プレイバックPART1 〜剣菱家編〜

 

清四郎が急いで帰宅したとき、部屋の明かりは消えていた。

主のいない部屋。

この部屋は彼らが結婚する前から悠理の部屋だったのだから、主は正しく悠理といえるだろう。月の半分も過ごさない清四郎よりも。

 

土曜の夜。

今日の悠理の予定は、昼から夕方にかけての剣菱の仕事でパーティ出席。その後はフリー。

「・・・・また、夜遊びですか・・・」

腕時計で深夜となった現時刻を確かめ、清四郎は溜息をついた。

それまで感じていなかった疲れが、ドッと襲う。

 

悠理はこのところ、外出が多くなった。

もとからじっと家に居るタイプではないが、離婚してから顕著になったように感じるのは気のせいか。

 

「たっだいまー!」

階下に元気の良い声が響いた。ほろ酔い加減の悠理のご帰宅だ。

彼女の姿を確かめに廊下に出る代わりに、清四郎は窓に近づいた。カーテンをめくって外を見る。

剣菱家の広大な正面玄関には誰もいない。

悠理の連れは、門で彼女を降ろして去ったようだ。

 

先日は違った。

両手に花束を抱えた男を従え帰宅した悠理は、上機嫌で花を受け取っていた。

『どうせくれるなら、今度は花じゃなく、食いモンにしてくれよな!』なんて、彼女らしく色気のない言葉が聴こえ。つい階段を見下ろした清四郎は、見てしまったのだ。

 

ほんの一瞬。

だけど、忘れえぬ光景。

 

花を受け取ろうと差し出された悠理の手を取った男が、白い手の甲に唇を寄せていた。

『な、なにしやがんだ!』

悠理はびっくり顔で振り払っていたが。

その後、男の発した言葉が、目撃した光景以上に、清四郎の胸を穿った。

 

『あなたが、愛のない結婚で傷ついたことはわかっています。剣菱の重鎮となっている前夫の菊正宗氏とは、完全に別れることなどできないことも。彼の存在も、貴女を構成した歴史のひとつだ。貴女の過去ごと、私は貴女を愛しています。』

 

清四郎はその男を知っていた。取引先の青年実業家。仕事ができる上に誠実で温厚な人柄の彼を、その時までは好もしくさえ思っていた。

 

最初の婚約が学生時代だとはいえ、清四郎と悠理は婚約破棄だけで4回を数える。

その頃から、財閥令嬢である彼女には、降るように縁談があった。

すべてが剣菱目当てであったわけではない。悠理はひとを惹きつける天性の明るさと美貌をも持っている。

けれど、悠理の破天荒な性格と行動を知って求愛したツワモノはこれまでいなかった。

まして、『彼女の過去=清四郎』ごと、彼女を引き受けようという包容力のある男など。

 

「『過去』で、悪かったですね・・・。」

記憶の中の男に毒づきながら、清四郎はネクタイを緩めた。

『愛のない結婚』でも恋愛に興味がない者同士、それなり充実しているのだから、清四郎には不満はない。

しかし、不安がないとは、言い切れない。

男の存在ではない。

なにしろ、悠理の底抜けた脳味噌と常識は、よほど優秀な男でないとフォロー不可。所詮、世界規模のトラブルメーカーである悠理をあつかえる男など清四郎くらいしかいないと、これまでの経験から高を括っている。

 

不安は、ただひとつ。

 

――――悠理もいつか、恋をするかもしれない。

それが、今の関係を壊す、ただひとつの可能性。

 

 

 

「お、清四郎も帰ってたのか。お疲れー!」

ご機嫌で扉を開けた悠理に、清四郎は無理に笑顔を作った。

「・・・・ただいま、悠理。」

そっけなく言って、ソファに腰を下ろす。悠理が誰と会っていようと興味がないとばかりに、TVのリモコンを操り衛星ニュースをつけた。

 

TV画面を見つめながら、悠理の様子を伺う。

悠理はふんふんと鼻歌。

カプリパンツに黒のシャツ。デート帰りにしては、カジュアルな服装だ。

棚から取り出したスナック菓子を片手に、悠理は清四郎の隣にドサリと腰を下ろす。

 

「えらく、ご機嫌ですな。・・・楽しかったんですか?」

「うん、もう最高!今夜はレインボーブリッジが綺麗だったじょ。」

なにが最高なんだか、と清四郎の眉根に皺が寄る。

コイル巻きになった眉を揉んでいると、菓子を齧りながら悠理が顔を覗き込んできた。

「おまえは疲れてるね?」

ひとりで食べるのもなんだと思ったのか、悠理が「ん。」と菓子の袋を差し出した。

動くのも億劫だったので、ぼんやり銀袋の菓子を見つめていると、焦れた悠理がひとつつかんで清四郎の口元に持ってきてくれた。

ありがたく、悠理の手のポテチを咥える。

ふと、悠理の指まで食べてしまいたい衝動に駆られた。指輪の痕の残る左手の薬指を。

 

離婚は、清四郎の本意ではなかった。

そこに恋愛要素がないだけで、彼らの凸凹は絶妙なバランスを保っているのだと思っていた。

だから、悠理からの離婚請求は、清四郎にはそれなりにショックであったのだ。これまで何度も繰り返した婚約破棄と同様なのだと思いつつも。

 

――――悠理が、変わり始めているとしたら?

