家政婦は見た

         <後編>

 

 

 

 

 つぶれた時宗様を魅録様と清四郎様が寝室に運び、お若い方々は魅録様の部屋で飲みなおすことになった。お三方共未成年ではあるが、この家ではそれは黙認。警察官であるにもかかわらず、ご当主の時宗様自身もご子息の飲酒には寛容だ。(年齢を忘れているだけかも知れない。)

 

私は住み込みでなく通いなので、そろそろお暇する時刻なのだが、坊ちゃま方が手早く片付けて下さったため惨状ではなくなった食卓の掃除を理由にならない理由にして、ぐずぐずと居残っていた。

清四郎様がお泊りになることはほとんどない。徒歩で数分の家政婦センターの寮まで、一緒に帰れるかもしれない。

 

そんな下心で、魅録様の部屋を伺っていると、ふいに襖が開いた。

「あ、●●さん、まだ帰ってなかったのか」

「み、魅録坊ちゃま、何か御用がありましたら、お申し付けください。今日はもうしばらく居させていただきますので。もっとツマミをご用意いたしましょうか?」

焦ってエプロンをいじりながら踵を返しかけた私を、魅録様が止めた。

「いや、ツマミはいいよ。じゃあ、申し訳ないが客間に布団を敷いてもらえねぇか?」

なんだ、清四郎様は泊まるのか・・・と、がっかりしつつ魅録坊ちゃまの背後にちらりと目をやった。

「悠理が眠っちまってさ」

言葉通り、室内には悠理嬢が酒瓶を抱えて転がっていた。

「・・・酒には強いくせに。よほど退屈だったんですかねぇ、この人は」

ため息まじりに清四郎様は眉を寄せ、悠理嬢を見下ろしている。

なるほど、悠理嬢はパソコンでプリントアウトした資料やら本やらを下敷きにして眠ってしまっていた。

「ヨダレをつけないでくださいよ、稀少本に!」

忌々しげに舌打つ清四郎様に、魅録様は肩をすくめて振り返った。

「カンベンしてやってくれ。俺らが夢中になって悠理にゃわかんない話をしていたんだから、仕方ねぇさ。こいつは客間に寝かせるから、今夜はゆっくり語り明かそうぜ」

私は、客間に向かった。清四郎様はまだ帰られないのか・・・と、小さな野望が潰えたことに落胆しつつ。

 

 

**********

 

 

 布団を敷き終えて戻ってくると、縁側に魅録坊ちゃんの姿を見つけた。

煙草を吸いながら、携帯で誰かと話しておられる。

悠理嬢が眠ってしまったので、煙草を自室で吸うことを遠慮なさっているのだろう。案外細やかな方なのだ。

「だから、電話寄越すんだったら、俺の携帯じゃなく親父の携帯か家に方にかけてやれよ。淋しがってるぞ!今夜だってそれで・・・」

 

会話の内容から、母上である奥様のようだ。思わず、私は笑みを浮かべていた。

魅録様のような息子を持ちたい、などと、彼氏募集中独身女の看板にそぐわない思いが胸をよぎる。

 

私はそっと縁側の前を通り過ぎた。母子の語らいを邪魔したくはない。

ふと、明かりを落とした廊下に、魅録様のお部屋から細い灯りが漏れていることに気がついた。襖がほんの少し開いているのだ。

私はなにげなく戸の隙間を覗きこんだ。

 

どきり、と胸が跳ねる。

 

床の上で眠り込んでいる悠理嬢。腰を下ろしたまま、彼女を見下ろしている清四郎様。

室内の光景は、先ほど見たものとあまり変わりはなかったのだけど。

目を細め口元に笑みを浮かべた清四郎様の表情に、私は息を飲んだ。

見たことのないほど、柔らかな笑みだったから。

 

「ったく、こんなところで眠り込んで・・・」

清四郎様の長い指が、悠理様の髪をそっと梳く。柔らかそうな髪がふわりと揺れる。

むにゃ・・・馬鹿で悪かったな・・・

悠理様は小さく呟いたが、それでも目覚める気配はない。

「本当に、馬鹿ですね」

眠る悠理嬢と、苦笑する清四郎様。なんとなく会話が成り立ってしまっている。

 

「だいたい、おまえは警戒心がなさ過ぎるんだ」

清四郎様はつい、と身を屈めた。

悠理嬢の白い頬が、彼の影に覆われる。

清四郎様の唇が、そっと悠理嬢の頬に触れる。

目覚めない彼女の輪郭をそのままたどり、桃色に色づく唇にまで。

 

息を止めて覗き見していた私は、思わず廊下にペタンと腰を落としてしまった。

「・・・・っ!!」

清四郎様は気配に気づいたのか、身を起こしてこちらに顔を向けた。

染まった頬。しまった、と目を見開き。

その清四郎様の表情は、私に確信させた。

いつも隙のない青年が動揺し、心情を吐露してしまっている。

彼女への、明らかな想いを。

 

これはいわゆる、不倫・・・・!い、いえ、横恋慕・・・・!!

