飛ぶ夢はしばらく見ない



〜5〜




信じろ――――と。
悠理に笑みを見せたけれど、今の清四郎の体で落下する彼女を受け止められるわけはなかった。
周囲にある危険な機材を退かす力さえ少年の体にはない。自分の体を緩衝材にするしか、手はないと分かっていた。
それで、どんな結果になろうとも、後悔はない。

「愛してるよ・・・清四郎」
悠理の声が聴こえた。

いつでも、彼女しか見えなかった。
彼女だけを、愛していた。
悠理のために命を懸けることは、清四郎にとっては当然過ぎる行為。

少年の日に、悠理に誓った。
――――待っていて。悠理にふさわしい男になるから。

その約束を、果たせたとは思えない。
彼女を淋しがらせ不安がらせ、泣かせてしまった。

――――急いで大人になるから。
かつての決意が、胸に蘇る。
ただ彼女を守れる男になりたかった。
子供に過ぎない自分の無力さが悔しかった。
あのときと同じ無力感を抱えながら、それでも清四郎は落下してくる悠理に向って手を伸ばす。

腕の中から消えてしまった恋人。
絶望に打ちひしがれたいくつもの夜。

あれは遠い過去だ。
もう悠理は彼のもので、どんな運命もふたりを引き裂く事などできはしない。

急いで、大人になるから。悠理を守るために。
――――もう、失わない。



*****




落下の瞬間。
悠理の脳裏を過ぎったのは、既視感だった。
死ぬ前にはこれまでの人生を走馬灯のように回想するというけれど、まだ死ぬには早いらしい。
空を飛ぶ夢。そして、落下。
夢と同じく、恐怖と諦観のほかに、確かに安堵感を悠理は感じていた。
清四郎が待っているから。
悠理を地上に繋ぎとめ、抱きしめてくれる手が。
それが、悠理の還るべきところだから。

激しい衝撃。
しかし体に感じたのは、地面以外の感触だった。
きつく閉じていた目を悠理は開けた。
「清四郎!」
人肌の温もり。
清四郎が自分の体を盾に悠理が地面に叩きつけられるのを防いでくれたのだ。
「悠理、怪我は?!」
悠理の体の下から、声がした。
「おまえこそ!」
答えてから、やっと悠理は気づいた。清四郎の低い声。まだ抱きしめてくれている強い腕。
幼い少年のものではない、切れ上がった黒い目が心配そうに悠理を見つめていた。
「も、戻ったのか?!」
「・・・そのようです」
清四郎は、緊張を解いて表情を和らげる。
地面に横たわっていた清四郎は悠理を膝の上に乗せたまま上体を起こした。
悠理の体に回した腕に力を込め、清四郎は大きく安堵の息をつく。吐息が悠理の髪を揺らした。
「間一髪でした。・・・さすがに、あの体ではおまえを抱きとめられない」
悠理は広い胸に頭をもたせ掛ける。
「嘘つき。大丈夫だっつったじゃん。ヤバかったくせに」
言いながら、甘えるように頬を摺り寄せた。
そうして、ふと気づく。
「なんで、おまえ裸なの?」
頬を寄せた胸は素肌だった。
「裸・・・じゃないんですけどね」
よく見れば、清四郎の体には千切れた衣服が引っかかっていた。
「急に変化したんだから、仕方ありませんよ」
野梨子の用意した子供服の残骸を、清四郎はうっとうしげに払った。
「ああ、見たかったな〜、超人ハルクみたいに巨大化して服破くとこ。目を瞑ってて損した!」
「巨大化って」
清四郎はクッと笑った。
「ナニだけそのままだったらまずいですよね。ちゃんと大きくなってるか、確認してくれますか?」
「え?」
清四郎の言葉につられて、悠理は視線を下に落とした。
「わぁっ!」
思わず驚いて立ち上がる。
千切れた衣服がかろうじて引っかかっている清四郎の股間は、きっぱり存在を主張していた。
「な、な、なんでおまえ・・・ガキん姿のときは『見せませんよ!』つってたくせに!」
「男なら当然です。『カワイイ』なんて言われたら再起できません」
「再起してんじゃん!カワイクないじゃん!」
「当たり前です」
真っ赤な顔で憤慨する悠理を追うように、清四郎も立ち上がった。
改めて全身を見ればすごい格好だ。半裸の体に千切れた服。靴は脱げているが、伸びのいい白いソックスだけが足先に引っかかっている。
それでも清四郎は恥ずかしげもなく、悠理を抱き寄せた。
「ずっと、おまえを抱きたかった・・・」
慣れた腕に抱きしめられ。悠理も、ぎゅ、と抱きしめ返した。
「・・・って、しなかったの一日だけじゃんか、結局」
「それでも、僕には耐えがたかった」
清四郎は悠理の髪に顔を埋め呟いた。
「やり直したかったのは、あの五年間です・・・もう一度なんて、繰り返したくありません」

