ハナムケノハナタバ後編
「な、なんで?!」 「悠理を泣かせてまで、僕は結婚する気はありません。」
清四郎はそう言ったけれど。 あたいは嬉しくなんかなかった。 淋しい色の瞳に、胸が詰まった。
「・・・・ば、馬鹿!何、言ってんだよ!野梨子が怒るぞ!」
こんな優しさは、嫌だ。 これじゃ、あたいは小姑だ。いや、ふたりの間を引き裂く、悪人だ。
「野梨子?まぁ、うちの両親もそうですが、怒るより呆れるんじゃないですかね。」 清四郎は肩を竦めた。 「これが、初めてってわけでもないし。」 清四郎は苦笑を浮かべていたが、投げ遣りな口調だった。
全身から血の気が引いた。 美童が、”長い春”と言っていたことを思い出す。 もしかして、これまでもあたいのせいで、清四郎と野梨子は結婚できなかった?
「あ、あたい、なんか・・・・・」 した?と聞こうとして、ドッと記憶が蘇った。 ここ数年の騒動の数々。 学園を卒業してからも相変わらず、誘拐されたりマフィアにとっつかまったり幽霊に憑依されたり。 騒動を起こしては仲間達を引きずりまわし、清四郎を独占し。
小姑よりも始末が悪い。
「!!」
あたいは清四郎から身を離し、車の扉にすがりついた。 「名輪、下ろして!あたい、歩いて帰る!」 ガチャガチャ扉のロックをいじっていると、清四郎に止められた。 「馬鹿!危ないだろう!」 背後から、羽交い絞めにされる。
どっちが馬鹿だ、と怒鳴ってやりたかった。 清四郎にとってあたいは、腐れ縁の被保護者。そんなお荷物の我侭で、結婚を伸ばしてなんになる? あたいが、ずっと我侭を言い続けたら? 一生、清四郎を独占したくなったら? 清四郎は、頭がいいくせに馬鹿野郎だ。 そんな可能性など、考えてみたこともないんだろう。
――――あたいが、もしも・・・・・
あんまり強く抱きしめられて、声を出すこともできなかった。 また涙腺が緩み始める。
このままじゃ、駄目だ。 あたいにとっても、清四郎にとっても。 清四郎の優しさに甘え、あたいはどんどん嫌な奴になってゆく。 勘違いしちゃ、駄目だ。 この腕は、あたいのためにあるわけじゃない。 昔から、野梨子のものだったのだから。
”愛し合っているから、結婚するんだろう?” そう問われて、清四郎は否定しなかった。今さらだなんだと口では言いつつも、気持ちがないはずなんてない。 あたいが、もし・・・・・・そうでも。 ふたりの仲を裂くことなんて、できるはずはない。
「・・・・・ごめん、清四郎。」 背後から回された清四郎の腕をそっと押しやる。びくとも動かない強さに焦れる。 そう、この腕の中から出るのは、勇気がいるけれど。 ようやくあたいは言葉を押し出すことができた。
「あたいは、大丈夫だよ。だから・・・・」 頬を伝う、涙の感触。だけど、背後に居る清四郎には見えやしない。
「だから、やめるなんて言わずに、結婚して?」
「・・・・悠理?」 清四郎が顔を覗き込もうとする。あたいは、慌てて俯いて視線を避けた。
今は苦しくてたまらないけれど、もう少ししたら、顔を上げて笑ってみせる。 今度は、心からの笑顔で。 本当は友達の幸せを喜びたいのだ。 ガキで我が儘なあたいだけど。
――――ハナムケノハナタバヲ、オクルカラ。
*****
「どこが、大丈夫なんですかね・・・・いったい。」 清四郎は呆れたようにため息をついた。 吐息があたいの髪を揺らす。耳が熱い。
ふいに体が振動を感じた。 回された腕が。背中が触れた清四郎の胸が、揺れている。 「?」 「・・・・・悠理、しかし・・・・・」 清四郎がクスクス笑っていることに、ようやく気づいた。 「おまえが、”結婚して”と、言うとはね。」 「!?」 突っ込むとこ、そこかよ? 「だ、だいじょーぶだってば、おまえにもう面倒かけさせないって!」 焦ってあたいは思いつきを口にした。 「来月、見合いするし!」 体の揺れが止まる。清四郎の笑いが収まったのだ。 「・・・は?」 「お、おまえに心配かけてばっかなのは、わかってるさ。だけど、もう解放してやるよ。あたい、あたい・・・・」 自立する。もうこれ以上、清四郎に頼るわけにはいかない。 「おまえも聞いてただろ?この前、母ちゃんがまた性懲りもなく見合いとか言ってたじゃん?あれ、真剣に考えてみるよ。」 口から出たのは、デマカセ。 清四郎の腕から逃れるための、口実。 いつか、顔を上げて花束を渡すための。
――――プッツン。
背中で音がした。 なにかが、切れた音。 「?」 涙を拭って、おそるおそる振り向く。 「!」 背後には額のすだれと平行に影を落とした清四郎が居た。
キキィッ、バンッ!
