セピア〜後篇〜
月のない夜。 「こっちにおいでよ。」 「誰が行くか!」 清四郎から距離を取った悠理は、木の陰から吼えた。 わずかの星明りではシルエットすらよく見えない彼が、肩を竦めている気配。
足の下でカサカサと枯葉の音が鳴った。静かな山の中で、本当にふたりきりなのだと、心細くなる。 闇の中、悠理は必死に目を凝らし周囲を探ってみたけれど、やはり夜間の下山は無理なようだった。夜露をしのげる都合の良い大木の洞なども、見当たらない。
パキリ。 小枝の折られる音に、数メートル離れた位置にいる、たった一人の相棒の方に悠理は顔を向けた。 長身のシルエットが見えない。 ぎくりと、不安に心臓が縮む。 しかし、すぐに清四郎は身を屈めているだけなのだと気づいた。
「?」 パチパチと、爆ぜる音。 いきなり、オレンジ色の暖かな灯かりが、広がった。 「菊正宗?」 驚いて悠理が呼びかけると、清四郎は身を起こして振り返った。 彼の足元には、焚き火の炎が揺らめいていた。
「なんで?どやったの?」 悠理は木の陰から清四郎の方に駆け寄った。 清四郎は無言で体操服のポケットから何かを取り出し、悠理に放り渡す。 右手で受け止めたそれを、炎の灯かりの下確かめると、小さなライターだった。 「なんでおまえ、こんなもん持ってんだ?」 問いかけながら、長身の委員長を見上げると、焚き火の灯かりに照らされた彼は、照れたように苦笑していた。 その口元には、煙草が咥えられている。 「・・・あ、あーっ!」 悠理は指差して、口をパクパク。 清四郎は悠理の手からライターを取り戻し、煙草の先に火をつけた。 美味しそうに、紫煙を吐き出す。
「おーまーえー・・・・・いっつも真面目面してるくせによっ」 やっと、クラスメートから離れて清四郎が森に入ったわけが悠理にもわかった。喫煙場所を探していたのだ。 清四郎は悠理に向けて、パチンと片目をつぶる。 「魅録に、もらったんですよ。」
ディスコで顔を合わせて以来、魅録と清四郎が不思議に意気投合していたことは知っていたが。 悠理は唇を尖らせた。 「・・・あたい、おまえのそーゆーとこ、嫌い。」 「おや、剣菱サンは、堅物委員長がお好みでしたか?」 「違うよ、その油断ならねーとこが、だ!」
もう、10年も同じ学園で過ごして来たのに。 彼のことを全く知らないのだと、ことあるごとに、思い知らされる。 親しくなったはずの今でも、清四郎は悠理にとって、つかめない遠い存在だった。
ぷっくり膨れた悠理の頬に、清四郎は煙草を口から放した。 「きみが嫌なら、吸わないよ。ふたりきりなんだから、今夜のところは仲良くしよう。」 「別に、煙草は平気だけど・・・・」 悠理は焚き火の近くに腰を下ろして、膝を抱えた。 「あたいにも、ちょーだい。」 手を差し出した悠理に、清四郎は首を振った。 「僕もめったに吸わないんですよ。成長にも健康にも悪いのは重々承知しているからね。女の子には特にお薦めできない。倫理的にでなく、医学的に。」 その言葉に、悠理は眉を上げる。 「あたいを、野梨子とかと一緒にすんない!女なんて思ってないくせに!」 清四郎はクスリと笑って、煙草の火を揉み消した。 「大丈夫だ、一緒だなんて思っちゃいない。」 嘲笑されたように思い、悠理はむきになって、清四郎に飛び掛った。彼のジャージのポケットから、煙草を奪おうとする。 清四郎は座ったまま、なんなく身をかわした。 「っ!」 しかし、悠理が手も触れていないのに、彼は顔を歪める。 「菊正宗?」 左肩を押さえ、清四郎は俯き口を引き結んだ。
