-------- 予想だにしていなかった。まさか、下駄で殴られるとは。

 

 

夜7時半から始まった花火大会も、9時で終わる。

大会プログラムに関わり曲がりなりにもイベント関係者として参加した僕が、盛り上がる祭りのフィナーレを救護室のベッドで迎えることになろうとは思わなかった。

 

 

8時40分の花火

 

 

 

 剣菱の花火といえば、夏休み最後に行われる万作ランドの盛大な納涼花火大会だが、僕らの子供の頃も、剣菱家の敷地内でもっと小規模ながら花火大会が催されていた。

系列企業の子弟たちと、地域住民、そしてプレジデント学園生は招待され、過ぎ行く夏を惜しみつつ祭りを楽しんだものだ。

 

と言っても、高校に上がるまで、僕が参加したのはたった一度だけ。

小学校4年の夏一度きり。

 

毎年学友として形式的に招待されていたものの、僕と幼馴染の野梨子の二人はそれまで参加したことがなかった。

剣菱の娘である悠理とは幼稚舎からの同級生だが、仲が良いとは言い難かったのだ。

出会いこそ最悪だったものの、悠理が気の良い奴であることはこの頃になれば当然僕はわかっていたのだが、野梨子と悠理は頑なに互いにそっぽを向き合っていた。

その年も、渋る野梨子を連れ出したのは僕だった。

 

当時から、なかなか盛大な祭り会場だった。

十いくつもの屋台。盆踊りの櫓まで設置されてある。

結構な人ごみに、僕は野梨子の手を繋いで同級生の姿を探し歩いた。

 

ハッピ鉢巻姿の悠理は両手に焼き鳥と綿飴を持って、楽しそうに会場を駆け回っていた。

僕たちに気づき、草履の足が止まる。

 「・・・白鹿と菊正宗ぇ?」

僕と野梨子を見て眉を顰めた悠理の表情は、とても歓迎しているとは言い難い。

来なければ良かったと、隣に立つ野梨子が体を強張らせたことが、繋いだ手から伝わって来た。

「食う?」

悠理はそれでも、手に持った綿菓子を野梨子の方に差し出した。

野梨子は無言で唇を引き結び、返事をしない。

「ありがとう、いただくよ。」

代わりに僕が右手を差し出したけれど、悠理の視線は僕の左手に落ちていた。

野梨子と繋いだ手に。

まだこの頃、僕は同い年の野梨子の兄貴分を気取り、友人が僕しかいなかった野梨子も僕に頼りきっていたのだ。

 

「・・・・ふん!」

悠理は綿飴を持ったまま、ぷいと顔を逸らした。

そのままパタパタと駆け去る後姿。

「・・・・・。」

馬鹿にしたような悠理の態度のせいなのだろう。なんだか恥ずかしくなり、僕は繋いでいた野梨子の手を離した。

友を得て、揺るがない自分を得て、野梨子が僕の手を本当に必要としなくなるまでは、まだ数年かかったものの。

 

あの頃は気づかなかった。

初めて感じた羞恥の理由も、鮮やかな打ち上げ花火が淋しい色に見えた理由も。

 

遠ざかる悠理の背中越しに上がった花火を、鮮明に覚えている。

夏の終わりを告げる花火。

綺麗であればあるほど、華やかであればあるほど、切なかった。

 

 

*****

 

 

あれから、十年。

ここ数年、剣菱の花火大会は仲間皆と繰り出すことが恒例となっている。

 

 野梨子は可憐と色違いの浴衣姿で、軽口をたたく美童に微笑んでいる。その隣では魅録が灰皿代わりのビール缶に煙草を落とし、悠理の帯に差してあった団扇を抜き取り、パタパタ仰いでいる。

夕涼み、というには人ごみのせいか気温が下がらない。

悠理は団扇を取られたことにも気づかず、楽しげな満面の笑みを浮かべていた。

赤い帯に朝顔模様の浴衣。ハッピ鉢巻の子供の面影は宿しているけれど、今夜の彼女はとても綺麗だ。

そしてその笑みは過日とは違い、惜しげもなく僕に向けられている。

変わらないのは、両手に持った焼き鳥と綿飴。

 

「それ、いただけますか?」

そう言って、僕は悠理の手から綿飴を受け取った。そして、彼女の空いた手をそっと握り締める。

「・・・?!」

悠理は少し驚いたようだったけれど。

「花火、そろそろキャラクター編ですよ。」

僕は間髪いれず話しかけた。

コーディネーターとプログラムを組んだのは僕だ。豊富な種類の花火と、打ち上げ順は把握している。

「え、え?ア○パンマンとかあるって言ってたよな?」

悠理は顔を夜空に戻した。

僕がふわふわの綿飴を舌先に乗せた瞬間、空が青く輝いた。

「あっ!ドラえ○んだよな、今の!」

その横顔は赤らんでいたけれど、繋いだ手は振り払われはしなかった。

 

