Friends or Lovers

友達とか恋人とか、決めたくなかった。

ずっと変わらない関係でいられると思っていた。

それなのに、心は走り出していた。真っ直ぐに。

 

 

Friends or Lovers

  

 

 

逸る心を抑えきれずに、悠理は朝の廊下を駆け抜けた。

不安と期待。

だけど、怖れに竦む心よりも、高鳴る胸の鼓動が悠理を走らせる。

 

――――”これからは、今までどおりの友達でいられる自信はありません。”

 

そう言った清四郎の言葉が、何度も蘇る。

映画に行った土曜の夜から、ずっと、悠理は月曜の朝が待ち遠しくて、怖かった。

清四郎と、顔を合わすことが。

魅録は”絶対、大丈夫だ”なんて言っていたが、見知らぬ他人を見るような目を向けられたら、きっと心臓が止まってしまう。

それでも、悠理は清四郎に会いたくてたまらなかった。

怖れよりも、衝動が悠理を走らせる。

あの夜、雨の中彼を追いかけてしまった時のように。

 

息を弾ませながら、悠理は生徒会室の扉を開けた。

 「・・・清四郎!」

部室では生徒会長が一人、朝刊を読んでいた。

名を呼ばれ、彼は顔を上げる。

 「おはよう、悠理。」

よく通る静かな声が、悠理の胸の中にストンと落ちた。

清四郎は少し目を細めて、柔らかい笑みを浮かべた。

変わらない、声。

変わらない、笑み。

 

「良かったぁ。野梨子が、おまえは先に登校したって言ってたから、ここに居るかと思って・・・」

悠理は安堵のあまり、思わず口走っていた。

「会いたかったんだ。」

素直な気持ちだったのだけど。

「・・・あ、」

言ってしまった言葉に、悠理は焦った。何故、と問われれば、困ってしまうから。

「え、えとあの、別に用ってわけじゃないんだけど・・・」

ガタン、と椅子が鳴った。清四郎が立ち上がったのだ。

棒立ちの悠理に、清四郎は歩み寄る。

まだ笑顔を浮かべてはいるけれど、見上げた黒い瞳は、強い光を宿していた。

 

「僕も、悠理に会いたかった。」

「・・・・!」

 

 その言葉に熱い目に、悠理の息が詰まった。

どうしようもなく、視界が狭まる。清四郎の姿しか見えない。

抗いようのない磁力に引き付けられるように、体が傾いだ。

その悠理の体を受け止めるように、清四郎の大きな手が、悠理の肩を掴んでいた。胸に抱き寄せられる。

驚いたけれど、悠理は抗わなかった。

清四郎の制服の胸に押し付けた頬が、火を噴きそうに熱い。

ドキドキと鼓動が煩い。

それは、悠理の心臓だけでなく清四郎の胸からも聴こえている。

清四郎の右手が、悠理の肩から髪に移動する。左手は、しっかりと腰を引き寄せる。

清四郎の力強い腕にぎゅっと抱きしめられ。

感情は爆発寸前なのに、どうしてだか、安堵もしていた。

そうすることが、自然な気すらして。いつの間にか、悠理も両腕を逞しい背に回していた。

 

”おはよう”なんて、ありふれた言葉をかけあっただけで、どうして抱き合っているんだろう。

どうして、それが自然なことのように感じるんだろう。

これが ”これまでのような友達でいられない”ということなのか――――と。 

やっと清四郎の言葉を、悠理は理解した。

 

それなのに。

「・・・この前、言ったことは嘘です。」

清四郎は悠理を抱きしめたまま呟いた。

「え?」

悠理は顔を上げる。

見下ろす清四郎と視線が絡んだ。

激しい感情が仄見える瞳。

 「どちらかを選べとおまえに迫るつもりはない、と言ったけれど・・・・・・考えただけで、僕は耐えられない。」

 清四郎はもう、微笑んではいなかった。

 

清四郎の長い指が、悠理の頬を撫でる。指先は輪郭を辿り、唇に触れた。

質問の言葉を発しようとする悠理の口を塞ぐように、人差し指が唇に押し付けられる。

 

「魅録のキスなど、忘れろ。」

 

指はすぐに離れたけれど、代わりに清四郎の顔が近づいた。

唇と唇が、触れそうなほど。

 

熱い、目。

熱い、吐息。

 

「僕以外の男など、見えないようにしてやる。」

 

