中編 寝苦しさに清四郎は目を覚ました。 どんな夢を見ていたかは、目覚めた瞬間に忘れてしまったが、悪夢に違いない。 見慣れた自室内ですぐに目に入ったのは、テーブルに突っ伏して寝息を立てているピンクの髪。 寝苦しいはずだ。いつもきちんとベッドに入る彼が、友人と酒を酌み交わすうち、床で寝てしまったのだから。 机の上には、半ば徹夜で広げたサークルの会報だのアルバムの山。 悠理に憑依した者が何者か、なんて真剣に検討していたのは、しかし最初だけだった。 魅録が自宅から時宗氏のナポレオンを失敬して来たため、清四郎も秘蔵の酒(父親からの強奪物)を蔵出しし、 二人で夜通し杯を重ねた。 気の合う友人と飲む酒は、心地よい酔いをもたらす。 しかし、清四郎は肩のコリをほぐしながら浮かない顔で身を起こした。 『好きです!』 うるうるきらきら、ハートマーク付きでうっとりと彼を見上げた友人の顔が脳裏から去らなかった。 悠理が霊に憑依されるなんて、珍しいことではない。 あんな顔も、以前の雲海和尚との一件の際、間近で目撃済み。 それでも、普段の山猿ぶりとあまりに違う”恋する乙女”な友人の姿は清四郎を戸惑わせた。 ほんのり染まった頬。長い睫の下で潤んだ瞳。 思い出しただけで胸の動悸が激しく高鳴る。 思えば長い付き合いになるが、剣菱悠理が女に見えたことはこれまで一度もなかった。 「・・・別人なんだから、当然ですよね」 小さく呟く。 あれは、悠理ではない、誰か。 あんな瞳で告白されたことも初めてではないのに、動揺してしまう自分が清四郎は解せなかった。 問答無用で体を乗っ取られた友人の蒼ざめた顔と、頬を染めた乙女が交互に脳裏に浮かぶ。 同じ顔なのに、まったく違う。 不安そうな心細げな、悠理への憐憫が勝つ。 「誰なんですかね・・・君は」 清四郎は文字通り傍迷惑な求愛者を思い、苦虫を噛み潰した。 早朝の静けさの中、ピンポンとチャイムの音が響いた。 菊正宗家の朝は早い。すでに起き出していた母親が応対する声が聞こえた。 清四郎は自室のカーテンを開ける。 門前に来訪者。 その姿をきちんと確認する前に、階下より呼ばれた。 「清四郎ちゃん!もう起きてます?」 清四郎は小さくため息をつき、母親に応えた。 「はい、今行きます」 昨夜眠ったままの服装を整えながら階段を下りる。 玄関では、母親が困った顔で息子を見つめていた。 「僕にお客ですか」 「・・・ええ、それが・・・」 「悠理でしょう?」 母親は困惑顔で頷く。 いつもなら元気よくすでに上がりこんでいるだろうに、彼女の姿は玄関にはなかった。 「・・・ええ、悠理ちゃん・・・なんだと思うけど」 歯切れの悪い母親の言葉が、すべてを物語っている。 清四郎は大きくため息をついた。 悠理ではない悠理。朝の弱い彼女が来るわけはない。予想していた通りだ。 玄関を開けて外に出ると、門に背中を預けた華奢な姿が目に入った。 「・・・なるほど」 一目で母親の困惑の表情のわけを悟る。 清四郎の呟きに、彼女は背を離してくるりと振り返った。 紅潮した頬。輝く瞳。 「清四郎♪」 弾んだ声で名を呼ばれ、清四郎はくらりと眩んだ。 ハート型の目と声に滲んだラブラブ光線のためだけではない。 振り返った勢いで、ふわりとスカートが広がる。 茶色の髪の上でリボンと蝶の飾りが揺れる。 上から下までふりふりレースのびらびらワンピース。ロリータファッションとでもいうのだろうか。赤いチェック柄のエプロンドレスに ややカントリー調も入り、足元は編み上げブーツ。 「キャンディキャンデイ・・・」 思わず清四郎は子供の頃姉の好きだった漫画の主人公を連想した。 白いエプロンドレスに縫い取られたてんとう虫やら猫やら(よく見ればタマとフク)がなかなか強烈なアクセント。 ご丁寧に短い髪のてっぺんを二つに編んでリボンで結わえ、カチューシャで前髪を上げている。