前編 それは、まだ聖プレジデント学園の生徒会室で暇をもてあましていた頃。 「今夜、晴れるかなぁ」 部室の窓から曇った梅雨空を見上げ、悠理が呟いた。 「そういえば、今夜は七夕ですわね」 「悠理が空模様を気にするとはね。剣菱家でなにか七夕のイベントでもやるのかい?」 悠理は空にぼんやり目をやったまま首を振る。 「ううん。そーゆーんじゃないけどさ。織姫と彦星が、雨だったら可哀想じゃんか。一年に一度しか会えないのに」 声を掛けた野梨子と美童だけでなく、室内の仲間たち皆が凍りついた。 普通の少女ならごくありふれた言葉だったろうが、なにしろ、他でもない悠理の発言だから。 「ゆ、悠理・・・どうしたの?」 可憐がおっかなびっくり悠理の背に声を掛ける。 「ん?どーしたのって?」 悠理はきょとんとした顔で振り返る。 野梨子が手にした皿の上のクッキーに、目を輝かせて窓辺を離れて駆け寄ってきた。 ひょいとつまみ食い。その表情はいつも通りの彼女に見えたが。 「・・・予報では、今夜は曇りのち晴れですね」 新聞を開いていた清四郎が、悠理に請け負った。 「そっか。良かった」 悠理は口をもぐもぐさせながら、もう一度窓の外に目をやる。 まるで、厚い雲の向こうの見えない星を探すように、切なげに目を細め。 「好きな人と一年に一度しか会えないなんて、あたいだったら、耐えられないよなぁ」 クッキーにかぶりつく悠理の表情に、仲間たちは言葉を失う。こんな彼女を見たことがなかったから。 「一年に一度しか会えなくても」 清四郎が今日の新聞をバサリと畳んだ。数紙取っている経済紙に手を伸ばす。 「好きな人と想いが通じ合っているだけで、幸せなことじゃないですか」 視線は新聞に落としたまま、清四郎はポツリと呟いた。 その言葉に、仲間たちはふたたび凍りついた。 なにしろ、他でもない清四郎の発言なのだ。 「そばにいることができても、想いが通じていないと無意味でしょう」 「んー・・・そっかなぁ。やっぱあたいなら、それでもそばにいたいなぁ」 モグモグ。バサリ。 おたがい目も合わさないまま、なにげない口調で会話を交わす。 いつも通りに見えるふたりの間で、いつも通りではない会話が普通に進行している。 「あ、あんたたち・・・?」 可憐が見知らぬ者を見るような目で清四郎と悠理を見比べる。 仲間たちの唖然とした表情に気づき、清四郎はわずかに頬を染めた。 「一般論ですよ、一般論」 新聞からやっと顔を上げ、清四郎は初めて悠理に顔を向けた。 「悠理、ところで魅録は?」 部室内には、仲間の顔が一つ欠けていた。 同じクラスの悠理に清四郎が問うのは自然だ。 「んー・・・・あいつは今日は来ないよ」 悠理はテーブルに頬杖をついて答えた。 皿からもうひとつクッキーを取り上げる。 「あら、どうかしましたの?そういえば、お昼休みも魅録は顔を出しませんでしたわね」 「うん。あいつ、今日は早退したんだ」 「「「え?!」」」 仲間たちは驚いて声をそろえた。 「まさかと思うけど、具合でも悪いの?」 「うんにゃ」 悠理は首を振った。 「ひょっとして・・・行ったんですか?マイタイ王国に」 「「「えええっ?!」」」 清四郎の言葉に、また仲間たちの驚愕の声が重なった。 「知ってたのか?清四郎」 悠理も意外そうに清四郎の顔を見る。 「マイタイ王国の記念式典でしょう?でもあれは伝統的な国内の行事で、海外からの賓客は受け入れない厳粛な式だと以前聞いた記憶がありますが」 「ど、どーいうことよっ?!」 「説明してくださいますわね?」 仲間たちに詰め寄られ、悠理は肩をすくめた。 