天から見ている者があれば、愚かな人間の迷走を嘲笑っているに違いない。
一度目は、剣菱家の事情で婚約したが、悠理が雲海和尚に助けを求め、喝と共に婚約破棄。 二度目は、政略結婚から逃げ出した悠理が清四郎に懇願して婚約、そして・・・・・・。
ふられ気分でRock'nRoll 1 〜清四郎編〜
「やっぱ、無理!!!!!!!!」 思えば、悠理の必殺の蹴りが清四郎にきっちり決まったのは、出会いの幼稚舎の時以来かもしれない。 そう、清四郎は油断していた。 なにしろ、口づけに興が乗り陶酔の真っ只中。華奢な体をベッドの上に押し倒した途端、蹴りが飛んできた。清四郎は受身さえ取りそこね、哀れ悶絶。
「・・・ぼ、僕を不能にする気か!!」 大事なところを押さえて唸りながら、清四郎は悠理を怒鳴りつける。 同意の上の行為とは言いがたかったが、キスをすれば盛り上がってしまうのは男のサガというもの。 「ひっく」 肯定したつもりはないだろうが、悠理は頷くようにしゃくり上げた。
「だって、あたいには無理だってば〜〜っ」
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――――そんなことしなきゃなんないなら、あたい、結婚なんかしたくないやい! 元婚約者の捨て台詞を思い出し、清四郎は何度目かの苛立ちと怒りに拳を固めた。 「くそっ」 立ち木を叩き折れる手刀を、柔らかな羽毛枕にめり込ませる。 無体な八つ当たりの結果、薄暗い室内に羽根が舞った。 まるで、雪のように。
ベッドから身を起こし、清四郎はシャツを羽織った。 ホテルの窓から街を見下ろす。 都会の夜空には、星も雪も見えない。 だけど、清四郎の胸の中には、数日前に降った雪が、まだ溶けずに固まっていた。灰色に汚れ、道路脇で凍る醜い塊のようだ。 突然、部屋の照明が付き、眩しい明かりが目を焼く。 「どうしたの?恐い顔をして。」 シャワーから出た女が、長い髪を拭きながら部屋に戻って来た。 「・・・なに、この羽根?」 ベッドに腰掛けていた清四郎は、苦い笑みを浮かべた。 「鳥を絞めたんですよ。」 冗談にしても剣呑な清四郎の口調に、女はマスカラの取れた顔を顰めた。 ノーメイクでも、その美貌に遜色はない。 悠理に感謝することがあるとしたら、ただひとつ。得意の蹴りは、なんとか清四郎を不能にはしなかったことぐらいだ。 女をホテルに呼び出したのは、それを確認するためではなかったのだけど。 行きずりの女ではなかった。 彼女は、父の恩師である大学教授の下にいる助教授で、旧知の仲だ。 少々年上だが、こだわらない人柄と体の相性の良さで気に入っている。 二人の関係はセックスフレンドに過ぎなかったが、それは清四郎の無言の意を賢明な彼女が汲んでくれているからに過ぎない。 我がままな男を甘えさせてくれる大人の女。 元婚約者とは、正反対だ。 婚約解消は売り言葉に買い言葉だった。 だけど、清四郎にはわかっていた。 問題は、ふたりの間に恋愛感情がないこと。 悠理が、彼と男女の関係になることを拒否しているということ。 半べそをかいていた幼い悠理の顔が胸を抉る。 全身で示された拒絶反応。 理性では、まだ女とも呼べない猿で犬な悠理の反応は予想してしかるべきだとわかっているのだが。 やるせない怒りを、抑えきれない。 悠理に思い知らせてやりたい。 傷つけられた男のプライドが疼く。
清四郎はベッドに戻り、深く腰掛けて女の後姿を見つめた。 女らしい豊かな体の線が衣服の下に隠れた。着替えを済ませた女は、部屋のオーディオを付ける。 ロック一辺倒の悠理なら、ムードもくそもないハードロックを掛けるだろうが、彼女ならばエリックサティというところだろう――――と、いう清四郎の予測は外れ、室内に静かに流れたのは、ベートーベン。かの有名な、交響曲第五番。
