飛ぶ夢はしばらく見ない



〜2〜



「これまでの例からいって、元に戻れないはずはありません」
あまりにあまりな経験を乗り越えてきたため、この非常事態においても、清四郎は冷静だった。
「せっかくの得がたい体験時間をパニックで費やしてしまったと、前回のときは後でちょっと後悔しましたからね」
清四郎はニヤリと笑う。
前回のとき。それは、ふたりの体と心が入替わってしまったときのことだ。
自分が耐え切れず無理やり元に戻ろうと、ホテルに連れ込んだ悠理に薬を盛るわ、縛り付けて拘束するわ、 と非道の限りを尽くしたくせに。清四郎はどうも女の体でのセックスにかなり未練があるらしい。
子供の顔に浮かんだ、見間違いようもない淫靡な笑みに、悠理は顔を赤らめた。
あのアブノーマルな体験は、悠理の方も金輪際ゴメンとは言いつつも、まぁ――――悪くはなかったと、喉元過ぎれば 思えないことはない。
が、しかし。
今の清四郎は少年体だ。いかに初恋の少年と似ていても(本人なのだが)、小学生と夫婦生活はしたくない。 というより、できないだろう。
”口と手だけで、おまえを満足させる”とかなんとか言われたものの、やはりそれだけはカンベン願いたい。

「けど、おまえその体でどうやって生活する気だよ」
夫婦生活だけでなく。社会生活も重要だ。
悠理の言葉に、清四郎は頷いた。
「どう考えても学校は無理ですねぇ。前期試験まではまだ間があるし、講義に少々出られなくてもさほど 問題はないので、まぁいいでしょう。仕事の方が困るかな」
清四郎は小さな手を胸元で組んだ。フム、とすべすべの顎を撫でる。
「だったら、ずっと家に居るの?」
思わず、悠理の声が上ずった。不安や怖れとは違う理由で。
「やむを得ません。ま、人前に出なければいけない式典は近々にはありませんし、会議はTV電話などでいくらでも誤魔化せます。どうせ ここのところデータを洗い直して事業計画の見直しにかかっていましたから、当分コンピュータ室で用は足りるでしょう」
映像と声の変換装置を魅録に頼むかな、と清四郎は結構楽しそうだ。

その清四郎を悠理は複雑な心境で見つめる。
デキちゃったわけでもないのに(一部の人間は誤解&期待していたものの)高校在学中にスピード結婚したのは、愛ゆえだったと 悠理も疑ってはいない。しかし、結婚して以来、清四郎は本格的に任されるようになった剣菱の事業に夢中だった。
いかに清四郎が頭脳スーパーマンクラスとはいえ、体はひとつ。以前婚約していたときほど、日夜を問わず、 というわけではなかったが、学生生活と事業の両立で彼は多忙を極めていた。

高校卒業以来――――同じ家に住み同じ大学に通っていながら、悠理が清四郎と一緒に過ごす時間は少なくなってしまったように思う。
いつも抱きしめられて眠り、毎朝一緒に食事できる幸せ。 それでも、淋しいと思ってしまうのは、悠理の我がままなのだろう。



*****




剣菱家に呼び出された野梨子と魅録は、清四郎の姿を見てさすがに驚愕を隠せなかったものの、 事態の異常さにくらべればそれはかなり穏便なものだった。
「・・・・だって、”下着から上着まで150センチの男児用の衣服一式に25センチの靴を買って 魅録と一緒に至急来い”って悠理に頼まれましたでしょう。多少の予測はしてましたわ」
「・・・・さすがに、驚いたけどな」
野梨子と魅録も、以前悠理たちと同じように体が入れ替った経験を持つ。
催眠暗示と薬の威力でなんとかかんとか元には戻ったものの、清四郎のように楽しむ余裕はなく、 彼らにはあの異常事態はトラウマになっているようだ。
悠理がこっそり聞き出したところによると、魅録は以降、野梨子にお預けをくらっているらしい。
気の毒に、と思いつつ、野梨子の気持ちはわかる。悠理だって、同じことをしようとしたのだが、 清四郎がその”セックス禁止令”を発令直後に蹴倒し破棄し粉々に粉砕してのけただけだ。

