真夏の奇跡3
〜渚にまつわるエトセトラ〜





後編


小島の白い砂浜に悠理が這い上がったとき、すでに清四郎は息を整えていた。
ニヤニヤ笑いながら目の前に無言でVサインを掲げられ、悠理の足は崩れる。
波打ち際で半身を海に浸したまま、抗議の言葉も出せず、濡れた砂上に突っ伏した。

悠理の後頭部を照らす赤道直下の太陽。波の音と自分の息遣いだけが聞こえる。まだ心臓は激しい運動に悲鳴をあげている。
ふと、髪を焼いていた陽がかげったように感じられた。
仰向けに姿勢を変えると、目の前には太陽の替わりに清四郎の顔。悠理の隣に座り、上から覗き込んでいるのだ。
濡れて落ちた前髪のせいか、少し心配そうな表情がいつもと違って見えた。
「〜〜〜〜。」
まだ整わない息。言葉は出ない。悠理がせめてもの非難の目付きで睨むと、清四郎の表情が見慣れたものに変わった。
口の端を引き上げた、余裕の笑み。
「・・・綺麗だったでしょう?」
「〜〜〜〜。」
「おまえに、あの光景を見せたかったんですよ」
ぐ、と顔を近づけた清四郎に、思わず悠理は息を飲む。
「!!」
清四郎の前髪から水滴が伝い、悠理の顔を濡らした。

鼻と鼻がぶつかりそうな距離で、清四郎はクスクス笑った。
「キス・・・されるかと思った?」
まん丸目を見開いて硬直している悠理が、清四郎の黒い瞳に映っている。
羞恥と怒りに、悠理の顔が音を立てて赤く染まった。
からかわれたと知ったのだ。
清四郎は悠理の反応を楽しんでいる。
悔しくて、悔しくて。
こういう奴だとは分かってたけど。

「・・・・っ!」
殴りつけようと振りあげた拳は、あっさり清四郎に掴まれた。
両手首を捕らえられ、砂浜に押さえつけられる。
「っの、ヤロ!」
身を起こそうとしても、体の上に圧し掛かられ、身動きが取れない。
「言ったでしょう?したいことをすると」
「なんでおまえ、そんなに我がままなんだよっ」

悠理には、清四郎が分からない。
時々、ひどく優しい目をする。
それなのに、からかってばかりで。
悠理の心を弄んでいるとしか思えない。

「おまえの、やりたいことって、なんなんだよ?!」
鼻の奥がつんとする。悠理は泣きたい衝動を堪えた。
我がままで卑怯で意地悪な男なんて大嫌いだ。
それなのに、至近距離で悠理を見下ろす清四郎は、あの優しい目で微笑んでいる。

「美味しいものを食べたり、綺麗なものを見たり・・・笑ったり怒ったりしている悠理を、見ていたい」
清四郎は無垢にさえ見える瞳で悠理に囁いた。
「僕のそばに、居てください」

それは、初めての懇願だった。
いつも悠理の気持ちなどおかまいなしで、命令してくる男の。



**********




岸辺のパラソルの下で、のんびり海を眺めていた美童は身を起こした。
「野梨子、可憐、双眼鏡持ってる?」
「オペラグラスならありますわよ」
「ちょっと貸してくれるかい」
「あら、どうしたの?」
可憐と野梨子は不思議そうに美童に問う。
「いや、悠理たちさ、確かあの島に向ったはずだろ?」
美童の細い指が示す先に、娘達は目を移す。
「ここからじゃよく見えないんだけど・・・あの砂浜には一人しか居ないように見えないかい?」
「そういえば、そうですわね」
「よくわかんないけど、清四郎か魅録みたいだよね?」
波と岩陰に遮られた砂浜の様子は、目を細めてもよくはわからない。人影は一つ。それが、黒髪なのかピンクの髪なのかの見極めさえ裸眼ではできなかった。
「まぁ、じゃあ、あとの二人はまだ泳ぎ着いていないんですわ、きっと」
「清四郎か魅録か、どっちが勝ったのかしら?」
可憐がようやくオペラグラスを取り出した。
「あれ?でも、いま悠理の白い水着が見えたような。結構目立つだろ、あの水着」
可憐の手からオペラグラスを受け取り、美童は両目に当てた。
悠理の水着は派手だ。透けない加工の白の水着はそれほど露出が高いわけではないが、なにしろまるで錦絵のようなリアルタイプ鶏の巨大プリントが、 ラメ入りの白地にプリントされている。せめてもの慰めは、鶏の真っ赤なトサカが雄の堂々たるそれではなく、雌の控えめな形であるという一点だけ。
とても悠理でなければ着こなせない(というより着ようと思わない)柄だ。
美童は島の浜辺の人影にグラスの焦点を合わせた。



**********




「おまえ・・・さ。あたいの気持ちはどーでもいいわけ?」
「気持ち?」
悠理は頬を膨らませて、解放された両腕を自分の頭の下に敷いた。真っ直ぐ頭上の青空を睨みつける。
顔が火照るのは太陽のせいだと思い込もうとする。隣の清四郎の顔を、見れないまま。

ふたりは、砂浜に並んで横たわっていた。
焼けた砂の上で波に足を洗われ、静かな浜辺にふたりきり。

おまえに惚れている、と――――そばに居てください、と言った清四郎の言葉が、悠理を胸苦しくする。

「・・・・だって、仕方ないでしょう」
片肘をついて寝そべったまま悠理の方に体を向けている清四郎の視線を横顔に感じる。それでも、悠理は頑固に真っ直ぐ頭上だけを見つめていた。
「だって、おまえときたら・・・人間の三大欲求のうち食欲だけが異常発達してる上、女性としての情緒は思春期どころか幼児以下、第二次性徴もまだでしょう?」
「ぬっ?!」
「反論できますか?睡眠と食欲以外に、性欲を感じたことは?」
「せっ・・・セーヨク?!」
悠理は目をひん剥いて、思わず清四郎の方に顔を向けてしまった。