激しい感情が、真っ直ぐ悠理にぶつけられる。

強引に奪われた、唇。

奪われた、心。

想像していたよりも、ずっと熱く柔らかな唇が、悠理の唇を貪る。

舌が絡み、吸い上げられ、侵入される。

 

「・・・ん、んん!」

頭の芯が痺れて、悠理はもう何も考えられない。

足の力が抜けて、立っていられない。

清四郎が抱いてくれていなければ、悠理はその場にへたりこんでいただろう。

 

随分と時が経ち。

激しく長い口づけから解放されても、悠理の意識は眩んだままだった。

ガチャリ、と部室の扉が開けられたことにも、気づかないほど。

 

 

**********

 

 

「・・・・あんたたち、何してるの?」

部室に入って来た友人は、身を寄せ合うふたりの姿を見て、顔を強張らせた。

 

「か、可憐・・・」

我に返った悠理は、清四郎から慌てて身を離そうとする。

だけど、まだ体は思うように動いてくれず、力の入らない足がカクリと崩れ、伸ばされた清四郎の手を悠理は取ってしまった。

清四郎は安心しろと言うように、悠理の手を強く握る。

「何、と言われましても、見ての通りですよ。」

可憐に顔を向けた清四郎は、傲然とした笑みを浮かべていた。

 

可憐はポカンと口を開けて、清四郎を見上げている。その視線が悠理に向かい、止まった。

燃えるような頬が、赤面してしまっていることを悠理に自覚させる。

 

「悠理、あんた・・・・」

可憐の表情が苦しげに歪んだ。胸元で握り締められた拳が震えている。

「魅録は・・・魅録のことはどうする気なのよ?!あんたの恋人は魅録でしょう?!」

可憐の非難に、悠理は首を振った。

悠理にとって、魅録の存在は何一つ変わっていないから。

「魅録のことはもちろん、大好きだよ!だけど・・・」

友達も恋人も、意識したことがなかった。恋など、悠理には別世界の出来事だった。

心のままに、駆け出してしまうまでは。

 

口ごもった悠理の手を包む大きな手に力が入った。

悠理は清四郎を見上げる。

清四郎の目は、真っ直ぐに悠理を見つめていた。熱く、だけど穏やかな瞳。

彼はもう、悠理の答えを知っている。

溢れ出した想い。隠しようもない想い。

悠理にもわかっている。

「清四郎とは、違うんだ・・・」

魅録に対する気持ちと、清四郎への想いは、違うってことを。

 

誰の目にも、明らかに違いない。 

「・・・魅録は知ってるの?」

可憐は”清四郎のことをどう思っているのか”とは、悠理に問わなかった。

「お願い・・・魅録を傷つけないで。」

代わりに、可憐は小さく呟いた。泣き出しそうな顔で。

 

 

 

「俺が、どうしたって?」

 

可憐は弾かれたように背後を振り返った。

開け放たれた部室の扉には、魅録、野梨子、美童が顔を揃えている。

先ほどの可憐同様、三人は寄り添う悠理と清四郎を見て、驚いた顔をしている。

「あら・・・まぁ。いつの間に?」

「へぇ・・・意外な展開だね。」

野梨子と美童の呟きに、魅録はひょいと肩を竦めた。

「そうか?」

そして、魅録は悠理に顔を向け、ニヤリと笑った。

「で、悠理。薄情者に白状させたのかよ?」

 

清四郎が魅録の言葉に片眉を上げた。

「薄情?」

悠理は、あ、と思い至る。

「白状・・・あたいが、しちゃったみたい。」

舌を出したら、魅録は吹き出した。

「おまえ、いいようにされてるじゃないか!いっぺんくらい、そいつに泡を吹かせてやれよ!」

悠理と魅録の会話に、清四郎が今度は逆の眉を上げた。

「泡なんて、吹きませんがね・・・・悠理には結構、驚かされていますよ。」

「へ?」

悠理が見上げると、清四郎は照れたように微笑んでいた。

「おまえの真っ直ぐさの前では、逃げもごまかしも通用しないな。降参を認めますよ。」

意外なほど、感情の滲み出た顔。

清四郎の笑みに、頬を染めたのは悠理だけではなかった。

「てめぇは、ひねくれ過ぎだっての・・・。」

なぜか魅録も赤面し、拗ねたように唇を尖らせている。

清四郎は魅録に視線を流し、目を細めた。

「・・・魅録に謝罪するつもりは、ありませんよ。」

清四郎の口元に、いつもの皮肉な笑みが戻る。

それでも、男達の間に漂うのは、緊張感ではなく共犯者めいた雰囲気だった。

 

