Friends or Lovers

 

――――ごめんね、清四郎。

 

可憐がそう言ったのは、放課後の部室。

交際を始めた二組が帰宅し、余り者となった清四郎と可憐がふたりきりになった夕方のことだった。

 

 

    ファジイな痛み 〜後篇〜

 

 

「・・・・清四郎、本当に野梨子のことはあれでいいの?」

清四郎は突然の可憐の言葉に、帰り支度の手を止めた。

可憐は所在なげに、机の上に肘をつき、巻き毛を弄っている。

指で器用にクルクル巻いてはほどく。何度も何度も。

話しかけてきたくせに、可憐は目を合わせようとせず自分の髪の先を見つめていた。

 

清四郎は先ほど仲良く帰って行った二人を思い、小さな笑みを浮かべた。

ツンと持ち上がった野梨子の顎。嬉々として彼女の尻に敷かれている美童。

美童はあれほどいた女友達すべてと手を切りプレイボーイを返上しただけでなく、美形面さえ捨てたかのように、みっともないほど野梨子に夢中であることを隠さない。

 

「美童はうまくやっているようじゃないですか。美童が野梨子を裏切ったら、僕よりも彼女自身を怖れるべきでしょうね。野梨子はあれで情がこわい娘ですから。」

可憐は口を尖らせて、指を動かす。綺麗なカールが白い頬に掛かった。

「だって・・・・あんた、ここのところ元気ないし。」

「僕が?それはあなたでしょう、可憐。倶楽部内でカップルが二組できたせいで寂しいんだったら、余り者同士の僕達も付き合った方がいいですかね?」

可憐は髪を弄る指を止めた。頬杖をついて探るような目を清四郎に向ける

 

「清四郎・・・・・誰かを好きになったことはないの?」

 

窓から差し込む夕映えの眩しさに、清四郎は目を細めた。 

「”真剣に女に惚れそうにない”と僕を評したのは、可憐、あなたじゃなかったですか?」

確かに、清四郎は恋などしたことがない。可憐が言ったように、これからもしないのだろうと、自分でも思う。

だけど、可憐は清四郎の軽口に応じようとせず、じっと見つめてくる。

「・・・すみません、冗談が過ぎましたね。」

存外に真面目な可憐の表情に、清四郎は苦笑した。 

「野梨子は、確かに大切な幼馴染です。でも、女性として見たことはありません。」

見ないようにしてきたのかもしれない。清四郎が男として野梨子に接していたら、こんなに長い間一緒にはいられなかっただろう。

「好きかと問われれば、もちろん好きですよ。野梨子だけでなく、あなたのことも・・・・悠理の、こともね。」

 

それは、本心だったのだが。

胸がわずかに疼いた。素直な感情を口にすることに、清四郎は慣れていない。

 

「まぁ、しかし・・・・・交際を始めたといっても、あの悠理ですよ?」

これからバイクで出かけるんだと、はしゃぎながらジャブを交わしていたふたり。付き合い始めても、これまでと変わらないように見える。

「微笑ましいを通り越して、まるで男同士の付き合いじゃないですか。もっとも、あの悠理がいきなり恋する乙女に変われば驚きますがね。あいつと付き合おうなんて、魅録の気が知れませんよ!」

思いがけず、吐き捨てるような強い言葉が出てしまった。

悠理が変わることなど想像できない。望んでいない。

身勝手な感情の発露。

 

「・・・清四郎・・・。」

可憐が驚いたように目を見開いている。

 

友人達の幸福は望んでいるはずなのに。

嘲るような意地の悪い言葉を吐き出した自分に、嫌悪を感じた。

清四郎は可憐から目を逸らし、取り繕うように肩を竦める。

「・・・僕は今の位置を気に入っています。それぞれ個性的で魅力的なあなた方と、こうして友人でいられる自分を幸運な男だと思っていますよ。」

そう口にしながらも。その位置が微妙に変わってしまっていると、意識せざるを得なかった。

 

