〜後編〜 ハンドルに上体を預け、清四郎は顔を伏せた。 気まずい沈黙が車内に満ちる。 そして数分後。 清四郎は身を起こし、無言のまま運転席のドアを開けた。 「せいしろぉ・・・?」 悠理の方を見もしない男の背に、声を掛ける。 車を降りた清四郎は、背中を向けたまま車体にもたれた。 「・・・おまえの気持ちはよく分かった。もう強制はしません」 「え?」 助手席から空いた運転席側に身を乗り出し、悠理は清四郎の顔を見上げようと体を伸ばした。 清四郎は疲れた表情で、海に顔を向けている。 黒い瞳に映った感情は悠理には読み取れない。 清四郎は車から身を離す。そのまま、海岸沿いを大股で歩き始めた。 「・・・歩いて戻ります」 「あ、歩くって、結構遠いよ?」 剣菱グランドホテルの威容は林立するビルに阻まれ、もう見えない。 「遅れてもかまわないだろう。どうせ、披露宴は中止ですし」 抑揚のない静かな声。語気荒く責められるよりも、悠理の胸が罪悪感に軋んだ。 「お、おい」 悠理の呼びかけに、清四郎は答えない。 一度も彼は悠理を見ない。 遠ざかる長身の背。 車中に置いていかれた悠理は、わけのわからぬ不安に駆られた。 清四郎を追って車を降りようとしたが、気を変えて運転席に座りなおした。 エンジンをかけ、ゆっくりと発車させる。 すぐに追いついた清四郎の隣をノロノロ運転で追走する。 「・・・清四郎ちゃ〜ん?」 「・・・・・。」 猫撫で声を掛けてみたものの、やはり清四郎は無言。 真っ直ぐ前を見て口を引き結んでいる。 「怒ってるのはわかるけどさぁ、乗ってかない?遠すぎるよ?」 「・・・・・。」 「あたい運転は上手いよ、おまえよか」 「・・・・・。」 「あたいを連れ戻さなくて、いいの?」 「・・・・・。」 清四郎の歩みが止まった。 「おっと」 追い越してしまった悠理は少しバックして、清四郎の隣にピタリと車をつける。 「連れ戻さないから、どこでも好きに行きなさい。・・・だけど、おまえが家出する必要はない」 「へ?」 「僕が家を出ます」 「えええ?!おまえ、家出すんの?!なんで?!」 清四郎は額に手をやって、大きなため息をついた。 「家出じゃありません」 「あ、わかった。また出張?この前一週間も留守にしてたのに、またぁ?」 悠理は唇を尖らせた。ぶちぶち口中で愚痴を呟く。 清四郎があんまり家にいないと、悠理は暇をもてあます。どころか、妙な感情に捕らわれて、とんでもないことをしてしまう。 その結果、清四郎を寝込ませ、今回再婚の結果を導いてしまった。 清四郎は初めて悠理に顔を向けた。 先程の車中のときのような、強張った表情だった。 「・・・人がなけなしの寛大さを発揮してるんだから、逃げるんなら今の内だぞ」 低い呻るような声。 強い感情を宿した瞳。それは、まるで憎しみに近い。 真っ直ぐ睨みつけられ、悠理は奥歯を噛み締めた。 「・・・なにヤケクソになってんだぃ!」 怯えや恐れよりも、負けん気が勝った。 「そりゃ、逃げようとしたあたいが悪いけどさ、そんなに拗ねなくたっていいじゃんか!」 「拗ねる?まぁ、ヤケクソは認めますがね」 清四郎は口の端を下げた。 「もう、どうなってもいいという心境ですよ」 いつも理性的でクールな男の投げ遣りな科白は、悠理を胸苦しくさせる。 「清四郎・・・」 彼が心配になって、名を呟いた。 悠理を見つめていた清四郎の瞳が揺れる。視線はふいに逸らされた。 「・・・その車で行くなら、タイヤを替えてもらいなさい。さっきの無茶でかなり磨耗しているだろうから」 清四郎は視線を逸らしたまま、もう一度歩き始めた。 離れようとする清四郎の服の裾を、窓から手を伸ばして悠理はつかんでいた。 咄嗟の行動だった。 「ま、待ってよっ」 引き止める言葉は、あとから付いてきた。 清四郎は疲れた表情で振り返る。目は伏せられたまま。 「まだ何か?」 「あ、あのさっ」 悠理は焦っていた。 清四郎をこのまま行かせてはいけない気がした。つかんだこの手を離してはいけない気がした。 「いっそ、おまえも一緒に行かない?!そうだ、それがいいよ!」 伏せられていた清四郎の目が見開かれた。 黒い瞳にふたたび悠理の姿が映る。 「はぁ?!」 彼らしくなく、裏返った声だった。 