熱くなっていた悠理の頭から、一気に血の気が引いた。 「あ!もしかして、さっき・・・」 清四郎は悠理を庇って、崖から落ちた衝撃をその身で受けているのだ。 「やっぱり、怪我してたんだ!」 「・・・たいしたことはないんだ。肩を外してしまったようなので自分で嵌めたんだけど、ちょっとした拍子に響いてしまって・・・。」 思えば、山を登攀し戻ろうとせず下山しようと提案したのは、痛みを堪えていたからだったのかもしれない。 「ご、ごめんな・・・」 清四郎は顔を上げ、首を振った。 「なんで悠理があやまるんだよ。僕の鍛錬不足だ。恥ずかしいよ。」 焚き火の灯かりに照らされた清四郎の顔は、本当に恥じ入っているかのように赤らんで見えた。 その頬は、まだ泥と血で汚れている。悠理を庇った擦り傷からの血は、止まっているようだけど。 胸苦しさに襲われ。悠理は清四郎の顔に手を伸ばしていた。 体操服の袖で、彼の頬を拭う。 清四郎は顔を顰めたけれど、じっと動かずされるがままで居てくれた。
「・・・・・僕は、悠理を野梨子と一緒だなんて思っていないよ。」 ポツリと呟いた彼の、見慣れた端整な顔には、見慣れぬ照れたような笑みが浮かんでいた。
なんだか、胸がぎゅっと詰まるような妙な感覚に襲われ。 悠理は清四郎から顔を逸らせて、傍らのリュックの蓋を開けた。 「く、食う?」 「ありがとう。」 広げられたお菓子軽食の中から、清四郎はアンパンを手に取った。 「非常食には十分すぎるくらいあるじゃないか。遭難したのがきみと一緒でラッキーだったな。」 「そだろ?」 悠理はニッと笑った。
焚き火を前に並んで座り、ふたりで食事を取った。 いつしか、ざわざわしていた気持ちが落ち着き、胸の内側が温かくなっていた。
ふと、視線を感じ。 悠理はカツサンドを齧りながら、隣の清四郎に顔を向けた。 「なに?こっちも食ってみたい?」 悠理は半分齧ったカツサンドを、清四郎に差し出した。 「いや、食べている時は、本当に幸せそうだなーっと。」 清四郎は微笑しながら、自分のアンパンを二つに割った。 「はい、こっちもどうぞ。」 悠理は受け取ってパクリと咥えてから、自分は齧ったまんまを清四郎に渡したことに気づいたけれど。 清四郎は悠理の歯型など気にせず、カツサンドを頬張っていた。 「へへ・・・・」 悠理は鼻の下をこすった。 遠くに感じていた清四郎との距離が縮まった気がして、面映かった。
*****
夜が更けるに従い、山の冷気が焚き火の周りにも忍び寄る。 悠理は膝に片頬を乗せ、隣の級友に顔を向けた。 「・・・あのさぁ・・・ヘリの音が聴こえるけど、この焚き火に気づかないかな?」 「遠すぎるでしょう。僕が北側には行くな、と言ってしまったので、まさか僕らがここに居るとは思わないだろうし。」 焚き火に小枝を足している清四郎の胡坐の背が、丸まっている。 彼も寒さを感じているようだ。 並んで火に当たっていたふたりだったが、不自然に空いた空間に風が通り、寒さが増す気がしてきた。 「・・・・もちょっと、そっち寄っていい?」 清四郎との間の距離を埋めるべく、悠理は腰を上げた。 眠気に襲われうとうとしていたのだが、そうすると寒くてたまらないのだ。
清四郎はふ、と微笑んだ。 「だから、言ったろ。体温で温めあうのが一番だって。」 言いながら、彼は首の上まで上げていた体操服のチャックを開ける。 「へ・・・・?」 清四郎の行動の意味がわからず、悠理は眠気に半分閉じかけていた目を開けた。 ふたりとも、上下揃いのジャージ。その中は、半そでのTシャツ姿だ。大き目のジャージをはだけた清四郎のTシャツの胸には、そうとわかる筋肉の隆起。 本当に鍛錬してるんだな、と寝ぼけ頭で悠理は感心して見惚れてしまった。
「ここに座りなよ。」 清四郎は自分の前の地面に枯葉を寄せ、お菓子の空き袋を敷き詰めて悠理を促した。 「地面からもしんしんと冷えて来たね。背に腹は変えられないっていうけど、きみの背中を貸してくれ。」 「背中?」 悠理はぼんやり聞き返しながら、即席座布団の上に素直に座った。 無意識に体は言われるままに動いていた。いつの間にか、彼に対する警戒も反発もなくなっている。
だけど、さすがに。 いきなり背中が温かくなり。それが、清四郎に背後から抱きしめられたからだと気づいた時には、悠理の眠気は吹き飛んだ。