「・・・ふぅん・・・あんたたちの間では、納得済みなんだ。じゃあ、外野のあたしがどうこう言う筋合いはないわよね!」

可憐の長い髪がバサリと制服の背を打った。

「可憐?」

怒ったように踵をかえした可憐は、そのまま野梨子と美童の横をすり抜け、部室を出て行った。

走り去る可憐の背を、一同唖然と見送る。

そんな中。

「魅録、可憐が拗ねちゃったよ!追いかけて!」

美童がポカンとしている魅録の肩を押した。

「え?あ、ああ・・・」

魅録は首を傾げながら可憐の後を追って部室を飛び出す。

「あたいも・・・!」

悠理も焦って走り出そうとしたけれど、清四郎の手に止められた。

「?」

怪訝に思い見上げると、清四郎は悠理を真っ直ぐに見つめていた。

黒い瞳には悠理しか映っていない。

抗いがたい磁力。ふたりは、磁石の両極になってしまったのかもしれない。

「可憐は魅録に任せればいいでしょう。悠理はここに居てください。」

清四郎はそう言った後、身を屈めて悠理の耳元に囁いた。

 

――――”僕の側に、ずっと。”

 

悠理はただ、こっくり頷くことしかできなかった。

それは悠理の望みでもあったから。

 

一番大切だったのは、友情。心地良い関係を壊したくなかった。

それなのに、心は走り出してしまっていた。

真っ直ぐ、たった一つの恋へ向って。

 

 

**********

 

 

学園の廊下を、可憐は小走りに通り抜けた。

腹立ちとやるせない気持ちに胸をふさがれ。魅録が追いかけて来たことに、可憐は気づかなかった。

 

「おい、可憐、待てよ!」 

中庭に出たところで声を掛けられ、可憐は驚いて振り返る。

「なに怒ってんだよ!」

「お、怒ってなんかないわよ!」

魅録の憮然とした顔に、可憐は目尻の涙を慌てて拭った。

「?!」

魅録も可憐の涙に驚いて、顔を強張らせた。

数メートルの距離を置いて。

ふたりは気まずい思いで顔を逸らせた。

 

「・・・・可憐、もしかして・・・・俺、そーゆーのに鈍くって気づかなかったけど・・・・」

魅録が言いづらそうに、ごくりと唾を飲み込む。

「その・・・惚れてんのか?清四郎に・・・」

 

「はぁ?!」

 

可憐はあっけに取られて、魅録の顔を凝視した。

魅録は苦虫を噛み潰したような顔をして、そっぽを向いたまま赤面している。

愛すべき朴念仁。

 

「・・・・ほんと・・・鈍いのね、あんたって。」

 

可憐は思わず、吹きだしていた。

 

「あたしだって、人のことを言えないけどね。」

微笑んだまま、可憐はパチンと片目を閉じる。

可憐のウインクに、魅録の表情が和らいだ。

 

まだ、友達でいい。

焦る必要はない。

 

まず、微笑み合うことから、はじめよう。

 

 

**********

 

 

野梨子は、今日何度目かのため息をついた。

「どうしたんですか?」

新聞から顔を上げないまま、幼馴染が問いかける。

あからさまにおざなりな言葉に、野梨子の眉根が寄った。

「・・・・いえ、何も。」

 

昼休みになったばかりの部室には、まだ野梨子と清四郎がふたりきり。

いつも可憐は化粧直しをしてからゆっくり顔を出すし、魅録は学食で食料を調達中か、差し入れ弁当攻勢をさばいている悠理と美童に付き合わされているのだろう。

 

「・・・・本当に、水臭いんですから。」

「お互い様でしょう。」

独り言のような野梨子の呟きは小声だったのに、清四郎からは即座に答えが返る。

皆が揃ったら茶を入れようと急須と湯のみを温めながら、野梨子は清四郎を横目で睨んだ。

「あなたは恋愛に興味がないと思っていましたのに。よりによって、悠理ですの?・・・まったく気づきませんでしたわ。」

「それも、お互い様です。」

似た者同士のふたりの間では、会話は端的だ。

 