「やっぱり・・・その・・・行為のせいですのね」
野梨子は蒼白な顔で、魅録に視線を向ける。
魅録は顔面に影を落とし、ソファに深く沈み込むように、はぁぁぁ、とため息を吐いた。
野梨子の言わんとするところを察し、悠理と清四郎は顔を見あわせる。
気の毒な魅録のうな垂れた肩に、十歳児の小さな手がポンと乗せられた。
「違いますよ。僕たちは何もしてません、昨夜は。前回のときとは違います」
「じゃあ、いったい何が原因なんですの?」
野梨子は眉をひそめた。彼らにとっても摩訶不思議な超常現象がいつ自分の身に降りかかるのか 前回の例もあり、他人事ではない。
「原因なんかわからないでしょう。前回だって」
野梨子たちは知らないが、悠理がタイムスリップをした原因だってわからない。ただ、いずれも異常なことが おこったきっかけと同じ状況を再現することによって、元に戻れたいうことだけわかっている。

言葉通り、野梨子と魅録はほとんど予想していたのだろう。デパートで仕入れてきた衣服は、 男物でも魅録の趣味とは明らかに違う。野梨子の見立てで、清四郎が子供のときに着ていたような服を揃えていた。
「それにしても、清四郎・・・本当に子供に戻ってしまってるんですのね」
着替えてきた清四郎に、野梨子は懐かしげに目を細めた。
「当分は、この屋敷の人間には僕の従兄弟の子供かなにかで通しますよ」
万作&百合子の強心臓夫婦はともかく、豊作や五代に異常事態を告げればパニックに陥るだろう。
「清四郎はコンピュータ室に篭ってることにするか。音声変換機とTV電話はまかせろ。おまえの声や姿のVTRなんていくらでもあるから そんなに難しくねぇな」
「『名探偵コナン』みたいだじょ。天才少年セイゴローだな」
「”清五郎”ねぇ」
悠理の言葉に、清四郎は苦笑した。昔、14歳の清四郎と出逢った悠理が、最初に彼をそう呼んだことを思い出したのか。
事態にかまわずはしゃいでいる彼女を愛しげな目で見つめる。
その目は子供の目ではなかった。

「だけど、悠理。清四郎が見た目だけ子供になってて良かったな。中身も子供だったら大変だったぜ」
清四郎は彼らの知恵袋だ。悠理は無論、魅録も野梨子も、こんな事態には彼に頼る習慣がついている。
「清四郎は確かにとても利発な子供でしたけれど、たしかに心まで小学四年生くらいになってしまっては困りましたわね」
「五年生です」
清四郎は野梨子の言葉に腕を組んで答えた。
「靴を頼むのに測ってみたら、五年生の頃と同じサイズでしたから」
「よく覚えてんなー。靴のサイズなんて」
「悠理が五年生のときに、23センチだったことも知ってますよ」
「えええっ?!」
清四郎のこの言葉には、悠理だけでなく魅録や野梨子も驚く。
「ど、どういう記憶力してんだ、おまえ・・・」
魅録があぜんと呟くのに、清四郎は肩を竦めた。
「種明かしをしてしまうと、ですね。五年生のとき、悠理と僕は身長がほぼ同じだったんですよ。ところがあるとき、 悠理の靴を見たら、ずいぶん僕のより小さいことに気づきまして。それが印象的で覚えていただけなんです」
清四郎は笑みを浮かべているが、悠理はまだあっけにとられている。
「・・・てゆーか、あたいおまえの五年生んときなんか、ゼンゼン印象にねーぞ。クラスも違ったし」
「そうですわね。挨拶もろくにしていない頃じゃありませんでしたかしら」
野梨子も首を捻る。
清四郎は、む、と顔をしかめた。
「問題児の”剣菱サン”は悪名高かったですからね。児童会長としては要注意人物としてマークしてました」
「なんだよ、そりゃ」
魅録は、プッと吹き出す。
「いえ、冗談じゃないんですよ。大体僕が悠理の靴をどこで見たと思います?小学部の校舎の屋上ですよ。まるで飛び降りたかのように フェンスの下に脱ぎ散らかして、当人の姿はないときてる。てっきり落下したのかと思いましたよ」
「そんなことあったっけ?」
確かに、高くて広いところの好きな悠理は、屋上を根城にしていた。小学部も中等部も――――高等部で有閑倶楽部として皆と つるみだす以前は、坊ちゃん学校の中で他に悠理の居場所はなかったから。
「小学生が飛び降り自殺かぁ?しかも悠理が」
「いえ、当時幼児がスーパーマンのマネをして高いところから飛び降りた事件などもありましたからね。てっきり」
「あたいは幼児かよっ」
「「「「やりそう」」」」
悠理の抗議にもかかわらず、三人の声が重なった。
「で、靴を脱いで悠理はどこに行ってましたの?」
問われても悠理は首を傾げている。
「結構騒ぎになったのに、ほんとに憶えてないんですか?小学部の校舎は三階建てですが、屋上にまで届く大きなポプラの木があってね。 あの枝が校舎の窓に張り出して木陰を作っていたでしょう。あのとき以降、校舎側の枝が全部伐採されるまでは」
「・・・枝に飛び移ってたのかよ」
納得して魅録が呆れ声を出した。
「まるで猿のようにね」
清四郎は重々しく頷いた。
「僕が教師を呼んで、皆でどこに落ちたのかと焦って地面を探していたら、ポプラの枝から仔猫抱えた猿に声をかけられました」
「そんなことあったっけ?あたい、なんつったの?」
「『よくもチクリやがったな、優等生』・・・悠理の靴を抱えてオロオロ泣きそうになってた僕の涙は瞬時に引っ込みましたよ」
うわ、と魅録は首を竦めた。野梨子は苦笑している。
悠理は気まずい思いで俯いた。
憶えてはいないものの、当時の悠理が清四郎と野梨子を気に食わない奴だと毛嫌いしていたのは事実。
まさか、その二人とこうして一生付き合うことになるとは思いもしなかった、あの頃。

