情熱に届かない〜2〜 |
【清州】 外出着を妻に脱がせてもらいながら、先ほど知ってしまった娘の求婚者の話をする。 妻は私以上に、喜んだ。 「清四郎さんと一緒になってくれないかしら、と昔から思ってましたもの」 「いや、まだ決まったわけでは。野梨子は怒っておったし」 「依怙地になっているだけですわ」 妻は娘そっくりの顔でコロコロと笑った。 「清四郎さんでなくても、魅録くんでも良かったのですけど。結婚してしまいましたから、残念に思ってましたのよ。 あの娘は魅録くんを憎からず思っていたようですから」 「え、そうなのかい?!野梨子は振られてしまったのかい?」 「さぁ、それは知りませんわ。なんとなく、そう感じたことがあるだけですもの」 「清四郎くんとは、恋愛関係ではないようだね」 「それは、兄妹同然にお付合いしてきましたから。恋愛感情を抱いているかどうかは分かりませんが、 結婚して家族になるなら、愛情と信頼が一番大切ですわね」 やはり、妻も私と同意見のようだった。 清四郎くんと結婚すれば、娘は幸せになるに違いない――――そうは思いながらも、野梨子の目の奥に揺らめいた 怒りの炎が、私の脳裏から去らなかった。 ひょっとして、娘は、私が知らない情熱的な一面を持っているのではないか? 夕食は清四郎くんと済ませてきたと野梨子は顔を見せず。 部屋に閉じこもってしまうのかと気になったが、夕食後に障子を開けた私は、庭に面した縁側で娘を見つけた。 風呂を浴びたらしく浴衣姿の野梨子は、静かな瞳で暗い庭を見つめていた。 小さく聴こえる虫の声。もう、夜半になると、肌寒い季節になっていた。 一人にしておいた方がいい、と思いながら。私は立ち去りがたく、娘の隣に腰を下ろした。 庭園を見つめ、野梨子は何を思っているのか。 膝の上に組まれていた白い手が解かれた。 その手に傷ひとつ付けたくはない。 甘い親だと自覚はしている。それでも、老境に入った私にとって野梨子はかけがえのない珠。 苦労だけはさせたくないと、慈しみ育てた娘。 「・・・父さま」 野梨子が穏やかな顔を私に向けた。先ほどの激情の陰はない。 「今日、清四郎と一緒に、魅録の家に行ってきましたのよ」 私の心臓がギクリと跳ねる。先ほど、妻に聞かされた話のせいだ。 「魅録くん・・・元気だったか」 「ええ。それは幸せそうで。実は・・・赤ちゃんが出来たのですって」 「え?!」 私の動揺をよそに、野梨子はコロコロ笑った。 「お式から計算が合わないんじゃ、なんて美童にからかわれてましたけど、清四郎の計算によると、ハネムーンベイビー でしょうって」 潔癖症で男嫌いで、こんな話題で笑う娘ではなかったはずなのだが。とうの昔に、娘の少女期は終わっていたのだろう。親の私が気づかぬうちに。 野梨子は微笑んだまま、小さなため息をついた。 「なんだか、感慨深いですわ。恋をして、結婚して、親になる・・・いつの間にか私たち、そんな年齢になってしまいましたのね」 「そうだね」 私は野梨子の横顔を見つめながら頷いた。 「野梨子は、淋しいのかい?」 儚げな笑みに、思わず問いかけていた。 野梨子は少し逡巡し、視線を庭の先に向けた。 「淋しいとすれば、私だけが、いつまでも変われないでいるからですわ。仲間から置いていかれたようで、ちょっと淋しいんです」 視線の先には、隣家の灯り。 垣根越しに見えるのは、夏の名残の花。我が家の庭にはない背の高い向日葵が、夜風に揺れていた。 そういえば、隣家の庭に向日葵を植えたのは、幼い二人ではなかったか。 我が家と隣家を隔てる垣根に、朝顔を植えたのも。 とうに代替わりし、同じその花ではないだろうが、今でも小さな子供の姿が閉じた瞼の裏に見える気がする。 幼い野梨子と、清四郎くん。 目を開けると、幼く無邪気な子供は、月光の雫のような娘に成長していた。 思いがけず求婚してきた幼馴染に、野梨子は今だ戸惑っているように見えた。 気のおけない兄妹のような関係だった彼らも、また男と女であることを、突きつけられて。 「・・・野梨子は、魅録くんが好きだったのかい?」 私の質問に、野梨子は大きく目を見開いた。 「いいえ」 一瞬の逡巡もない返答にそれが事実だとわかり、私は安堵のため息をついた。 「どうして、そう思いますの?」 「いや・・・」 妻の思い違いだったのだ。私も苦笑する。 「魅録は、もちろん大好きなお友達ですわ。だけど、彼は似すぎているから・・・」 野梨子の語尾が小さく消えた。 伏せられた睫毛に、私は胸を衝かれる。 「野梨子?」 野梨子は顔を上げた。 「私の嫁入りに持たせてくださるはずの『雪月花』、そういえば、どうなさったの?」 「う?!」 いきなりのツッコミに、私は目を白黒させた。 