互いの変化を怖れないでいられる関係。

野梨子と清四郎の間の空気は、変わりようがない。

時に棘を含むことがあっても、平穏と温もりがある。家族よりも長い時間を過ごした幼馴染ゆえに。

 

「もう参っちゃうよ〜!」

穏やかな空気を破るように、バン、と部室の扉が開けられた。

「僕は野梨子一筋だってのに、ファンの子達がなかなか離してくれなくって〜!」

美童はフルーツとサンドイッチを満載したバスケットを抱えている。

「野梨子は弁当なんか作ってくれねーんだから、もらっときゃいいんだよ。いらねーんだったら、あたいがもらってやるじょ!」

悠理は手作り弁当数個と料亭のお重を、自分の両手では足りずに友人に抱えさせている。

「おまえ、これ全部食って、まだ食う気なのかよ!」

呆れ顔の魅録に、悠理は当然、と頷く。

「心配すんな、欲しけりゃ魅録にも分けてやっから。」

「そーゆー意味じゃねぇ!」

大荷物の三人の後ろから、可憐も顔を覗かせた。

「魅録、購買でパンを買うんだったら、あたしなんか作って来てあげるわよ。ついでだし。」

「あ、可憐のメシは美味いもんな!あたいにも作って〜!」

テーブルに山積みの弁当を置いての悠理の言葉に、清四郎は拳骨を落とした。

「おまえの胃はブラックホールですか!」

賑やかな仲間達に苦笑しながら、野梨子はお茶を配った。

 

開け放った窓からは、新しい風。

変わらないように見えても、やはり季節は変わっている。

 

「本当に、差し入れをくれた子達にはちゃんと言ったんだよ?」

心配そうに、美童は野梨子の顔を覗きこむ。

彼を都合のいいペット扱いしていた大人の女達は離れていったが、学園の乙女達の間では、美童はまだまだアイドルなのだ。

「あら、そうですの?気楽なプレイボーイ生活が懐かしければ、私は一向に構いませんのよ。元に戻るだけですわ。」

もちろん、野梨子もわかっている。もう元には戻れないのだと。

「野梨子ぉ〜!」

ツンと顔をそむけた彼女の言葉に、美童は哀れっぽい泣き声を上げた。

背けた野梨子の横顔に笑みが浮かぶのを、確かめながら。

 

 

テーブルのもう一辺では。

弁当を空けながら、悠理は隣の清四郎に顔を向けた。

「そうだ、清四郎、おまえなんか誤解してるみたいだから、言っとかなきゃ、と思ってたんだ・・・」

「なんですか?」

首を傾げた清四郎に、悠理が身を乗り出して、何事かを耳打ちする。

 

は?いまさら何を!

 

清四郎が素っ頓狂な声を出したので、テーブルを囲んでいた仲間達は彼らに目を向けた。

「なによ、悠理。いまさら愛の告白でもしたのぉ?」

可憐のからかいの言葉に、悠理は「ち、違わい!」とわめいたが。

「悠理、下手な嘘はやめてください。」

清四郎は不機嫌顔で眉を寄せた。

「僕は目撃したんだぞ。済んだことはもういいですから。」

そう言いつつも、清四郎の表情は”もういい”という顔ではなかった。

「だから、それが誤解だって!未遂だったんだって!」

悠理は真っ赤な顔で首を振っている。

らしくない清四郎の拗ねた口調と、悠理の必死の様子に、仲間達はわけがわからず顔を見合わせる。

 

――――”あたい、おまえがファーストキスなんだからな!”

 

悠理の囁きが、聴こえたわけではないけれど。

魅録が一人、心当たりがあるのか、赤面していた。

そんな魅録の隣では、可憐がさりげなく弁当のメニューのリクエストを確認している。

こちらの変化は、まだ小さなものだけど。

確かに、新しい季節が始まっている。

 

それでも。

 

いくら季節が変わろうと。

この光景が、いつか思い出となっても。

大切なものは変わらない。

 

 

友達も、恋人も。

これからも、いつまでも。

 

 

 

 

END(2007.1.30)

 


友達とか恋人とか、決めたくなかった。ほのぼの微妙な関係で終わらせるつもりだった。それなのに、清四郎が暴走――――なんでこんな話に?!(爆)

と、いうわけで。シリーズ最終回です。当初の予定通りの落着点になったのは、可憐と魅録くらいだわ・・・見事玉砕です。微妙な関係は、清四郎氏のお気に召さなかったようで(笑)。

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