キッスは目にして 後編

 

 

 

Mr.万作から、キミタチのことを聞きました。」

小国とはいえ皇太子殿下が、悠理と清四郎に頭を下げた。

「悠理と清四郎には、以前もとても助けられているのに、知らなかったとはいえ申し訳なかったです。」

 

「知らなかったって、なにを?」

清四郎の背から顔だけ覗かせて、悠理は王子に言わずもがなの問い。

「君達は恋仲だったんですね。万作たちは色々言っていましたが、よほど僕の国の窮乏を案じてくれているようだ。だけど僕は、国のために恋人たちの仲を裂くような真似をしたくありません。」

 

「「恋人達・・・」」

悠理と清四郎は思わず顔を見合わせ、顔を顰めた。

 

剣菱夫妻は正確にふたりの関係を見抜いているが、彼らの説明をマーテル王子は信じなかったらしい。

 

清四郎は王子に苦笑を向けた。

「王子は国のために政略結婚を決意なさったんですか?よりによって、こんなのと・・・。他にも数多花嫁候補はおられるだろうに。」

「『こんなの』?」

悠理の眉がコイル巻きになったが、清四郎はスルー。

実のところ、野望のために『こんなの』と結婚しようとしているのは清四郎とて同じなのだ。

 

王子は清四郎の言葉に、青い目を伏せた。

「剣菱の持参金目当てだと思われても仕方ありませんね。清四郎には本当に合わす顔がないと思っています。」

「気にすることないじょ。こいつも似たようなもんだから。」

悠理は右手を上げて清四郎の頬を人差し指でつつく。

つんつん突かれて、清四郎は眉を寄せた。

「何言ってるんですか。今回は人助けでしょう。ボランティアとまでは言いませんがね。」

「おまえ、ボランティア精神ないもんな〜。」

「それを承知で、僕と結婚したいと皆の前で宣言したのは、誰でしたっけ?」

清四郎はお返しとばかりに、悠理の額を人差し指で弾いた。

 

 

ふたりにすれば、いつも通りの甘さの欠片もないやり取りだったのだが。

「仲むつまじいおふたりが羨ましいです。」

王子は身をかがめ、優雅な所作で悠理の手を取った。

「明るくキュートなミス悠理は、私の憧れです。あなたのようなパートナーを私も見つけることができるでしょうか。」

王子は悠理の手の甲にキスを落とした。

こうした習慣に慣れている悠理は平然としているが、清四郎の眉はピクリと上がった。

 

もしや、の懸念に、清四郎は王子へ英語で問いかける。

『今回の話は強いられた政略結婚ではなかったんですか?まさか、王子のお気持ちは・・・』

『ええ。悠理ならば、と思ったのは事実です。』

王子は頷いた。

『剣菱万作氏は、私の国で大変人気があります。私も彼が大好きです。悠理は彼に良く似ている。』

王子の答えに、清四郎は相好を崩した。

『ははは、確かに。悠理はおじさんに良く似てますな!』

 

自分のことを話しているとだけはわかり、悠理は顔を顰める。

「・・・なんかわかんないけど、馬鹿にされてる気がする・・・。」

清四郎はにこやかに悠理の頭を撫でた。

「そんなことないですよ。褒めたんです。」

王子も笑顔で頷く。

 

清四郎は王子に手を差し出した。

『王子、今後もよろしくお願いいたします。剣菱のおじさんももちろんですが、及ばずながら僕もできるかぎり尽力いたします。援助や交易ばかりではなく、お互いに発展性のある共同で開発できるプランも2,3すでに考えているんですよ。』

王子は清四郎の手をしっかりと握り返した。

『ええ、清四郎。ぜひ!君が大層有能なビジネスマンであることは聞き及んでおります。剣菱は君のような跡取りを得てますます安泰ですね。』

 

男たちは将来にわたる友情を誓って別れた。

英語で交わされる会話を、悠理はつまらなそうに聞いていた。

 

 

********** 

 

 

