悠理が悪いわけじゃない。 だけど、しばらく会わずに済むなら悠理と会いたくなかった。 友人顔か。彼氏面か。 どんな顔をして彼女に対すればいいのか、魅録はわからなかったのだ。 電気とミント 〜後篇〜 魅録と悠理は学校でもクラスが一緒だ。彼女と顔を合わさず日常を送ることはできない。 だけど、この日は朝、菊正宗家より自宅にいったん戻るため早々に別れて以降、ほとんど魅録と悠理は会話を交わす機会がなかった。 「先に部室へ行っててくれよ。あたい、ちょっと可憐に用があるんだ!」 昼休みもなにやらバタバタして部室に顔を出さなかった悠理は、終業ベルと共に教室を飛び出す。 「可憐に用って、部室じゃ駄目なのか?」 魅録が訊き返した時には、廊下を走り去る悠理の背中はもう見えなかった。 そういえば、ここのところ可憐ともまともに会話していない気がする。 個性の違う友人たちが、これまで自由気ままにしながらも集っていた倶楽部。そのバランスがやはりどこか狂ってしまった。 美童と野梨子のせいだとは、思わない。 自分の軽率さを彼らのせいにするほど、魅録は卑怯な男になりたくなかった。 早晩、気持ちの整理をつけて悠理と話をしなければ、とは思う。 このまま避け続けるわけにもいかない。 彼女を傷つけずに元の関係に戻るにはどうしたら良いのか。悠理という得がたい友人を失いたくはなかった。 そう思うこと自体が、卑怯なのかも知れないが。 「・・都合、良すぎるぜ、我ながら。」 自分の身勝手さに呆れながら、魅録は部室の扉を開けた。 室内には、生徒会長が一人。 「おや、魅録だけですか。悠理は?」 清四郎は机の横にダンボールを積み上げ、大量の書類の整理をしている。珍しく眼鏡姿だ。 「あいつは、また職員室に呼び出されてでもいるんですか?」 「悠理は・・・なんか可憐に用があるってよ。後から来るんじゃねぇかな。」 「教師に書類の整理を頼まれたので、手が欲しいところなんだが、野梨子と美童は白鹿のお茶会準備で帰ってしまいましたよ。副会長殿、手伝ってくれませんかね?」 「おう。」 魅録は頷いて清四郎の隣の席に腰を下ろした。 そこは、いつも悠理が座っている席だと、ふと気が付いた。 それぞれの席を決めているわけではないが、なんとなくいつも皆は決まった席に座っている。 ダンボールから書類を出すのを魅録に任せ、清四郎はPCを開けた。 「入力していない最近年の書類は残して、あとは廃棄します。仕分けをお願いしますよ。」 「廃棄分はシュレッダーすりゃいいのか?」 「その仕事は悠理と可憐に残しておいてやろう。可憐はともかく、悠理にできるのはシュレッダーくらいですからね。」 「はは・・・まぁな。」 魅録は苦笑しつつ、作業を進めた。 『清四郎はあたいを馬鹿にしてばっかで、意地悪でさぁ。』 『あんな腹黒、大嫌いだじょ!』 そんな悪態をつきつつも、悠理は清四郎を誰より頼りにしている。 そして、清四郎もいつも悠理を気に掛け、構っている。 『悠理を扱えるのは、清四郎しかいないよね。』 魅録はそう評した美童の言葉を思い出していた。 清四郎と悠理が剣菱家の事情により婚約した時のことだ。 『結構似合いのカップルだよな。』 そう言ったのは、魅録自身。 とはいえ、恋愛要素のない、冗談のような婚約だった。 清四郎は悠理を女として見られないと公言し、剣菱への野心を隠さなかったし、悠理は怒髪天で、断固拒否。 本来なら、友情が壊れてもおかしくはない騒動だったのに、それからもふたりは変わることのない関係を続けている。 魅録の望む、元の友人同士の関係を。 「・・・・すみません、魅録。」 自分の思考に入り込んでいた魅録は、突然の謝罪に驚いて清四郎に顔を向けた。 清四郎は魅録に横顔を向けてPC画面を見つめていた。眼鏡越しの表情は硬い。 「悠理は魅録の彼女なのに、先ほどは酷く言い過ぎましたね。気を悪くしたでしょう。許してください。」 「あ、いや・・・」 魅録の息が一瞬、詰まった。 罪悪感。 それだけでなく。 「あのよ、そのことで、ちょっと相談していいか?」 清四郎に話してみたくなった。自分の気持ちを。 婚約までしながら、悠理と元の関係に戻ることのできた友人に。 清四郎は魅録に顔を向けた。 感情の読み取れない無表情。 「そのこと?」 「ああ、悠理とのことなんだけど・・・」 魅録は落ち着かない気分に襲われ、席を立って窓際に向かい、清四郎に背を向けた。 「俺・・・・悠理のことはダチとしてしか見られねぇみたいなんだ。」 清四郎は無言。 友人に顔を向けられないまま、魅録は一気に言い切る。昨夜気づいた自分の気持ちを。 「あいつのことは好きだから、やっていけると思ってたんだ。この一週間は、これまで通りの男同士の付き合いみたいなもんだったし。だけど・・・」 昨夜のキス。 未遂に終わったのは、悠理の制止が原因じゃない。 寸前で止まったのは、魅録の意思だ。 制止されなくても、魅録は悠理に口付けることができなかった。 「俺はあいつのこと、女として意識できねぇってわかったんだ。」 ガタン。 椅子が鳴った。 背後で清四郎が席を立つ気配。 「・・・魅録、いまさら何を?