星のかけらを探しにいこう




後編


悠理はいつも、傷ついた胸を抱きしめるように体を丸め眠った。
涙のあとの残る彼女の寝顔を見つめながら過ごした長い夜。

触れることの許されなかった、愛する女。
想いが届かなくても、そばにいたかった。
――――昔、言った言葉とは反対に。

「悠理・・・どういう意味かわかっているのか?」
清四郎は震えそうになる声を抑えて問いかけた。
悠理はこっくりと頷く。
そのままうつむいた悠理の柔らかな髪から覗く耳も首筋も、ほのかに赤く染まっていた。
もう、以前と同じではない。
清四郎は悠理にとってのシェルターだった。
安全に逃げ込めるところ。決して彼女を傷つけず、彼女の心に触れなかった。
男の欲望を、彼女を欲しいと思う心を、隠し続けていた。
愛していると、告げるまでは。

「・・・明日っから、会えなくなっちゃうだろ?おまえ、きっとあたいのことなんか忘れちゃうよ・・・」
清四郎はうつむいた悠理の顎の下に手をかけた。
「どの口が、そんな馬鹿なことを言うんだ?」
上を向かせた悠理の瞳は潤んでいた。

――――そばにいて。
――――どこにも行かないで。

あれほど、泣きながら縋りついてきた悠理は、だけど、あれ以来一度も 『行かないで』 とは言わなかった。
涙も見せなかった。
いつも、笑顔だった。

「・・・僕が、どれほど永くおまえに恋してきたと?」
悠理が初恋を葬るのを見守り続けてきた。
いつか、彼女が振り向く日を待ち続けてきたのだ。

誘う唇に引き寄せられるように口付け、腰を抱き寄せた。
卑怯でもいい。
強奪した心ごと、その体も抱きしめる。
唇を塞いだまま抱き上げ、ベッドに運んだ。

部屋の明かりを消しても、カーテンを引き忘れた窓から差し込む星明りで、互いの姿が見える。
着衣を脱ぐ清四郎から、焦った表情で目を逸らせた悠理の顔は、真っ赤に染まっている。
ぎゅ、と閉じられた瞼の長い睫が、震えていた。



********




髪をかき上げ、露になった白い項に口付ける。
首筋から胸元へ。
「・・・っ」
紅い所有印を悠理の肌に散らしてゆく。
甘く噛み、吸い上げ、責める。
全身あますところなく、すべてを得たかった。

これほど執拗になってしまうのは、怖れているからか?
確認したいからか?
悠理が、もう自分のものなのだと。

離れることを怖れているのは、清四郎の方なのだろう。
心にも体にも、消えぬ印を刻み込みたい。
悠理を思いやり、いたわりたいと思う心の裏側に抑え込んでいた、激しい独占欲。
凶暴な肉欲。

「悠理・・・悠理、愛してる。愛しています」
奔流となって突き上げてくる感情。愛と呼ぶには激しすぎるそれを、言葉で包む。
男のそんなごまかしに、悠理は涙を浮かべた。

星明りに照らされた蒼ざめた頬。
涙が一粒、零れ落ちる。
まるで星のかけらのように光るそれに、目を奪われた。

それは、破瓜の痛みのための涙か。
それでも、悠理は清四郎に向かって両腕を伸ばした。
「せいしろ・・・清四郎・・・清四郎!」
すがりつくように抱きしめられ。
悠理の嗚咽が心臓に響く。

胸が錐で刺されたような痛みに貫かれる。
それでも自分は悠理にとって永遠に二番目なのだという慣れた諦観?
それとも、あれほど求め続けてきた女を、ついに得たのだという歓喜?
どちらにしろ、それは痛みには違いなかった。

「清四郎・・・あいしてる」

だから、悠理がそう呟いたとき。
星明りに照らされた悠理の顔が、滲んでぼやけた。

――――あたいを、見てよ。
そう言った悠理。
過去の、初恋を追いかけていた頃の彼女ではなく。
今、腕の中の悠理の瞳に映っているのは――――。

星のかけら。
悠理の頬にポタリと落ちた雫。

それが、自分の涙なのだとは、清四郎は気づかなかった。
ただ、霞んでよく見えない目のかわりに、全身で彼女を感じた。
心と体すべてで、求め続けたたったひとりを。



********




「・・・・ろう・・・」
名を呼ばれた気がして、清四郎は瞼を開けた。
腕の中に抱きしめたままの悠理は、小さな寝息を立てている。
わずかにほころんだ口元。
「・・・せいしろう・・・」
もう一度、確かに。
眠る悠理が呟いたのは、清四郎の名。
星明りに照らされた彼女の白い頬には、まだ涙のあとが残る。
目尻に光る星のかけらに、清四郎は唇を寄せた。
愛しくて愛しくて、胸がつぶれそうだった。

涙を浮かべていても、間違いようはない。清四郎の腕の中で、彼女は微笑んでいた。
清四郎の怖れも疑いも、すべて包み込むような柔らかな笑顔だった。

「思いが通じなくても、そばにいたい・・・?」
眠る悠理の髪を指で掬い撫でながら、清四郎は問いかけていた。
応えない悠理に。かつての自分に。

届かない想いを抱え、そばに居続けた。
長い長い、夜。
明けないかと思えたあの日々も過去だ。

眠る愛しい人を腕に抱いて、窓から見える星空を清四郎は見つめた。
こうしていられるのも、あと数時間。
ゆっくりと空が白み始める。
明日からは、遠く離れて暮らすことになる。