そのカチューシャには針金でぴょこんぴょこんと 蝶やらてんとう虫やらが揺れているのだから、凶悪なビジュアルだ。 ――――まあ、元が美少女であるから、どこかの店頭やブラウン管の向こうで見れば、その派手で悪趣味なフリフリにもかかわらず、人形のように 可愛いと言えなくもないが。住宅街の一角で、しかも早朝から目にするには、眩暈を禁じえない姿だ。 「・・・それ、おばさんの趣味でしょう」 「ん。クローゼットにはもっと清楚で可愛いのもあったのだけど。これが一番悠理ちゃんらしいかなって」 えへ、と彼女は悠理の顔で小首を傾げて笑った。 「悠理らしい・・・?」 憑依されている間も意識のあるらしい悠理も、その言葉を聞いていることだろう。 憤慨して大暴れする姿が容易に想像できた。 「ごめんなさい、こんな朝早くに」 「いえ、何か用ですか」 ことさら冷たく言う清四郎に。彼女はポッと頬を染めて睫を伏せた。 「・・・だって、会いたかったの」 清四郎はこめかみを揉んだ。 脳裏に浮かんだのは、きっと憤死寸前になっているだろう、目の前の美少女の中の悠理。 「僕の方も、君に会わなければ埒があかないとは思ってましたけどね」 「清四郎も、”あたい”に会いたかったの?!」 弾んだ声で問われて、清四郎は片眉を上げた。 「”あたい”・・・なんだってそんな話し方をするんですか?」 「悠理ちゃんらしくしたいなって。昨夜、美童くんや女の子たちの話聞いて、だいぶ悠理ちゃんのことも分かったし」 言葉遣いだけ真似ても、仕草も表情も悠理とは違いすぎる。かえって悠理らしくされれば、精神衛生に良くない。清四郎は諌めようと 口を開いた。 「悠理らしくって、清四郎のことを好きだという時点で、もう悠理らしくねーよなぁ」 しかし、清四郎の代わりに彼女にそう言ったのは、玄関先に立つ魅録だった。 ポリポリとTシャツの上から腹を掻きながら、魅録は大欠伸。 「なんだって、門のところで話してんだ?家に入れば?」 ええ、と清四郎が頷こうとしたとき、ずい、と隣に立っていた彼女が、魅録に向かって一歩足を踏み出した。 「出たね、松竹梅魅録!」 まるで魅録の方が亡霊のような言い草で、彼女は殺気のこもった目を向けた。 「ここはあんたの家なの?偉そうに。こんな時間に居るってことは、迷惑もわきまえず、泊まったの?!」 魅録は思いもかけない彼女の敵意に、目を細めた。 「悠理の体を無断借用してるおたくに、迷惑とか言われたくねぇな」 ガンの飛ばしあいでは、元ヤンの魅録に一日の長がある。 顔つきの変わった魅録に、彼女の貌に怯えの色が走った。 「あ、あんたのことは昨日聞いたよ、不良!悠理ちゃんのアルバムにも一杯あんたの写真があったし」 「フン、悠理は長年のダチだからな」 「だから、口を挟む権利があると言いたいの?!」 あっけにとられる清四郎を前に、魅録と彼女は睨みあう。 彼女はぐっと拳を握り締め、魅録に正対し片足を引いた。それは、怯えての動作ではなく、まるで戦闘態勢。 そうしていると、悪趣味な美少女ルックにもかかわらず少年じみた面差しが戻り、悠理自身にすら見える。 「悠理ちゃんのことなんか、あんたは何もわかっちゃいないよ!」 彼女は魅録に冷笑を向けた。 「そりゃ、清四郎さんをずっと好きだったのは”私”だけど、”あたい”は悠理ちゃんが嫌悪することは何もできないんだ」 「なに?」 「この体は悠理ちゃんなんだよ。あの子の意識だってある。悠理ちゃんが本気で嫌がることなんか、できるわけない。”私”だって それは望んじゃいない。私は”あたい”になりたいんだ。悠理ちゃんになりたかったんだ!」 彼女の言葉に、清四郎は顔色を変えた。紅潮する頬を自覚するが、どうしようもない。 「なにを言ってるんだ。悠理は嫌がるに決まってるでしょう」 その服装も、清四郎への求愛も。 「そうだ。