〜その4〜 並んで歩き出した自然公園の歩道。 そっと手を伸ばし指を絡めたのは、清四郎の方からだった。 どきんと、悠理の胸が高鳴る。 今までだって、何度も手を繋いだことはある。 付き合う前だって。恋に気づく前からだって。 こうしてふたりきりで歩くのも、もちろん初めてじゃない。学園から菊正宗家に向かう十五分程の道程は、 付き合い始めて2ヶ月と23日経った今でも、悠理にとっては夢見心地の最高に幸せな時間だった。 絡めた指をぎゅ、と握る。大きな手。男のくせに繊細で長い指。 白皙の整った顔も、着やせする逞しい体も、清四郎を構成するすべての部位が大好きだけど、この指が一番好きかも知れない。 こうして悠理の指に絡み、手に入れたように思える今は。 口付けているときは、色の薄いあの唇が一番好きだと思えるのだから、いい加減なものだけど。 くふ、と悠理は首をすくめて笑った。 「どうしたんですか?」 真っ直ぐ前を見つめていた清四郎が不思議そうに悠理に顔を向けた。 にやけてとろけてしまいそうな顔面を引き締められぬまま、悠理はふるふる首を振った。 「な、なんでもない!」 想いが通じる前に、清四郎をベッドに押し倒してあんなことやらこんなことやらすでにしてしまっているというのに、今さら。 ただ、手を繋ぐだけでときめく心が、おかしかった。 「嬉しいだけ。こうして手を繋ぐだけなのも、いいよね」 だけど、言葉は自然に口から出てしまった。 清四郎が悠理の想いを受け入れてくれた、あの奇跡的な朝から、ずっと。悠理は信じられないほど素直になってしまった自分に 驚いている。 意地っ張りで、強がりで。負けず嫌いだった意固地な自分は清四郎の腕の中で生まれ変わった。 コンプレックスも自己嫌悪も、些細なことに思える。この世で一番大好きなひとに愛されているという、奇跡の前で。 「・・・そうですか?」 清四郎は、少し眉を下げて苦笑した。 ドキドキ高鳴る悠理の胸のうちなど知らぬ顔。こんなクールなところも好きなのだけど。 「あ、魅録」 悠理は繋いでいない方の手で前方を指した。 貸ボート屋のある池の端で、友人は咥え煙草。悠理たちに気づき片手を上げたが、わずかに顔が引きつっている。 「買出しに行くんですが、何かリクエストは?」 清四郎がにこやかな笑みで魅録に声を掛ける。もちろん、繋いだ手を離したりはしない。 付き合いだして気づいた清四郎の意外な一面。視野狭窄一点集中猪突猛進型の悠理はともかく、 清四郎のメンタリティにも”照れ”はないらしい。それどころか”羞恥心”の持ち合わせもあまりないらしいことは、 恥ずかしい単語表現連発のベッドルームで教えられた。 「ああ、じゃあ煙草を・・・」 魅録が答えかけたとき。突然、ひょうきんな音楽が鳴った。魅録の携帯だ。 「・・・”キュー@ー3分間クッキング”?」 魅録らしくない着メロに、悠理は噴き出した。 「あ、ああ。メールだ」 魅録は携帯を取り出し、すばやく一読する。 なにげなく清四郎を見上げた悠理は、彼の目に愉快げな光を見たような気がした。 「?」 魅録は携帯をポケットにしまい、清四郎に顔を向ける。 「・・・そういや、煙草はまだ一箱持って来てたよ。野梨子たちの前では、そうそう吸えないしな」 「そうですか」 魅録はふたりに、じゃ、と小さく呟いて踵を返す。まるで逃げ出すように足早にその場を去っていった。 「なんだ?あいつ」 悠理は首を傾げる。魅録はその顔を髪と同じ色に染めていたから。 もっとも、悠理には赤面する魅録など、見慣れた姿だった。それがこの2ヶ月と23日でのことなのだとは、 悠理が分かっていたわけではないにしろ。 湖畔の小道をふたりで歩く。池の水面に煌く光が眩しい。 世界はこんなに綺麗だったのかと、悠理は感動していた。 いつだって目の前のことにいっぱいいっぱい、楽しんできたつもりだったけれど、こんなに美しいものを見ていたことには気づかなかった。 清四郎と一緒に見たあの月のように。 「綺麗だねー・・・」 また、言葉は自然に零れ出ていた。 