LADY MADONNA〜憂鬱なるスパイダー〜
  文: フロ/絵:ネコ☆まんま様

後編



――――とにかく。

清四郎はネクタイをわずかに緩めた。
脳裏に浮かんだのは、涙を溜めた悠理の顔。
利かん気な子供そのままの顔。

「まだ、想像もできませんねぇ・・・」
あの悠理が、母になる姿など。
笑い飛ばしたのは、あまりにもリアリティがなかったからだ。
悠理は変わらない。
ふたりの関係も――――たぶん。
「まぁ、やることは、やってるわけですが」
雲海和尚には突っ込まれ、可憐あたりにも罵倒されるだろうが。


「な、なにがだ?!」
清四郎の呟きに反応し、足元から声がかかった。
「・・・・・・・・・・・・・・・独り言ですよ」
その存在をなかば忘れていた客人に、ちらりと視線を移した。
「まだ、議論がお望みなら、付き合いますが?」
客人は慌てたように口をつぐんで、蒼白な顔を横に振った。

自称”スパイダー”なる犯行グループ。
乗り込んで来たときは左翼テロのような口を利いたが、数分議論しただけで、頭脳はお粗末な強盗団であることは知れた。
武装解除させるのは、論破するよりも簡単だった。
とりあえず、実弾装填してあるAK47は奪い、突入してきた四人+重役室の前で番をしていた二人、まとめて六人床に転がしている。
ふかふかの絨毯の寝床は彼らにはもったいないくらいだ。
清四郎は電気コードで後ろ手に縛りつけた賊の体を横たわらないよう引き上げ座らせた。 汚い血で絨毯を汚そうものなら、掃除のおばさんに叱りつけられてしまう。煙草の灰などより、よほど。

警備員に連絡するのも警察に引き渡すのも簡単だが、清四郎が電話したのは、警備室への内線でも、110番でもなかった。
警察の事情聴取で時間を取られるのも面倒だ。それより先に確認しなければならない。悠理の所在を。
「・・・また、不通ですか」
先ほどから携帯でかけているのは、野梨子の携帯番号だった。家の方は昨夜から留守にしているのだと、白鹿家のお手伝いさんから聞いた。
悠理は携帯を家に置いて出てしまっている。
昨夜は”友人と旅行中”である可憐と一緒にいるのだろうと思っていたので、追いはしなかった。
可憐でなければ野梨子だろうとは思いながらも――――わずかな不安が消せない。

悠理は綺麗になった。男が放っておかないほど。
変わっていないと思っているのは、ひょっとしたら清四郎一人なのかも知れない。

脳裏に浮かんだのは、花束を抱えた崇拝者に手を取られている悠理の姿だった。
清四郎と離婚していた頃。悠理に求婚者が現れた。
これまでと違い、剣菱目当てでも、悠理の並外れた容姿に惑わされたわけでもない男。
清四郎という”過去”も込みで、ありのままの彼女を愛していると言ってのけた、包容力のある男だった。

”あたいが剣菱の娘じゃなかったら、結婚なんてしようとしないくせに!”
何度目かの婚約破棄のきっかけは、悠理のそんな言葉だった。
清四郎は否定しなかった。
それは、事実だったからだ。
剣菱で己の腕を試すというのは刺激的な誘惑だ。
悠理と仲間になって以来の、数々の事件、毎日と同じく。
出会ったときから、悠理は”剣菱”の娘だった。
清四郎の中で、剣菱と悠理は切り離せない。

「”剣菱”か・・・・」
清四郎の小さな呟きに、床のスパイダーが、びくりと震えた。
「おかげで、また厄介ごとにまきこまれた訳だ。いくつ命があっても足りませんね」
床の男たちに冷たい目を向ける。
「ど、どこがっ」
唾を吐こうとした男を、清四郎は革靴の先端で軽く蹴りつけた。
とにかく、絨毯を汚されては困るのだ。