「ぎゃっ?!」 思わず立ち上がろうとした悠理を、回された逞しい両腕が制する。 「僕も寒いんですよ。こうするとお互い、温かいだろう?」 確かに、焚き火に顔を向け清四郎の両足の間に座った悠理は、これまでとは段違いに温かい。
背中にはTシャツ一枚の清四郎の胸がぴったりと寄せられ。なおも、体操服の上着を悠理の体ごと包むようにかけてくれているので、寒風が入り込む隙はなかった。
「お、おまえは、あんまり温かくないんじゃ・・・」 「十分温かいですよ。」
あまりに唐突な行為に、悠理の心臓はまだバクバクしている。 だけど、温もりの説得力は絶大だった。 タマやフクを抱いて眠ると冬場は温かい。今は悠理が清四郎にとっての、カイロのようなものなのだろう。 そう考えると、一人焦っているのが恥ずかしくなった。
悠理は清四郎の肩に頭を乗せて首を捻り、彼を見上げる。 意地悪な笑みを浮かべているかと思ったけれど、意外に優しい穏やかな顔。 ほっこりと、胸の内側にまで温もりが滲み込む。 背中ぐらい貸してやってもバチがあたらないような気になって来た。
「じゃあさ、あたいもジャージ脱いでTシャツになろうか?布団代わりにあたいの上着を使えるし。」 「・・・・・。」 素肌と素肌を寄せ合うのが一番、と言っていた委員長は、しばし黙った。 眉が困ったように下がり、口元が何か言いたげにわずかに動く。
悠理がじっと見つめていると。 大きな手が頭をつかみ、悠理はくるんと前を向かされる。そのまま、収まりの良い場所を探して抱きなおされたあと、悠理の頭に、重みが乗った。 彼が顔を乗せたのだ。
「・・・・それは、遠慮しときます。ちょっとマズイ事態になりそうなんで・・・・・」 苦笑する気配。 「?」 「まぁ、僕もまだ修行が足りない未熟者だってことで、勘弁してください。」 「????」
悠理には彼の言葉に意味はわからなかったが。とにかく、可能な限り最高の寝床を用意されたようだ。
焚き火が爆ぜる。 闇の中の暖かな光。 清四郎の右腕に頭を乗せて、悠理は小さく欠伸した。 暖かさが、睡魔を再び呼び寄せる。
「・・・肩、痛くない?」 「ちっとも。」
あ、でも寝ぼけて暴れないでくださいよ、と清四郎は笑った。 「剣菱サンの頭突きなら、脱臼では済みそうにない。」 「ったりまえだろ。」 ぴったり触れ合った背中から、腹の震える振動が伝わって、悠理も思わず笑っていた。
温もりに包まれて。 野生動物の立てる音が山中に不気味に響いたが、ちっとも怖くはなかった。 遠かったはずの幼馴染との距離は、いつの間にか縮まっていた。 この夜は、ゼロにまで。
*****
夜明け寸前の早朝。 「悠理、悠理・・・」 耳元で囁かれた声に、悠理は眠りから目覚めた。 目を開けると、白い闇に周囲は包まれていた。霧が濃いのだ。 悠理は昨夜眠りに落ちたときと違い、胡坐で座る清四郎の膝の上に頭を乗せ、体を丸めて眠っていたようだ。 「・・・もう朝?」 目をこすりながら体を起こすと。 「・・・しっ」 悠理の口は大きな掌で塞がれた。 「ふがっ?」 「静かに。右側をそっと見て。」 清四郎は声を出さずに、耳に唇をつけるようにして囁く。 悠理が目だけ動かして見ると、靄越しに大きな灰色の影が見えた。 目を凝らしていると、その影が生き物であることがわかった。 鹿だ。 「!!」 一番近い木の側でこちらに顔を向けている鹿とは、ほんの数メートルしか離れていない。 靄がゆっくりと晴れ、朝日が雲間から差し込む。 野生動物の神々しいまでの存在感に打たれ、悠理は鹿から目を離すことができなかった。 いつの間にか口を塞いでいた清四郎の手は離れていたけれど、悠理は身動きひとつできず、鹿の黒い瞳に魅入られていた。
靄が完全に晴れた時、鹿は身を翻し、姿を消した。 「・・・・・ふぅ。」 思わず、悠理はつめていた息を吐き出す。 「・・・・・綺麗、でしたね。」 清四郎の言葉に、悠理は頷いた。 「うん、すごく。」 冷たいまでに澄んだ牡鹿の黒い瞳。そこには、ペットや動物園の生物のような媚びや愛嬌や心を通わせる感情の存在など見えなかったけれど。 自信に満ちた厳しい目は、圧倒されるほど、美しかった。