『雪月花』それは、日本画家白鹿清州の、最高傑作。かつて盗難に遭ったものの有閑倶楽部の活躍で手元に戻った掛け軸だ。 それが門外不出となったのは、飼い猫に引き破られたからだとは、娘である野梨子にも知らせていない。 「よ、嫁入り道具には、もっと良い絵を書き下ろしてあげようっ」 声が裏返った私に、野梨子は怪訝顔。 「まぁいいですわ。私も、あれじゃない方がいいですの。あれには・・・思い出がありますから」 野梨子はまた庭に目を移した。遠い目。思い出を辿るような。 「嫁入り道具の画は、急いで描くべきなのかな?」 私は隣家の灯りを見つめている野梨子を伺った。 先ほどのプロポーズにあれほど怒っていた野梨子は、いまは穏やかに微笑んでいる。 しかし、私の問いかけには首を横に振った。 「私には、淡い初恋の経験しかありません。身を焦がすような恋なんて、理解できません」 「清四郎くんとは、無理だと?」 聡明な野梨子も、やはり乙女らしく熱病のような怒涛の恋に憧れているのかもしれない。 あまりに近すぎて、そばにある幸せに気づけないのか。 「・・・今日、魅録の家で、懐かしい方の便りを見せてもらいました。同い年なのに、もう大きな子供のパパになっていて。やはり、 魅録に似ていましたわ。幸せそうな笑顔が」 野梨子はまだ遠くを見つめながら、穏やかな笑みを浮かべている。わずかに、そこに苦いものが混じっているように見えるのは気のせいか。 「遠い昔の淡い想いでも、胸が痛みました。だから、仕方がないかもしれません」 「なにがだい?」 初めて聞く野梨子の恋の話だった。おそらく、野梨子の恋した青年は、魅録くんに似た彼の友人だったのだろう。 「あの大馬鹿者の甘ったれの話ですわ」 それは、隣家の長男坊を罵倒する言葉。だけど、野梨子は気づいているのか。口調に混じる、紛れもない親愛の情を。 いや。 野梨子は当然知っているだろう。自分達の間にも、積み重ね育んできた絆が、存在することを。 玄関から、チャイムの鳴る音がした。 休日のこんな時間に、客だろうか。 妻が応対する気配がしたが、なにしろ無駄に広い屋敷であるし、妻は声高に話す人間ではない。 野梨子は気づいていないのか、物思いに沈んだ表情で庭を見つめ続けている。 ふと。 先ほど別れた、娘の求婚者かも知れないと思った。 罵倒交じりの言葉で別れたままでは、気まずかろう。 娘のことを私以上によく知る彼のことだ。そろそろ驚愕からくる怒りが解けた頃合だと、話しをしに来たのかも知れない。 はたして、庭の木戸が開く音がした。親しい人間しか、妻はそちらに通さない。 私は腰を上げた。私が居れば彼も気まずいだろう。 「父さま?」 いきなり立ち上がった私を、野梨子は不思議そうに見上げた。 「野梨子、きみに来客のようだ」 その私の言葉と同時に、玉砂利を踏みしめる音が近づいて来た。 やや早足のその足音は、しかし、決意を踏みしめるように屹然としていた。 野梨子が、私の背後に目をやった。 訪問者を目にし、大きな瞳が見開かれる。 その時の、野梨子の表情の変化に、私は圧倒された。 感情の奔流。 驚愕、衝撃――――そして、見間違いようのない、歓喜。 それは、初めて目の当たりにする、娘の激情だった。 淡い恋しか知らない、と言っていた野梨子は、激しい情熱をその内に隠していた。 これほど激しく豊かな感情を。 「・・・野梨子。ごめん、野梨子」 私が立ち去る前に、来訪者が口を開いた。 野梨子の顔に浮かんだのは、笑み。 溢れんばかりの想いが、その笑顔から読み取れた。 それで、分かった。清四郎くんの突然の求婚には驚いたようだったが、一方で野梨子は、ずっとこの瞬間を、待っていたのだ。 私が案じるまでもなく、野梨子は知っていた。彼の愛も、自分の愛も。 「本当に・・・・馬鹿ですわ、清四郎は」 言葉と裏腹に、涙に滲んだ笑顔には、切ないまでの想いが溢れていた。 男女の恋情とは違うのだろうが、それも愛のひとつには違いない。 時として、静かに、豊かに。時として、激しく、熱く。 幼馴染に対する、野梨子の深い愛。 TOP |
結局、家族なんてものは、愛はあるものの、肝心なところは見えてないんですよ。こうあって欲しい、と思うあまり。
え?何グレてんだって?ええ、グレてますよ、人生イロイロあって。(笑)
いきなり魅×野を否定してしまってすみません。野梨子が裕也との初恋を引きずってる限り、魅録には惚れない(もしくは惚れていることを認めない)だろうなぁ、と思って。
清×悠の次くらいに、魅×野が好きなんですけどね。
清×野?・・・・・・・キライです!(キッパリ宣言) だってだって、原作読んでると、ありそうなんですもの〜〜将来、ほのぼの夫婦してそう・・・(落涙)