不機嫌なのは自覚している。
これでも、”切れ者だが温厚な人格者”で通っているのだ。ごく一部を除く世間では。
清四郎はため息をついた。
野梨子の携帯は諦めて、もう一つの短縮番号を押す。
結婚を間近に控えた野梨子が泊りがけで留守をしているということは、魅録と一緒なのだろう。
そうでなくても、魅録なら野梨子(と多分一緒の悠理)の所在は知っているだろう。
魅録は清四郎にとっても一番の親友といっていい存在だが、だからこそ男としてはこんな用件で連絡はし辛かった。
なにしろ、”女房に逃げられた”のだから。

悠理に逃げられたのは何度目だろう?
最初の婚約時、レディ教育を強要したときから。
何度も、何度も。
繰り返される追いかけっこ。
清四郎の理想としては、孫悟空のように自分の掌の上で暴れる悠理を穏やかに見守っていたいのだが。
ときおり、不安になる。
本気で、悠理が去ってしまいそうな気がして。
彼女が息苦しくなるほど、縛り付けてしまう清四郎の腕を逃れて。

ナンバーを押した途端、ワンコールで魅録は出た。
着信表示で清四郎だと知れているだろうに、しばし電話の向こうからは無言の息遣い。
「・・・魅録ですか?」
清四郎の眉根に皺が寄った。不安が胸を掠める。
『せ、せ、清四郎?!清四郎か?!』
それは、らしくなく裏返った声だった。
「ええ、魅録。悠理はやはりそちらに行ってるんですか?それとも・・・」
不安から思いのほかストレートに言葉を吐き出してしまった。
「まさか悠理に、なにかあったんですか?!」
『・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。』
また、電話の向こうは沈黙した。
時間にして、それは約三秒。だけど、清四郎には永遠にも思える三秒だった。
心臓がつぶれそうなほど、締め付けられる。
事故・病気・犯罪――――おおよそ、悠理に身に起こるかもしれない最悪の事態が怒涛のように脳裏を過ぎる。
『・・・悠理は、野梨子に付き添われて剣菱家に帰ったよ』
押し殺したような魅録の言葉に、清四郎はわずか三秒間の地獄から解放された。
「・・・そうですか。それは良かった」
心底安堵して、つめていた息を吐いた。
『それよか、お前・・・』
唸るような魅録の声。初めて清四郎は気づいた。魅録はなにやらひどく怒っているようだ。
「悠理から妊娠うんぬんを聞かされたんですね?あいつの誤解なんですよ。ちょっとした売り言葉に買い言葉でして。もちろん、僕は子供ができることが 嫌なわけではないんですよ。まだ僕ら・・・というより、悠理には早いように思えましてね。あいつは、ほらいつまでもあの通りでしょう?とてもとても 母親になった姿なんて想像できませんよ。そりゃあ、母親になればあいつも変わるかも知れませんが・・・」
安堵のためだろうか。いつもより、清四郎は心情を吐露してしまっていた。
これまで想像したこともない、赤子を抱く悠理の姿が瞼に浮かんだ。
聖母のように、柔らかく微笑む悠理。その腕の中に抱かれているのは、彼の血を引く小さな命。
新しいふたりの関係を象徴する、一枚の絵画のような幻。

『・・・清四郎!そんな場合じゃないだろう!!』

清四郎の夢想を破ったのは、魅録の怒鳴り声だった。
『お前、”スパイダー”はどうしたんだ?!』
「・・・・は?」
『30分ほど前、警視庁に”スパイダー”を名乗る組織から、犯行声明が送りつけられたんだよ!おまえさんを人質に、身代金を要求するってな!』
「はぁ?!」
清四郎は驚いて足元に転がっている男たちを見下ろした。
30分ほど、というと、ちょうど彼らが突入したあと、清四郎と議論していた頃だ。そういえば、無線機でなにやら合図していた。犯行声明を発する指示を出していたらしい。
『悠理は蒼白になってぶっ倒れかけたんだ!自宅の方にも何か犯人からの連絡が入るかも、と俺が帰らせた。こっちは親父が陣頭指揮とって対策本部設立の真っ最中なんだよ!』