王子が退出したあと。

「なんで途中から英語になんだよ。王子、日本語もペラペラなのにさ。」

「別に意味はありませんけど。仕事の話ですから、英語の方があちらも分かりよいでしょう。ま、おまえも英語くらいはできるようにならないとね。」

「あ、あーっ、そーゆーこと言わないって約束じゃんか!」

悠理は頬をぷっくり膨らませる。

清四郎は腰に手をあて、大仰にため息をついた。

「強制はしませんよ。前回で懲りましたから。だけど、おまえも世界に羽ばたく剣菱グループの一員なんだし、各国の友人と自由に話せたらいいと思いませんか?」

悠理の膨れた頬が赤らむ。

「・・・どうせ、馬鹿なあたいは、おまえにふさわしくないよ・・・。」

涙目のいじけ顔。

悠理の幼い表情に、清四郎は苦笑する。

「そんなこと言っていないでしょう。馬鹿であることは否定できませんが。」

清四郎は悠理の膨れた頬を両手で包んだ。

「教えてやるから、一緒に勉強しましょう。僕だって、事業のことではまだまだ学ばなければならないことがいっぱいだ。おじさんの偉大さは、思い知らされましたからね。」

「教えてくれるの?」

「以前、卒業するまでおまえの面倒を見る約束をしましたけれど、その期限が無期延期になったってところですかね。」

 悠理の潤んだ瞳が、輝いた。

清四郎はあまりに素直な彼女の表情に、コホンと咳払い。

「・・・わかっていると思いますけど、僕はおまえを甘やかすつもりはありませんからね。優しい恋人が欲しいなら、よそを当たるんですな。おまえにできるなら、ですが。」

そう言って、清四郎は悠理の頬を両手でムニ、と引っ張った。

「ひてっ」

悠理は痛みに顔を顰めて、とっさに拳を振り回した。

清四郎はひょいと避けつつ、悠理の腕を掴んだ。

両腕を悠理の頭上で捕らえ、顔を寄せる。

 

 

「・・・むぐっ」

突然のキスに、悠理はびっくり目。

唇を押し付けるように合わせたあと、清四郎は悠理の体を引き寄せた。

唇をずらし、より深く合わせる。巧妙な舌が悠理の中に侵入する。

「む・・・ん・・・ん・・・」

息を止めて硬直していた悠理は、たまらず空気を求めた。

その息を清四郎は吸い取る。ふたりの息が混じり、溶け合う。

 

目を見開いているはずの視野は狭窄。くらくら、眩暈。

悠理の体から力が抜けた。

天地の差もわからず、いつの間にか、ソファに横たえられていることにも、気づかなかった。

悠理の体は清四郎の重みを感じていても、意識は真っ白で反応できない。

 

重なり合う体の温もりに、頭の芯が麻痺する。

触れ合ったのは唇だけでなく。凸凹の体と心が合わさり、溶け合う。

 

清四郎は柔らかな唇をなぞり味わったあと、チュ、と音を立てて、唇を離した。

「・・・フム。なかなか・・・とりあえず、このぐらいで止めないとね。」

呟かれたのは、ひとり言。

 

清四郎は呆けたまま固まっている悠理を見下ろし、ピンクの頬を人差し指で撫でる。

まるで、愛撫のようなその動きに、悠理の体がビクリと跳ねた。

しかし、清四郎の目には悪戯な笑みが浮かんでいる。

 

「悠理、キスの時は目くらい閉じるもんですよ。」

 

清四郎の平然とした笑顔に、やっと悠理の意識は帰還する。

「お、おまっおまっ・・なっなっなっ・・・!」

顔面からは火が吹き出、脳みそは沸騰。

悠理のキャパはいっぱいいっぱい。

 

「悠理が言ったんですよ。僕にはボランティア精神がないってね。だから、見返りはきっちり頂きます。」

清四郎は頬を撫でていた指で、悠理の唇を押えた。激昂しわめこうとする悠理の気勢を封じるように。

「僕達は結婚するんですよ。このくらい当然でしょう。結婚式なんて、人前で誓いのキスをするんですからね。その時に醜態を晒す気ですか?」

 

悠理は真っ赤に顔を染め、口をパクパク。

「ち、誓いのキス!?さ、さっきのアレを人前でっ?!」

その場しのぎで婚約した彼女の頭に、結婚生活の当然の帰結、“夫婦の営み“など想像もつかず。“結婚式の誓いのキス“で、すでに思考はショート状態。

 

「おや。おまえはさっき、王子のキスを平然と受けてたじゃないですか。」

しかも、笑顔であるにもかかわらず、清四郎の目は怖い。

「あ、あれは外国じゃしょっちゅうだから、慣れてただけで・・・」

「じゃあ、僕とのキスも慣れてもらいましょうか。」

腰が抜けたように横たわったままの悠理へ、清四郎は再び身を乗り上げる。

「・・・!」

覆いかぶさられ、悠理はぶるりと身を震わせた。

 

「・・・・・・・・・。」

「・・・・・・・・・。」

 

またもや悠理が清四郎の顎を突き上げたのも、無理はない。

 

清四郎はむっと顔を顰めた。

「悠理、さっきの話を聞いてなかったのか?」

「だ、だけど、あたい・・・!」

悠理は半べそ。

 

 

