真夏の奇跡3
〜渚にまつわるエトセトラ〜




前編


「魅録、清四郎!あの島まで競争しようぜ!」

食後のまどろみから覚めた魅録は、パラソルの下で身を起こした。
悠理はすでに跳ねるように砂浜に飛び出している。
指差すのは、1キロほど沖に見える小島。
エメラルドグリーンに光る海。珊瑚礁の内海だから、波は高くない。

「珊瑚で足を切りますよ!」
清四郎の苦言も耳に入らないようで、悠理は波打ち際まで駆けていった。
「おーい!置いてくぞー!」
白い水着の悠理が、波の泡沫に足を洗われながら笑っている。
すんなりとした日焼けした細身の体。白い水着が眩しい。前面に大きくデザインされた鶏模様(たぶんアケミかサユリ)が どうしようもなく色気がないが、それもまた彼女らしい。

「ったく、仕方ありませんね。腹ごなしに行きますか、魅録」
隣ではもう清四郎が立ち上がっていた。
ウインドブレーカーを脱ぎ捨て逞しい上半身をあらわにした友人に、魅録は頷いた。
「いいぜ。この前の雪辱戦とくるか?」
「今回は遠泳ですよ。そう簡単に負けません」

いつも涼しい顔をしているくせに、ずいぶんと実は負けず嫌いな友人は、口の端を歪め笑みを作った。
持って生まれた能力に差はないのだろうが、スポーツ全般で、魅録が清四郎に勝つことは少ない。日頃の鍛錬の差、というやつだ。
しかし、瞬発力を要する短距離走や、単純にスピードを競う競技では、なぜかいつも魅録に分があった。
とくに、水泳では負けたことがない。性懲りもなく勝負を挑んでくる悠理をも、いつも返り討ちにしている。 先日も剣菱家のプールで、友人二人を悔しがらせたところだ。
ディフェンディングチャンピオンの余裕でゆっくりと立ち上がる魅録に、パラソルの下で他の友人たちが指摘した。
「悠理ってば、もう海に入っているわよ」
「まぁ、勝負、と言っておきながら、卑怯ですわね」
鮮やかな原色のビキニ姿の可憐と、水着さえ着ておらずワンピース姿の野梨子は好対照だが、ふたりしてこの島のガイドブックを開いている。 午後からの買い物の予定を立てているらしい。
「あのぐらいのハンデはやるさ」
友人たちに振り返り、片目をつぶる魅録に、
「清四郎も行っちゃったよ」
と、美童。
「あ、くそ、あいつにハンデはやばい!」
慌てて、魅録も砂浜に駆け出した。

足の下で熱い砂が爆ぜる。
照りつける日差し。
いつもの、屈託のない夏。

先行する悠理の上げる水飛沫が、白い波の合間に見える。
波に足を洗われながら、清四郎は水中眼鏡を装着していた。
「おいおい、かなりマジだな、清四郎さんよ」
魅録は苦笑しながら友人に不敵な笑みを向けた。
男たちは目で合図をかわし、同時に海に飛び込んだ。
目指すは、無人の小さな島。エメラルドグリーンの透明な海に浮かぶ、宝石のような島。

先行逃げ切り型の魅録が、悠理との間をハイスピードで詰める。
清四郎が大きなモーションで横についてくる。なかなか、引き離せない。ここらで差をつけなければ、後半きつくなる。
まだ島まで半分ほどの距離であることを確認して、魅録は内心焦った。
いつも涼しい顔を崩さない友人が、存外に負けず嫌いであることは分かっている。しかし、こんな子供っぽい勝負に本気になるような男ではなかったはずだ。
前を泳ぐ悠理の姿を目で捉えた瞬間、隣を泳ぐ清四郎のスピードが、グン、と上がった。
息つぎの際、ついに並んだ友人の顔が魅録の胸を衝いた。
見覚えのある、真剣な表情。
思い出したのは、夏休み寸前のあの午後、部室で聞かされた驚天動地の告白だった。



**********




――――付き合ってもらいますよ。
強張った余裕のない顔で、清四郎は悠理の首根っこを押さえて宣言したのだ。
――――おまえに、惚れている、と。

その場に居合わせてしまった魅録は、椅子ごとひっくり返り、後頭部を強打。しかし、そのせいで忘れていたわけではない。
よもやまさか聞き間違いでは、とは思ったのだが。

しかし。
その後何度も顔を合わせたふたりに、変わった様子はなかった。
翌日こそ、悠理はビビりまくっていたものの。

休みに入って、数日後。今回の旅行の打ち合わせに全員集合した際、げっそりやつれた顔で現れた悠理の首根っこをやはり清四郎は押さえていて。
見慣れたツーショットはとても艶めいたものではなかったものの、魅録はこっそり悠理に訊いてみたのだ。
「結局、清四郎と・・・その、付き合ってんのか?」
悠理はやつれた虚ろな顔で頷いた。
「宿題を片付ける、付き合いをな」
「はぁ?!」
「夏休みの宿題、あいつに締め上げられて、全部もう終わっちゃったよ!」
「えええ?!」
驚きの声は、なんだかよくわからない友人たちの関係に対するものよりも、悠理が、あの悠理が夏休みに宿題を二日で片付けたという事実に対してだった。
それだけは、まぎれもなく奇跡。清四郎マジック。
『付き合ってもらいますよ』とはそういう意味だと悠理はとったようだ。
ひょっとして、すべてはあまりに手のかかる友人に対する清四郎の計算ずくの行動だったのかも、と思えてくる。
夏の終わりにいつも付き合わされているのは、清四郎の方だったのだし。

