前編 「菊正宗先輩、好きです!」 赤らんだ頬。潤んだ瞳。 小さな細い指に、きゅ、と手を握られ、男は一瞬、頭が真っ白になった。 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」 座ったまま、清四郎がしばし石化していたのも無理はない。 至近距離で清四郎の手を握る彼女は、とびきりの美少女。 きらきらした瞳が、恋の熱でハート型になっている。 もちろん告白されるのが初めてだったわけではない。しかしここまで異性の接近を許したのは初めてだった。 テーブルに隣り合わせで座った二人の距離は30センチ。 手まで握られてしまったのは、清四郎に隙があったからだ。 まさか、こんなところでこんな相手に迫られるとは、夢にも思わなかったのだ。 「・・・またぞろ、なにかに憑りつかれましたね・・・」 清四郎は彼女に握られた手をふりほどかないまま、大きく嘆息した。 「・・・だな、どう見ても」 応えたのは魅録。 清四郎の言葉に、張り詰めていた室内の空気が緩んだ。 石化していたのは清四郎だけではなかった。ここは部室。有閑倶楽部の面々も、 同じように硬直していたのだ。 ただ一人をのぞいて。 うるうるきらきら。 トラブルメーカーで、霊感体質。 その悠理のこんな顔も、彼らにとっては初めてではない。 「雲海和尚のときと、同じだなぁ」 「なんだか可愛いですわね、こんな悠理って」 呑気な仲間たちに、清四郎は沈んだ声を出した。 「他人事ならおもしろがれますがね。当事者となるとそうもいきません」 清四郎は自分の手を握って、うっとり頬を染めている悠理の目をのぞきこんだ。 「あー・・・、ええと。貴女はどなたですか?僕には心当たりがないんですが」 「うふっ」 悠理は清四郎にはにかんだ笑みを見せた。 「うれしい!こんな風に、ずっとお話ししてみたかったんだ〜」 きゃは♪と肩をすくめた悠理に、清四郎はこめかみの血管がひきつった。 あまりにそれは、彼の知る悠理の表情とは違ったから。 顔面に影を落としながら、清四郎はそっと彼女の手を外した。 「な、ま、え、は?」 少し強めに問いかける。 彼女はびくりと体をすくませた。 「・・・ユウリでいいよ。ずっと、悠理ちゃんがうらやましかったんだもの」 「どうしてです?」 清四郎は眉を上げる。 清四郎を好きなら、羨ましがる対象は野梨子だろう。幼稚舎からずっと変わらず仲が良かったのは野梨子の方だ。 学園内では、清四郎と野梨子が付き合っていると思っている者も多い。 もっとも、悠理とは剣菱家の事情で一度婚約したことがある。 それを知っている者なのだろうか。 彼女は、ひらりと椅子から降り、スカートの端をつまんでくるりと回ってみせる。 ふわりと広がるスカート。 その身の軽さは悠理のものだが、仕草が悠理とはまったく違う。 「悠理ちゃんって、とても綺麗なんだもの。この制服も、ずっと着てみたかったの」 清四郎は眉を寄せた。 見慣れない友人の姿に、戸惑いと疑いを隠せない。 「もう一度ききます。君の名前は?」 清四郎がそう言った瞬間。 悠理の体が、ガクッと崩れた。 いきなり糸の切れた操り人形のように倒れかけた彼女を、慌てて清四郎が受け止める。 「・・・ううう・・・頭が重い〜・・・」 「悠理、ですね?」 清四郎はホッと息をついた。 突然憑依した何者かは、やはり唐突に去っていったようだ。 いつものことながら、悠理はガタガタ震え、顔面蒼白。清四郎の腕にすがりついて、今にも気絶しそうなほど目は虚ろ。 「すっげー迷惑なんだけど・・・おまえのこと好きな霊かよ?」 悠理は身を放し、清四郎を見上げた。 