らららハネムーン編

 

――――もし、ふたりきりで、無人島に流されたら?

上弦の月を見上げていると、そんな馬鹿な想像が、頭を過ぎった。

 

 

 

月に濡れたふたり

 

 

 

 

周囲に漂うのは南国の甘い香り。

ねっとりと体を包む湿度と熱気さえ、芳醇に感じる夜。

イルミネーションが木々を飾る大通りを外れれば、うっそうとした原生林が魅惑的に異世界へと誘っている。

 

「あ、清四郎!ジャングルだ〜!そだ、これからジャングル探検しよーよ!」

「悠理、この馬鹿!」

千鳥足でふらふら道を外れようとする悠理の首根っこを、清四郎はつかんだ。

ドレスの襟を引かれ、悠理の体が傾ぐ。

「うぁっ、首しまる、首!猫みたいにつかむんじゃねー!」

思わずジタバタ暴れた悠理の足が石畳を打ち、ヒールが転がった。

「・・・ったく、猫みたいなもんだろう。ジャングルでドレスのまま野生化しないでくださいよ!」

言いながらも清四郎は手を離し悠理を解放する。

「第一、ジャングル探検は前の新婚旅行で行ったでしょうが、アマゾンに。」

「楽しかったよな〜〜!大蛇に追っかけられたのは怖かったけどさ。」

「まぁね。現地ガイドやら学者やらが加わって、新婚旅行とも思えぬ探検隊になってしまいましたけどね。」

悠理は脱げたヒールを拾い上げて、裸足のまま足を振り上げる。

「また、行こうな♪」

ドレスのレースがふわりと舞う様は美しいが、伸びやかな足は蹴りの型。

甘えるような声音で誘われても、清四郎は苦笑。

「・・・・今回も、新婚旅行なんだって、わかってます?」

 

 

二度目の新婚旅行は、悠理の希望通り、行く先を決めない気まま旅。

とは言っても。清四郎の取れる休暇は一週間が限度だったし、国内では雑事に追われる。

とりあえず、国外逃亡。まずは、南洋の万作の持ち島に立ち寄り、クルージングを始めた。

剣菱が進出して以来、自然を残しつつも島はリゾート化され、セレブ御用達のヴィラやホテルが立ち並ぶ。

世界に羽ばたく剣菱グループの知己も多く滞在中。今夜も、招待されたパーティに出た帰りだ。

 

「なーんか毎日こーやってパーティ三昧だと、さすがに飽きてくんな〜。」

「今回は悠理の希望に沿う約束ですからね、明日出航してもいいんですよ。」

 

ふたりは、ホテルのコテージには泊まらず、船上生活をしている。このリゾートアイランドの入り江に停泊し、昼は青い海でイルカと共に泳ぎ、夜はこうして島のナイトライフを楽しんでいた。

 

悠理は裸足のまま、踊るように石畳の道を歩く。

酔った体に、南洋の湿気がまとわりついても、甘く心地良い。

「だからぁ、あたいの希望はジャングル探検!」

「これから、ですか?ったく、この酔っ払いが。」

鬱蒼と茂った自然林に目をやり、清四郎は悪態をつく。

「蛇は夜行性ですよ。きっと熱烈歓迎してくれますね。」

「げっ」

蛇が出てきたわけでもないのに、悠理は歩道から噴水の石段に飛び乗った。

ライトアップされた噴水からキラキラと飛沫が舞う。

「やっぱり、探検旅行は皆と一緒の方が楽しいかもな。今度、倶楽部の皆を誘おうぜ!」

悠理の発言に、清四郎は肩を竦めて苦笑している。

悠理だって、魅録以外の仲間達が探検旅行に乗り気になるとは、思えないけど。

 

しかし。

「・・・・そういえば、昔、こんな話をしたことを憶えていますか?」

清四郎の苦笑は、思い出し笑いだった。

 

 

*****

 

 

――――無人島でサバイバルの際、3つのものを持って行けるとしたら、何を持って行く?

