下克上エクスタシー

後編



やばい、と悠理の理性が敵前逃亡を促した。
敵、すなわち元夫であり現同居人である友人は、ひどく怒っているようだったから。
だけど、悠理の感情はまだ怒りと負けん気に駄々をこねている。
そして、本能は期待と恐れに震えていた。
男の目の中に、欲情の色を読み取って。

それでも、清四郎の手が悠理の腰に伸びたとき、思わず体は逃れようともがいていた。
向けた背をあっけなく捕らえられて。
悠理の指は、ベッドのシーツをつかむことなく、宙をあがいた。
抱きすくめられた背中で感じる男の体は、いつもより熱い。
先ほどの憔悴振りと、らしくないもつれた足取りを考えれば、本当に発熱しているのかもしれない。
「せ、清四郎・・・」
あえぐように名を呼んだ。
「・・・・。」
彼は喉の奥で、唸るような音を出した。
だけど、捕らえられたままの体をまさぐる手は乱暴で、あっけなくパジャマのズボンを下げられてしまった。
「わわわっ」
悠理のあせる声などかまわず、長い指が性急に狭間に滑り込んだ。
「・・・濡れてますよ」
耳元で発せられた声は、別人のように掠れていた。
指先が敏感な場所をくすぐる。くちゅ、と音を立てて滑り込む。
「ん・・・」
ほとんど抵抗なく指を受け入れてしまい、悠理は身じろぐことしかできなかった。
いつも慣らすように焦らすように長居をする指だったがこのときは感触を確かめるように掻き回したあと、すぐに退いた。
「あ、あ、あ、」
細い指は、太い彼の欲望に替わる。
立ったまま、下だけ剥き出しにされ、差し込まれた肉の棒。
体が抵抗し、収縮する。それを割るようにずぶずぶ埋まっていく圧迫感に、拘束されたままの上体を仰け反らせた。
こんな風に犯されても、痛みを感じず快感だけを感じる体に、作り変えられてしまっている。
「・・・く」
あえぎ身悶えているのは悠理なのに、清四郎の口から苦しげな息が漏れた。
「・・・だめだ」
いきなり上体が自由になった。
倒れかけた悠理は、かろうじてベッドに手をつき体を支える。
腰だけ彼に支えられたまま。

「・・・今日は無理だ・・・僕を殺したいんですか、悠理」
大きくため息を吐きながら、悠理の背に覆いかぶさってくる男の体の重み。
犯しながらのこの言葉に、悠理は歯を食いしばった。
「よ、よく言う・・・」
深く欲望を埋めたまま、腰から胸に回った両手はゆっくりと胸をもみこみ摘み上げる。
繋がった部分が胸への刺激に、ドクンと疼いた。
悠理の指の下でシーツに皺が寄る。
獣のようなひどい体勢が悔しくて、ずり上がって逃れようとした。
ずるりと体内から擦れて太いものが退いてゆく。
内壁の抵抗を、感情が制した。

悔しくて、悔しくて。
こんなに彼を求めてしまう体が、忌々しくて。

ギシリ、と乗り上がったベッドが軋んだ。
何度ここで抱かれたか知れない。
ただの、友人に過ぎないのに。同居人でしかないのに。

――――求めているのは、心じゃない。
そう思い込まなければ、一緒には暮らせない。

完全に体が離れる前に、ぐったりとしていた清四郎が動いた。
「あ、あうっ」
逃れようとする体を強引に引き戻され、激しく突き入れられた。
体が望んでいた刺激に、腕が崩れた。
頬を押し付けたシーツに、唾液の染みができる。
下肢だけを高く引き上げられて、激しく揺すられ、打ち付けられた。
「ああん、ああ、あああーっ!」
嬌声が抑えようもなく漏れる。
彼の汗と体液が混じり、湿った音を立てる。
体の一番奥の奥まで激しく突き入れられ。
頑なに隠し込んでいる、すべての扉を破られてしまう恐怖に、喘いだ。
悠理自身にも何が隠されているかわからない、最奥の殻。

悪意か、肉欲か。
そこから、ときおり溢れ出る、ひどい執着心。
知らないふりで見ないように。いつも、悠理は心の耳をふさいだ。
そんな扉さえないかのように。

体は意思に反して、彼を締め上げ、貪欲に絡みつく。
「あーーーっ!」
悲鳴は、快感のためだけでなく。

清四郎が彼女の中に、すべてを放つ。
「悠理・・・!」

彼の口から零れ出た名前に、胸の奥が疼いた。
心の扉の鍵穴を探る声。彼の持つ鍵が、悠理の内部を穿つ。

声にならない懇願が、彼へ向かった。
――――心の扉を、暴かないで。
痛みに近い、切望。

言葉の替わりに、涙が零れ落ちた。



******





清四郎はどさりと彼女の隣に崩れた。
裸の胸が激しく上下している。
気だるげに濡れた男の体は、ひどく扇情的だった。

夜通し悠理をいたぶり泣かせ続けても平気な程、強靭な体と精力を誇る彼が、今夜は完全にダウンの様相だ。
見下ろした清四郎の髪に落ちる雫。
悠理は、手の甲で頬を拭った。
どうして涙が零れてしまうのか、わからない。