印象的な旋律に耳を傾けながら、清四郎はふたたびベッドに横たわり、片肘をついた。 久々の逢瀬だ。無粋な元婚約者のことなど頭から振り払い、情事の余韻に浸ることを己に課す。 室内は暖かく、目の前の女は美しい。 「・・・今度、教授の単行本出版パーティに親父の代わりに出席することになっているのですが・・・」 「ああ、来週のね。菊正宗先生はお忙しいから。」 女は鏡の前に座り、化粧を直す。落ち着いた色の口紅がかえって艶かしい。 「一緒に行きませんか。」 「え?もちろん、私は出席するわよ。研究室の一員ですもの。」 「あなたをエスコートさせてください。そろそろ僕たちの関係を公にするのもいいでしょう?」 女は清四郎の申し出に、驚いた顔で振り返った。 名士が顔を揃えるパーティ。悠理の耳にも遠からず届くことだろう。 自分がコケにした清四郎が、新しい恋人を得たということを。 知性を持った美しい大人の女。 財閥令嬢で生来の美貌を持つ悠理と比べても、世間的に見て、いくつか論文をものにし将来を嘱望される彼女は、遜色ないはずだ。 「・・・なに、馬鹿なこと言ってるの?私のことなんて、なんとも思ってないくせに。」 「あなたのことは好きですよ。」 それは清四郎にとって、本心だったのだが。女は苦笑して首を振った。 「嘘つきね。」 悠理を見返してやりたい。
この女でなくてもいい。 悠理よりも女らしく知的で美しい女など、掃いて捨てるほどいる。むしろ、逆を探す方が困難だ。 男でもあれほどの乱暴者はいまい。 常識はずれの行動力、底抜けの脳みそ、あり得ない食欲。 いつだって全身から元気を発散している。 キラキラ輝く瞳、躍動感あふれる肢体、無邪気な笑顔。 あんな女は、世界中探しても、他にはいない。
ふと、清四郎は我に返った。 「・・・・・ふ。確かに、僕は馬鹿かもしれない。」 根本的な問題を見落としていた自分を嘲笑う。 悠理を見返してやりたくても、不可能だ。 どんな美女でも無駄というもの。 清四郎が誰とどんな関係になろうが、悠理が気にするはずもない。 あれほど清四郎を拒否した悠理が、彼を惜しむはずもないのだ。 悠理は清四郎に恋などしていないのだから。 急激に疲労を感じ、清四郎はベッドに突っ伏して枕に顔を埋めた。 「・・・あなた今日は変よ、清四郎くん。なに拗ねてるの?」 女が困惑したように声を掛けてくる。 「まるで、失恋でもしたみたい。」
ジャ、ジャ、ジャ、ジャーン。 嫌味なまでに重々しい旋律が室内に響いた。 ベートーベン交響曲第五番『運命』。
清四郎はうつぶせたまま、苦い笑みに肩を震わせた。 「・・・・馬鹿言わないで下さい。」
冗談じゃない。 そんなわけはない。 たかが、悠理。 彼女とは長い付き合いだ。 蹴り飛ばされたくらいで、落ち込んでなどやるものか。 思えば、悠理には初めて出逢った時にも、存在否定と共に蹴り飛ばされたのだ。
『運命』のフレーズがリフレインする。
「・・・・音楽、替えてもらえませんか?」 まだ、ロックの方がいい。 この状況を笑い飛ばしてしまいたい。
いいだろう、認めてやる。 確かに、清四郎は不貞腐れ拗ねているのだろう。 たかが、悠理。 されど、悠理。 傷ついたのは男のプライド。断じて感情などではなく。 ましてや、失恋などしようもない。 清四郎は、恋などしないのだから。
清四郎は自分のことを良く知っている。 そして、悠理のことも。 悠理は、清四郎に恋などしないということを。
ひらりひらりと、羽毛が舞い降り、清四郎の背中に落ちた。 まるで、天が嘲笑うかのように。
荒れ狂う胸中は、ロックンロール。 まだ、雪は溶けない。
2007.6.5 END 1の清四郎編と2の悠理編は最初並べて同一のSSとして展示してたんですが、間に1年ほどの隔たりがあるので、分けました。その間の話も書いちゃったし。(笑) しかし、つくづくらららの清四郎って馬鹿ですよね〜。ま、ある意味悠理と同レベルでないと、同じことを何度も一緒に繰り返せないわけですが。 |
背景:イラそよ様