体が大きく揺れた。 車が停車すると同時に、清四郎がドアを開けたのだ。あたいを抱えたまま、蹴り開けんばかりの勢いで。
「せ、せいしろ?!」 動揺するあたいにかまわず、清四郎は車を降りて歩き出した。 「う、家?」 停車したのは剣菱邸に着いたからなのだと気づいたのは、清四郎に引きずられてエントランスに入ってからだ。 「お帰りなさいませ、嬢ちゃま、清四郎さま。」 五代をはじめ、使用人たちがレッドカーペットの両側で迎えてくれる。 背後から清四郎に拘束されたあたいの姿は、ピストル突きつけられて連行される人質状態に見えたはずなのに。 あたいが清四郎に搬送されるなんていつものことだと、皆の顔に動揺はない。 「・・・しばらく、僕らの部屋には誰も近づけないで下さい。」 そう言った清四郎が、怒りのオーラをまとっていても。
*****
”僕らの部屋”と清四郎は言ったが、もちろんあたい達の部屋は別々だ。 剣菱家の奥の院=コンピュータルームと同じフロアだということもあり、清四郎に用意された部屋は、あたいの部屋の隣だ。元々続き部屋だけど、間の扉は施錠され、開けられることはない。 そもそも、あたいは清四郎の部屋に入ったことがろくになかった。清四郎は学生時代と同じように話をするときはあたいの部屋に顔を出したし、呼べば聞こえる隣室に入る必要がなかったからだ。
「ひ、ひえっ」 清四郎は部屋のソファにあたいを放り投げ、後ろ手に扉の鍵を閉めた。 霊感発動しなくても、ドロドロとトグロ巻く怒りのオーラが見えるようだ。 「せ、説教、1時間コース・・・じゃ、すまない?」 へへ、と笑おうとしてあたいは失敗。歯がみっともなくもカチカチと鳴った。 清四郎にお小言や雷を落とされるのは昔から日常茶飯事だけど、いつもあたいの部屋でだ。もしかして、ここでの説教は、ランクアップ?
「悪いが、堪忍袋の緒が、切れました。」 清四郎は全然悪いと思ってない顔で、あたいの前に腕を組んで仁王立ち。 さっき聞いたのが清四郎のぶち切れる音だとすると、怖い。怖すぎる。
「な、なんで怒ってんの・・・?」 ソファの背にしがみつきつつ、おそるおそる訊いてみた。 ソファ――――そう、初めて知った。 この部屋には、壁を覆う本棚と執務机の他は大きなソファしかない。 清四郎は何度もここに泊まっているはずなのに。 ベッドは?と、目の前の清四郎から現実逃避気味に視線を逸らせた途端。 「ふぎゃっ?!」 足元がバンと持ち上がった。 同時に、清四郎はあたいのしがみついているソファの背に手を掛けグイと押す。 背もたれはあっけなく倒れ、浮遊感に目が回った。 やたらでかいと思ったら、このソファはソファベッドになるのだ――――と、気づいた時には、横たわった状態で清四郎に見下ろされていた。
「・・・・見合い、するだと?」 清四郎はあたいの頭の両側に手を付き、至近距離から睨みつけてくる。 「何年もおまえを守ってきたのは僕だ。それなのに、別の男と?」 唸るような声が近づいたと思った瞬間。 「っ?!」 噛み付かれた――――と、間違うくらいの勢いで、口を塞がれていた。 あまりに、乱暴なキス。 「ふぐっ!ふがっ!」 瞬間、ジタバタ暴れたけれど、強い力に抑え込まれた。 「むーーーっんむ・・・・」 呼吸困難。全身にかかる、清四郎の重み。 動かない体は諦め、顔を逸らせて、空気を求める。 だけど、逃げてもすぐに清四郎の唇が追いかけてきて再び唇を奪われた。
熱い唇。 強い力。 いつも清四郎は、あたいを動けなくする。
だけど本当に逃れられないのは、心だ。 唇は解放されても、あたいは抵抗もできず。 「・・・えっ・・・えっ・・・」 見下ろす清四郎の前に、ぐしゃぐしゃの顔を晒して嗚咽を漏らした。 もう抑えきれない。隠せない。 「ひ、ひどいよ・・・・べ、別の男って・・・だって、おまえは野梨子と・・・・!」 ついに、あたいはオンオン泣き出した。
清四郎はあたいの号泣に、しばし唖然としていたが。 「・・・・なるほど、ね。」 あたいにかかっていた重みが引いた。清四郎が身を起こしたのだ。 「来月正式な席を設けるので、もうそろそろ結婚をきちんと考えなさい、とおばさんが言っていたのを、見合いだと思ったんですね?しかし・・・」 清四郎は大きなため息をついた。 「どこをどういうふうに考えたら、僕と野梨子が結婚する、なんて思えるんです?」 清四郎の声は険しい。明らかに、まだ怒っている。 大の字で泣きじゃくっていたあたいは、身を起こしてペタンと座り込んだ。