清四郎の頬を悠理の涙が濡らす。
まるで、彼の涙に見えた。
そんなはずもないのに。

不敵な笑みを浮かべた余裕顔。長年付き合っているが、悠理の脳裏に浮かぶ清四郎の表情は、いつでも意地悪な笑み。

ずくんと体の奥に疼痛を感じる。肉体的な痛みなのか、心の痛みなのか。
彼のすべてを無理やりに奪いたくなる。
その”すべて”が何かは悠理にはわからないけれど。
搾り取るように体は彼の精を求めた。
拭った涙の代わりに、体の奥から彼の名残が零れそうになる。
生々しいその感触に、悠理はひとり赤面した。
獣のように突き入れられても、彼を欲して犯したのは悠理の方だったから。

力なく寝入ってしまっている男の横顔に、また苛立ちが蘇り、顔をしかめた。
「ん・・・?」
眠りに落ちてしまったようなのに、清四郎の息は荒く早かった。
目の下の隈と削げた頬に反して上気した顔色。
「せいしろ・・・?」
呼びかけても答えのない彼に、やっと悠理は異常を悟った。
乱れた前髪を掻き分けて額に触れる。
「や、やばっ」
かなりの高熱。
赤らんだ彼の顔とは反対に、悠理の顔からは血の気が引いた。
悠理はタオルを手に慌てて洗面所へ向かった。



******





現在事実上、剣菱財閥のトップである菊正宗清四郎氏が、体調不良で欠勤するのは、翌日が初めてのこととなった。
前日まで約一週間駆けずり回っていたトラブルが無事解決したため、気が緩んだのだろうと周囲は解釈した。
ほとんど超人的なまでに精力的に働く彼に畏怖を覚えて久しい幹部連中の中には、彼もまた人の子であったのだと、安堵する者も居たらしい。
しかし、真相は病欠の届けを伝えてきた彼の前妻だけが知っていた。



******





「うえっ・・・ひっく、ふぇぇ・・・」
「・・・・そんな泣くと、目が腫れますよ」
清四郎は苦笑する。額に乗せていた濡れタオルを悠理に差し出した。
解熱剤も効いて、もう起き上がれない程ではない。
しかし、珍しくもかいがいしく看病する悠理に枕元で心配そうに見つめられ、清四郎も悪い気はしない。
自分が絞って用意したそのタオルで悠理は思いきり鼻をかんだ。

「ご〜め〜ん〜」

もう一度、涙声で清四郎に謝った。
悠理にしても、こんな事態は予想外。まさか、本当に清四郎が熱を出して寝込んでしまうとは、思わなかったのだ。
医者の診断を待つまでもなく、『過労』。
もう少しで信用失墜と莫大な損失を負うところだった剣菱商事のトラブルを防ぎ、清四郎がこの一週間不眠不休で走り回っていたことは、悠理も知っていたはずなのに。
なんだかわからない子供っぽい八つ当たりで、悠理が彼に止めを刺してしまったのだ。
「謝られても・・ねぇ」
清四郎は口元をゆがめて眉を下げる。
「今回は全面的にあたいが悪いよ・・・看病するから!なんか欲しいもんない?腹減らない?」
「腹が減ってるのは、おまえだろう」
清四郎は呆れ声。
まぁ、悠理ばかりが一方的に彼を強姦したとは言い難い状況なので、彼の方に彼女を責める気持ちはないのだが。
とりあえず、後悔と加害者意識でベソベソ泣いている、長年の友人で元妻で現同居人の頭をヨシヨシと清四郎は撫でた。
「でも、欲しいものはありますねぇ」
「なに?なに?あたい、なんでも用意するぞ!」
「なんでも?」
清四郎の目が細まる。笑みから苦い色が消える。やつれた貌に不似合いな、にこやかな明るい笑顔。
「・・・お、おう!」
経験上、清四郎がああいう顔をするときは、ろくなことがない。悠理の野生の本能が警報を発する。
「ひ、ひとつ・・・だけ、な」
「ひとつだけですね?」
「・・・簡単なモンにしてくれな?」
「欲しいのは、モノじゃないです」
「・・・・・・・・・・あ、あたいにできることだけだぞ?」
「おまえにしか、できません」
にっこり。
「・・・・・・・・・・・・・・・それって、痛くない?」
すでに、悠理の感情をよそに、本能が逃げの体勢。無意識に1mはベッドの元夫から距離を取ってしまっている。
腰の引けまくっている悠理に、清四郎はこっくり頷いた。
「ぜんぜん痛くなんかありません。ちょっとした書類仕事を頼みたいだけです」
悠理は心底ほっとして、ふたたびベッドサイドに戻ってきた。
「なに?簡単なことだろ?」
「ええ」
清四郎は手を伸ばしてサイドボードを開き、薄い書類を取り出した。

