんなわけないだろ。悠理を身動きとれないほど、 縛りつけているくせに」
美童は清四郎の胸に人差し指を押し付けた。

「おまえは、悠理に恋してるんだよ」

言葉の矢。
清四郎の胸に、突き刺さる。

「いや、違う!」
清四郎は激しく首を振った。
たしかに、愛かも知れない。親愛、友愛、情愛。どんな言葉でもいい。
だけど、恋ではない。
悠理への気持ちを、そんな言葉で表現して欲しくない。

「”ジェットコースター”と言ったのはあなたですよ、美童。そんな乱高下する感情など僕は 持てそうにありません」
清四郎にとって、恋は一時の熱情。
浮ついた薄っぺらな言葉。
「大体、悠理への感情など、子供の頃から大して変わっちゃいない。もちろん親しくなるにつれ、 友情は深まりましたがね」
出会った最初から、清四郎の価値観を叩きのめした少女。いつでも、印象的で目の離せない悠理。

「子供の頃から?」
ふふん、と美童は清四郎を冷笑した。
しかし、その笑みはゆっくり温かいものに変わる。
「・・・じゃ、おまえ、子供の頃から悠理に恋してたんだよ」

清四郎の抵抗もここまでだった。
言葉よりも、美童の優しい青い目が、清四郎を絶句させた。

かたくなな、扉が開く。
どうしても、認められなかった想い。
男を意識しない彼女に懐かれた思春期の頃から。
そばにいるためには、押し殺すしかなかった。
認めてしまうと、悠理を失ってしまうと思っていた。

たしかに――――悠理は綺麗になっていた。
かつては見せなかった憂いを帯びた瞳。
無意識に、男を惹き付けるようにさえなって。

いつの頃からか、悠理が何を考えているのか清四郎にはわからなくなった。
触れようとするとするりとかわされる心。
彼の手の中にいた彼女は、いつの間にか無邪気な少女ではなくなっていた。
そのことに、清四郎は気づかされた。
押し殺し続けていた、自分の中の真実とともに。








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やっと清四郎ちゃん、自覚に至りました。鈍い・・・というより、我慢してたようです。しかし、 はじめて美童が役に立ちました。いつも気づくのは早いのに、清×悠の後押ししたことなかった 彼ですからねー。可憐ちゃんはもちろん、魅録くんもノブを焚き付けたり、それなりに膠着状態を なんとかしようと努力はしてたようです。(当て馬にもならず無意味でしたが。)
ところで、トモコさんとは美童スキーな人妻です。そう、わ・た・し♪(←最低)
さて、次回で幸せにできるでしょうか。後編で終わらなければ、どうしよう・・・。