輝く水面を見つめていると、ええ、と清四郎が頷く気配。 繋いでいた手が、ふいに解かれた。 「?」 歩みを止めた清四郎に顔を向けた途端、至近距離に笑顔。 かがみ込むように顔を近づけた彼に、唇を奪われていた。 「ん・・・」 悠理は目を閉じる。両脇の下に手を差し込まれ、ひょいと体を持ち上げられた。 まるで小さな子供を抱き上げるように、軽々と手だけで悠理を持ち上げ、清四郎は移動した。 閉じた瞼の裏に映っていた陽の光が陰る。目を開けたときには、小道を外れ、森の中に移動していた。 「・・・人形を持ち運ぶんじゃないんだからさ」 悠理の足はまだ地面から浮いたまま。 「ここ、近道?」 草深い藪もかまわず、清四郎は森の奥に進む。 「これが道なら、ケモノ道ですな」 もとより山歩きが大好きな悠理には苦ではないとはいえ、両脇を持ち上げられたまま移動するのは楽チンだった。 まだ見えている煌く湖面が遠ざかるのが、少し淋しい。 あの池沿いの小道をもう少し歩きたかったなー、と思ったとき。 清四郎の足が止まった。 まだ悠理の足は宙に浮いたまま。背中に木の幹の感触。振り仰ぐと、木漏れ日が目に飛び込んだ。 見上げた悠理の空いた喉に、清四郎が口付ける。 「・・・悠理」 甘く噛まれ、くすぐったさに身を捩った。 「や・・・やばいよ、そんなとこ・・・」 今朝白鹿家で、露出の多い服を着るなと清四郎に叱られたばかり。彼としても、愛撫の痕を付けないよう気をつけてはいるらしい。一応は。 「大丈夫ですよ。たぶんね」 ”たぶん”って、なんだよ、と思いつつも、悠理は首筋に顔を埋める清四郎の頭を両手で抱きしめた。 木の幹に背中を預けた悠理の腰を清四郎が支える。密着した体から、彼の昂ぶりが感じられて、悠理は震えた。 求められている、と思うだけで、意識が眩む。 体の奥から沸き起こる、激しい衝動。切ないまでに、清四郎が欲しい。 清四郎しか好きになったことがないから、 清四郎しか欲しくないから、 欲望に疼くのは、心か体か、悠理には分からない。 清四郎が恋なんてしない男だと思っていたから、せめて体だけでも欲しかった。 だから、嘘をついて、罠にはめて。 まさか、彼が悠理を”恋人”と呼んでくれるなんて、思いもしなかった。 こんなふうに、求められるなど。 清四郎は悠理のシャツの中に手を差し入れた。器用な指先でブラを外し、胸を貪る。 時に、強引で性急なまでに。清四郎は飽かず悠理を求める。 Tシャツの布の上から胸の先を唇で苛められ、悠理は吐息を漏らした。 シャツの中で蠢く指先に先端をいじられ、尖ったそこを吸われる。濡れた布が張り付き、赤く色づいた欲望が 曝される。 「だ・・・だめ」 これでは、仲間たちの元にしばらくは戻れない――――そう思ったとき。 タンタタタ〜♪ 突然、清四郎の携帯がひょうきんな音を立てた。 「・・・”今日の料理”?」 あまりに彼らしくない着メロに、悠理は呆然と呟く。 清四郎は悠理の胸元から顔を上げ、ニヤリと笑った。 濡れた唇と乱れた髪が淫靡だ。 「美童からのメールです」 悠理を木に押さえつけたまま、清四郎は器用にポケットから携帯を取り出し、片手で開けて確認する。 「魅録にメールが着てたでしょう。すぐに美童からだとわかりましたよ。だから、こちらにもじきに入るだろうってね」 清四郎は悠理の顔の前に携帯の画面を掲げて見せた。 『戻って来なくていいよ。ジャマはしないから、ごゆっくり。 ちなみに、池の付近は人気がなくて穴場だよ。Good Luck!』 悠理は一読して、呆れた。 「・・・なんで、魅録もおまえも、美童からの着メロが料理番組?」 「いや、なんとなく」 「あいつ料理なんて、女の子しかしないぞ。しかもすぐ食っちゃうし」 「僕も早く食べたいですよ・・・おまえを」 清四郎はそう言うが早いが愛撫を再開した。 「あ・・・あんっ」 立ったまま、木の幹に悠理は縫いとめられ犯されていた。清四郎のあの長い指に。 わざと音が立つように抜き差しされ、激しくかき混ぜられ。