 

高校時代、部室でそんな話を切り出したのは、魅録だったか。

それぞれがなんと答えたのか、細かいところは憶えていない。

 

「あたいは、やっぱ食料かなぁ。あ、でも食っちゃうと困るか。食い物が穫れるように、ナイフとロープは必須だよな!そんで、もう一つは・・・」

「僕は、医療品と防水布ですかね。それと、あと一つは・・・」

 

「”清四郎”」「”悠理”」

 

だけど、清四郎と悠理がそれぞれ同時に、お互いの名を挙げたことは、憶えている。無人島に持って行くものの、最後の一つとして。

 

「「「「「「えっ?!」」」」」」

 

驚いたのは、仲間達だけでなく、清四郎と悠理も。思わず唖然と顔を見合わせた。

 

「なぁに、あんたたち、ひょっとしてラブラブ〜?!知らなかったわ〜〜♪」

可憐の言葉に、ふたりは同時に首を振る。

 

「「まさかっ!!」」

 

悠理は憤慨。

「せいしろーが一緒なら、便利だろうって思っただけだっ!なんつーの、歩く家庭の医学?百科事典?丈夫で長持ちしそうだし!」

清四郎は冷笑。

「僕の事典は、『こどもなぜなに事典』じゃありませんからね、悠理に読めるかどうか。ま、僕もおまえを連れて行くのは便利かな、と思ったわけですが。野生の勘で危険を察知したり食物を嗅ぎ当てたりしそうですからね。」

 

そんなふたりに、仲間達は爆笑。

「たしかに、ナイフとロープと医療品と防水布と清四郎と悠理が揃えば、サバイバルは完璧だ!」

 

 

*****

 

 

そこに、恋愛要素は皆無だったとはいえ。

「・・・思えば、あの時の戯言が実現してしまったわけですか。」

「無人島には、行ったことないじょ。」

「サバイバルツアーは、何度もしているじゃありませんか。」

どんな運命のイタズラか。

結局、あれからふたりはずっと共に過ごしている。

あいかわらず、恋愛要素を感じられないまま。

 

黄色く傾いだ月明かりが、ふたりを照らし出す。

密林は静まり返り、通りにも人影はない。

「今夜は風がありませんね。波が静かだから、揺れないベッドでゆっくりできますよ。」

「あたい、揺れても平気だじょ。波の音を子守唄にした揺りかごみたいでさ。」

清四郎はネクタイを緩め、艶然と微笑んだ。

「・・・では、今夜もベッドは揺らしてあげましょうか?」

「!」

彼の言葉に含まれた艶に、その笑みに。

反応し、赤面して悠理は絶句。

いつまでたっても、悠理はこの手の誘いに慣れない。

もう、彼とそういう関係になって随分と時は経つのに。

 

気まずさに、悠理は後ろ手を組み、清四郎に背を向けた。

噴水の飛沫に素足を伸ばす。

ペデュキアをほどこした指で、水を弾いた。

「・・・パーティで会ったビリーボブ達が、夜通しナイトクラブで騒ぐって言ってたから、あたいも合流しよっかなぁ。こんな気持ちのいい夜に寝ちまうなんて、つまんねーや。」

「ビリーボブ?あいつらは、金持ち狙いのジゴロですよ。」

「あたいなら、大丈夫だよ。おまえは船に戻って寝とけよ。」

「とんでもない!だいたい、おまえは今日は飲みすぎだ。かなり酔ってますね。」

「あたいが強いの、知ってるだろ。酒も腕っ節もさ。」

「そういう問題じゃない!」

苛立たしげな清四郎の声に、悠理はようやく彼へ振り向いた。

ドレスの裾が、動きに合わせてふわりと広がる。

くしゃりとスカートを握り締め、悠理は、ベ、と舌を出した。

しかめっ面の清四郎に、まだ赤面したままの顔に気づかれないように。

 

「保護者面すんなよ!サバイバルじゃなきゃ、おまえなんていらないもん!」

 

 

新婚旅行とはいっても、ふたりにとっては二度目。

復縁は、悠理の意思ではなかった。

清四郎に求められると、慣らされた体は蕩けてしまうけれど。

心は、素直になれない。

お互いが必要なのはわかっている。

これからも、きっと離れられないということも。

それでも、生涯をともに過ごす相手に対する感情は、甘さよりも、苦味がまさる。

 

 

月がわずかに陰った。清四郎の表情が見えない。

「・・・・・ふん、そうですか。」

清四郎の声の温度が下がった。

「あくまでも、一人で行くと?」

どうしても夜遊びがしたかったわけではなかったが、売り言葉に買い言葉。悠理はこっくり頷こうとした。

だが、かなわなかった。

 

ドン!

「ぎゃっ!!」

いきなり、清四郎に突き飛ばされて。

バッシャン!