その歪んだ表情に、清四郎は苦笑する。 「へぇ。めずらしく、憑依されたときのことを憶えてるんですか。 しかし、迷惑はこっちのセリフです。何回憑依されたら気が済むんですか?」 「あたいにもどうしようもないんだから、しゃーねーだろっ」 「まーまー」 見かねた可憐が割って入った。 「悠理、あんた前みたいに、幽霊見たの?葬式にでも近寄った?」 悠理は自分の体を抱きしめてふるふる首を振る。 心当たりはないらしい。 「”先輩”って言ってたよな」 魅録が首を傾げた。 「学園で生徒が亡くなったなんて話があれば、すぐに耳にはいりますよ。 今日の今ならともかく」 「だよ、なぁ」 彼らは一応生徒会。冠婚葬祭の情報は逐一入る。 「でも、清四郎は他校にも知り合いが多いじゃありませんか。いろんなサークルの会合で」 「ええ、でも女子となると数は限られてますし・・・」 野梨子にそう答えながら、清四郎も本当に心当たりがなく、首を捻る。 「悠理のことも知っている様子だったんだから、やはり学園の人間かもな」 魅録の言葉に、一同は頷く。 「そうだ、幽霊じゃなくて、生き霊ってこともあるよ。意識不明の下級生とか。 職員室で確認してこようか」 経験上、美童の言葉には説得力がある。 しかし、清四郎は首を振った。 「この制服を着てみたかったって、言ってましたよね。やはり学園の者ではないと思いますよ」 悠理が頭をかきむしった。 「とにかく、どうにかしてくれ〜!あたい、二度と霊騒ぎは嫌なんだよぉ」 「体質なんだから、あきらめるしかないでしょうね」 「なんだとっ、今回はおまえのせいだろー!」 「まぁまぁ。また成仏させてあげればいいことじゃないの」 「でも、相手がわからないとお手上げだよな」 「それに、成仏って、どうすんだ?」 「あら、それは、清四郎への想いを遂げられればいいんじゃないんですの」 「・・・・・・・。」 野梨子の言葉に、他の者は言葉を失った。 「まぁ、でも、そういえば具体的にはどうすればいいのかしら?」 野梨子に他意はない。 しかし、ラブレターから、@@@まで、聞いた者の経験相応の妄想が、彼らの脳裏を渦巻いたのも無理はなかった。 何度遭遇しても、悠理が霊体験に慣れることはない。 「一人にすんなよーっ、薄情もんー!」 そろそろ帰宅しますか、と席を立った一同に、悠理はベソ顔で訴えた。 しかし、同情の色を浮かべながらも、仲間たちは顔を見あわせる。 なにしろ、今回憑依された霊には禍禍しさは微塵も感じられなかった。 むしろ、能天気。 「いいじゃな〜い、人助けみたいなもんでしょ?」 「まぁ、清四郎とお話できた、ってあんなに喜んでいたのですから、可愛らしい霊ですわね」 「あれから出ないし、案外あれで満足して成仏したとか?」 「可憐、野梨子、美童!いーかげんなこと言うなっ!あれから一時間経つのに、寒気と頭痛がなくなんないじょ! あいつ、どっかにまだいんだよぉ」 悠理は周囲を見回して、ガタガタ震える。 毎度おなじみとはいえ、寒気と疲労感でぐったりしている悠理には、深刻な問題だ。 「こ、こわいんだよぉ」 悠理は涙を浮かべて、最後の頼り、とばかり傍らの魅録と清四郎を見上げた。 魅録は困った顔をして、顎を掻く。 清四郎も複雑な表情で、悠理の顔をまじまじ見つめた。 うるうるしていても今の悠理は、確かに先程とは違う。見慣れた子犬のような姿だ。 それなのに先程の彼女の姿が一瞬重なり、なにやらわけのわからぬ胸苦しさが清四郎を襲った。 頭を振って、気を取り直す。不安そうな悠理を安心させるため、いつものクールな笑顔を向けた。 「”あいつ”の姿は、今回は見えないんですね?」 