悠理は首を打ち振った。 もどかしくて。早く、彼自身が欲しくて。 だけど、息が止まるほどいっぱいに望んだ彼の欲望をねじ入れられたとき、悠理は恋人をなじっていた。 「どう・・して、立ったまま・・・なんだ、よ」 下から突き上げられる。浮いた足が清四郎の腕で跳ねる。 白鹿家でも、立ったまま抱かれた。狭い場所だったので仕方がなかったのだけど。 「一刻も惜しいから、です」 清四郎は自分をすべて悠理の中に埋め込み、気持ち良さそうに息を吐いた。 「時間が惜しい。僕らがこうしていられるのも、そんなに長い間じゃない」 「え・・・?」 ゆるやかに腰をすりつけ、悠理の内部で清四郎が動く。 恋人の言葉に驚いて目を見開いた悠理の目を、葉陰から見える湖面の煌きが焼いた。 悠理はふたたび目を閉じる。 「ど、どういう・・・意味?」 なんとか搾り出した声は震えて上ずった。 信じられないほどの幸せの絶頂なのに。不安が胸を締め付ける。 「おまえ、どっか・・・行っちゃうの?」 閉じた目に涙が滲むのは、快感のためだけじゃない。悠理は突き上げて来る清四郎の肩にすがり付いた。 ――――イヤダイヤダイヤダ。離れたくなんかない。もう、清四郎なしでは生きていけない。 悠理のすべてが清四郎を激しく求める。心に忠実な体が、彼を締め付け離すまいとする。 清四郎の動きが次第に激しさを増す。速くなる律動。荒い息。揺さぶられながら、悠理は悲鳴のような嬌声を上げていた。 「いやぁーーっ!」 「くっ」 清四郎の汗と悠理の涙が混じりあう。 ふたりは絡まりあったまま、ドサリと木の根元に転がった。 「やだ・・・いやだよぉ」 悠理は清四郎の胸に顔を埋めて涙声で呟いた。 清四郎の心臓は激しい動悸を打っている。かたく抱き合った体は、まだ繋がったまま。 「・・・なんだか強姦してるみたいで妙な気分だな。どうしたんです?」 清四郎が悠理の髪を何度も梳かしてくれる。 「だって」 悠理は顔を上げた。清四郎は草の上に片肘をつき、優しい目で悠理を見つめている。 だけどまだその目には、欲望の炎がちらついていた。 「おまえ、どっか行っちゃうの?時間がないって、どういうこと?」 清四郎は、一瞬、目を見開いた。 「ヤダよぉ、あたい・・・おまえと別れるの・・・」 ベソベソ泣きだした悠理を、清四郎は、ぎゅ、と抱きしめた。 「悪い、そういう意味じゃない」 清四郎はあろうことかクスクス笑いだした。悠理が不安でたまらないと言うのに。 「僕らがこの2ヶ月と23日で何回こうして抱き合ったか、分かりますか?」 「え?」 「僕も正確に数えてはいないんですがね。一日平均七回として・・・約580回はしてるわけです」 「へ?」 「それで、あとどのくらい時間が残されているか考えたんですが。おまえも僕も頑健で健康だから、平均寿命は生きるとして。 一緒に居られるのはあと60年くらいですよね。でも、こんなことをできるのは、さすがに30〜40年程度でしょう」 「はぁ?」 「ざっと計算してみると、365日×7回×40年・・・目一杯で約10万回ですかね。しかし、さすがの僕も中年以降、 平均を維持できるかどうか。逆を言えば、10万回以下しかできないってことです」 「ーーーーーーおまえ、バカ?」 思わず言ってしまって、悠理は後悔した。 「おまえにだけは言われたくないですね。お仕置して欲しいんですか?」 案の定、清四郎は機嫌を損ねたようで、体勢を変え悠理にのしかかった。 まだ清四郎は悠理の中に自分を埋めたまま。 「あ・・・あぅ」 両足を抱えられ、胸に付くほど折り曲げられた。そうするとより深く清四郎を含み込むことになる。抉るように抜き差しされ、悠理は喘いだ。 弱いところを擦られる感触。清四郎とひとつになって高まる快感。 もう、自分を保つことも難しい。 「あー、あー・・あんあん」 清四郎は熱を宿した潤んだ瞳で、悠理を見下ろした。 「おまえの、イク顔・・・もっと見せてくれ。10万回なんて足りない・・・」 「せいしろ・・・清四郎!」 