サンキュ.後編 |
今日の放課後、清四郎は見知らぬ女生徒に呼び出されたらしい。 毎度おなじみ、やつの外面にあこがれた少女からの告白だ。
「好きなひとがいるから、と断りました」 「いつもの”忙しいから”じゃ、なくてかよ」 清四郎は、苦笑した。 笑顔が途中で、ゆっくりと真剣な表情に変わってゆく。 黒い瞳には、男の強い意志が宿っていた。
「気がついたのは、最近だけど・・・僕は、好きなひとが、います」
まるで俺が告白した女生徒本人であるかのように、清四郎ははっきりと目を見て言った。
――――こんな目で真っすぐ見つめられて、胸をうたれない人間がいるのか?
「・・・見知らぬ、女生徒だって?」 嘘つけ、悠理じゃないのか。 「ええ、納得してくれました。・・・ただ」 清四郎は、言いよどんで手の中の空のグラスに目を落とした。 俺はそれに酒をなみなみと注いでやった。 「ほれ、聞いてやるから、吐いちまえ」 清四郎はグラスに口をつけ、上目遣いに俺の表情をうかがっている。 コイツと違ってポーカーフェイスの苦手な俺は、不機嫌面をさらしていたようだ。
「”見知らぬ女”は納得したんだろ。それで?」 「・・・ただ、当の本人に、そのやりとりを聞かれてしまって」 清四郎は話を続けた。 「逃げ出されて、しまった」
なに?
「当の本人・・・って、おまえの好きな?」 清四郎は苦い笑みを浮かべて頷く。 「なんで、それで失恋?」
わけが、わからなくなってきた。
「僕は、追いかけたんだ」 清四郎は唇をかんだ。 「追いかけて、告白するつもりだった」 「し、したのか?」 「・・・僕は自分で思うよりずっと、気持ちが顔に出てるんでしょうね、魅録」 眉を寄せ、清四郎は俺に問いかけた。口元に笑みを浮かべた清四郎の頬は、わずかに染まっている。
たしかに、それは恋する男の貌だった。
「あいつが、僕の気持ちに気づくなんて思ってなかった。鈍いやつだから。 だけど、追いかけて掴まえて、見つめあったとき・・・全部、わかってしまったようだ。 好きだ、と言おうとしたら、怯えた顔で大泣きされてしまった」 クッ、と清四郎は嗤った。 「友人だと思ってた僕に、そういう目で見られてたということが、耐え難かったんだろう。 僕だって、こんなことになるとは思ってなかった。告白もさせてもらえず、失恋するとはね」 「・・・・・・。」
おいおいおいおい、清四郎ちゃんよぉ・・・。 そんな、憂いを帯びた顔で、自己完結すんなって。
やっと、話が見えた。
俺は煙草を灰皿がわりの空き缶でもみ消す。 やっぱり、悠理を泣かせたのはコイツだった。 鈍感で不器用なくせに、早合点する大馬鹿野郎。 さて、どうしてやろうか。 一発殴ってやりたい気分だったが、酒も入ってる今、理性ぷっつんした清四郎に逆襲されれば、 俺の身が危ない。
「・・・俺のツレでさ、やっぱ失恋したやつがいて」 空になっていた清四郎のグラスに、俺は酒をついだ。 「そいつも、告白してないまま失恋しちまった、とか言うんだよな」 とりあえず、飲ませることにした。 「けど、このままじゃ、相手の顔をもう見れなくなるから、ちゃんと告白して玉砕するんだって、 言ってたぜ」 「勇気がありますね」 「それ、今日のことなんだけど」 「へぇ・・・」 清四郎は興味なさそうに相槌を打つ。 やっぱり、この言い方じゃ、気づかないか。 「そいつの場合、好きな男に、ほかに好きな女がいると、思い込んだだけみたいなんだ」 「友人は、女性ですか。さすが、魅録の交友関係は広いですな」
あうう、この鈍い男を、どうにかしてくれ! しかし、ここで俺が悠理の想いを話してしまっては、せっかくの あいつの覚悟を踏みにじることになりそうで。
悠理は今頃、どうしているだろう。 あの切なくなるほど健気な目をして、こいつの家の前に立っているのだろうか。 鈍い男が、こんなところで飲んだくれているとは、夢にも思わず。
俺はやっぱり、清四郎を殴ってやりたくなった。 かわりに、酒をつぐ。 遠い目をしていた清四郎は、無意識でまたグラスを空ける。 結構なピッチだ。いっそ、酔いつぶしてやろうか。
「・・・ほかに、好きなやつ・・・か」 清四郎は新たな酒に口をつけながら、ポツリとつぶやいた。 「そうかも知れませんね。ほかに好きなやつがいるから、あんなに泣いたのかもしれない」
おいおい、違うだろうが! いつも誰より悠理のあつかいの上手い清四郎が、どうしてあいつの気持ちに気づかないんだ?
「あいつに、好きな男が・・・」 考え込んでしまった清四郎の肩を、ポンポン叩く。 「あのな、清四郎・・・」 「まさか!」 ガバリと顔をあげた清四郎の目が、据わっていた。 な、なんだよ、その剣呑な目つきは?!