 

いかに清四郎様に”不倫”という単語がお似合いになるとはいえ、悠理嬢はまだ結婚しているわけではないから、この場合適切なのは”横恋慕”だろう。

 

三角関係!お仲間内での、愛憎!絡みあう縁の絆!怒涛のごとく押し寄せる愛の嵐!

 

私は、とんでもない場面を目撃してしまったのだ!

 

「●●さん?」

呆然と廊下で佇んでいた私は、近づく魅録様に気づかなかった。

「あ、ぼ、坊ちゃま!」

「布団、敷けたんだ?」

「は、はい・・・」

何も知らない魅録様はカラリと襖を開ける。

「じゃ、悠理を連れてくよ」

 

室内では、眠る悠理様に背を向けるようにして清四郎様は座っておられた。

取り繕ったに違いないが、見事なポーカーフェイス。もう頬の赤みも引いている。

 

「おーい、悠理。客間に布団を敷いてもらったから、あっちに寝に行きな」

魅録様が声をかけるが、悠理嬢は口元をむにゃむにゃさせるのみ。

「・・・悠理は蹴っても目覚めませんよ」

清四郎様は感情の消えた声で魅録様にそう告げた。

 

そう、キスをしても、目覚めない。

清四郎様のクールな言葉は、もう私には違うように聴こえてしまう。

 

「しゃーねーな。担いでいくか」

魅録坊ちゃまは肩をすくめ、溜息。

「僕は、お手洗いをお借りします」

清四郎様は無表情のまま立ち上がり、部屋の戸口で緊張に固まる私とすれ違った。

一瞬、視線が合う。

牽制したわけでもないだろうに、それだけで私の血圧は跳ね上がった。

 

――――言いませんとも、ええ、魅録様には絶対!

ほんの少し彼の共犯者になった気分。それは私を興奮させた。

 

 

**********

 

 

「よっこいせ」

魅録様が掛け声とともに、悠理嬢を抱き上げた。いわゆるお姫様抱っこだ。

ちくんと胸が痛む。

清四郎様が席を外されたのは、こんなお二人を見たくなかったからではないか・・・などと邪推した。

  

客間に私が敷いた布団の上に、魅録様が優しく悠理嬢を下ろした。

目覚めたわけではないようなのに、悠理嬢は魅録様のシャツの胸元から手を離さない。

「行っちゃやだ・・・」

「おいおい、赤ん坊かよ、おまえは」

照れ隠しか、魅録様は苦笑している。

 

仲睦まじいお二人を見て胸が痛むのは、親友の恋人に横恋慕して苦しんでいるに違いないあの方のお心を思ってだ。

かなわぬ恋に身を焦がす美青年――――萌え・・・・・・いえ、ますます私の中で清四郎様への同情と憧憬が増す。

 

そのとき。

「どうせ、あたいは馬鹿だよぉ・・・おまえなんか嫌いだぁ」

「悠理?」

悠理様の涙声に、身を離そうとしていた魅録様が眉を顰めた。

 

「う・・・ひっく」

目尻からポロリと涙が零れ落ちた。

悠理嬢は魅録様の胸に縋りついたまま、しゃくりあげる。

 

・・・うそ。嫌いの反対・・・

 

それは小さな小さな呟き。

すり、と魅録様の胸に顔をすりつける彼女の頬は赤く染まっていた。

 

「・・・・せいしろ・・・・」

 

彼女の桃色の唇がつむいだのは、確かに、かの人の名だった。

 

 

 

三角関係の顛末、愛憎の果ての略奪愛?!

 

愕然と凍りついた私の目の前で、魅録様の肩がふるふると震えだした。

さしもの彼も、ショックだったのだ。

 

「・・・・・・・・・・。」

震える手で、魅録様は悠理嬢を寝かしつけた。

客間の電気を消し、静かに襖を閉める。

顔を伏せた魅録坊ちゃまに、私はかける言葉もなく。とんでもない場面に遭遇してしまった不運に、いたたまれない思いで立ちすくんでいた。

 

「くくく・・・」

うつむいていた魅録様が再び肩を揺らした。

「ぼ、坊ちゃま・・・?」

「”嘘”だとよ・・・」

魅録様は腹を抱え、肩を大きく振るわせた。

 

「わははははは!」

 