「うん」 「憑依されてるときにおまえの意識が残っていることといい、いつもと違いますね」 「なんか・・・いつもは、幽霊はあたいに見られたがってる感じなんだけど、今回のやつは なんか違うんだ」 「見られたくない、と?そういえば、名を問い掛けても答えませんでしたね」 「清四郎を好きっていうなら、自分のことを知って欲しいと思うよな」 魅録の言葉に悠理は首を傾げ、少し考えてから首を振った。 「正体を知られたくはない、と?」 「うん、そんな感じ」 清四郎と魅録の視線が絡んだ。 「想いを残して死んだ霊が、正体を隠すかよ?」 「どうも、生霊臭いですね」 魅録は清四郎に肯き、鞄を肩にかついだ。 「ちょっと、調べてみるか。おまえの周辺で誰か意識不明の女がいないか」 「ええ。僕も交友関係で心当たりを探してみます」 「いったん家へ戻って情報集める準備してから、お前ん家に寄るわ」 魅録は友人たちにろくに挨拶もせず、勢いよく部屋を飛び出して行った。 清四郎はその後ろ姿を見送り、考え込む。 「正体を調べる、と口に出したのに、これといった霊障もありませんねぇ」 清四郎は部室を見回した。 「悠理、ここに彼女の気配を感じますか?」 「う、うん」 「じゃあ、魅録は大丈夫でしょう。たしかに害意はない霊らしいな」 悠理はこくんと肯いて、つつつ、と清四郎に近づいた。 いつのまにか、清四郎の制服の裾をしっかりつかんでいる。 「悠理?」 いぶかしむように顔を覗き込むと、泣きそうな顔。 天敵に遭遇したとき清四郎の背に隠れる、いつもの悠理の顔だ。 「あたいは、どうすんだよぉ。このままあたいにアイツがくっついてきたら、とても一人じゃ寝られないよぉ」 清四郎は眉尻を下げた。 「僕がそばにいるほうが、マズイような気がするんですが」 本気で怖がっている悠理の様子に、先程気楽なことを言った可憐と美童と野梨子は顔を見あわせた。 「悪かったよ、悠理。だけどたしかに霊は清四郎目当ての女の子なんだから、清四郎と一緒にいれば 出現しやすくなると思うよ」 「そ、そーよ悠理。いつもみたく、清四郎にひっついてたら大丈夫ってわけにはいかないのよ」 「かわりに私たちが、今夜は剣菱に泊まり込みますわ」 野梨子の友情溢れる申し出にも、悠理は不安顔。 可憐も野梨子も美童も、清四郎と魅録に比べれば霊感が強く、その分操られやすく頼りにならないことは これまでの経験でわかっている。ただでさえ、荒事には不向きの三人なのだ。 悠理はつかんだままの清四郎の袖を引いた。 「やっぱ、おまえも来てくれよ」 清四郎は苦笑した。悠理の頭をぽんぽん叩く。 「僕と魅録とで彼女を突き止めて解決しますよ。それまで我慢しろ」 「ううう・・・」 なおも唸りつつ清四郎の袖をつかんでいる悠理に、美童が口を尖らせた。 「せっかく、怖いの我慢して泊まり込んでやるって言ってるのにさ。そんなに悠理は 清四郎に、夜這いかけたいわけ?」 「!!!」 効果覿面。 悠理は清四郎の服をパッと放した。 赤面しているのは、かつて雲海和尚の初恋の君に憑依され、和尚に夜這いをかけるという 屈辱の記憶を思い出したからに他ならない。 清四郎はわかりやすい悠理の態度に、苦笑を漏らした。
ええと・・・一度やってみたかったんですよ、霊モノ。せっかく悠理は霊感人間だし。しかししかし。私はかなりの怖がりで、オカルト執筆は無理でした。
で、まぬけなラブコメゴースト物に。
ここのところお馬鹿な夫婦物とかばかり書いてましたので、久々の恋愛以前の清×悠も書くのが楽しい♪タイトルは平井堅のお歌です。
歌詞の通りの内容になるかは、まだ謎。(笑) |