「行くって、どこにですか?」 「だからこの車で、あたいと一緒にさ!行き先は決めてないって言ったじゃんか。おまえはいつもきっちり計画 立てなきゃ気がすまない性格だけどさ。たまには行き当たりばったりでも楽しいぜ?」 「・・・・。」 清四郎は絶句しているようだった。 「あたいも、おまえと一緒の方がいいや。清四郎とならどこでも行けるもんな!」 思いつきを口に出しただけだったが、言っている内に、悠理はその案が気に入ってしまった。 「一緒に行こう!」 楽しみで、ドキドキしてきた。 悠理は呆然としている清四郎の袖を引っ張った。否と言って欲しくなかった。 「ね?」 顔を覗きこむ。 「・・・・。」 答えを待っても、清四郎はしばし何も言わなかった。 唖然とした表情で悠理を見つめている。息さえ止めて。 「・・・要するに、披露宴が嫌で逃げ出したんですか?」 清四郎が口を開けたのは数秒後。 「つーか、あのドレスだよ!なんで二度目であんなこっ恥ずかしいヒラヒラビラビラ着なきゃなんねーんだよ! あたいにだって、恥ってもんがあるんだ!」 悠理は唇を尖らせた。 「ま、でも。後始末をおまえ一人におっかぶせて逃げようとしたのは悪かったよ」 悠理の言葉に、清四郎は思いっきり大きなため息をついた。 「・・・なるほど。それで、一緒にトンズラしてしまえ、と?僕らが消えたら大混乱ですよ」 「父ちゃんと母ちゃんがなんとかするさ。大体さ、おまえ剣菱のために働きすぎだよ。この前だって、過労でぶっ倒れたろ。 トラブルでおまえが走り回ってるのに、父ちゃんハワイだしさ。兄ちゃんは”これで剣菱は信用失墜だ〜”ってワーワー言ってただけだし。 おまえがなんとかしたからウチは助かったけど・・・あたいは何にもできないし・・・どころか、おまえを寝込ませただけだし・・・」 言っている内に自己嫌悪に襲われ、悠理は赤面して俯いた。 清四郎の袖を離し、指先でハンドルの上にのの字を書く。 「・・・おまえが怒るのは、あたりまえだよな・・・」 清四郎に愛想を尽かされても仕方ない気がした。 家を出る、と言った先程の清四郎の言葉の意味が、ようやく悠理のめぐりの悪い頭に沁みてくる。 「一緒に・・・どころか、もうあたいの顔なんか見たくない・・・?」 不覚にも、涙が滲んできた。俯いた視界が揺らぐ。 カチャ、と悠理の脇で音がした。 運転席横の扉が開いていた。清四郎が乗り込もうとしているのだ。 「・・・とりあえず、戻りましょうか。披露宴を中止するにしろ、無責任なことはできない」 悠理にだってわかっているのだ。清四郎が周囲に迷惑をかけることなどするはずはないってことを。社会的立場や責任を、 すでに剣菱の顔として負っているのだから。 悠理は鼻をすんと鳴らした。 「・・・うん。あたいが運転しようか?」 そう提案したが、清四郎が助手席側に動く気配はない。悠理にハンドルを握らせると、また逃げるとでも思っているのか。 とことん信用ないよな、と、ため息が漏れる。清四郎の顔を見上げる勇気はなかった。零れそうな涙を堪えて、悠理は運転席から助手席へ移動する。 清四郎が車に乗り込んできた。。 涙を見られたくなくて、悠理はそっぽを向く。 かかったままのエンジンを清四郎が止めた。 すぐに発車するかと思っていた悠理は、思わず隣の清四郎を振り返った。 「?」 運転席から悠理の方に体を乗り出していた清四郎と目が合った。 「悠理」 黒い瞳が揺れている。 「な、なに?」 先程までのような狂おしい感情ではなく。どこか不安げに見える双眸。 彼らしくない、余裕のない表情。懸命な瞳。 だけど、口元には笑みが浮かんでいた。 「あのドレスは着なくていいから」 思いのほか優しい声。 「僕と、結婚してくれますか?」 悠理が口を開こうとした途端。リクライニングのレバーが引かれ、背もたれがガタンと倒された。 「わっ」 いきなり倒れこんだ悠理は頭上の顔を唖然と見つめた。 清四郎は悠理の上に体を乗り上げ、笑みを浮かべていた。 ゆっくりと顔が近づく。 ぎゅ、と目を閉じた悠理は、唇で彼のキスを受け止めた。 やわらかく唇がついばまれ、しっとりと重なる。侵入した舌が歯列をなぞり、悠理の舌を見つけて追った。 絡まる吐息。