胸の痛みに、恋に気づいた。

気づいた途端、終わってしまう恋なのに。

 

「これ、悠理にあげますよ。」

レモン水のグラスから、清四郎が摘み上げたのは真っ赤なさくらんぼ。

缶詰の砂糖漬けさくらんぼ。

悠理のあーんと開けられた口に放り込まれたそれは、甘くて柔らかだった。

呆れたような、疲れたような、彼の笑みも、柔らかだった。

だけど、口の中に広がったのは、甘味料の贋物の甘さ。

それがほんの少し、切なかった。

 

 

チェリー  *sideY*

          BY フロ

 

 

 

農園で木からもいだばかりの、房のついた紅く色づく黄色いさくらんぼは、 少し皮が固い。

ひとくち齧ると、口の中で果汁がはじけた。

瑞々しい果肉。豊かな甘さ。

本物の味。

だけど、まだ熟しきらないそれの酸っぱさが胸に染みた。

 

二つ並んだサクランボは、今の悠理には切なすぎる。

幼馴染たちの姿を思わせる、房で繋がった一対。

お似合いの、ふたり。 

 

「清四郎と野梨子みたいだよなー・・・」

さくらんぼを指でつまみ上げ、悠理はポツリと呟いた。

「悠理、なにか言いまして?」

野梨子がきょとんと首を傾げる。

「な、なんでもない!・・・ここの農園って、野梨子と清四郎が子供の頃にさくらんぼ狩りに来たところなんだろ?」

「ええ。ほとんど昔と変わってませんわ。」

「そうですね。でも来年にはファーマーランドの一角になるんですから、変わってしまうでしょう。」

清四郎は整地が始まった周辺を見回して、笑みを浮かべた。

 

今日は六人で、山梨の農園にさくらんぼ狩りに訪れていた。ここは剣菱グループが農園ごと土地を買い入れ、農作物の収穫や、ふれあい牧場、ログハウスなどを整備し、自然教育重視のレジャーランドを計画している。

下見というわけではないが、清四郎の提案でレジャーランド化する前の素朴な農園最後のさくらんぼ狩りにやって来たのだ。

 

「万作ランドとは正反対のコンセプトだよな。」

「でもファーマーランドって、いかにもおじさんが好きそう。」

「こんな山の中に剣菱電鉄のお座敷列車を乗り入れる計画なんでしょ。剛毅ねぇ。」

「ま、もともと、すぐそこまで電車は来てましたからね。」

「そういえば、昔も電車で来ましたわ。」

「親父も野梨子の両親も忙しかったから、お袋と姉貴と僕らの四人だけでしたからね。」

 

――――僕ら。

清四郎のなにげない言葉が、胸に刺さる。

わかっていたことなのに。

出合った頃から、ふたりはいつも一緒で。

それがなぜだか気に食わず、『金魚のフン』とまでののしったのは悠理だった。

あの頃から、清四郎と野梨子の姿が視界に入ると、むしゃくしゃした。

嫌いだからだと、思っていた。

 

 

「菊正宗様!」

さくらんぼ狩りの籠を配っていた素朴な農園主が、清四郎を見とめて駆け寄って来た。

「このたびは、本当にお世話になりました。おかげさまで、農園を閉めずに済みました。」

祖父ほどの年齢の農夫が、高校生に頭を下げる。

 

「?」

首を傾げる仲間たちに、野梨子が耳うちした。

「こちらの農園を剣菱のおじさまに紹介したのは、清四郎だそうですわ。それが結果的に、経営破たんしていたこちらを、救うことになったそうです。」

野梨子は嬉しそうに目を細める。

たわわに実ったさくらんぼを見つめる野梨子の横顔を、悠理はぼんやり見つめていた。

綺麗な横顔は、清四郎のそれと似ていた。

懐かしい風景をいとおしむふたり。

思い出の場所を、彼は守りたかったのか。

 

 

