* おまけ *
その後。
帰宅し、いつものように、だけど久しぶりにふたりで風呂に浸かり。 「あ〜、疲れた、疲れたぞ、と」 すっかりくつろいで、悠理はパジャマでベッドに大の字に寝転がった。
「あれ、おまえ寝ないの?」 「おまえのお陰で、さっき少し眠れましたからね」 清四郎は悠理と揃いのパジャマを着てはいたが、眼鏡をかけ、書類を手にしている。 「そんなの、30分くらいじゃん!二日完徹なんだろ?寝ようよ」 唇を尖らせた悠理に、清四郎の眼鏡の奥の目が細まる。 「・・・おや。さっきのでは、物足りなかったですか?」 その口調に込められた艶。悠理の”寝ようよ”を曲解したことは明らかだ。 悠理は無言で清四郎に枕を投げつけた。 就寝前に道場で行う”組み手”こそ、本日は省略したが、風呂場で、しっかり別の”組み手”は行っている。久しぶりだったせいか、たっぷり。
枕を片手で受け止め、清四郎は笑った。 「報告書が溜まってるんですよ。ちょっと目を通してから寝ます。先に寝てなさい」 「わーったよっ!仕事中毒!」
悠理はプンとそっぽを向いて、上布団をめくって潜り込んだ。 広い、ベッド。 悠理が誘拐される前から、清四郎は二週間出張中。ずっと、悠理はここでひとりで過ごした。 もう、すっかり慣れっこだ。 清四郎がこの二日間、仕事どころでなかったのは、悠理のせいなのだし。 だけど。 不覚にも、きつくつぶった目の裏が熱くなってきた。鼻の奥がつんとする。
一緒にいるのに、清四郎は、いつも遠い。 多趣味多才、多忙な彼は、あの高校時代からそうだったのだろうけど。 あの頃は、こんなに淋しいとは思わなかった。 きっと、あの頃は仲間たちがいたからなのだと、悠理は思った。 自分の気持ちの変化には目をつぶり。
「悠理」 きしり、とベッドが沈んだ。隣に、彼の気配。 「・・・なんだよ、仕事、やめたのかよ」 先に寝ろ、と言われてから、まだ3分も経ってない。 「いえ」 否定しながら、上掛けがめくられ、清四郎が身を入れる。横を向いてきつく目をつぶった悠理の背に、彼の温もりが伝わる。 バサリ、と書類が袖机に置かれる音。
「悠理」
「なんだよ、ってば!」 何度も名を呼ばれ、悠理は目を開けて身を起こし振り返った。 清四郎はベッドに座って、悠理を見下ろしていた。 まだ、眼鏡を取っていない。 だけど、その奥の目は、優しく微笑んでいる。 「報告書は、ここで読みますよ」 「・・・・・」 ふーん、それで?と言おうとした悠理に。 「だから」 清四郎は大きな手を、悠理の頬に添えた。 「今度は、僕が膝枕してあげます」
「いっ・・」 ――――いらねーよ!余計眠れないじゃんか! と、悠理は叫ぼうとしたのだが。 頬を包む手の温かさに、言葉は喉から出なかった。
ベッドに腰掛けた清四郎の膝の上に、悠理は抱き寄せられ寝かされた。 いつも、強引で勝手な男。 だけど、確かに、ひとりのベッドよりはずっといい。 男の膝は、堅くて寝心地なんて良くはないはずなのに。 慣れたその感触に、悠理は目を閉じた。 ゆっくりと、大きな手が髪を梳いては撫でる。 先ほど車中で、眠る清四郎に、悠理がそうしていたように。
あまりに、心地良くて。 また、つぶった目の奥から温かいものが込み上げてきた。 切ないまでの幸福感が、胸を満たした。 それは、わずかな痛みをやはり伴っていたのだけど。
悠理がうとうとと心地よい疲労感の中、たゆたっていたとき。 頭上で、パサパサと、書類をめくる音がした。 清四郎は、悠理を撫でながら、まだ仕事をしているのだ。
仕事中毒。
冷血漢。
悠理は夢うつつの中、清四郎に毒づく。 だけど、言葉は口からは出なかった。
清四郎は、悠理の言葉をいつも上手に奪う。 ――――心も。
泣きたいような、幸せなような。温かな体と掌が、思考を徐々に混濁させる。 悠理はゆっくりと、眠りに落ちていった。
脳裏に、今日の新郎新婦、親友たちの姿が過ぎった。 悠理自身の二度の結婚式と違い、それは幸福感に満ちた式だった。 幸せに、と悠理は睡魔に身を任せつつ祈った。 おそらくは、当の新婚夫婦は疲労困憊で初夜も何もあったものじゃないなんてことには気づかない。 企業幹部で仕事中毒の清四郎が、この二日間、報告書すら読まなかった事実も。
「・・・悠理?眠ったんですか?」 彼が囁くように問いかける。 もう、悠理は答えることができなかった。 ちょっぴり切なくて幸せな眠りに落ちる。
奪われた言葉だけが、静かに夜に溶けて消えた。
書類なんて見ないで。
あたいのことだけ、考えて。
幸せな、夢を見たい。――――一緒に。
2005.11.1
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背景:Pearl Box様