清四郎はグラスを盆に乱雑に置いた。こいつらしくない仕草だ。 向かい合って座っている俺たちの距離は、60センチほど。 腰を浮かせた清四郎は、じり、と俺に顔を近づけた。 つられて、俺はのけぞる。 俺たちの距離は、一挙に15センチに縮んでいた。 据わりきった清四郎の眼光に、気おされる。
胡坐した俺の太腿にかけられた清四郎の手に、力が入る。 俺の上に乗り上げるように体を近づけ、清四郎はうなった。 「・・・まさか、魅録、おまえがライバルじゃないだろうな」 うわ、やっぱり、そう来たか。
「・・・ライバルになってやっても、いいんだけどよ」 思わず答えたそれは、本音だった。 至近距離で、恋に狂った男の目が、俺をにらみつけている。 こんな状況なのに、俺はその目に惹きこまれた。
そんなに好きなら、ちょっとはわかってやれよ。 頭の回転が速く、誰より聡明なはずの男が、なんてザマだよ。 酒臭い息を吐く目の前のみっともない男を――――抱きしめたくなって、困った。
「・・・そんなんで、諦められんのかよ」 俺のシャツをつかんでいた清四郎の手が、ゆるんだ。 「諦めます・・・諦めなくちゃ、いけない。これ以上、あいつを泣かせたくない」 「自分が傷つきたくないだけじゃねぇのか」 「違う・・・いや、そうかもしれないけれど。諦めなければ、友人として、そばに居られない」 伏せ目がちにそう言う清四郎の声は、震えていた。
ぷつんと、堪忍袋の切れる音がする。 俺の忍耐力も、限界だった。
清四郎を引き剥がすように身から離し、机の上に転がしてあった携帯を取る。 短縮ナンバーを押した。 三度のコールで、相手はすぐに出た。 「ああ、俺。おまえ、今どこ?」 横目で、清四郎の様子をうかがった。 俺の突然の行動に、清四郎は何事かと目を見開いている。
「そうか、無駄足だったか。そこで待ってるって? やめとけ、今日はもう。帰ってくるかどうかもわからないんだろうが」 帰らない男を門の前で待つ、という悠理に、俺の胸は痛んだ。 「俺んとこ、来い。ああ、言ったろう、ひとりで泣くなって」
――――泣かないよ、さっきいっぱい、泣かせてもらったから。
強がる悠理は、きっとあの笑顔を浮かべているんだろう。 俺を魅了した、綺麗で切ない笑顔を。
「・・・ほんと言うとな。おまえ、さっき俺のライター持ってっちまったろう。あれないと困るんだ。 返しに来いよ。良い酒もあるし、今夜は飲もうぜ」 しばしの間ののち、悠理は応諾した。
電話を切った俺を、清四郎の訝しげな目が追っていた。 「さっき、話してた”勇気のある”ツレ。男の家、留守だったんだと」 「へぇ・・・」 「ああ言ったけど、おまえの持ってきた酒、あんまり残ってねぇな。ま、いいか」 煙草を取り出し、火をつけた。 「ライター、あるじゃないですか」 他の人間を呼んだことが気に食わないのだろう。清四郎が拗ねたような口調で指摘する。 「ほんとにライター持ってかれちまってんだよ。さっきまで、そいつと花火してたんだ」 俺は清四郎の顔に、煙を吹きつける。 思いっきり嫌な顔をされた。 おまえの酒臭い息に耐えてやったんだ、アイコだろ。
「今日そいつな、好きな男が他の女に呼び出されてるとこに出くわしたんだと。 そこで、聞いちまったわけだ。 『好きなひとがいるので、つきあえません』ってのをな」 ちょっと、脚色。でも、おそらく事実に近いだろう。 「それで、そいつ逃げ出しちまったんだ。そいつは思いもしなかったんだな。男の言う『好きなひと』が、 まさか自分のことなんて、な」
清四郎の顔色が、変わった。 さすがに、いかな極ニブでも、これでわかっただろう。誰のことを話しているのか。これからここに、誰が来るか。
清四郎はしばし、凝固していた。 俺は煙を吐きだしながら、世にもめずらしい菊正宗清四郎の茫然自失する様を、ながめていた。
真っ黒い夜空のような清四郎の目の中に、俺は花火の輝きを見ていた。 悠理の目の中にあった、恋と同じ色の。
――――これから、線香花火はできないな。胸の痛みなしには。 ふと、そんなことを思った。 ひょっとして、失恋したのは俺か? たとえ、一瞬だけの、淡い恋でも。
どれくらいそうしていたのか。 突然、清四郎が立ち上がった。 無言のまま、背を向ける。 そのまま、俺を一瞥もせず、清四郎は部屋を飛び出していった。 らしくないほどあわただしく、廊下を走り去る音が、聞こえた。
だから、悠理はこっちに向かってるって言ってんのによ。 一刻も惜しいと言わんばかりに、清四郎は駆けていった。
俺は窓辺に座り、外に煙りを吐き出した。 星が出ている。 夜道を歩いているだろう悠理を想った。 きっと、俺に涙を見せないですむように、ゆっくり歩いてる。 その同じ道を、清四郎は走っているのだろう。 あの、懸命な目をして。
芽生えかけた淡い想いを煙と共に霧散させ、俺は二人のバカヤロウの幸せを祈った。 もっとも、少しくらい拗ねたって許されるだろう。
いいけどさ、清四郎。 サンキューの一言ぐらい、俺に言ってくれても、いいんじゃねぇの。
2004.7 END
これは、これきり一本のつもりで書いたお話でした。それがなぜか、「すき」の番外編に。(笑) ほのかに魅→悠のつもりで書きはじめたんですが、どんどん想定外の魅→清に・・・いやぁ、深層心理ってコワイですねぇ。執筆時の2年前には自覚がありませんでしたけど、私、魅→清が大好きのようです。悠理ちゃんがいなければ、ボーイズラブの世界に旅立ってましたね。・・・え?すでに旅立ってるって?それは言わない約束でしょう!(爆)
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背景:Abundant shin様