悠理は清四郎の胸から身を離し、彼の顔を見上げる。
清四郎は黒い瞳に雄弁な想いを宿し、悠理を見つめていた。
「気持ちを隠してそばに居るなんて、もうできない。おまえをこうして抱けないなんて、耐えられない」

ドクンと胸の奥が疼いた。
愛してると、愛されていると、心が告げる。

「・・・でも、あたいは、」
悠理は清四郎の首に手を回し、口付けをねだる。
「意地悪な友人だったおまえも、好きだったよ・・・」
触れ合う唇。深く深く、求め合う。
ここが還る場所なのだと、重なる鼓動が教えてくれた。

人生のほんの始まりのうちに、運命の相手と巡り逢えた奇跡と軌跡。
還るべきところにたどり着いた幸福感に、眩暈がした。



*****




眩暈がしたのは、幸福感のためだけではない。
口付けの陶酔に眩んでいた悠理は、浮遊感に薄目を開けた。
唇を奪われたまま横抱きに抱き上げられ。
清四郎は工事機材の積まれたブルーシートの上に、悠理の体を横たえる。
そのまま、悠理の上に覆いかぶさり、なおも唇を深く合わせた。
悠理は清四郎の胸に手を突っ張る。
まだ肌寒い季節の外気に晒されている清四郎の素肌が、触れた場所から 熱量を増すように思えた。
無理に唇を外し、悠理はあえいだ。
「せ、清四郎・・・なに・・・」
「なにって、言ったでしょう。おまえを抱きたくて、たまらないって」
ぎょっとして悠理は陶酔から覚めた。
「ちょ、おまえ、まさかここでヤル気じゃないだろー?!」
思いっきり野外――――は、ともかく。母校の小学校の校庭。しかも、工事現場。
その上、清四郎の格好は尋常ではない。
「け、警備員が来るーーー!」
「大丈夫です、来やしません」
「おまえの”大丈夫”なんて、アテになっかー!!!」
清四郎の”大丈夫”には、絶対的信頼感を持ってはいるのだけど。
それとこれとは別だと、悠理は愛する夫の剥き出しの腹に、ゲシゲシ蹴りを入れた。

清四郎は悠理の足型のついた腹をさすった。
「仕方ありませんね。とにかく、校舎に入りましょうか」
身を離した清四郎を、悠理はおっかびっくり見つめる。
「ま、まさか教室でヤル気か・・・?!」
怯えた表情の悠理に、彼はニンマリ笑みを向けた。
「ご希望なら沿わせていただきますが。それよりも、名輪は帰らせてしまいましたし、僕はこの格好だ。 服を調達しなければ、迎えを呼ぶこともできない。 校舎内でなにか羽織れるものを手に入れたいんですよ」
「そ、そっだな」
悠理は安堵しつつ、顔を赤らめた。
彼が欲しいのは、悠理も同じ。
堂々と逞しい裸身(しかし相当恥ずかしい姿)を晒している夫から、そっと目を逸らせた。


ふたりは校舎に入った。
器用な清四郎は魅録直伝の錠前破りを悠理より上手くこなす。
すぐに理科準備室で、教師の白衣を手に入れた。
「ふむ、ないよりマシですな」
ロッカーから真新しい白衣は拝借できたが、小柄な教師のものなのか、少し彼には丈が短い。
それでも、先ほどまでの半裸に白靴下より数倍見られる格好なのは確かだ。
いや、それどころか。
「・・・・似合うな、おまえ」
悠理は思わず呟いていた。
当然というか――――清四郎には白衣が似合う。

それは、彼が歩んだかもしれないもう一つの未来を思わせた。
仲間たちの誰もが、清四郎は将来父親の跡を継ぎ、医者になるものと思っていた。
悠理との電撃的結婚がなければ、そうなっていたかもしれないのだ。

「そうですか?」
清四郎は前を合わせながら悠理に笑みを向けた。
「この下は裸同然だと考えると、変な気分ですよ」
ほら、と清四郎は悠理に白衣の中身を見せる。
どれ、と悠理も条件反射的に覗き込んでしまった。