そして、旅行に入ってからも、ふたりはあいかわらずに見えた。
飛行機の中でも、魅録や可憐とトランプに興じて騒ぐ悠理と、我関せずとばかりに野梨子の隣で読書に没頭している清四郎。
いつも通りの、なにも変わらない友人たち。
それで、安堵している自分を魅録は自覚していた。
信じたくはなかったのだ。
優等生の皮を被った菊正宗清四郎という男が、破天荒なじゃじゃ馬悠理に負けず劣らずの変人であることも、魅録は知っていた。
割れ鍋に綴じ蓋、正反対のカップルはよくあるが、あのふたりは左右正反対方向に底が抜けているようなもの。
彼らと一番近しい友人としては、かなり剣呑。
人間は見たいものだけを見て、信じてしまう生き物だ。
魅録もご他聞にもれず、はっきりと聞いたはずの言葉を、意識の底に埋め込んだ。

――――惚れてしまったんだから、しかたないでしょう!
怒ったようにそう言った清四郎の言葉を。



**********




悠理を追って泳ぐ清四郎の真剣な表情は、魅録に事実を突きつけた。
我知らず、懸命に泳いでいた体が弛緩する。
「・・・・・!」
振り切られる、と思った瞬間。
清四郎はあろうことか、水中で悠理の足首をつかんだ。
泳いでいる最中に足を引っ張られ、悠理はもがいた。
水中でもみ合い暴れるふたりを包む水泡。悠理は溺れかけながらも、咄嗟に蹴りを入れまくっている。
魅録があっけに取られていると、清四郎は悠理の腰を抱え上げ、海面に顔を上げさせた。
悠理はゲホゲホ咳き込む。
「な、なにしやがるっ!」
半泣き怒髪天で悠理が拳を振り回すのも無理はない。
清四郎はかまわず、悠理の頭に自分のゴーグルを装着した。
「ゆっくり、息を吐いて」
そう言うと、ふたたび悠理の体を強引に水中に引き込んだ。

浮き上がるよりも、沈む方が難しい。
しかし、清四郎は抵抗する悠理の体を抱きかかえるようにして、海中を進む。
清四郎は悠理の頭を押さえつけながら、下方前方を指差した。
ゴーグル越しに見える光景に、悠理の抵抗が止む。

珊瑚礁の海中世界。
それは、幻想的な光景だった。
色とりどりの熱帯魚が、鮮やかに海中で煌く。
ゆるやかな波に揺れる海草と珊瑚。

悠理の顔が輝いた。
清四郎が手を放しても、自ら熱帯魚を追って珊瑚に手を伸ばした。
悠理の白い水着姿が、カラフルな熱帯魚を追って、海中で舞った。
清四郎は笑顔でそれを見つめている。
清四郎の意図は明白だった。
海面を全速力で泳ぎ見過ごすには、あまりに惜しい光景を、悠理に見せたかったのだ。
そして、喜ぶ悠理を見たかったのだろう。人魚のように泳ぐ彼女を見つめる彼の視線は雄弁だった。

自身も海中に漂い、友人たちと海中の光景に目を奪われていた魅録は、我に返った。
気恥ずかしくなり、友人たちから目を逸らす。それは、目指していた島の方角に背を向けることになった。
たぶん、ふたりは気づきもしないだろう。なんだかやけに疲れたフォームで魅録が浜に戻ろうとしていることなど。



**********




海中に広がる楽園に夢中になっていた悠理は、空気を求めて海面に顔を出した。
肺から押し出すように息をゆっくりと吐き出し、潜る。熱帯魚と戯れ、泳いだ。
何度目かの息つぎのとき、同時に顔を上げた清四郎に頬を突かれた。
「ん?」
初めて、彼の存在に気づいて顔を向ける。
海中でも清四郎は悠理の隣にいたのだが。抱きかかえられるように無理やり海中に沈められたとき以来、 その近すぎる距離にもかかわらず、彼の存在を意識しなかった自分に悠理は驚く。
幻想的な海中世界で、悠理の手を取り腰を支えていたのに、彼が導くのは、悠理の望む方向だったから。
清四郎の腕に支えられ、より自由に泳ぎ回れたから。
海中で優しい笑みを浮かべていた清四郎は、海面上では、意地悪ないつもの表情。
「競争ですよ」
もう一度人差し指で悠理の頬を、ちょんと突き、清四郎は身を翻した。
「えっ?!」
島に向かって泳ぎ始めた清四郎を、悠理は呆然と見送る。
忘れきっていた競泳勝負を思い出した。さっきまでは自分がリードしていたことも。
「ず、ずっりぃぞ!」
形勢逆転。清四郎は悠理の前を悠然と泳いでいる。悠理は懸命に後を追った。
もちろん、一緒に泳いでいたはずの魅録がいつの間にか居ないことなど、気づきもしなかった。


 


by かめお様






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