盛大に水飛沫をあげ、悠理は噴水に落下した。

 

「な、なにしやがるっ!」

浅い水盤とはいえ、腰まで浸かってずぶ濡れの悠理に、清四郎は冷笑を浴びせた。

「僕も、男に頼りきりの女なんて、ごめん蒙りますがね。経験上、おまえを野放しにしていると、ろくなことにはならない。油断していると、猿も木から落ちるんですよ。」

「おまえが突き飛ばしたんだろうがっ!」

「ちょっとは酔いが醒めていいでしょう。」

「〜〜〜っっ!!」

清四郎の容赦のない実力行使に、悠理の頬が膨れる。

 

清四郎はこうしていつだって、悠理を思い通りにしようとする。

復縁だってなんだって。

強引で、勝手な男。

 

プイと顔を逸らし、いつまでも噴水から出ようとしない悠理に、清四郎は肩を竦めた。

「さあ、いつまでも拗ねてないで。」

清四郎は噴水の石段に足を掛け、悠理を引き起こそうと手を差し出す。

「・・・・。」

ちろんと悠理は横目で清四郎を見た。差し出されたその手と。

 

大きな手。長い指。

武道をやっているから、節が目立つ男らしい手だけれど、意外に滑らかで柔らかく器用であることも知っている。

 

なにしろ長い付き合いだ。恋愛感情不在で野心と逃避のせめぎあいの中、出来心と勢いで結婚し。

友達関係のまま夫婦になったとはいえ、やるべきことはやっている。

にも、かかわらず。

清四郎と悠理が、手を繋いで歩いたことなどあっただろうか?

 

「・・・引っ掴んで走ったことがある程度だよなぁ・・・。」

清四郎の掌を睨みつけて、悠理は呟く。

「は?」

清四郎は怪訝顔で小首を傾げた。

 

絶好の反撃チャンス。

もちろん、悠理は見逃さなかった。

「隙あり!」

悠理は清四郎の手を掴み、水の中に引き入れた。

「うわっ」

すかさず、広い肩に両手を、腰に足を掛ける。全体重を清四郎に預け、無理やり体勢を崩させて水没させた。

清四郎は悠理と共に水盤の中に倒れ込み。

「〜〜〜〜。」

ジョボジョボと噴水の水を頭に被り、苦虫を噛み潰した。

 

「ケケ!ざまぁみろ!」

水飛沫にむせながら、悠理は笑った。

悠理にしがみつかれた体勢のまま、清四郎は身を起こす。

「・・・・ったく、おまえときたら・・・・」

清四郎の腰に掛けられた悠理の脚を外しもせず、大きな手で掴んで引き寄せた。

「?!」

「なかなか、扇情的な格好ですね。」

濡れたドレスを捲り上げるように、清四郎の手が悠理の太股を撫で上げる。

悠理の両手はもとより清四郎の首に回っているから、上体を逸らせても下肢は密着。控えめに言って、まるでタンゴを踊っているような体勢だ。

ぎょっとした悠理が身を引こうとしても、右手で脚を、左手で腰を抱えた清四郎の手に阻まれ、かなわない。

「こ、こら、離せ!」

悠理の焦り顔を見て清四郎は唇の端を上げた。濡れて乱れた髪の下で、黒い目が細められる。

ぶるんと頭を振って水滴を払った清四郎は、妙に獣じみて見えた。

まるで、猫科の大型獣。月夜の捕食者。

 

強い瞳から、視線が外せなくなった。

密着した体が昂ぶる。

感じるのは、原始的な怖れと高揚。

“この強い男に、喰われたい。“

そんな、貪欲な情動。

 

 

ポタリと雫が目に入った。

「・・・っ!」

悠理は驚いて瞬きをする。

そして、近づく清四郎の顔に気がついた。

自分が、うっとりと彼を見つめていたことも。

触れるほど近づいた唇。

滴る水は彼からの雫。

与えられようとする口づけを避け、悠理は必死で顔を逸らした。

清四郎の瞳が愉快気に輝く。手の中に捕えた獲物の抵抗をおもしろがっているのか。

悠理の欲情を、彼はとうに察している。

彼の昂揚を、悠理が知っているように。

 

恥ずかしくて、悔しくて。

悠理は顔を伏せて彼の視線を避けた。

悠理は捕食される小動物なんかじゃない。

だけど、捕えられて離れられない。

大きな手に。強い瞳に。

 