心を重ね合わせ、ひとつになった今。
信じられる。
天の川に隔てられた星たちのように――――離れていても、永遠を。

朱に染まる空に、星たちが消えてゆく。
見えない星が、それでも瞬いていた。
空の向こうに。胸の奥に。
それは消えない、星のかけら。



********




いつの間にか、眠りに落ちていたようだ。
清四郎が目覚めたとき、腕の中に悠理はいなかった。
昨夜の彼女の存在が夢だった気がして、不安な思いで身を起こす。
すぐに、清四郎のシャツを着て洋服ダンスを探っている華奢な背を見つけ、安堵の息をついた。
「何してるんです?」
まだフライトまでは余裕の時間であることを確かめながら悠理に問いかけた。
「おはよ」
悠理は振り返らない。まだごそごそ引き出しを探っている。
「シャワー浴びたんだけどさ・・・着替え持ってくるの、忘れちゃって」
「で、僕の下着を着る気ですか?」
「ち、ちがうやい!」
悠理はむっとした表情で振り返った。
「探してんのは、あたいのパンツ!あっただろ?おまえが買ってくれたやつ!」
口は尖がり、眉はしかめられていたが、悠理は耳まで赤く染めていた。
「僕が買った?」
清四郎は首を傾げた。
そういえば、初めて悠理が”終電に乗り遅れて”ここに泊まって行ったときに、用意したような気がする。近所のコンビニで。
「着替え持ってこなかったからさ・・・あれ、もらおうと思って」
なぜかいつも着替えを持参していた悠理には不要で。封も開けないまま、清四郎はその存在を忘れていた。
「それとも、誰かにもうやっちゃった?」
悠理がすねた顔で清四郎を睨みつける。
「下着を、ですか?・・・バカ」
清四郎は苦笑する。
「荷物はもうほとんど荷造りして送ってしまいましたからね。そこになければ、どこかにまぎれてしまったかも。残ってるのも、今日のうちにお袋と姉貴が整理してくれる手はずです」
「え?!おばちゃんと和子姉ちゃんがここに来るの?!」
悠理はシャツのすそをひっぱり、焦った顔をした。
ぶかぶかのシャツから覗く白い足に、清四郎は目を細める。
「今すぐ来るわけじゃありませんよ。僕が出発してからです。空港で鍵を渡す予定ですから」
悠理の眉が下がった。
時計を見上げ、一瞬、泣き出しそうな顔をする。
清四郎は悠理に手を伸ばした。

「おいで」

呼んでも、悠理はうつむいて顔を背けた。
泣き顔を見られたくないときの、彼女の癖だ。
「シャツを返してください。僕は裸なんですから、ベッドから出られない」
清四郎は動かない彼女の腕を取った。
腰を捕らえ、引き寄せる。
シャツごと悠理を腕の中に抱きすくめた。
言葉通り彼のシャツを取り返すべく、肩からゆっくりと布を剥いだ。
現れた白い肩に、唇を寄せる。
「まだ・・・時間はある」

長い長い時間。
少しの間の別離はあれど、ずっと共に生きてゆく。そのために、清四郎は旅立つことを選んだのだ。
想いが通じていなくても、そばに居たかった。――――それは、かつての決意。
今でも、変わらない決意。
これからの、長い時間を共に居たいから。今度は、心を重ねて。



********




約束の時間に少し遅れ、空港に現れたふたりに、仲間たちは嬉しそうな顔をした。
野梨子と共に来たらしい清四郎の母と和子は、驚いたようだ。

別れの時間が近づく。

必死で作っていた悠理の笑顔に、堪えきれない涙が零れ落ちた。
「アイツって・・・あんなキャラだったっけ?」
二十数年の付き合いの姉が、あっけに取られて呟いても。
清四郎は悠理を抱きしめずにはおれなかった。
泣きじゃくる彼女の前で、想いを抑えることなど、できはしないのだ。

アナウンスに追い立てられ、身を放したとき。
いつかのように、友人たちが悠理の肩を支えた。
それが、魅録の腕であっても、清四郎は疑いすらしなかった。悠理の心を。

離れていても、心はいつも共にある。
青空の向こうに、たしかに星があるように。
彼女の中に見いだした星。やっとつかまえたそのかけら。

それは、消えない――――愛のかけら。







2005.7.17


あうあうあうあう・・・このシリーズだけは、バカップル化させないつもりだったのに・・・だったのに・・・。すでに、その片鱗が。(片鱗じゃない?)
やはり、「思いがかさなるその前に」で終わっとくのが正解でしたねぇ。でもまだ、もうちょっと続きます。実は最終目的地点が明確にあるもので。 そこに行き着くまでは書きたいなっと。
と、いうわけで、次は最終回「ジューンブライド」です。べつに悠理たんがライスシャワー浴びながら清四郎にお姫様抱っこされるわけじゃありません。(笑) ・・・たぶん。

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