 

 

「おまえも、ちょっとは息抜きすれば?帰ってまでこんなニュース観てさ。」

「仕事は好きですよ。それにニュースを観るのは仕事じゃありません。」

「こんなオッサンの顔見て楽しいわけ?」

「おまえもよく知ってる某国の大統領ですよ。知り合いが出ているとニュースも興味深いでしょう?」

「このオッサン、美少年趣味の変態だぜ!」

「その筋では有名ですがね。よく知っていましたな。まさか、迫られたんですか?」

「・・・・・。」

 

悠理は苦虫を噛み潰したような顔をしたが、清四郎は話題の剣呑さとは反対に、ささくれた気持ちが和らいでくるのを感じていた。

こんななんでもないひと時が、清四郎を癒してくれる。

子供のころから一人でいることの好きだった清四郎が、こうして誰かと寛ぎの空間を共有することに慣れたのは、倶楽部のおかげかもしれない。

高校時代も、こんなふうに悠理と過ごしたものだ。もっともあの頃は、ふたりきりではなかったけれど。

 

やはり自分たちには、恋愛感情など無縁。今の生活はあの頃の延長に過ぎないのだ。

トラブル体質の上に剣菱を背負った悠理には清四郎が必要だし、清四郎も彼女のもたらす騒動が退屈な人生に不可欠なものとなっている。

 

 

 

気を取り直したように、悠理は目の前に拳を突き出してみせた。

「今夜はさ、おまえとの鍛錬の成果をちょっとだけ実感しちゃった。」

「は?」

デートと鍛錬の関連がわからず、清四郎は目を見開いた。

悠理は得意げに鼻を鳴らす。

「久々の飛び蹴りがばっちし決まって最高!技のキレが違う気がする。」

「飛び蹴り・・・ですか?」

「悪い外人を埠頭でやっつけたのさ♪」

なにが最高なんだか、と、先ほどとはニュアンスの違う疑問に口角が上がった。

「それは、さんざんなデートでしたね。」

「楽しかったじょ?」

「ご愁傷様。」

もちろん、それは、相手の男に対してだ。

 

――――悠理にかぎって、恋にうつつを抜かすはずもない。

 

『清四郎という過去』が、悠理の歴史のどこから始まるのか考えると、倶楽部設立にまで遡らなければならない。ひょっとすると、出会いの幼児期まで。

それを、あの男はわかっているのだろうか?

 

 

清四郎の皮肉な問いに答えるように。

悠理の携帯が、軽快な音を立てた。

「お?」

サイドテーブルに置かれた電話を悠理は手に取った。ご機嫌のまま、通話ボタンを押す。

「どしたんだよ。さっき別れたとこじゃん。おやすみって、言い忘れてたっけ?」

 

清四郎は反対に、浮上していた気分が、急転直下。

飛び蹴りでは、羽虫を駆除できなかったらしい。

今後、悠理の正拳突きと踵落しの精度を上げてやろうと、清四郎は心密かに誓った。

 

「ん?来週?いーけど。予定は空いてるよ。」

――――そうですか、さっそく次のデートの約束ですか。

「迎えに来てくんなくていいよ、自分で行く。うん、ちゃんと行くってば。だって、あたいも会いたいし。」

――――・・・・・アタイモ、アイタイシ。

 

耳にした言葉の意味を反復するうち、清四郎の顔が思い切り強張った。

「・・・・。」

身じろぎもせず釘付け状態で、清四郎は前方を見つめ続けた。

脂汗は、TV画面の衛星ニュースが、深刻な世界状況を映し出しているせいだ。

 

そう無理やり自分を納得させる。

悠理にかぎって・・・と言いきかせる。。

動揺する自分を認められない。彼のプライドが許さない。

 

 

「うん?清四郎のこと・・・?」

しかし、自分の名が出てきたことで、清四郎は凝固する体を首だけわずかに動かした。隣に座る悠理に顔を向けることを、己に許す。

悠理はわずかに声を潜め、清四郎に背を向けて話し込んでいた。

「うん、うん・・・くだんない気を回すなよ。離婚したからってさ。関係ないよ。あたいは気にしてねーもん。」

 

――――カンケイナイヨ。

 

悠理の言葉がハンマーとなり、全身を殴打した。

それは、鈍痛をともなう衝撃。

ショックの後に来たのは、怒りに似た感情の奔流だった。

 

 

ブチリ。

 

清四郎の中で、何かが切れる音がした。

理性の糸か、堪忍袋か。

 

冷静沈着を自認する清四郎が、衝動に突き動かされた。

彼に背を向ける悠理の華奢な肩。白い項。

シャツを引き破り、項に歯を立てたくてたまらない。

 