夕闇にまぎれ、仲間たちには気づかれないかと期待したのだけど。

僕らの前に立っていた美童が、野梨子になにやら耳打ち。野梨子は首を傾げ、振り返ってしまった。

 

僕は幼馴染に、片目をつぶって見せる。

 

野梨子は微笑んで、そっと友人を促してその場を離れた。

悠理に気づかれないよう、静かに。 

僕の庇護を必要とした、頑なな幼馴染の面影はそこにはない。

そして、あの日は手の届かないように思えた、もう一人の幼馴染の手の温もりが、胸に沁みた。

 

ここまで来るのに、十年かかったのだ。

もう僕の目には、花火は切ない色に映らない。

胸の中に咲くのは、温かな花。

 

そう、悠理の手の温もりは夢ではなかった。 

 

 

*****

 

 

 ひときわ輝く花火が上がった。BGMはクラシック。

救護室のベッドの上からでも、オーロラのように色を変える空が見えた。

 

「おっと、雰囲気変わったよな。今度はなんなんだ?」

「・・・・キャラクター編が終わって、オーケストラ編が始まったんですよ。」

魅録に問われて答える。

 

オーケストラ演奏をBGMに、曲ごとのイメージ花火を打ち上げるコーナーだ。

キャラクター編がお子様向きだとすれば、こちらは大人向け。

 

「ふぅん。今年は凝ってるな。」

花火が良く見えるよう電気を落とした室内に、魅録の点けた煙草の火が赤く浮かびあがった。

「・・・・魅録、野梨子たちのところへ戻ってください。何もついていなくても大丈夫です。たいした怪我じゃない。」

と言うか、救護室で喫煙はどうかと思うのだが。

救護室の係員と医師は、僕の依頼で席を外してくれたのだが、人の悪い友人は退室してくれる気配がない。

こんな時、そっと一人にしてやろうなどという友情はないらしい。

「殴られた怪我はともかく、傷心は酷いんじゃねえ?」

声だけでも魅録がおもしろがっていることは明白だった。

 

確かに、アンパ○マンを背景に、下駄で殴られた僕の気分は最悪だった。

 

「・・・・・どこから見てたんですか?」

「おまえが悠理の手を握って、引き寄せて、耳になにか囁いた途端、殴られて、ぶっ倒れたところまで。」

「全部じゃないですか・・・」

僕は深く嘆息した。

 

「で、何言って怒らせたんだ?」

「想像はつくでしょう。」

「まぁ、普通、あのシチュエーションならな・・・でも、おまえと悠理は普通じゃねぇし。」

「ごく、普通ですよ。」

少なくとも僕の方は、ありふれたよくある話だ。

 

子供の頃から、彼女は特別な存在だった。

笑顔が見たかった。

傍に居たかった。

それがどういう感情からくる想いなのか気づいたのは、最近だけど。

 

 「思いっきり、振られてしまいましたよ。」

 

僕はハハハと寒い笑い声を立てた。

もう、笑うしかない。

 

「ゴホッ」

無理に笑うと、煙草の煙が沁みて咳き込んだ。

 

「自信家のおまえさんらしくねぇな。」

魅録は気楽な調子で、傷口に塩を塗りこむ。

そう、僕は基本自信家だ。 

 

握った、思いのほか華奢な手。

口の中には、甘い綿飴の味。

花火の打ち上げ音に負けないよう、引き寄せた悠理の耳元に告げた。

 

『僕は、悠理が好きです。おまえは?』

 

問いかけながら、疑ってはいなかった。

目を見開いて固まった彼女の、心を。

初めて握った手は、温かだった。

もう隣に居ることが、自然になっている。

十年かけて、ここまで来たのだ。

 

だから、まさか下駄で殴られるとは思わず、避け損ねて直撃昏倒。

 

 

魅録は僕の額に貼られた大きな絆創膏を、同情に満ちた目で見つめた。だけど、口元は苦笑の形。

「悠理の奴、告白に驚いてパニクっただけじゃねぇの?ほら、悠理はあーゆー奴だし。悠理が今さらおまえを振るとは思えねぇな。」

 

からかい顔でここに残っていたのは、彼が本気でそう思ってくれていたからだろう。微笑んで場を離れた野梨子もきっと同様に。

僕が、そう勘違いしていたように。

 

「僕だって、嫌われているとは思っていませんでしたけどね。あれほど明確な意思表示はないでしょう。悠理が奥手なのはわかっていますけど、男嫌いってわけじゃない。」

「そりゃあ、不潔!とか怯えて殴りそうなのは、悠理よか野梨子だがな。」

「ふん、別に不潔なことは何も言ってませんよ。」

僕は不貞腐れてそっぽを向いた。

魅録は苦笑。

「あいつ、ちょっと天邪鬼なところあるし、照れただけじゃねぇ?」

「・・・・・・悠理は、素直で直情的ですよ。」

「そ、そうだけどよ。怯えたわけじゃなくても、悠理は負けず嫌いだから、おまえに告白先越されたのが、気に食わなかったんじゃね?受身タイプじゃねーし。」

「・・・・・・・・・どんな女ですか、それ。奥手で照れ屋で天邪鬼で主導権取りたがって肉食系?」

「・・・・・・・・・ゴメン。」

どう言いつくろっても矛盾に満ちたフォローに、魅録は項垂れ、煙草を消した。

 