「ごめん・・・な」
なんとなく口をついて出た謝罪の言葉。
いま目の前にいる、いたいけな少年が、悠理の身を案じ泣きそうになっていたと聞けば、どうも落ち着かない気分になっただけだったのだが。
清四郎は悠理の言葉に驚いて目を見開いた。
ふ、と少年の視線が柔らかくなる。

「・・・思えば、僕はあの頃から悠理を意識してたんですよね・・・」
ひとり言のようにポツリと呟かれた言葉。
「まぁ、清四郎、そんな」
野梨子が少し驚いた顔をする。
清四郎は、野梨子の存在をあらためて思い出したように幼なじみに目を向け――――頬を染めた。
「・・・実は、そうだったんですよ。今だからいいますが」
清四郎はそう言って、ぷい、と顔をそむける。
野梨子はもちろん魅録も唖然と、清四郎のらしくなく赤らんだ横顔を見つめた。

まるで、幼い姿そのままの少年らしい照れた表情。
しかし、心はかつての素直な少年ではなく、嘘をつき続けてきた二十歳の男のものだ。
今は妻となった悠理への想いを、彼が仲間の前で口に出したのはこれが初めてだった。
それは、ひねくれ者の男が、なかなか口にすることのできなかった心情だった。

清四郎の言葉の意味を悟り。
「ま・・・まぁ、そうでしたの」
野梨子が真っ赤に染まった頬を両手で押さえた。
「そ、そうだったのか」
魅録の顔も染まっている。
彼らは、悠理と清四郎の結婚を、いきなりの振ってわいた衝動的なものだと思っていた。
清四郎がその想いを秘め続けていたから。もっとも近くに居た野梨子にさえ。

清四郎は五年間待ち続けた。
ずっと想いを隠し、友人で居続けた。悠理とのあの不思議な出会いがなかったことに なることを懼れて。
悠理がタイムスリップし、14歳の清四郎と恋に落ち――――彼の元に戻って来るまで。

悠理は鮮やかに蘇る記憶に眩んだ。

『僕は、ずっと悠理が好きだった』

真っ直ぐ目を見つめ、そう告白してくれたのは、少年の日の清四郎。
思い出が美化されているのだと分かっていても、一日だけの初恋は、胸を締め付ける。

今の清四郎は不器用な言葉しか口にできない。
お互い気持ちを伝え合ってから、その心を疑ったことなどなかったのだけれど。

そして、思い出していた。
昨夜、布団を被って呟いた自分の言葉を。
幸せでたまらない生活のはずなのに、一人ぼっちのベッドで、零した涙を。

『優しくて素直だった、昔の清四郎に戻ればいいのに』――――と。







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「ららら」の馬鹿夫婦と同じようにすれ違い気味の生活ですが、こちらはラブラブ。 悠理ちゃんだって淋しくても離婚はしそうにありません。でも清四郎にとってはどっちがマシかね?離婚されるのと異常体験と。(笑)
現在同時に「ららら」も書いてるんですが、”性格に捻りの入った”設定はこちらのシリーズのはずなのに、ずいぶんとあちらの方が食えない男です。 ま、こっちは新婚二十歳。あちらは三十路間近ですからねぇ。年齢と共に可愛げのなくなる清四郎ちゃんでした。
ところで、子供悠理と清四郎の靴のサイズですが、悠理と同じ身長166センチの私自身を参考にしました。 15の頃から25センチのデカ足です・・・。


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