プレイバックPART1

〜逢えない夜編〜

後編

 

 

 

ベッドルームに戻り、ミニバーで酒を用意してグラスを満たした。

剣菱家は皆酒好きであるせいか、このホテルも質の良い品を揃えている。

清四郎は部屋の灯かりを落とした。バスローブのまま夜景を見下ろし、琥珀色のグラスを揺らす。角度により色を変える液体が、誰かを思わせた。

 

下品で馬鹿で小心なはずなのに、誰よりも大胆で。

動物じみた生命力を放ちながら、時に無垢な白い心を垣間見せる。

悠理の考え行動などお見通しのはずの清四郎の掌の上から、彼女は容易に飛び降りてしまう。

 

恋などしない悠理と、恋などいらない清四郎。

変わらない関係を望んできたはずなのに、心の動揺を映すかのように琥珀色の液体が揺れる。

暗い室内から輝く夜景を眺め、暗闇の方がよく見えるものがあるのだと、ふと思った。

 

ベッドサイドに置いていた携帯が鳴った。

清四郎が急いで手に取ると、はたして、望んでいた名の表示が光っていた。

「どうしたんですか、悠理」

『・・・・ん。さっきのままじゃ、ちょっと寝覚めが悪いからさ』

自分からとはいえ、いきなり叩き切った電話に、心細くなったらしい。

思わず、清四郎の口元が綻んだ。

 

「明日は確か、王祿老人の昼食会だろう。選ばれた者しか参加を許されない会なのに、この頃必ず悠理をご指名ですよね。おまえにお義父さんの代わりが務まるとは、正直驚いていますよ」

珍しく、彼女を褒めたい気分になっていた。

実際、引退同然の万作夫妻の代わりに剣菱を切り盛りしているのは清四郎だが、社交は悠理が今や中心となってこなしている。

『じっちゃんのとこのパーティなんか、仕事のうちに入らないじゃん』

「その“じっちゃん”は政財界の黒幕と畏れられる傑物なんですよ。王祿老人に孫のように可愛がられるなんて、たいしたものです」

『孫のように、じゃねぇよ。じっちゃんのシュミしんねーの?あたい、恥ずかしいからヤダって言ってるのに、いつも・・・』

「えっ?!」

清四郎の声が裏返った。剣菱のために良かれと思い、いつも老人の招待に応え悠理を向かわせていたのは清四郎だ。まさか、と思いつつもあらぬ妄想に冷や汗が噴き出す。

『“ハリケーン悠理“の格好させられるんだよ!父ちゃんと時宗のおっちゃんと同類の女子プロ狂い!この前なんか、特設リングまで用意しててさー!』

「・・・・道理で、お義父さんと密接なコネクションがある訳ですな」

安堵し、清四郎は電話を片手にベッドに寝転がった。

クスクス笑う。

『なんだよ?』

「いえ・・・」

 

胸に広がるのは、幸福感。

こんな馬鹿な会話を交わすことが、いつから“幸せ”の定義になったのだろう。

――――だけど、まだ何か足りない。満たされない。

 

「・・・悠理、いま何をしてます?」

『おまえとしゃべってるよ』

「馬鹿」

『ベッドに寝転がってる。タマとフクも一緒』

清四郎が家に居るときは、猫たちはベッドに入ることを許されていない。

「ほう。僕は独り寝だというのに、おまえは崇拝者を侍らせているわけだ」

『はぁ?なに言ってんの?おまえ、馬鹿?』

悠理の呆れ声に苦笑しながら、清四郎は目を閉じた。ダブルのベッドの隣に、彼女の姿を思い浮かべる。

 

滑らかな肌を覆っているのは、綿のシャツか、絹のパジャマか。どちらにしろ、彼の指がすぐに取り去る。

いくつになっても少年のような悠理。それでも、布一枚剥いだ下には、艶やかでしなやかな女が隠れている。

肌理の細かい肌に唇を寄せると、甘い香り。かすかで薄い胸も、柔らかく男の愛撫を受け止める。薄紅色の果実は、舌先で転がすと官能的に震える。

彼自身を受け入れる場所は、いつも熱く潤み。

彼女の中に自分を埋め、交わることで得られる、圧倒的な充足感。

 

悠理を初めて抱いた夜から、他の女など、清四郎は夢想だにしたこともない。

体の相性が良かったためか。それとも他に、理由があるのか。

離れられないわけは、腐れ縁が、すべてではない。

 