その時、僕の携帯が鳴った。メールだ。

僕と魅録は同時に、サイドテーブルの上で光る携帯を見た。

灯りを消した室内に浮かび上がる、携帯の液晶画面。

『悠理』の文字。

思わず、僕は息を詰めた。

 

「ほ、ほら、きっと悠理からの謝りのメールだぜ!いや、告白メールかも。あいつ意地っ張りだから、面と向かって言えねぇんだよ!」

魅録に促されて、僕は携帯を手に取った。

 

胸のズキズキが、ドキドキに変わる。

 

携帯を開けて見た。

 

「・・・・・・・・・・・。」

 

「な、なんだったんだ?」

「・・・・・少なくとも、謝罪も愛の告白もないですね。」

僕は魅録の鼻先に、携帯を開いて差し出した。

 

                        『from 悠理

花火、見てるか?8時40分だぞ。

                   -END- 』

 

「こ、これだけかよっ!戻って来いってか?」

「僕の告白は、なかったことになっているんですかね・・・」

 僕は携帯を閉じながら、顔を伏せた。

「魅録、この夏最後のイベントだ。皆のところに戻ってください。こんなところで油を売ってたら、悠理に怒鳴られますよ。祭りのクライマックスにみんなで太鼓叩くのを、あいつは楽しみにしているんですから。」

「お、おまえは・・・・」

「何食わぬ顔して、悠理の隣で太鼓を叩けと?・・・・・今年は、無理です。」

声が震えないよう堪えながら、言葉を搾り出す。

 

「・・・・・ひとりにして下さい。」

 

押し殺した僕の声に、何を感じたのか。

 

「あ、ああ・・・・・・ゴメン。」

 

魅録はそそくさと部屋を出て行った。

 

残された僕はベッドに横たわり、窓の外を見る。

時刻は8時39分。

この夏、最後の花火。

 

肩が震えた。

抑えきれない感情に、浴衣の胸元を掴む。

魅録がやっと退席してくれて助かった。こんな顔は見られたくはない。

暗闇の中、僕は一人で胸を押さえて待った。

 

もうすぐ、8時40分。

 

僕は完璧にプログラムを憶えている。

最後の花火は、剣菱家当主自らのカウントダウン後彼の年齢の数連打する通称『万作ファイアー』。

連打の打ち上げ音に負けじと、雛壇で僕ら若い者が和太鼓を叩くのが、毎年のお約束だ。

しかし、その時間までは、まだ少し間がある。

 

BGMがまた変わった。

カウントダウン前のファンファーレ。プログラムのクライマックス。

 

窓を見上げた。

夜空に咲く大きな花火が、僕の顔を照らしだす。

眩い赤が目を焼く。

思わずこぼれるのは、笑み。

こんな顔を魅録に見られないで幸いだった。

 

見る前から、わかっていた。

8時40分の花火は、大きなハートマークだ。

 

もちろん、悠理が打ち上げさせたわけじゃない。

コンピュータ制御のプログラムの、予定通りの打ち上げだ。

 

 でも、直情的で素直で意地っ張りで天邪鬼で奥手で照れ屋で勝気で攻撃的な彼女の、せいいっぱいの返事なのだろう。

 たぶん悠理にとってはふいうちだったに違いない、僕の問いかけに対する。

 

  

 花火職人の技術の粋を示す巨大なハートマークが夜空を彩り、遠雷のように打ち上げ音が、遠く響く。

悠理の姿が脳裏に浮かんだ。

今頃、やんちゃに浴衣を捲り上げて、和太鼓の前に立っているに違いない。

悪いが、今年は一緒に太鼓を叩けない。僕に同情しきりの、魅録の非難の視線にも耐えてくれ。

打撲傷よりも、笑いの発作に襲われ、僕はベッドを離れることができなかった。

 

--------- まったく、なんて女に惚れてしまったんだろう。

この上もなく単純に大胆に、悠理はいつも僕の予想の斜め上を行く。

 

僕はひとりベッドの上で、笑い続けていた。

 

 

 ひとつの季節の終わりを告げる、カウントダウンが始まる。

今年の花火は、僕の目にはもう、切ない色に映らない。

過ぎゆく夏を惜しむより、これからの季節に胸が躍るから。

 

--------- 予想もできない、明日が始まる。

 

 

 

END

2009.8.31

 


夏の終わりは、なんとなく淋しいですよね。んでも、彼らならきっと陽気に能天気にお祭り騒ぎで過ごしてしまうんではないかしら。

アン○ンマン花火も、ドラえ○ん花火も、実際に私が市の花火大会で目撃しました。もちろん恥ずかしさ満点の巨大ハートマークも実在します。

しかしやっぱ、花火は名前どおりのお花模様が好きだなぁ。

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季節素材:夢幻華亭