――――そのまま、男と話し続けているがいい。ソファの上で犯してやるから。

前戯もなく背後から細い腰を抱えて貫くのがいいか。

それとも、指で舌でさんざん弄んで濡らした後で、彼女から求めさせるか。

電話の向こうの男に聞かせてやろう。

悠理の甘い鳴き声を。

 

清四郎は悠理の背に両手を伸ばした。

 

 

 

Pipipipipi

 

しかし、物騒な清四郎の思考を遮るように、電子音が鳴り響いた。

今度は清四郎の携帯だった。

 

行動を起こす寸前の邪魔に、わずかに理性が戻る。

「・・・チッ」

舌打ちしながら、ソファの背にかけたままの上着から携帯を取り出した。

悠理はすでに通話を終え、こちらに顔を向けている。

清四郎の狂暴な衝動など、気づきもしていない無邪気な顔を。

 

通話相手の表示を見て、冷水をかけられたかのように完全に頭が冷えた。

「・・・はい。」

『清四郎、野梨子です。ご無沙汰してますわね。』

親よりも、先ほどの思考を知られたくない相手だ。

「こちらこそ。」

慇懃に答える。野梨子だけでなく仲間とは、悠理との離婚を報告して以来、連絡を取っていなかった。

美童は故国に帰っているから、六人で集まったのは半年以上前の可憐の結婚式が最後だ。

家元を継いだ野梨子。日本警察からインターポールに移った魅録。念願の玉の輿に乗り、新婚生活を満喫中の可憐。

清四郎がいくらあの頃と変わっていないと思っていても、それぞれ別々の道を歩み出した仲間たちの存在が、時の流れを否応なしに突きつける。

 

いつまで、悠理は清四郎の手の中にいるのだろう?

 

『清四郎、聞いていますの?』

「・・・すみません。」

『来週の土曜、皆で私の家に集まれませんかしら?もちろん美童は無理ですが、魅録と可憐は来るそうですわ。あなたが忙しいことは重々承知していますが、ぜひ顔を出していただきたいんです。』

「ほう、来週ですか?」

清四郎は分刻みの己のスケジュールを思い浮かべる。

「午後からならば大丈夫ですよ。」

『まぁ、良かった。言いにくいんですけれど、悠理も呼びますの。離婚したばかりのあなた方からすれば、顔を合わせずらいかとは思いますけれど。』

「皆と言えば、当然、皆でしょう。」

清四郎は隣に座る悠理に目をやる。

悠理はTV画面に顔を向けていたが、眠くなったのか、ふわあと大欠伸。

仲間たちは、清四郎と悠理が離婚後も剣菱家であいかわらず同居していることを知らない。

もちろん、こうして隣に居ることも。

 

清四郎は隣に座る悠理の肩に手を回した。悠理は当然とばかりに、くったりと身を預けてくる。

 

「来週ですね。わかりました。必ず行きますよ。」

――――必ず、悠理も呼んで欲しいものですね。来週のデートをご破算にするために。

・・・とは、口に出さなかったが。

 

腕にかかる彼女の重さが、心地良く身の内に染み入る。

このぬくもりは、誰にも譲る気はない。

 

法的拘束力がなくても。恋愛関係ではなくても。

まだ、悠理は彼のものだ。

 

やがて、小さな寝息。

今夜のところは、もうしばらくこうしていよう。

その後はふたりのベッドに彼女を運んで、穏便に――――コトに及ぼう。

それは、ふたりの間の新しい習慣であるのだし。

 

 

恋愛など人生に無用の長物。そう公言して憚らない清四郎は、現状に満足しているのだ。

とりあえずのところ、大きな不満はない。

わずかな不安は、あるものの。

 

――――なにはともあれ、正拳突きと踵落しだ。

 

翌朝悠理との特訓を心に誓い、菊正宗清四郎氏の剣菱家での夜は更けていった。

 

 

 

 

 

――――まだ、魅録と野梨子の婚約を知る前のこと。

悠理の電話の相手が魅録であるとも知らず、それから一週間、清四郎の執拗な特訓は続くことになる。

 

朝も夜も。 

 

 

 

End

(2006.11.9)

 

 


プレイバックパート1、「逢えない夜編」の翌日、「白鹿家編」の一週間前のお話です。ので、悠理のデートの相手は魅録ちゃん。

千尋様のリクは『「悠理のような世間知らずには、一般常識を叩き込むヤツが必要なんです。だから、僕が仕方なく付き合って教えてあげてるんです」 …って感じで、自分の恋愛感情からくる行動に、それらしい理由をつけて、足掻いてる清さん。 』でございました。

これって、私の書くスタンダードな清四郎じゃん!と思ってしまった。(笑)

えのみち様が絵板に描いて下さったイラストが、らららをイメージして、とおっしゃって下さってたので、いつか絶対このシーンを書いてみたかったのでした。えのみち様、再録許可をありがとうございます!!

 

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イラスト:えのみち様