「実はさ、今朝父ちゃんから急に一緒にマイタイ国に行こうって言われたんだ。ほら、あそこのダイキリ王とは父ちゃんマブダチだろ?この前のクーデター阻止の一件もあるし、 特別に母ちゃんと二人で式典に呼ばれたんだよ。けど、母ちゃんが千秋さんとスパに行ったきりで連絡取れないとかで、急遽あたいにお鉢が回ってきてさ」 「それを、魅録に譲ったんですね?」 悠理はコクンと頷いた。 「みんなには悪かったよ。みんなだって行きたかったろ?あそこは直行便もないし、めったに行けないからな」 微笑して眉を下げる悠理に、仲間たちは感心したように一様に首を振った。 「そんな・・・見直したわ、悠理。魅録が一番行きたいに決まってるもの。あんたも意外に気が利くわねぇ」 「そうですわ。チチさんと会えますものね」 「ああ、じゃ、今頃久しぶりの再会かな?なるほど、七夕の逢瀬だよなぁ」 「まだ飛行機に乗ったばかりでしょう。再会は明日でしょうな。何時のフライトですか?」 先ほど悠理が見上げていた曇天。 仲間たちは窓辺に目を移し、梅雨空を見上げる。 「・・・少しだけしか会えなくても、幸せなのかな」 「想いが通じていれば、きっとね」 この場に居ない友人と、見えない星空に思いを馳せ。五人は空を見つめた。 「・・・ちわーっす」 部室の扉が開けられ、ピンク頭の友人が現れたとき、だから彼らは全員驚いて硬直した。 「み、魅録?!」 「なんでここに居るんだーー?!」 「マイタイ王国行ったんじゃなかったのぉ?!」 「うぉっと」 仲間たちから集中砲火のように言葉を浴びせかけられ、魅録はたじたじ。 「なんで行かなかったんだよっ?!」 顔を強張らせた悠理に、魅録は頬を染めた。 「・・・みんなにバラしたな、悠理。おまえから内緒にしてやるって言ってたくせによ」 「それよかっ」 「ああ、うん。千秋さんに連絡が取れてさ。ちょうどタヒチに居るっていうから、おばさんとおじさんが落ち合うことになったんだ」 「なんだよ今さら!父ちゃんめ〜〜!!」 悠理が憤怒の表情で拳を固めた。 「おいおい、おじさんに怒るなよ。千秋さんに連絡取ったのは俺なんだし」 仲間達全員が魅録に注目する。 「もういいんだよ、俺は」 魅録は照れくさそうに鼻の頭を掻いた。 「悪かったな、悠理。せっかく気い利かせてくれたのによ。俺は、会いに行かないほうがいいんだ」 「よく言うぜ!チチのこと、諦めたとでも言うのかよ?!マイタイ国に行けるって聞いた途端、教室を飛び出していったくせに!」 まだ憤懣顔の悠理に、魅録は困った顔を向けた。 「そりゃ・・・会いたくないって言ったら嘘になるけどよ。だけど、あいつとどうこうなんて考えられねぇし。いい思い出として このままでいたほうがいいんだと思う。俺にとっても・・・きっと、あいつにとっても」 そう言った魅録の表情は決然としていて。 誰も何も言えなくなる。 「悠理、今夜はおじさんもおばさんも居ないし、ツーリングでもつきあわねぇか」 そういえば、魅録は制服ではなくライダースーツ姿だ。早退後、帰宅してわざわざ用意してきたのだろう。 「う・・・うん」 悠理はまだ納得のいかない顔で頷いた。 かまわず魅録は悠理に持参したメットを放り寄こす。 ほら、と悠理の背中をパシリと叩き、魅録は促した。 「久しぶりに、かっ飛ばそうぜ」 「うん!」 ようやく、悠理の顔も明るくなる。 悠理をともなって、部室を出ようとする魅録に、 「本当にいいんですか、魅録?マイタイ王国へ行く手段なら、他にもいくらでも・・・」 思わず声をかけたのは清四郎。 しかし、魅録は振り返って親指を立てる。 