桃色道場 

  

婚約騒動からしばらくたった、ある日の東村寺。

日光は優しく若葉に降り注ぐが、山寺ではまだ肌寒さが残る。

 

「春だというのに、冷えますね。」

「ほんになぁ。老体には応えるわい。」

「まだまだ、お元気じゃないですか。必要以上に。」

縁側では、師弟がまったり茶をすすっていた。

 

砂埃と共に、ドタバタと喧騒が近づく。

「じっちゃん!もっとあたいに技を教えてくれよ!」

ここに来たときの習慣となっている、鶏の世話を終えた悠理だ。

「そりゃスピードは速くなったけどさ。それから先はなんも教えてくんないから、あたい困ったんだじょー!」

悠理は人間国宝に訴えた。

 

「“それから先“ってなんじゃ?」

雲海和尚はのんびり問い返す。

 

「攻撃だよ、攻撃!清四郎との勝負の時だってさ、逃げるのは上手く行ったけれど、それから先の倒し方がわかんなくて、勝負がつかなかったんだ。」

「おまえさん、まだ清四郎を倒したいのか?」

「決まってるだろ!昔は、あたいのが強かったんだぜ。才能はあたいのがあるんだ。いつまでも清四郎にデカイツラさせてたまるか!」

 

「僕がいつデカイツラしました?」

清四郎は庭先の悠理に苦笑を向けた。

「だいたい、力づくで抑え込んだことなどないでしょうが。悠理は腕っ節よりも、ズバリ知性の差を気にした方がいいと思いますがね。」

悠理はキッと友人の顔を睨む。

「そっちはどーしよーもねーから、せめて腕力でおまえをギャフンと言わせたいんだろーが!」

「おや、その程度の自己分析はできるんですね。」

 

ふたりの言葉を聞きながら、雲海和尚はふむふむと頷いた。

「清四郎にギャフンとねぇ・・・嬢ちゃんの、気持もわかる。」

道着姿の悠理の華奢な肢体を上から下までじっくりと眺め、和尚は口元を緩めた。

「承知した。わしが嬢ちゃんに組み手を教えてやろうかいの。手取り、腰取り。」

 

「和尚!」

清四郎は師匠の後頭部をスパーンと平手。

「悠理みたいな猿に、何が腰取りですか!血迷わないでください!」

 

清四郎の憤慨に、悠理は首を傾げる。

「腰?猿?」

 

和尚はツルリとした頭部を撫でながら、清四郎に顔を向けた。

「嫌なら、おまえが教えてやれば良かろう。」

「なんで僕が・・・」

「じゃ、やっぱりわしがじきじきに、嬢ちゃんに伝授してやろう。寝技の奥義を。」

「なっ・・・」

 

悠理は赤くなった清四郎の顔に、再度首を傾げる。

「寝技?」

 

和尚はにこやかな笑みを悠理に向けた。

「本来中国拳法の流れを汲むうちの流派は立ち技がほとんどなのだが、接近戦で寝技は効果的じゃ。嬢ちゃんのような腕力で劣る人間には特にな。清四郎相手に組んで練習するがええ。嬢ちゃんなら、きっとこやつをギャフンと言わせられるようになるぞ。」

 

清四郎は苦虫を噛み潰したような顔をしたが、悠理は人間国宝の太鼓判に顔を輝かせた。
「あたい、やる!」

 

そうして、意気揚々と悠理は道場に向った。

しぶしぶ嫌々顔もあからさまな、清四郎を引っ張って。

 

 

 

東村寺、道場。

師匠である雲海和尚と師範代他、兄弟子達の立会いの下、清四郎と悠理は組み手を行った。

 

 

「捕まえたじょ!やっぱ、スピードは互角だな!」

「ふっ、まだまだ甘いですね。組んだら、力任せに押すのではなく、相手の力を利用するんですよ。」

つかまれた腕をあっさり外し、絶妙のタイミングで足を払った清四郎は、悠理をコロンと転がした。

「こうやってね!」

「ちくしょっ!」

悠理は床に背を打つと同時に、身を跳ね上げ、逃れようとする。

しかし、清四郎に隙はない。悠理を逃さず、素早く組み伏せた。

 