清四郎は柔らかな笑みを浮かべて、悠理を見つめていた。
毒を吐く口よりも、強引な腕よりも、この目が悠理を動けなくする。
そう、それは分かっていたのに。理由は分からないまま。

「男にも恋愛にも、興味ないでしょう?その上鈍感低脳ときてるから、もう押しの一手しかないと思いましてね。僕は奇跡なんて信じちゃいませんから」
女にも恋愛にも興味のなかったはずの男がそう言う。
「き、奇跡って・・・」
当然、ここは怒るところのはずだったのだが。悠理の語尾は力なく消えた。
清四郎の表情から、見慣れた余裕の色が消えている。
あの放課後に見せた、強張った顔。震える唇。
切なげに細められた目の中に、強い感情が見える。

「いつかおまえが僕を恋するようになるなんて――――奇跡が起こらないと無理でしょう?」

叶わぬ想いにひどく痛むのは、誰の胸?



**********




「ああ、やっぱり悠理と清四郎だよ」
美童はオペラグラスから目を離した。
「ふたりして、砂浜で寝そべってなんか話してるみたいだ」
野梨子と可憐は顔を見合わせた。
「魅録はどこに行ったんですの?」
「プールでの勝負では、魅録があいつらに勝ったんじゃなかった?そんなに差がつくもんなの?」
「長距離ですと、持久力に差が出ますもの。悠理と清四郎は、体力が人外魔境突入レベルですから」
「でも魅録だって、そう遅れは取らないわよぉ」
娘たちの言葉に、美童はもう一度オペラグラスを持ち直した。
「あのふたりも、なんだか疲れてるみたいだな。寝そべったまま動かないよ」



**********




「・・・・奇跡なんか、待てない」
清四郎は上体を起こし、ふたたび悠理を見下ろした。
落ちた前髪を掻き上げ、いつものように後ろに撫で付ける。
だけどそれでも、清四郎の顔には余裕綽綽の冷笑は戻らなかった。
懸命な瞳。
疑いようもない想いを宿した、熱い眼差し。
悠理は金縛りにあったように動けない。

「動物並みの野生児で、女にしかモテなくって、下品で大食いで底抜けの馬鹿で、よく笑ってよく泣いて・・・」
清四郎は悠理の頬に手を伸ばした。

「女らしさが微塵もないおまえなのに・・・・好きだから」

頬を包む大きな温かい手。
悠理は身じろぎもせず、逃げなかった。
清四郎がふたたび覆いかぶさり、今度は止まらず近づく彼に、唇を塞がれても。

頬を包み髪を撫でていた手が、首筋を撫で降りる。肩に回った手が、砂と背の隙間に入り込んだ。
清四郎の裸の胸が悠理のささやかな胸に触れ、隙間がなくなる。
唇を奪われたまま、きつく抱きしめられていた。
波に洗われ投げ出されていた素足が絡む。
男の体は、ひどく熱く重かった。

だけど悠理は、ぎゅっと目を閉じたまま逃げなかった。
逃げることなどできなかった。
口付けは、深く激しく。悠理から思考を奪う。
耳を打つ波の音さえ遠のいてゆく。

『奇跡』――――それは、この変人朴念仁が、恋に落ちたこと。

悠理が奪われたのは、心かもしれない。
眩暈とともに意識も眩み、なにも感じられなくなったから。
赤道直下の太陽も、大好きな真夏の海も。

清四郎の存在以外、なにも、なにも。



**********




「あっ!」
オペラグラスを持った美童が叫んだ。
「どうしましたの?!」
「あいつら、どうかしたの?」
美童は首を横に振った。
「魅録を見つけたよ!こっちに向かって泳いで来る」
美童は先ほどから、島に姿のない友人が少し心配になり、海面を探していたのだ。
「なんだかすごく疲れているようで、ゆっくりだけど、戻って来てるよ。途中で引き返したのかな」
波間に見え隠れするピンク色の髪を、娘たちも肉眼で捉えることができた。
「足でも攣ったのかしら」
「そうだったら、清四郎や悠理がのんきにしてやしないよ」
「そうですわね。きっと勝負が馬鹿らしくなったんですわ。あのふたりに付き合う愚を察したんですわよ」
はからずも、野梨子は真実を言い当てていたのだが。
「そうよねー、体力の化け物だもの」
三人は顔を見合わせて、肩をすくめた。
同情の笑みを浮かべ、疲れた様子で浜に上がってくる友人に手を振って合図する。
小さな島のふたりには、目を向けないまま。
その影がひとつに重なっていることに気づかぬまま。



その夏。
あるはずのない奇跡が、いくつも起こった。
悠理が夏休みの宿題を二日で仕上げた。得意の水泳で魅録が白旗。
そして。
もうひとつの奇跡が起こる。

それは、まだ誰も知る者はない――――真夏の奇跡。







2005.8.18



おおお、こんな話だったのか!と、自分でも驚きの三話目です。なんか当初書きたかったラブラブほのぼのにちょっぴり近づいて着地したよーな?
でも、清四郎は相変わらず口悪すぎ・・・これで悠理たんのハートをゲットできるたぁ、まさに奇跡!
タイトルはTHE BOOMのお歌ですが、副題はPUFFYのお歌。♪リズムがはじけて恋するモ〜ド♪

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