これまでのようにはいかない。

もう、野梨子の隣は清四郎の定位置ではないし、悠理をペット扱いし構うこともできなくなった。

いくら彼が、このままでいたいと思っていても。

 

清四郎が感じているのは、淋しさという感情なのだろう。

そう、ただそれだけ。

 

「・・・・本当に、あいつらが付き合いだすとは思わなかったわ。」

可憐はため息をついて俯いた。

「あんなこと、言わなきゃ良かった・・・。」

それは、独り言のような小さな呟き。

 

「え?」

「・・・・・。」

 

聞き返した清四郎に答えず、可憐は長い髪に表情を隠した。

 

 

「・・・・・ごめんね、清四郎。」

 

可憐は顔を伏せたまま、ぽつりと呟いた。 

「なにがですか?」

「あたしが、余計なことを言っちゃったから、あんたは野梨子だけでなく、悠理も失ったのね。」

 

可憐の言葉に、清四郎は一瞬絶句する。

言葉を奪ったのは、胸を軋ませる鈍痛。

 

「・・・何を、馬鹿なことを。悠理こそ、僕にとっては・・・」

 

「あんたにとって、特別な存在だわ。否定しても駄目。あたしに対するのとは、まったく違うでしょう?悠理のことを話す時のあんたは、感情的で隙だらけよ。」

可憐は顔を上げた。

夕映えの空が揺れる瞳を透明に見せる。

「野梨子と悠理は、クールぶってるあんたの感情を揺さぶる、特別な女の子だったんだわ・・・・・・その感情がいつか、恋に変わったかもしれないのに。」

可憐の瞳は、なぜか濡れているように見えた。彼女こそ、感情的で隙だらけに見える。傷つき、途方に暮れているように。

 

 「ごめんね、清四郎。」

 

認めたくはない、痛み。

認めるわけにはいかない、感情。

 

清四郎は首を振って、否定した。

胸の疼痛は、そうと意識しなければ忘れてしまえる程度のものだから。

 

野梨子も悠理も彼の手を離れた。

だから。

”いつか”は、来ない。

 

 

**********

 

 

そう。

清四郎の手の届かないところに去ったはずの女。

それなのに、悠理は清四郎の手をつかんで離さなかった。

 

 「・・・・ったく。」

清四郎は暗闇で舌打ちした。

起こさぬようにそっと手を振り払おうとしてみたが、清四郎のパジャマの袖を掴んだ悠理の指は外れそうもなかった。

 

「・・・う・・・ん・・・あいつら、追っ払ってよ〜〜・・・あたい、あんないっぱい成仏させらんないじょ〜〜・・・・」

 

悠理は清四郎の袖を掴んだまま手足をバタつかせた。引っ張られ、清四郎は彼女の上に身を乗り上げる。

「・・・っと、」

両手を悠理の枕元について、体を支えた。

清四郎は眉を顰め、悠理を見下ろす。

和室の障子越しに、月明かりが悠理の顔を照らしていた。

額に浮いた汗。苦しげに歪んだ顔。

先ほどから悠理はうなされているが、なにしろ清四郎は霊感皆無。本当に霊に襲われているのか悪夢を見ているだけなのか、判別がつかない。

起こそうかと逡巡していると、いきなり、悠理の表情が変わった。

袖を握り締めていた指がほどける。

 

「むにゃ・・・助かった〜〜・・・ありがと・・・清四郎ちゃん・・・・。」

悠理の口は緩み、目元が和んだ。

その顔に、清四郎は安堵の息をつく。

「・・・夢、ですか。」

悠理の夢の中で、どうやら清四郎は活躍したらしい。

「僕はどうやって、おまえを助けたんですかね?」

清四郎は我知らず笑みを浮かべていた。 

 

薄闇の部屋には、今、清四郎と悠理のふたりだけだ。

三つ川の字で並べて敷いた端、魅録の布団は空だった。

魅録は煙草を吸いに部屋を出たまま、なかなか戻って来ない。

悠理どころか魅録にとっても、清四郎は男の範疇に入っていないのか信頼が厚いのか。とにかく、警戒する対象ではないらしい。

 