 

始めた時こそ嫌々顔だった清四郎だったが、悠理のキレのある身のこなしに、徐々に顔つきを変えていた。

実のところ、スピードだけとはいえ清四郎と丁々発止の動きを取れる人間は、和尚以外は稀少なのだ。

 

勝負に夢中になり始めたふたりを、和尚は我が意を得たりと頷いて見守った。

 

しかし。

「和尚・・・」

髭の師範代が、赤らんだ顔を向けた。

兄弟子たちも、目のやりどころに困り始める。

 

 

「う・・・んん!」

襟元を締め付けられ、悠理が苦しげに眉を寄せてうめいた。

「苦しければ“参った“をするんですな。」

「だ・・れが!」

 

苦し紛れに伸ばされた悠理の手が、清四郎の襟元を掴み、立てた爪が胸元の肌を傷つけた。

「っ・・・」

一瞬、痛そうに眉を顰めた清四郎だったが、酷薄な笑みを浮かべる。

「引っかくとはね。反則ですよ?」

清四郎の肌についた彼女の爪あとから、血が滲んだ。

 

「ひゃ・・・」

男の手が、悠理の鎖骨のあたりを、ゆっくりと這った。

「同じ場所に、傷をつけてやろうか?」

くすぐるように引っかかれ、悠理は焦って声を上げた。

「や、いやっ」

「くくく・・・・冗談だ。この程度じゃ、痕もつきませんよ。」

 

悠理がもがけばもがくほど、清四郎の目は輝く。

彼女のはだけた道着の胸元は寂しかったけれど、眉を寄せて唇を奮わせる紅潮した表情こそが、男を煽った。

 

「や・・やん、あ・・」

喘ぐように声を上げる悠理は、それでも降参はしない。

「このままでは、意識を失いますよ?簡単にオチてもらってもおもしろくないですね・・・」

「こ・・の、サド!」

 

清四郎は唇の端を引き上げ、ほくそ笑んだ。抑えきれない興奮にその目は輝く。

悠理は目尻に涙を浮かべながら清四郎を睨みつけた。

負けん気に満ちた顔。

清四郎は組み敷いた体をなおも押さえ込んだ。

内股で素足を押さえ込み、足と足が絡む。

 

「ふふふ・・・・これならばどうだ?」

「ああっ」

「さぁ、もう降参でしょう?」

「あ・・・くぅっ・・・」

「ふっふっふっふ・・・」

 

 

 

眼前で繰り広げられているのは、組み手。決してそれ以外ではありえない――――はず。

 

それでも、神聖なる道場に、妖しい空気がたちこめる。甘く苦いピンクのそれは、春の陽気のためだけではないだろう。

道場の中の人々は落ち着かなく、顔を背け、モジモジ赤面。

 

 

いたたまれなく目を泳がせている師範代に、和尚は携帯を取り出して見せた。

「見てみい、清四郎の、あの不穏なまでに楽しそうな顔♪」

そして、パシャリとカメラで撮影。

「あやつの今の顔を、嬢ちゃんの携帯に写メールしてやろう。」

和尚は悪戯な笑みを浮かべた。

「清四郎に後で見せれば、ギャフンと言わせられること確実じゃ♪ 嬢ちゃんはワシに感謝のチュウでもしてくれるかいの?」

 

師範代は、赤面したままため息をつく。

「和尚、馬に蹴られますよ・・・。」

 

 

 

いまだ周囲の動揺をよそに、夢中で揉み合うふたり。

もちろん、ただの鍛錬にすぎないが。

押さえ込むばかりで清四郎が悠理に技を教える気配がないのは、語らずとも実戦で習得できる彼女の才能を信じているから――――だろう、多分。

 

 

婚約騒動から数ヵ月後の、うららかな午後。

肌寒かった空気は、暑苦しいまでに変化していた。道場の中でだけ。

 

本人達が気づかぬうちに、いつの間にやら、春は爛漫。

 

 

 

 

(2007.4.20)


 友人と話しているうちにできたネタです。コンビニのイートインで、真昼間からこんなんしゃべってる恥ずかしい女達。(笑) いつもネタ提供をありがとう、腐友!

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