ふたつ並んだ宝石のような果実。

大好きなふたり。

 

嫌いだからじゃなく、好きだったから、見たくなかったのだ。お似合いの幼馴染たちを。

重ねた思い出を、懐かしむふたりを。

 

気づいても、どうなるわけでもない想いに、胸が詰まった。

 

「・・・悠理?」

籠に入ったさくらんぼを差し出す清四郎は、悠理の泣きだしそうな顔をどう思ったのだろう。

 

悠理はごしごし目元を擦って、彼の視線を避ける。 

ごまかすように、農園の木々を見渡した。

「こ、ここを父ちゃんに推薦したのは清四郎なんだってな。」

「偶然なんです。ファーマーランドの計画自体はもとからあったんですが、僕がおじさんの代理をしている際に契約関係を進めることになったんで。」

「代理って・・・あの・・・」

それは、あの婚約騒動の際のこと。

悠理の胸がぎゅう、と痛んだ。

 

ずっと友達としてそばに居続けるためには、忘れなければならない。

初めての恋を。

慣れなければいけない。

この胸の痛みに。

 

嫌で仕方がなかった、無理やりの婚約。

だって、剣菱のおまけに過ぎない自分を思い知らされたから。

清四郎が悠理のことをペット程度にしか思っていないことを思い知らされたから。

 

本当なら、ささやかな仲間意識や友情すら粉砕されかねない騒動だったのに、彼らは再び仲間に戻った。

思い出す暇もないほど、次々に騒動に巻き込まれ――――いや、悠理が、あのときのことを思い返そうとしなかったからだ。

直視するのがつらすぎた。気づかずにいたかった。

かなわぬ恋をしている自分に。

 

 

「はい、口開けて。」

悠理の心も知らず、清四郎はさくらんぼを摘み上げる。

「・・・・・。」

条件反射的に口を開けた悠理は、口に入れられたさくらんぼを噛みしめた。

「美味しいでしょう?」

清四郎は微笑した。

優しい笑み。

 

「甘酸っぱい!」

そういって、ニッカリ笑顔を向けたつもりだけど。

いつものように、笑えたかどうか自信がない。

きっと、贋物の笑顔だったろう。

まだ熟しきらないさくらんぼは、気づいた途端に終わってしまった恋の味に似ていた。

  

「雛鳥に餌付けしてるみたいだなー。」

「食物を前にしたら口を開けるのは、悠理の習性だよね。」

仲間たちがふたりの様子を見て苦笑した。

 

「良かったですわね、清四郎。念願叶って。」

野梨子が含みのある視線で清四郎を見上げる。

「なんですか?」

清四郎は幼馴染の言葉に怪訝顔。

 

「だって、悠理にずっと食べさせたかったのでしょう?」

野梨子はクスクス笑う。

「覚えてましてよ。昔ここに来た時、”ゆうりちゃん”の話ばかりして、私はヘソを曲げたんですもの。あの頃は、私は悠理と仲が悪かったから。」

「へー、そうなんだ。」

「”清四郎ちゃん”ってば。」

仲間たちが、意味ありげに顔を見合わせ、微笑を交わした。

「ちょっとは素直になったらいかが?休日ジャンケンに勝ったあなたが、ここを選んだのは誰のためですかしら?」

「さくらんぼ狩りなんて、喜ぶのは一人だけよねー。」

 

清四郎は憤慨したように眉を寄せた。

「あなた方、からかうのはよしてください!」

「まぁ、往生際の悪いこと。」

清四郎は惑うように視線を泳がせたあと、目を伏せた。睫が目の下の赤みの差した頬に影を作った。

「・・・わかってますよ。自分でもみっともないと思っています。」

 