ほんの数十センチの距離で、悠理は伸びやかな手足を布団から出して大の字。

清四郎の貸したパジャマは彼女には大きすぎて、胸元がはだけてしまっている。安らかな寝息に上下する胸は、隆起さえさだかではないが。

伏せられた茶色の長い睫。

わずかに開けられた唇は夜目にも桃色。

清四郎は悠理の唇を、そっと人差し指でなぞった。

触れるか触れないかの指先に、温かな息がかかる。

清四郎は火傷をしたように、手を引いた。

 

女としてはあまりに未熟な心と体。

もっとも、魅録にはそう見えないらしい。

 

清四郎の笑みは苦い笑みに変わっていた。

先ほど見た光景が脳裏に蘇る。

それは、太平楽に眠る顔でもなく、怯えた泣き顔でもなく。

 

着替えるために席を外していた部屋へ戻った清四郎が、なにげなく扉を開けた瞬間。目に飛び込んできたのは、身を寄せ合う二人の姿だった。

他愛のないキス。

慰めようとしたのか、おやすみの挨拶か。

それさえぎこちなく、まるで中学生のような、微笑ましいカップル。

 

その時まで、清四郎は魅録と悠理の付き合いを、これまでの延長に過ぎないと思い込んでいた。

だけど、ふたりはれっきとした、恋人同士なのだ。

 

認めたくはなくても。

認めるしかない。

悠理はもう子供なんかではなく、魅録の恋人。

 

清四郎は足元で丸まっている掛け布団を引っ張り上げ、悠理の上に掛け直した。

彼女に背を向け、布団を被って目を瞑る。

疼き続ける痛みからも目を瞑った。

 

認めたくはない。

認めるわけにはいかない。

胸の疼痛は、まだそうと意識しなければ忘れてしまえる程度のものだ。

 

”いつか”は、来ないのだから。

 

襖が開いて、廊下の明かりが室内に差した。

清四郎は穏やかな寝息を装う。

魅録が足音を忍ばせて、部屋に入って来た。

背を向けた清四郎の足元を通り過ぎ、悠理の前で魅録は立ち止まった。

 

「・・・・・・。」

魅録がため息と共に何事か呟いたが、聞き取れなかった。

眠る恋人への、囁き。

先ほどまで大泣きしていた悠理の平和な寝顔に、呆れているのか。

それとも、愛を囁いたのか。

どちらにしろ、清四郎には、関係がない。

 

今はまだ悠理の夢の中で、清四郎は彼女のそばにいるのかもしれないが。徐々に、悠理の単純な頭の中身は、恋人の存在で占められて行くのだろう。

清四郎はお役御免だ。

それでいいのだと、理性は告げる。

そして、清四郎は魅録の信頼に違わない理性的な男でありたい。

 

かすかな疼痛。

この痛みが淋しさのせいならば、すぐに慣れるだろう。

 

悠理の穏やかな寝息を背中で感じながら、清四郎は寝付けないまま、きつく目を瞑り続けていた。

 

 

”いつか”など、あり得ない。

それでも、あいまいな痛みは、いつまでも胸の奥で、疼き続ける。

 

 

 

 

(2007.6.20)


んーと、んーと、原理主義者同士の皆様、すみません・・・。私も魅×悠はダメです。だって、脅威です。恐怖です。原作で清野&魅悠っぽい描写が出てくると身悶えてました。

だから、余計に毎度、清野&魅悠っぽい状況を清×悠にひっくり返すことに懸命なのかもしれません。(「ハナミズキ」とか「情熱に届かない」とか「星が森に帰るように」とか。)

しかし、このシリーズは友情とも恋愛ともつかない関係の話。清×悠大団円に到達できるか・・・・・・・・・・・・・・・・・鋭意努力します。(汗)

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