「これに署名捺印して役所に届けてもらえますか」

見覚えのあるその紙は――――『婚姻届』。

「な、な、な・・・」
「簡単でしょ。離婚届は悠理ひとりで提出できたんだから」
「あうあうあう・・・・」
「ひとつだけ、僕の言う事をきいてくれるはずですよね?」
――――欲しいものをあげると言ったのだけど。
あえて、悠理は反論しなかった。

すでに彼の分は記入済み(立会人の欄にもしっかり剣菱の両親の見慣れた自筆)のその書類を、悠理は穴の開くほど見つめた。

かつて、なんとなくサインしてしまったその書類。
彼と彼女を、友人以外のカテゴリーに括る法的立場。
ふたりの関係を示す公的な呼び名がどう変化しようと、悪友にすぎないのに。
どんなに体が変えられ、立場が変わろうと、心は変わらないのに。

「悠理・・・」
清四郎が身を起こした。
右手でこいこい、と手招き。
条件反射的に、悠理はその手の下に頭を滑り込ませる。
書類を握り締めたまま、しかめっつらでベッドに顎を乗せた。
柔らかく頭を撫でられる。長い指で髪を梳くように撫でる暖かな手の感触。
「あのね、シンプルに行きましょう」
「しんぷる?」
まだへの字口で聞き返す。
「僕は・・・まぁ、当分このままでいたいわけです」
「うん」
「そしたら、おまえと結婚してるのが一番自然でしょう?」
剣菱の婿としての立場。結局、清四郎の欲しいものは、それなのだろう。わかっていても、気分が沈む。
「おまえだって、離婚してても何もメリットなんかないでしょう?僕だってです」
メリットとデメリット。彼の世界は、なるほどシンプルだ。
「・・・浮気、できなくなんぞ」
思わず口をついて出た自分の言葉に、悠理は驚いた。
昨日見た美女が脳裏を過ぎった。どうせ、仕事の相手なのだろう。不眠不休で各方面を折衝して回っていた清四郎のビジネスランチ。あの慇懃な愛想の良い営業スマイルは、冷静になった今ならわかる。
あんな女に嫉妬しているわけじゃない。あまりにあからさまに清四郎狙いを隠してはいなかったとはいえ。
彼が他人の顔で悠理に挨拶をしたのが、腹立たしかっただけ――――きっと、多分。
悠理と清四郎は他人じゃないけど、恋人同士ではない。今は、夫婦でもない。
そんなふたりに『浮気』なんて言葉はそぐわない。

清四郎も変な顔をしている。
悠理の言葉も苛立ちも理解できないといった顔。
「なに言ってんですか、バカバカしい」
この男のビジネスライクな笑顔の裏の非情な無関心の前では、どんな美女も形無しだろう。
「僕のどこにそんな余力が?精も根も使い果たしてるってのに」
眉を寄せた清四郎は悠理の頭をグイと胸元に抱き寄せた。
ふう、とため息が悠理の髪を揺らす。
「・・・一週間も放っておいて、悪かったですね。そんなにおまえが・・・目覚めてくれたとは」
「む?」
悠理は清四郎の胸に頬を寄せたまま、ますます口元を下げる。
「今回の一件で、よく分かりました。おまえを野放しにしておくのは危険だ」
「むむむ?」
「僕が、極力不自由な思いをさせないように努力します」
「むむむむ?」
「体力が回復し次第、たっぷり・・・・満足させてやる」
清四郎の手は、髪から背を滑り悠理の体を撫でながら辿る。
慣れた感触の熱い手。欲望を滲ませた声音。
悠理は理不尽な思いに苛まれながら、その手に身を任せた。
あまりに心地良かったから。
そして、胸が苦しかったから。

悔しかった。
いつだって清四郎の手の中で、思い通りにされてしまっている気がして。
悔しい悔しい。口惜しい。
この男を、ぎゃふんと言わせる方法なんて、悠理には思いもつかない。
所詮、ペットと主人、孫悟空とお釈迦様。

それでも、その手は心地良かった。
友人で、同居人で、また夫になる男の慣れた手。
憔悴した面に頬を寄せると、熱い唇が応えた。

この男は、まだ悠理のものだ。

胸を過ぎるのは小さな痛み。
自分の心から、悠理は目を逸らす。何度目かの施錠。心の奥底の扉を閉める。

――――痛くない、なんて嘘だ。
清四郎の望みは、痛みを伴う。悠理の胸に、小さな甘い痛みを。









2005.5.21


 



とゆーわけで、馬鹿夫婦一回目の復縁話でございました。悠理ちゃんってば、ハメられて再婚したんですね。(ま!ハメられて、なんてお下品w)これから悠理が自覚する「アジアの純真」までには結構長い道程。清四郎はいつどういう状況で自覚するんでしょうか。まったく未設定。誰か書いてください。(笑)
前述の通り、このお話の続編はあります。今回悠理ちゃんが清四郎を殺しかけ(?)ましたが、次回は清四郎がリベンジ!(いやちょっとチガウかも)

らららTOP


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