「だって・・・・違うの?」 清四郎と野梨子は似合いの一対。二人で一組。 きっと、それは初めて出逢った子供の頃からの、あたいのトラウマ。
上目遣いで伺うと、清四郎は額に怒りマークを貼り付けてジトっとあたいを睨んでいた。 「ひっ!」 あたいは条件反射的に身を竦める。 「馬鹿だ馬鹿だとは重々承知していたが・・・僕が何年この屋敷に住んでいると思っているんだ?剣菱のおばさんでなくても、そろそろ正式に婚約復活しては、と言われて当然でしょう!」 清四郎は腕を組んで、あたいを怒鳴りつけた。
「へっ?復活?」
*****
クドクドクドクド――――。 すでに説教はいつもの1時間コースを超えて続いていた。
うな垂れたあたいは、ソファベッドの上に正座。 その前で向かい合った清四郎も正座。
「だいたい、なんだってこの部屋にはベッドがないと?」 「へ?し、知るかよ、そんなこと・・・」 「この部屋はもともと寝室ではなく、書斎なんです。ベッドは続き部屋にありますからね。」 清四郎はクイと顎であたいの部屋との間の扉を指し示す。 「結婚するまで開けてはいけないとあのおばさんから釘を刺されていなければ、さっさとあっちで寝てますよ!」 寝る・・・・・って、寝る・・・・・・・ということは。 「!!」 顔面から火を噴きそうになった。 「つまり、僕がこの部屋入っているということは、そういうことです。」 あたいの動揺をよそに、清四郎はさも当然だと言い募る。
「おまえはこの既成事実を、なんと心得る?!」
とか、怒鳴りつけられても。
きっちり正座で怒っているこの男が、周囲からはしっかり事実上の婚約者として認知されてるなんて思わなかった。 おまけに、本人までもそのつもりだとは。
だって、あたいたち、さっきのがファーストキスだし、たぶん。(髪や頬にはされたことあるような・・・口塞がれたこともあったっけ?) 花束はおろか、指輪やなんかももらったことないし。(食い物以外いらないが) 遊びにはそりゃ一緒に行くけど、ふたりきりでのデートとやらは(ふたり一緒に拉致誘拐されたことは数あれど)記憶にないし。 ――――付き合った覚えは、ないんですケド?
怖いから反論はしなかったけど、あたいの上目遣いの表情に何を読み取ったのか。 清四郎は口の端を少し上げた。 笑みというには、怖すぎる顔。 清四郎がこういう顔をする時は、歯向かってはならない。いくらあたいが馬鹿でも、それくらい学習している。
清四郎は腕組みをといて、あたいの頬を掌で撫でた。 優しい仕草。でも、騙されてはいけない。 伊達に、長い付き合いじゃないのだ。
「既成事実が足りないなら、この際、思い知らせてやりますよ。」 「え・・・えええ?」 あたいの背中にゾゾゾと悪寒が走る。 でも、冷たいわけじゃない。 少し甘くてこそばゆい悪寒。
そして案の定。 その夜、説教は一晩コースに変更となったのだ。
”今さら”だけど――――”愛がないわけじゃない”らしいから、いいけどね。
*****
そうして。 翌月には結納と、婚約披露の盛大なパーティが催され。 マスコミの取材に対し、 「プロポーズの言葉ですか?あいにく僕の方からではなく、彼女から『結婚して』と言われてしまいまして。」 と清四郎がシレッと答えても、あたいは赤面したまま歯軋りしているしかなかった。 『友人一同』と表書きした、巨大で壮麗な、餞の花束の隣で。
END(2009.1.31)
らららでも良かったかも・・・な、マヌケ話になってしまいました。既成事実に気づかない悠理のお馬鹿話にしようと思ったのに、こんなんで付き合ってるつもりのヘンな清四郎の話になってしまった。”一晩コース”も本当に説教だけだったりして・・・そんでもって、悠理はそれに快感を感じるヘンな体質に調教されてたりして。(笑) ちなみに悠理のトラウマは私のトラウマです。なんか清四郎と野梨子ってセットっぽくて。でも、原作者自ら『一番それっぽい清四郎と悠理』とか言ってますからね、倶楽部内恋愛論で!もっともその後、それがあの始末(『剣菱家の事情』)、だと言ってましたが。(笑) 『剣菱家の事情』は、ホント清×悠には諸刃の刃です。でも今さらながら、愛があるのよ!! ・・・きっと。 |