大きく口を開けて笑い出した坊ちゃまに、私は呆然。

「俺には”愛してる〜”とか平気で言うくせに、清四郎には”嫌いの反対”!」

 

目尻に涙までにじませ、魅録様は爆笑している。

てっきり、恋人の裏切りがショックでキレたのだと思った。

 

「ったく、悠理のやつ、基本素直な性格なのに、清四郎に対してだけいつもああなんだぜ〜!」

本気でおかしそうに笑う坊ちゃまが心配になる。

「魅録様・・・」

「なんたって、命助けられても”ありがとう”って言えないんだもんな!」

「命・・・でございますか?」

高校生が命を助けられるとは、どういうシチュなのだろう。

「そう、悠理は何度も誘拐されたり、憑依されたりしてるからな。トラブルメーカーっつーか」

私は目をぱちくり。夕食の席での鮮やかな真剣白刃取りが脳裏をよぎった。

ひょっとして、あれも日常茶飯事なのだろうか。

「清四郎は悠理にきっついから、素直になれないのもわかるけど。清四郎しか悠理の面倒みれねーもんな。オレでも正直友達やめたくなる時があるからなぁ」

「えっ・・・・魅録様と悠理様は恋人同士じゃないんですかっ?!」

思わず叫んだ私の言葉に。

「はぁ?」

坊ちゃまはポカンと口を開けた。

「俺と悠理が?そんなふうに見えてたってか?」

私はうんうんと頷いた。

「カンベンしてくれ。親父と万作おじさんがカップルだっつーよーなもんだぜ〜」

魅録様は眉を下げてトホホ笑い。

「悪いが、悠理が女に見えたこたぁねーよ」

「そんな・・・」

あんなに可愛く、お綺麗なご令嬢なのに。

そりゃあ、まあ、多少暴れん坊で、多少大食いではあられるけれど。

 

魅録様は肩をすくめて苦笑した。

「俺だけでなく、あいつのこと女だと思ってる人間は親しければ親しいほどいねーよ」

坊ちゃまのその言葉には、同意しかねる。

こんなに身近にいるのに、魅録様はなにもわかっておられない。悠理様の乙女心も、清四郎様の恋慕も。

私はキッと顔を上げた。

「そんなことは・・・」

 

「まったく、同感ですな」

 

私の言葉を遮るように、凛とした青年の声が割って入った。

清四郎様だ。

薄暗い廊下に立つ白皙の面からは、何の感情も読み取れなかった。

 

「悠理は女とは思えませんね」

「だよな。いいとこ、弟っちゅーか」

「ペットの珍獣」

「そりゃ、ひどいな、清四郎!」

 

わははは、と男二人は笑いあっている。

その後ろで、私は納得いかず首を振った。

 

では、私の見た光景はなんだったのだ?

 

魅録様と清四郎様は、部屋に戻った。

「●●さん、お疲れ様でした。気をつけて帰ってくれな」

清四郎様が室内にちらばる書類を片付け始めたのを片目に、魅録様は私に手を振る。

その手は手招き。

「?」

私が近づくと、魅録様がひょいと私の方に身を乗り出した。

ふわりと香る煙草の芳香。

 

「・・・女に見えなくてもその気になる清四郎って、ちょい変態だと思わねぇ?」

 

魅録様は小声でそう囁くと、パチンと私に向かってウインク。

 

「・・・・・・・・・・。」

私はあっけにとられて返答することができなかった。

 

 

閉められた襖の向こうで、「さ、清四郎、今夜は夜通し飲むぜ〜!」という坊ちゃまの明るい声が聴こえた。

「なんですか、えらくハイになってますな、魅録」

清四郎様のポーカーフェイスはいつまで保たれるのだろうか。

 

私は、ようやっと気づいた。

共犯者になったのは、清四郎様とではなかったのだ。

 

気分が高揚する。

小さな秘密に胸がときめく。

やっぱり、私のお慕いするのは魅録坊ちゃま。清い憧れに過ぎないけれど。

そのご友人方の幸福を心から祈る。

きっと、坊ちゃまのお心も私と同様だろうから。

 

だって。

目撃したのは、私だけではなかったのだ。

素直じゃないふたりの、密やかな一幕を。

 

もうしばらく、このお屋敷でお勤めしたいと、いつしか私は思い始めていた。

ご主人様はダンディで愛妻家。坊ちゃまは粋でお優しく。

 

でき得るならば、私も共に見守りたい。

素直じゃない恋の、顛末を。

 

 

 

 

END(2006.9.21)


 清四郎は素直じゃないだけなのか、それともプチ変態なのか?私は両方だと思ってます。(笑)

TOP

背景:柚莉湖♪風と樹と空と♪