清四郎は腕を組んだ。
「・・・ふむ。で、身代金の額は?」
質問は、魅録にではなく、足元のスパイダーに。
リーダー格らしきビヤ樽男が小さく答えた。
「・・・3億円・・・」
清四郎は無言で、彼を靴先で蹴り飛ばした。今度は容赦はしなかった。
「安すぎます!」

清四郎が叫んだ、そのとき。

ドッカンッ

突然、轟音と共に、ドアが蹴り破られた。
瞬間、清四郎はスパイダーを盾に身を隠す。彼らの仲間が襲撃してきたのだと思った。
咄嗟に奪った銃を構えた。飛び道具などなくても、相手を倒せる自信はあったのだが。

だが、清四郎に向けられたのは、生半可な火器ではなかった。
スナイパー仕様の高性能ライフルに、機関銃に、極めつけのロケットランチャー。
清四郎はあんぐり口を開けた。
重そうに抱えたそれらの他に、手榴弾まで手にした悠理の姿に。

「清四郎!」
悠理の手からぶっそうなパイナップルが転がり落ちる。
「ひぃっ」
スパイダーが泡を吹く。
手榴弾の信管が外されていなかったことを清四郎が視認するよりも早く、悠理が清四郎の首に飛びついて来た。
「清四郎・・・清四郎!」
ガシャン、とたすきがけにしたライフルが悠理の背で音を立てた。
身に装着した武器のおかげでいつもよりずいぶん重い悠理の体を受け止めながら、清四郎は背中のライフルの安全装置を確認する。
「悠理・・・・」

すがりついてくる華奢な体を抱きしめて、清四郎は沸き起こる感情をもてあましていた。
驚愕と安堵と少しの苛立ちと――――心躍る楽しさ。
「まるで、剣菱のお義母さんさながらの出で立ちですね。驚きましたよ」
愉快でしかたがない。悠理は、こういう女なのだ。

「ゆ・・・悠理」
ハァハァ息を弾ませながら、野梨子がドアの前に立った。
清四郎は悠理を抱きしめたまま、やつれた面持ちの幼馴染に顔を向ける。
エレベータで一緒に昇って来ただろうに、野梨子はフロアを走る悠理を追っただけで、ひどく憔悴していた。
「清四郎・・・やはり、無事でしたのね」
しかし、さすがは野梨子。室内の様子で、だいたいのところを見て取ったらしい。
「私は言ったんですのよ。清四郎のことだから、大丈夫だって。下手に乗り込んでは、かえって危ないって。それなのに、悠理は聞かないんですから」
悠理は清四郎の首に抱きつき、胸に顔を押さえつけたまま。
清四郎は悠理が全身に纏った武器類に触れながら、野梨子に問うた。
「ここの警備はどうなっているんですかねぇ。この出で立ちでよく通されましたね」
「警備員は一階で拘束されてましたわ。見張りの賊は悠理が蹴り倒しましたけど」
清四郎はクスクス笑った。
「僕も見たかったですね」
本当に愉快だった。
悠理のふわふわの髪に顔を埋めて笑う。
胸が温かくなった。内側だけでなく、抱きしめている部分から肌までが。悠理が顔を埋めている部分が、不自然なほど。
「?悠理・・・?」
そのあたたかな感触が、悠理の涙が浸み込んだためだと気づいたのは、彼女が顔を上げて袖で顔を拭ってから。
「悠理・・・泣いてるんですか?」
「・・・んなんじゃねーよ!汗だ汗!」
照れ隠しのしかめっ面で、悠理は何度も目を擦った。身を捩って、清四郎から離れようとする。
もちろん、清四郎が悠理を放すはずはなかった。
抱きしめた腕を解くはずはない。
こんな顔を見せられては。

子供の頃そのままの、利かん気な表情。
勝気で強気な言葉の向こうの、泣き虫で脆い女。
こんな風に女の顔も見せるようにはなったけれど、聖母には程遠い。
変わらない悠理が嬉しかった。
変わってゆく悠理が眩しかった。