「ちくしょ・・・」

なかば、ヤケクソ気味に。

悠理は顔を埋めた清四郎の肩に、歯を立てる。背中に爪を立てる。

「痛っ!」

清四郎は顔を歪めた。

「この、じゃじゃ馬!」

 

悠理の目が回った。

「うわっ?!」

天地が逆さまになる。

いきなりの浮遊感に、悠理は慌てて清四郎の肩にしがみついた。

清四郎に担ぎ上げられたのだと気づいたのは、彼の肩に乗せられ噴水から歩道に降りてからだった。

下ろされたのではない。悠理は依然清四郎の肩に担ぎ上げられていた。

「お、下ろせ!」

「暴れると、尻を叩きますよ!」

清四郎の脅しに、悠理はもがくのを止めた。

 

人通りのない石畳を、清四郎は大股でゆっくり歩く。

「さ、帰りましょう。」

船に?日本に?家に?

どちらにしろ、ふたりで暮らすところへ。

胸がざわめく。

それはもうここ数年来、当たり前になってしまったはずなのに。

背中越しの彼の表情は見えない。

見えるのは、逆さまの風景だけ。

 

南国の密度の濃い大気。夜に咲く花が甘く香る。

清四郎の背中で揺られながら、悠理は逆さまの月を見上げた。

蜂蜜色に溶ける月。

それでも、甘さよりも苦味が勝つ。

いつか、こんな夜にふたり穏やかに手を繋いで歩くこともあるのだろうか?

そうして見える光景は、どこか違って見えるのだろうか?

 

 

悠理が月に見入っていることに、気づいているかのように。

「・・・・知ってます?上弦の月のことを、月の船とも言うんですよ。ほら、夜空を海に見立てると、月はまるで船のようでしょう?」

背中越しに清四郎の声が聴こえた。

「・・・・逆さまだと、沈没しているようにしか見えないぞ。」

「縁起の悪いことを言わないでください。今から船に戻るんですから。」

ふわりと悠理の体が持ち上げられた。ひっくり返った視界が戻る。

悠理は清四郎の肩から下ろされた。

裸足の足裏が石畳を感じたけれど、酔いのせいか平衡感覚が狂い、悠理はよろめいた。

悠理を支えたのは、清四郎の手。悠理がとっさに掴んでしまっただけかもしれないけれど。

あの大きな手が悠理の肘を支えている。

そして、そのまま清四郎は悠理の手を取って歩き始めた。

「月の船が沈む前に、帰りましょうか。」

 

するりと指と指が絡む。

もう数年来、共に暮らしているのだから、それは自然な行為なはずなのに。

なぜか、胸が苦しい。

 

悠理は思わず、顔を伏せた。

下を向いた拍子に、ポタリと歩道に水滴が落ちた。

悠理も清四郎も、びしょ濡れだから。

急に、胸の奥から、笑いがこみ上げて来た。

異国の夜に、ふたりして正装のまま濡れ鼠。あいかわらず、馬鹿してる。

けれど、繋いだ手は、温かい。

 

「悠理、明日はこの島を出航して、無人島でも探しませんか?」

「え、無人島?“ロビンソン・クルーソーごっこ”?」

顔を上げて見上げた彼は、愉快気に笑っていた。

「僕はどうせなら、“青い珊瑚礁ごっこ“の方が好みだな。」

  

月明かりで見える横顔に、落ち着かない胸が騒ぐ。

月が眩しすぎる。

 

「人生は、サバイバルですよ。おまえと一緒だと、どこでもね。」

 

そんな清四郎の言葉に鼻を鳴らして不服を唱えても、不快ではなかった。

彼もまた、悠理を必要としてくれているのだとわかるから。悠理がそうであるのと同様に。

 

少し面映い帰り道。

ふたり、ゆっくりと手を繋いで歩いた。

南国の夜は、芳醇な光と影。夜に咲く花の、甘い香りが立ち込める。

 

 

二度目のハネムーン。

満月にはまだ遠い。

ふたりを照らす蜜色の月が、笑っているように見えた。

 

 

 

 

(2007.8.11)

 


07年夏企画のアンケートで、あまあまラブラブが高得票でしたので、リクに応えるべく書いてみたのですが・・・ららら馬鹿夫婦で、ラブラブは無理。挫折。いや、いちゃいちゃはしてるんですけどね。(笑)

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