起き上がろうとする悠理を手助けしソファに座らせた清四郎は、自分も隣に腰を下ろした。

「わかりましたよ。おまえには、もっと遠回りにゆっくり慣らしていくべきだな。・・・まぁ、いきなり口づけると、僕もちょっと盛り上がってしまいそうになるし・・・」

後半はぶつぶつと口の中で呟く。

 

「じゃあ、レッスンワンです。唇以外のキスならいいですか?」

「・・・ん。」

悠理は心底安堵して、清四郎に左手を差し出した。

そのまま、清四郎から顔を背ける。

 

「ふん。手、ですか・・・」

清四郎はつまらなそうに、悠理の白い手を取り、唇を寄せた。

しかし、手の甲ではなしに、指先に。

 

マーテル王子とのお見合いのため強制的にエステに放り込まれた悠理の、ネイルケアされたピンクの爪を、清四郎の唇がゆっくりと辿る。

 

「・・・あ」

 

ゾクリと体に走った痺れに驚き、悠理は清四郎に顔を向けた。

悠理の指を唇で撫でながら、清四郎は悠理を見つめていた。

 

「なるほど、指輪のサイズは9号かな?可憐の店で、婚約指輪を用立ててもらわなければなりませんね・・・」

 

いつものように、意地悪で愉快気な清四郎の目。

だけどそこには、悠理が初めて見る熱が宿っていた。

 

清四郎は指の根元に小さなキスを落とし、ちろりと舐める。

「やっ・・・」

 

悠理が首を竦ませたと同時に、手が解放された。

代わりに、肩を抱くようにたくましい腕が回される。

 

「手の次は、頬にしましょうか?ロシア人との挨拶で経験あるでしょう?」

ぎゅっと目を瞑った悠理の頬に、温かい息がかかる。しかし、それは触れずに離れた。

 

「・・・それとも、耳がいいですか?」

清四郎の指が髪をかきあげ、耳元に唇が近づく。熱い吐息が、耳たぶに触れた瞬間、ふたたび感電したような痺れが悠理を襲った。

 

「あ・や、やんっ・・・」

 

悠理は自分の発した甲高い声に驚いて、目を見開いた。

慌てて拳で口を封じ、奥歯を噛み締める。

 

至近距離でふたりの目が合った。

パニックに涙ぐんでいる悠理に対し、清四郎は嬉しそうに目を細めていた。

あの熱が、黒い瞳の奥に揺らめく。

 

「マズイな・・・僕も罠にかかったようだ。他のところにもキスしたくなってきた。」

清四郎の小さな呟きに、悠理は震え上がる。

 

「・・・や、やっぱ、あたい駄目!無理!」

悠理はぶんぶん首を振った。

 

悠理は後悔していた。清四郎との婚約が、こんな大変なことだとは思っていなかったのだ。

わけのわからない感覚に翻弄される自分が怖い。初めて見る清四郎の目も。

清四郎の中に見た熱は、悠理の体の奥底でも蠢いている。

ドクドクと疼いている。清四郎の言葉に、吐息に、呼応して。

 

「悠理、悠理、目を閉じて。」

清四郎はもがく悠理の頭を抱え、胸に押し付けた。

「大丈夫だから。これ以上は、何もしません。」

清四郎の心音もドクドクと脈打っている。

「今日のところは、ね。」

 

げっ、と顔を上げた悠理が見たのは、困ったような笑みを浮かべた清四郎の顔だった。

思いもかけず高鳴る鼓動に戸惑っているのは、きっと、ふたり同じ。

清四郎は悠理に顔を近づけた。

「せめて、これくらいはいいでしょう?」

悠理の瞼に落とされる、小さなキス。

 

「・・・・・・うん。」

 

悠理はこっくり頷いてしまった。

背中に回ったたくましい腕からは、罠に嵌まったように抜け出しずらい。

あまりに、心地良くて。

清四郎の吐息を瞼で受けると、まだ身が震えるけど。

 

 

いまだ、甘い恋には、程遠い。

優しさだけの、言葉すらない。

それでもふたりにとって、二度目の婚約にして、最初のキス。

 

 

Kiss fall in love ―――― 罠に落ちたのは、いったい誰?

 

 

(2007.4.25)


ありゃ?書きたいところまで到達しないまま終わっちゃったわ〜。←殴

これから先はもちろん、折に触れキスしようとする清四郎に、「やっぱ無理!」と悠理がぶん殴って、婚約破棄でしょう。(笑)

ふたりにとっての一番短い婚約の顛末を書くつもりだったのに、なんでかそこまで入らなかったのでした。

基本手の早い清四郎が、初めてコトに及ぶ結婚初夜(「Melty Love」)まではまだまだ長い道程です。

 

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