木漏れ日と、清四郎の懸命な顔がかすむ目に映る。 悠理は両手を伸ばした。抱き寄せた逞しい背。 太陽にだって自慢したい。悠理の大好きな彼を。 (ちょっと、変態でエッチだけど) これが、最初で最後の悠理の恋人。 60年後も一緒にいようと、言ってくれるひと。 「・・・だけど、10万回もしたら、おまえ早死にしちゃいそう」 本日のノルマ(一日平均)をこなし、清四郎は悠理の隣でまどろんでいる。 穏やかな風が、乱れた髪を揺らす。肩に引っ掛けた清四郎の白いシャツを悠理は引き寄せ、汗の引き始めた裸の胸に顔をよせる。 「ジンキョってゆーの?あたい、嫌だじょ。フクジョーシ」 「・・・本当に、つまらない言葉は知ってますね」 清四郎は苦笑した。 寝転がったまま、悠理の髪についた草を取る。そのまま、髪を撫で頬を両手で包んだ。 ちゅ、と唇に触れるだけのキス。 「ふにゃ」 悠理がなにより、清四郎のキスに弱いことを知っているのだ。 「セックスが10万回なら、キスはその倍以上いけますね。とりあえず、20万回を目指しましょうか?」 「へ?」 「一日ノルマ、14回!」 「ノルマって・・・」 また”バカ?”と口にして、”お仕置”をされてはたまらない。悠理はすんでのところで言葉を飲み込んだ。 キスなら、一日100回だって平気だし。 小鳥が木から飛び立った。 悠理は顔を上げる。木漏れ日が眩しい。 疲れたように目を閉じ、清四郎はまたうとうとまどろんでいる。 悠理は清四郎の胸のシャツのボタンを不器用な指で留めた。 「風邪、ひくぞ?」 「ん・・・」 精悍な頬に形の良い眉。薄めの唇。整った鼻筋。鋭利で知性的な黒い瞳が閉じられている今、 無防備な寝顔は、いつもよりずいぶん幼い。 悠理は清四郎の寝顔を見るのが好きだった。 胸が疼く。鼻の奥がつんとする。 泣きたいほど、幸せだった。 気づくと、いつかのように、清四郎の唇に口付けていた。 あの、2ヶ月と23日前の朝。悠理の人生が一変した奇跡の朝のように。 「・・・悠理」 いつかと同じように、清四郎は目を開けた。 黒い優しい瞳。 清四郎の腕が悠理の腰に回る。体の上に乗せられ、もう一度キスを交わした。 「やっぱりドーブツですな。野外でするのがお気に召しましたか?今日のノルマは終わりましたよ」 意地悪くからかう彼に、こつんと額を合わせる。 「だって、嬉しかったんだもん。野外がどーとかじゃなくて・・・これって初デートだよな?」 「うーん、微妙ですな」 清四郎は少し考えて、ポツリと答えた。 なにしろ結果はともかく、始まりはグループピクニック。デートとは何かチガウだろう。 あらためて考えて見なくても、付き合いだしてから恋人らしいイベントはなにもしていないふたりだ。 「今度の試験休みに、旅行でも行きますか」 「え?ホント?」 「ただし、赤点クリアできたらね」 「・・・。」 ロマンチックな気分がその一言でシュウウと萎えた。 ここのところナニの勉強ばかりで、学生の本分がおざなりになっていることを清四郎は思い出したらしい。 ”勉強を教えて欲しい” もともとそう言って清四郎を押し倒したのは悠理の方だとはいえ。 うんざり顔の悠理に、清四郎はにっこり微笑んだ。 「大丈夫ですよ。僕がみーーーーっちり教えてあげます」 目に浮かぶのは、熱い欲望。 まだ、清四郎の方では盛り上がった気分のようだ。きっと、赤点を取ったときの”お仕置き”でも考えているんだろう。 清四郎はふくれっ面の悠理を抱き寄せた。耳元に熱い吐息を吹きかける。 「温泉にでも行きましょうか、今度はふたりきりでね。・・・気兼ねなくおまえを抱きたい」 大好きな恋人からの約束。それなのに、悠理は素っ頓狂な声を上げていた。 「気兼ね?!そんなんしてたの?!どこらへんがーー?!」 思わず出した大声が、木々に反射する。一斉に小鳥が飛び立った。 傍若無人な悠理の口を、清四郎はすぐに塞いだ。 初夏の晴天。太陽さえも、恥じ入るふたり。 20万回目のキスは、予想よりも、きっと早い。 |