「この武器は?」
「母ちゃんの隠し部屋から取ってきた」
清四郎は苦笑して肩をすくめた。剣菱家には、まだ彼の知らない秘密が隠されているらしい。
「・・・・さすが、血は争えませんな。剣菱のお義母さんなら”愛する夫”のために飛び込んでくるところでしょうが・・・」
「あ、あたいはっ」
悠理が否定の言葉を口にする前に。
「おまえは、どうせ”暴れたかった”だけなんでしょう?」
清四郎が助け舟を出してやった。
「そ、そーだ!」
案の定、悠理はぶんぶん頷いた。
「一人で全部やっつけちゃうなんてズリーぞ!あたいにも残しとけよ!」
唇を尖らせた悠理の真っ赤な顔に、清四郎は口の端を引き上げた。
彼女が、そう思うなら、それでいい。
怒ったヒヒのような赤い顔でさえ、もう少し見ていたいから。



抱き合ったまま額を寄せて言い争っているふたりに、野梨子が盛大にため息をついた。
完全武装の悠理にボコられるところを想像したのか、スパイダーは蒼白だ。
杞憂ではあるまい。悠理は恨みがましそうに清四郎を睨んだあと、まだ怒りに燃えた目を囚われの賊に向けた。
「こいつら、でっかい銃まで用意してたんじゃないか。清四郎、下手すると蜂の巣だったんじゃん!」
「いきなり扉蹴破って突入してきた人間の科白とは思えませんな。大体、おまえが一番物騒な武器を持ち込んでるんですよ。どうせなら、 今後は防弾チョッキも借りて来なさい」
”今後”って――――。
野梨子は清四郎の言葉に突っ込みたい衝動に駆られた。
だけど、これが彼らの巻き込まれる(巻き起こす)騒動の最後とは、とても思えず。

悠理は憎々しげに、肩からライフルを下ろして握り拳。
剣呑な目付きで、強盗団を睨みつける。
「素手でだって、負けないじょ」
「これこれ、弱い者イジメはやめなさい」
すっかり清四郎の機嫌は直っていた。
悠理の乱暴を止めるフリをして、もう一度今度は背後から彼女の腰に手を回す。
抑えきれない微笑が浮かぶ。

しかし、凶悪な悠理の目付きと清四郎の笑みは、見る者を震え上がらせただけだった。
「警察を呼んでくれ〜」
ついに一人が泣き言を漏らし。
そこで、ようやく野梨子はデスク上の電話に近づき、外線を繋げた。
「魅録ですか?私です。今悠理と一緒に剣菱本社ビルに着きました。ええ、清四郎は無事ですわ。賊は七名。 ”スパイダー”というからには、あと一名居るようですわね。犯行声明を出したのは残る一名ではないかしら。こちらは、全員武装解除して降伏しています」
そこで、野梨子はちらりと友人夫婦に目をやった。
「・・・・私も降参ですわ。早く迎えに来てくださいな」
力なくそう付け加えた野梨子の目の前では。
いつも通りの、ふたり。

羽交い絞めするように後から悠理を抱いた清四郎は、ニヤニヤと意地悪な笑みを浮かべ。
彼の腕の中で、憤懣顔の悠理はそっぽを向いている。



清四郎は幸福感に酔っていた。
何度、逃げてもいい。必ず、捕まえる。
追いかけっこも楽しい。悠理とのこんな毎日が一生続くのなら。

レディにも聖母にもならなくていい――――こんな彼女を、愛しているから。




2005.7.27




ネコさんの絵に萌えて、なーんも考えず書き出してしまいましたが、清四郎ちゃん、この頃もう自覚してるじゃん!作者自ら、びっくり!(・・・)
悠理に愛されている事もここらで分かったのでしょう。「死んでもいい」では分かってなかったようですから。
こうなると、一番最初に書いた「ららら」の辺りのエピソードと繋がらなくなってきそうですねぇ・・・。たまには読み直して、つじつま合わせなきゃ。(爆)
愛されていることを感じられない悠理ちゃんは可哀相ですが、愛を確信している清四郎は現状で幸福そうです。一生追いかけっこも辞さず。
ここら辺がふたりのすれ違いかな。子供も遠そう・・・。


らららTOP