悠理がああいう奴だってことはわかっているでしょう。」 低い声。顔を見なくても清四郎の抑えた怒りを感じられた。 身勝手はわかっている。そのまま伝えたら、いくら悠理でも傷つくだろうことも。 他の奴が同じ事をすれば、魅録も怒るだろう。悠理への友情ゆえに。 「あいつの問題じゃねぇんだ。俺の・・・」 振り返ると、清四郎は至近距離まで近づいて来ていた。清四郎は左手で眼鏡を取り、右手を魅録の胸元に伸ばす。 グ、と制服のシャツを掴まれた。 ――――殴られる、と思った。 魅録が奥歯を噛み締め、咄嗟に目を閉じた時。 感じたのは、かすかな温もり。 わずかに触れた、唇の感触。 目を開けると、至近距離から激しい感情を宿した黒い瞳に睨みつけられていた。 ――――口付けられたのだ。 そう気づいた瞬間、殴られるよりも激しい衝撃が、魅録の全身に走った。 まるで感電したように。 「・・・・っ!!」 清四郎が突き放すように胸元をつかんでいた手を放したため、背後の窓ガラスに背中が当たる。 驚愕のあまり足から力が抜け、ずるずる座り込んでしまいそうだ。 魅録は窓枠をつかみ、みっともなく崩れ落ちる事態をかろうじて逃れた。 「悠理を女だと思えないだと?ふざけたことを。じゃあ、昨夜は何をしていたんだ。」 清四郎は喉の奥を鳴らした。 「どうですか、男と口付けるのとは、まったく違うだろう?」 魅録を嘲笑しながらも、清四郎の目は笑っていない。 反論も抵抗もできず、魅録は茫然自失で親友の怒りを受け止めていた。 「・・・悠理は、おまえを好きですよ、魅録。」 怒りに高揚していた双眸が、徐々に力を失う。痛みを耐えるように清四郎は顔を顰めた。 「悠理だって、いつまでもあのままじゃない。恋人の成長を気長に待ってやるんですな。仲が良すぎて関係が近すぎるので、今はそんな気になれないのかも知れないが、いつか、悠理を・・・」 清四郎は突然、言葉を切った。 「・・・“いつか”・・・・」 もう一度繰り返したが、清四郎はそれから先を続けない。 自分の言葉に衝撃を受けたように、清四郎の瞳が揺らいだ。 沈黙が室内に満ちる。 放課後の学園内の喧騒が、遠く聴こえた。 部室の外の廊下を歩く人声がする。 近づいて来るそれは、悠理と可憐の声。 清四郎は魅録から顔を逸らした。 わずかに俯いて、自分の額を手で覆う。 「・・・・なんてこった、僕は・・・・」 独り言のような呟き。 目元は手の影に隠れたが、鋭角な頬は熱を持ったように、薄っすら赤らんでいた。 夕日のせいかと思ったが、窓の外の空はまだ青く明るい。 顔を伏せたまま、清四郎の肩が上下に揺れた。 「・・・・せ・・・・」 声を掛けようとしたが、魅録の喉はひくついただけで声は出せなかった。 清四郎の体が震えている。先ほど触れた薄い色の唇が歪む。 それでやっと、魅録は清四郎が声を出さずに笑っているのだと気がついた。 魅録を嗤っているのではない。清四郎はもう魅録など、一顧だにしていない。 自嘲の笑み。 廊下の賑やかな声は、徐々に近づいて来る。 清四郎の笑みは消えた。 清四郎は手を下ろして、ため息をついた。 顔を逸らせていてもわかる。 魅録の見間違いではなく、やはり清四郎の顔は赤く染まっていた。 「・・・僕は帰ります。それは任せるので、後は頼みますよ。」 清四郎は踵を返し、自分の鞄を手にとって背を向けた。 「・・・・・え?『それ』って・・・?」 やっと出せた魅録の声は、間抜けなほど気が抜けていた。 魅録の問いに答えず、清四郎が部屋を出ようと戸口に手を伸ばしたと同時に、扉が開かれる。 扉の外には、やはり悠理と可憐が立っていた。 「あれ?清四郎、もう帰るのか?」 きょとんとした顔の悠理。 背中を向けた清四郎の表情は魅録には見えない。 「・・・ええ。ちょっと不都合があってね。」 悠理と可憐の横をすり抜け、清四郎は足早に部室を出て行った。 足音が遠ざかる。 「なんなの、清四郎とどうかしたの、魅録?」 いぶかしげに清四郎の後姿を見送り、可憐は魅録に問いかけた。 魅録は咄嗟に自分の口を押さえる。 再び全身に電流が走った。今度のそれは、怒りと羞恥。 なにしろ、大量の書類の後始末もせずに清四郎は逃亡したのだ。 魅録の唇を、奪ったあげく。 ―――――まったく違うだろう? 清四郎の言葉通りだ。 たしかに、ミントの香りのキスではなかった。 痺れるほど衝撃的な、魅録のファーストキス。 羞恥と怒りはすぐに消え。 後悔の苦い味だけが、口の中に残った。
(2007.6.26) んーと・・・・・・・ゴメンナサイ。悠理の唇は無事でしたが、こうして魅録の唇ロストバージン。私、魅×悠は駄目ですが、魅×清は大丈夫なんです。←殴 いえ、冗談です。清×悠一筋ですよ、ええ! そーいえば、昔書いたお話で、可憐にも清四郎とキスさせたことあったっけ。心が入ってないと、平気なようです。美童でも書けるな!(清四郎と美童のキスって・・・どーいうシチュだ?) しかし、野梨子は駄目、絶対。(しばし妄想)・・・・・・人命救助の人工呼吸でも号泣!
三角だか四画だかの、ゆる〜くもつれた恋模様は、次回悠理ちゃん編予定です。 |
背景:様