「−−−−だから、見せんなって!」
悠理は赤面し、清四郎の白衣の前をきつく握り締めた。
その悠理の手を、清四郎の大きな手が包み込む。
深い黒い瞳が、悠理を見つめていた。
暗い教室内でも、星明りで彼の表情ははっきりと読み取れた。
後悔などは、その目には映っていないけれど。
それでも、悠理は問わずにはおれなかった。

「・・・清四郎、おまえ医者になりたかったんじゃねー?」
「医者?」
清四郎は意外なことを言われたように、目を見開いた。
「・・・ああ、そうですね。医師免許は欲しかったな」
クス、と苦笑する。
「だけど、悠理。僕は子供の頃から欲しかった、たった一つのものを手に入れた」
握った手を引き寄せ、清四郎は悠理を優しく抱きしめる。
「これからは、おまえに見せるよう努力しますよ。できる限り隠さずに」
「み、見せるって・・・何を?」
身じろぐ悠理をきつく抱きしめながら、何だと思ってるんだ、と、清四郎はクスクス笑う。
「おまえに見せたいのは、僕の思っていること。取り組んでる仕事。学びたい事柄・・・」
真摯な言葉に、胸が締め付けられた。
だけど、悠理は清四郎の胸に頬を押し付けながら、わずかに頭を振る。
「あたい、馬鹿だもん・・・きっとわかんないよ」
「大丈夫です。全部理解なんてしなくていい。ただ―――― 一緒に、生きて行きましょう」
気の合わない同級生から、ペットと主人、凸凹コンビ、そして人生のパートナーに。
いつだって。
清四郎の”大丈夫”は、絶対的安心感を悠理に与えるのだ。

清四郎の手が悠理の背を這う。髪に差し込まれる長い指。
ついばむように何度も口付けられ。
口付けは、唇から頬に、耳に。首筋を滑り下り、鎖骨を甘く噛まれる。
慣れた愛撫に、体がとろけた。

ふたたび清四郎は悠理を抱き上げる。
理科室の広い教卓の上に、悠理は横たえられた。
白衣を着た清四郎が覆いかぶさり、なおも彼女に口付けを降らす。
頬に瞼に首筋に胸元に。
Tシャツがめくりあげられ、乾いた大きな手が素肌を辿った。
かさついたその手の熱い感触と、背中に触れる机の冷たさを意識する。
ブラを押し上げ、ふくらみを包み込む男の手。
割られた両足の間に白衣の向こうの猛りが押し付けられた。
彼女を欲する彼の一部。繋がり一つになり溶け合いたいと、脈打っている。
ぶるる、と悠理は身を震わせた。

「あ・・・あふ」
胸の先を吸い上げられ、吐息が漏れた。
舌先で転がされ、電流が走る。
彼に開発された体が、心と重なり彼を求める。
愛しさに耐え切れず、悠理は清四郎の頭を胸に抱きしめた。

「おまえは、あたいのもんだよ・・・清四郎」
柔らかな胸に顔を埋めた男が、熱い吐息を漏らす。
「ええ、悠理・・・ずっとそうです」
苦笑を含んだ声音。
「キスもセックスも恋も、僕はおまえが最初なんですよ?」

「バーカ」
悠理が清四郎に向けるには、不適当な言葉だったかもしれないが。
「”最後”の間違いだろ?」
だけど、それは彼女が正しい。

悠理の言葉に答える代わりに。
清四郎は彼女の腕の中で笑った。
悠理しか知らない、無邪気なあの少年の顔で。



*****




巡り合えた奇跡。共に重ねた年月の軌跡。
思い出は積み重ねても、まだ、二十歳。
彼と彼女の前には、未来と可能性が広がっている。
願ったたった一つのものは手に入れた。
医者であろうが、世界一の企業のトップだろうが、なんにだってなれる。
どんな夢も叶えられる。
ふたり一緒なら。

最初で、最後の恋。
運命の相手と、巡り合えたから。










2005.5.1 END (ちょっとだけ おまけの後日談に続く)


いやはや。蛇足のおまけは、理科実験室でのシーンから始まってますね。(笑)ラストは裸に白衣よっ♪とhachiさんに 報告したら、「教壇に押し倒して夜の特別授業vvとか、屋上で星空エッチvvとか、色々とやらせてみたいものですね。 だって清四郎には似合うんですもの・・・変態プレイが!!」とのけぞるお返事。(ごめん、バラしちゃった。)お流石です!
この続きはおまけ。本当は本文↑にくっついてたんですが、あんまりあんまりなんで、分けました。(笑)

 


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