みんなが何が言いたいのかいまひとつわからなかった悠理だが、清四郎の言葉が一番理解できなかった。

「え?」

訊きかえした悠理に、清四郎はもう一房さくらんぼを差し出した。

「ほら。」

条件反射で、悠理はくわえる。

口をもぐもぐ動かす悠理に、清四郎はまたあの笑みを見せた。

「みっともなくても、仕方がない。気づいたときには、取り返しのつかない失敗を僕はしていましたからね。」

いつかの、あの諦めたような開き直ったような、柔らかい笑み。

少し苦い笑み。

 

ふいに、思い出した。清四郎のこんな顔を、いつ見たのか。

甘みのないレモン水をカフェで飲んでいた清四郎。学校までずる休みして。

憤慨し探していた悠理が彼を見つけたとき、清四郎は苦笑いで、さくらんぼを差し出した。

あれは、婚約破棄をし、剣菱家を出た翌日だった。

 

 

「ふられてから、始まる恋もあるんです。挽回を目指しますよ。」

あのときと同じ笑みは、だけど開き直りの強ささえ滲んでいた。

 

「って、それで餌付けからってのが・・・」

「ま、悠理には有効なアプローチじゃない?」

仲間たちが囁きあいながら、そっと距離を取る。

「それで、野梨子、今度は清四郎をひっぱたかないの?」

「いやですわ、可憐。私だって、成長したんですのよ。」

「まぁ、あの時の清四郎に自覚があったとは思えないけどねー。」

「清四郎も結構馬鹿よね。思い切りふられてからってのが。」

 

 

 

「ふられ・・・?」

意味がつかめず、唖然と悠理は清四郎を見上げる。

「・・・・と、いうわけで。悠理、僕はあきらめていませんから。」

その言葉と、彼のらしくなく染まった頬に。

 

ぐ、と息が詰まる。思考は停止。

 

硬直した悠理の異変に。

「もしかして、種を詰めたんですか?!」

清四郎は焦った顔をして、悠理の背中をさすった。

「ほら、吐き出せ!ペッと!」

口の前に差し出された清四郎の手を払うように、悠理はつかんだ。

どこの世界に、好きな男の手に吐き出せる女がいるというのだろう。

 

ごくん。

 

大きな音を立てて、悠理は種を飲み込む。清四郎の手をつかんだまま。

彼に触れた手がドキドキと脈打った。止まった思考と反対に。

 

「さくらんぼの種、飲み込んでしまったんですか。」

清四郎の呆れた声に、顔を上げる。

「・・・腹の中で芽が出ちゃう?」

「馬鹿。」

本気で呆れたように、清四郎は悠理に苦笑を向けた。

それは、いつもの清四郎の表情だった。

だけど、触れたままだった手を放そうとした悠理を、彼は許さなかった。

ぎゅ、と握られた手。

清四郎の手は熱くて。少し、震えていた。

「いつか、おまえに惚れさせてみせますよ。」

自信ありげに、傲岸な台詞を吐く表情と反対に。 

 

悠理の鼓動が激しく脈打つ。

目が眩み、息がつまる。

それは、飲みこんでしまったさくらんぼの種のせいかもしれない。

 

飲み込んだ種が、悠理の中で育ち始める。

それは、芽生えた途端に消えてしまうはずだった、恋の代わりに。

 

 

触れ合った手から、温かな何かが流れ込み、胸に満ちる。

悠理の想いは清四郎に通じていないし、清四郎の真意もわからない。

それなのに、泣きたいほど幸せだった。

甘酸っぱい切なさを感じながら。

 

清四郎の手をそっと握り返した。悠理には、それが精一杯だった。

 

ただ、こんなふうに、どこかで繋がっていたい。

ふたり、さくらんぼみたいに。

 

 

 

 

  end

(2006.10.23)

 


恋をすると胸ってホントに痛いんだ・・・ってな悠理ちゃんを、書いてみたかっただけなのでした。

これまでナオさんのお作に、目一杯きゅんきゅんさせていただいた気持ちを思い出しつつ・・・感謝と愛と駄作(涙)を捧げます。

 

 TOP