 

 

 

『・・・清四郎?寝ちゃった?』

悠理の眠そうな声で、思考は遮断された。

「いえ・・・でも、そろそろ眠らないといけませんね。おまえも僕も明日は仕事だ」

『じっちゃんとこのは仕事に入んないけどな』

 

優しい睡魔がゆっくりと身を包む。しかし、どちらも電話を切ることはない。

『・・・・早く帰って来いよ、清四郎。毎晩これじゃ、電話代がもったいないし』

甘えるような口調で、日本一の資産家令嬢が至極庶民的なことを言う。

「いえ、家族間無料通話設定ですので」

こちらも、財閥トップにしてはセコい答えだ。

『もう、家族じゃねーじゃん。離婚してんだから』

悠理の言葉で、どこか甘い気分の夢うつつから、現実に引き戻された。

 

いつまで、悠理は清四郎の手の中にいるのだろう。

彼女の自由を阻む権利は、彼にはないのだ。

 

「悠理・・・・僕がいま何をしていると思います?」

『あたいと、電話してる』

「馬鹿」

『何をしてるの?』

「僕の手を感じませんか?電話のこっちから思念を飛ばして、おまえの髪を梳いてあげてますよ。どうせ、洗い髪をろくに梳かしてないんだろう?」

慌てて髪に手をやる、悠理の気配。単純な彼女はまだ、清四郎の手の内にいる。

「そう、それが僕の手ですよ」

悠理の髪を撫でる指。柔らかな耳たぶを、きゅ、と戯れにつまんで。

想像の中の彼女はくすぐったげに身を竦める。きっと、電話の向こうでも。

『・・・・じゃ、あたいは、おまえの近眼眼鏡、取ってやるよ。どうせ、あたいと電話しながら、仕事の書類、読んでるんだろ』

「読んでませんよ。眼鏡もしてません。・・・・・・今、ちゃんと両手で抱きしめて、おまえの匂いを胸いっぱい吸い込んでます」

『バァカ・・・』

少し甘い悠理の声音は、彼を感じている証拠。

 

見えない電波だけが、見えない想いを伝えている。

 

 

ナァゴ――――と、タマかフクかの鳴き声が聴こえた。悠理の肌をペロリと舐めているのだろうか。

 

彼の舌が辿るはずの場所を、猫に譲らざるを得ない物理的距離が悔しい。

「明日の夜には帰りますよ。だから、ベッドに引き込む間男はタマだけにしておいてください」

『ふぇ?』

 

「・・・・明日の夜は、腰が抜けるほど抱いてやるから」

 

きっぱりはっきり、本気の宣言だったのに。

悠理はまたもや、ブチリと電話を叩き切った。

 

 

 

「・・・・・・・・・・ったく。」

しばらく間を置いてから、清四郎は落ちそうになる瞼を持ち上げて、携帯電話を操作する。

 

TELLLLLLLLL

 

もう深夜。迷惑な呼び出し音。

それでも、悠理はすぐに出た。

 

「・・・おやすみ、悠理」

ただ、それを告げたかっただけ。

『・・・・おやふみ・・・せいしろぉ・・・』

ほとんど寝言に近い返答。すぐに、すぅ、と穏やかな寝息が聴こえる。

 

枕に顔を埋め眠る悠理を思い浮かべながら、清四郎も瞼を閉じた。やっと睡魔に身をゆだねることができる。

切ることを忘れた電話の向こうから、彼女の穏やかな心臓の音が聴こえる気がした。

 

それでも、心音は重ならない。どこか、満たされない。

 

 

 

彼女を腕に抱けない夜。

半身と離れて過ごす夜。

 

それは、たしかにそこにある愛に、まだ気づかなかった幾月夜。

 

 

 

 

 

2006.7 END

 


麗さんに頂いたリクは、「抱き枕(悠理)と離れ離れの月の半分熟睡できない、ららら清四郎の夜」でした。そんでまず浮かんだのがテレフォンセックス!(爆)

私は本気で書く気だったんですよ。しかーし、ららら悠理ちゃんは気配を察するとすぐに逃げちゃう。ガックリ挫折。・・・エロチカでならできるかな?今度チャレンジしてみよっかなぁ。(笑)

 

 

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 素材:Four seasons