清四郎を好きなら、おまえは自分自身の体に戻って思いを伝えりゃいいだろう。おまえ、死んでなんかいないんだろう?!」 魅録が彼女に人差し指を突きつけた。 彼女が気圧され、後退する。 そのとき、黒塗りの車が視界に飛び込んできた。 「あぶない!」 とっさに、清四郎は彼女の体を引き寄せる。 車の接近に気づかなかったため、条件反射的行動だった。 黒塗りの車は、菊正宗家の門前で停車する。中からワラワラと転がり出るように人が降りてきた。 美童、野梨子、可憐の三人だ。車は剣菱家のものだった。 清四郎は腕に彼女を抱いたまま、ほっと安堵の息をつく。 「あ、ありがと」 腕の中に目を落とすと、緊張に固まって小さく震える彼女が真っ赤な顔で彼を見上げていた。 つられて、また赤面しそうになる。 「・・・いえ。余計なことでしたかね」 車は家の前で停車していたのだし、なにより彼女は完璧に受身の姿勢を取れていた。やはり、悠理の体だ。 自己防衛本能の条件反射だろう。 しかし、彼女から身を離そうとすると、震える細い指がきゅと清四郎の袖をつかんだ。 「嬉しい・・・」 小さく呟く彼女から、無理に腕を離した。 どうしてか、動悸が跳ねた。清四郎は彼女から視線を逸らす。潤んだ瞳で、彼女はまだ彼を見つめ続けていた。 それは、恋する瞳。 彼にも、悠理にも縁のない感情。 理解できないはずの感情。 「もう、心配しましたわ。目覚めたら悠理の姿がないんですもの」 「でも良かった〜、やっぱここだったんだ」 「にしても、なによあんた、その格好!」 友人三人の言葉に、悠理はくるりとスカートを広がらせ回って見せた。 「ふふふ。可愛いでしょ」 その言葉に、ゲンナリと顔面に影を落とす三人。 「また、乗っ取られてますのね・・・」 「あの洋服見ただけでわかるけどね」 「でなきゃ、そもそもここに来ないわよ」 まぁ、この三人が頼りにならないと清四郎と魅録に泣きついていた悠理だから、彼らを置いて菊正宗家に来ることも ないとはいえないのだが。 「いい加減、悠理を解放してやれよ。何が望みなんだ?どうすりゃ、満足するんだ?」 成仏とは言わず、魅録は彼女に問いかけた。 彼はもう確信している。彼女は亡霊などではなく生霊だ。面と向かって伝えることのできない恋心が悠理に憑りついただけ。 彼女が憧れてやまない清四郎の近くに居る悠理に。 魅録に顔を向けた彼女は、またその双眸に敵意を漲らせた。 「”あたい”は、清四郎が好きなんだ。そばに居たいだけなんだ!」 挑戦的に睨みつけられた魅録はともかく。 悠理の顔で、悠理の声で、悠理の口調で。 その言葉に、美童、可憐、野梨子は、ぎょっと立ちすくむ。 清四郎の胸はひどくざわめいた。不快感に似た感情が沸き起こる。 彼女の言葉がひどく燗に触った。 「もういい、やめてくれ!」 清四郎は怒声を発した。 突然の大声に、皆度肝を抜かれ清四郎に顔を向ける。 清四郎は悠理の姿をした彼女だけを見つめ、足を踏み出した。 「あいにくと、僕は恋愛には興味ない朴念仁でね」 彼女に苦笑を向ける。 「だから、これで勘弁してください」 清四郎は彼女の腕を取り、引き寄せた。先ほど身を寄せただけで緊張し震えていた女を、強引に抱きしめ。 そして、ぽかんとした少女の顔に唇を寄せた。 「う・・・うぐ」 触れた唇は、思いもかけず柔らかく。 悠理の唇がこれほど甘いとは、思ってもいなかった。 山猿、馬鹿犬、食欲魔人。 清四郎が悠理を女だと思ったことはない。 今くちづけているこの女は悠理ではないと百も承知していたけれど。 陶酔に眩みそうになる意識を、たったひとつの思いが押し留めた。 ――――悠理を返してくれ。 それは、友情から出た気持ち。 そのはずだった。
うるうる悠理ちゃんにロリータファッションをしていただきました。ボーイッシュさわやか系の方が絶対かわゆいだろうけどね。 |