深くなる口付け。 髪に差し込まれた大きな手が逃れることを許さない。もう、逃げる気はないのに。 重ねられた体の広い背に、悠理も腕を回していた。 「あふ・・・」 透明な糸を引いて離れる唇。 それは一時のことだと、髪を撫でていた手が悠理の頬を包み込んだ。 もう一度落とされる口付け。唇に頬に。目尻の涙を吸いあげ移動し、男の唇は耳たぶを含んだ。 「・・・てっきり、おまえは僕が嫌で逃げ出したのかと思った」 耳の下の弱いところをくすぐられ、悠理はビクンと跳ねる。 「な・・・なんで・・・」 唇は首筋を辿り、鎖骨にまで至る。 悠理のTシャツの腹に置かれていた手がゆっくりと体を撫で上げる。 「だ・・れが、役所に届けを出したんだよ・・」 悠理が一人で婚姻届を出しに行ったのだ。過労で寝込んだ清四郎の命令とはいえ。 逃げるなら書類など出さずにそのとき逃げている。 なんでも言う事をきく、と言ったからには女に二言はない。 復縁するつもりはなかったとはいえ、これまでとさして生活が変るわけでもないから、納得はしていた。 彼に対する苛立ち、自分に対する不信。そして、痛む胸の理由はわからないままに。 「・・・けど」 悠理は清四郎の背に回した手に力を込めた。糊の利いたシャツに皺が寄る。 「おまえがヤケクソになったのなんか、初めて見たよ。この前は熱出してダウンしてたしさ」 悠理しか知らないだろう、マルチにパーフェクトを誇る男の意外な姿。 「運転は昔の美童並みに、めちゃくちゃだしさ」 悠理の下肢に伸ばした手を動かしながら、清四郎は反論した。 「誰のせいだと思ってるんだ?」 指が敏感な部分に分け入る。 「あ・・・あんっ・・・あたいの、せいかよ?」 罪悪感と裏腹に、そうであれば嬉しいと思う意地悪な女が、体の奥に棲む。 悠理が翻弄されるばかりでなく、彼を困らせてやりたいという想いが。 「本当に・・・”死んでもいい”と、思ったんですがね」 からかい口調に、彼の本音は読み取れない。 「おまえを手にかけることも、一緒に死ぬこともできそうにない」 「え・・・?」 清四郎は指で悠理の内部をほぐしながら、悠理を見下ろし微笑した。 諦めたような笑み。 とろけ始めた体。眩む意識。 それでも、その笑みは心に沁みた。 「だから・・・」 慣れた手が素肌を辿る。Tシャツごとブラを押し上げられ、あらわになった胸の先を指先で弄ばれた。 「病めるときも健やかなときも・・・」 ぴちゃ、と舌を鳴らして舐め上げられる。 「共に生きてください」 敏感な部分を口に含んだまま、告げられる。 「僕から離れるな、悠理」 清四郎の声が体に沁み込んで行く。 侵入してくる熱い塊。 狭い車内で身動きもかなわないまま、悠理はあっけなく彼の手に落ちた。 結局、披露宴は中止にはならなかった。 悠理が頑なに拒否した総レースの白いウェディングドレスは着ずにすんだものの。 一度目のときのようなしかめっ面こそしていないものの、心ここにあらずの様で、ぼぅ、とした空色のドレスの新(?)婦。 その腰に腕を回し支える新(?)郎の姿は、傍目には仲睦まじくさえ見えたことだろう。 「前回は仏前のお式のあとに披露宴でしたでしょう。今回は披露宴だけなのですわね」 と、もうすぐ自分も結婚を控えた友人の言葉に、清四郎は笑みを返しただけだった。 ふたりだけの婚姻の儀式は済ませていたから。 ――――神に誓わなくてもいい、僕に誓え。 そう告げた清四郎に、悠理は頷いてしまった。 ――――ずっと、共に生きると。 まだ、復縁一回目。その後もふたりの迷走は続く。 だけど、何度離婚しようと、誓いどおり彼らが離れることはなく。 赤いポルシェは買い取るしかなかった。 愛車の運転席に、悠理が清四郎を乗せることは二度となかった。 自分用の国産車を持つ清四郎が、その後運転を誤ることなど一度もなかったのだけど。 たむらん様画
はい、ここから『プレイバックPART2』に続く。あ、まだ二度目の離婚エピソードは書いてないわ。まー、でもどうせ、悠理ちゃんが
わくわく企画したアマゾン旅行を、清四郎がシカトしたとか、そんな理由のような。とほほ。
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