いつかもっと歳を取ってから、昔話をしに皆で一緒に会いに行こうぜ――――と、 さばさばした笑顔で。 ![]() あの日の夜、予報は外れ梅雨空が戻った。 星は見えず、天から降るのは涙雨。 友人たちがバイクで出かけたかどうかは、清四郎は知らない。 魅録が会えない恋を振り切り、新たに歩き出したあの頃。 いつも彼の隣には、悠理がいた。胸の痛くなるほど懸命な瞳で、魅録だけを見つめていた悠理が。 もしも、あの頃。 悠理が魅録への想いを自覚し、打ち明けていたら・・・・・ 清四郎はクスリと笑った。 「どうしたんだ?」 悠理が首を傾げる。 「いいえ、なんでも。・・・今夜は星が綺麗ですね」 高校時代、悠理が魅録に告白していたら。 そうしたら、いまここに悠理はいなかったのだろう。清四郎の腕の中には。 想いが通じていなくても、そばに居る方がいい。 ――――そう言った悠理は、言葉通り、魅録のそばに親友として居続けることを選んだ。 そばにいることができても、想いが通じていないと無意味でしょう。 ――――そう言った清四郎は、それなのに、振り向くはずもない悠理を追い続けた。 清四郎はまだ信じられない。 彼女が彼の思いを受け入れたことを。 「星なんか見てんじゃねーよ」 悠理が、ぐい、と清四郎の顔を自分の方に向けた。 「明日から会えなくなんだからさぁ・・・あたいの顔、忘れちゃうぞ。今のうちに見とけ!」 「おまえじゃあるまいし、忘れるはずないでしょ」 からかい口調で言いながら。悠理を腕の中に抱きしめたままバルコニーで見上げていた夜空に、清四郎は背を向ける。 マンションの窓を閉め、外気を遮断する。 そこは、今日を最後に引き払う予定の一人暮らしの部屋。 ここで、何度も悠理と過ごした。 ただの友人として。 そして、恋人として。 悠理の肩に回していた手をそっと外した。 「・・・もうこんな時間だ。送って行きますよ」 「・・・やだ」 悠理が首を振った。 ふたりが体を重ねたことは、まだない。 思いが通じた、あの日以来。 ふたりにとって短すぎる蜜月のときを、ずっと共に過ごした。 抱きしめて、口付けて。 もう、悠理への想いを抑えることなどできないと思っていたのに。 それでも、清四郎は彼女のすべてを奪うことはできなかった。 気のおけない友人としてかつては何度も泊まりに来ていたこの部屋に、あれ以降、悠理を泊めたことはない。 それは、心のどこかで疑っていたから。 初恋に破れ傷ついていた悠理。 淋しくてしかたがなかった彼女を、清四郎が無理やり自分のものにしたのだと。 悠理の心の隙をつき、弱味に付け入り、心を強奪したのだと。 悠理が、まだ魅録を忘れていないことはわかっていた。 永すぎる初恋。 悠理の心の中から、彼の面影をすべて消し去る事は不可能だ。 魅録は彼女にとっても彼にとっても大事な親友なのだから。これからだって。 ゆっくり待つつもりだった。 そのときが来たら、自然に身も心もひとつになれる。 抱きしめるだけでも、悠理は安堵の表情を浮かべて幸福そうだったのだし。 だけど。 「今夜は・・・帰りたくない」 悠理がそう言って身を預けてきたとき。 清四郎は臆病な自分の心に、気づかされた。 清四郎の腕の中で、悠理が別の男を想っている――――そう疑ってしまう自分が、怖かっただけなのだと。 ![]()
このグズーー!!っと清四郎ちゃんに怒鳴ってやってください。どうしてこのシリーズの彼はこうもストイックになってしまうのか。
いつもはあんなでこんななのに。(笑) もちろん、”あんなこんな”男の方が私は好きなんですが。 |