清四郎が立ち上がった。鹿の消えた木々の向こう、崖の下を見つめている。 「僕達も、そろそろ下山しようか。」 「うん、明るくなったらこっちのもんだ。朝飯前に帰れるぞ。」 「僕らなら、きっとね。」 清四郎は悠理を振り返り、微笑んだ。 "僕らなら"という言葉に、悠理の頬が緩んだ。
ふいに気づいた。 馴れ合うことを拒否するような冷たさ。こちらの卑小さを恥じたくなるような強さと自信。 清四郎の目は、あの綺麗な生き物と、少し似ている。 だけど。 悠理を見つめる彼の目は、優しい色を宿していた。
「行こうか、悠理。」
差し出された手。 擦り傷だらけだったけれど、その手も力強く美しかった。
「うん、清四郎。」
悠理は清四郎の手を取って立ち上がった。 触れると、意外に滑らかで温かな手。もう、そんなことは知っている。 昨夜、悠理を守り温めてくれたのは、この手だったから。
悠理の手を取った清四郎は、少し照れたような微笑を浮かべた。 いつの間にか、悠理は”菊正宗”と呼ばず、彼を名前で呼んでいた。 それは、悠理にとっては自然な変化。
立ち上がった悠理は清四郎の手を離し、リュックをつかんだ。 そうして。 「どっちが先に下山できるか、競争だ!」 悠理は言いながら、地面を蹴って駆け出した。 「負けませんよ!」 清四郎も手近な枝をつかんで、身を翻す。 痛めているはずの肩を気遣う素振りは見せない。 プライドの高い彼に、気遣いは無用だ。 精一杯、悠理が全速力で駆け下りても、勝負の行方がわからないくらいに。
*****
セピアの記憶が、鮮やかな色彩を帯びる。 紅葉の山々と同じに。
「思えば・・・・あたいとおまえが本当の仲間になれたのは、あれからだったんじゃないかな・・・。」 悠理は隣に立つ長身の友人を見上げた。 知性と自信に満ちた横顔は、上げた前髪以外はあまりあの頃と変わらないけれど。 昔よりも、広くなった肩幅。逞しい腕には、あれからも何度も助けられてきた。 意地っ張りの悠理でも、認めざるを得ない。 あの日、偶然の出来事がふたりの距離を縮めなければ、それからの年月は違う日々だったのかもしれないのだ。 回想が胸を温かくする。彼と仲間達との冒険の数々と共に、あの秋の日は、悠理にとって、小さな、だけど大切な思い出だ。
「僕はあれから実は・・・ちょっと後悔しましたよ。」 なのに、清四郎は遠い目をして小さく息を吐いた。
「なんで?」 トラブルメーカーの悠理と友人でいると、ろくな目に合わない、と言う意味だろうか。清四郎のそんな揶揄にも、悠理はもう馴れっこだけど。 清四郎は苦笑を浮かべ、悠理を見つめた。
「・・・・救出後の、野梨子の言葉を覚えていますか?」
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ハイウエイでハイカーに遭遇したふたりは、朝の内に山を下り、家に帰ることができた。 捜索隊こそ出ていたものの、狼狽していたのは実際は学校関係者ばかり。 山歩きをよく共にする万作は悠理の無事を信じていたし、清四郎の両親もまた、息子の一夜の不在を案じてはいなかった。 ふたりとも菊正宗病院で検診は受けたが、清四郎の肩も軽症だったし、若干の睡眠不足以外に、不調ひとつもなく。 翌日には、ふたりはいつも通り登校した。
安堵のため涙ぐむ可憐や美童と対照的に。
「清四郎がついているなら大丈夫だと、私は心配していませんでしたわ。」
野梨子は平然とした笑みで、ふたりを迎えた。
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「野梨子、なんか変なこと言ってたっけ?」 「・・・・僕のことを、安全な男だってね。」 「安全〜〜っ?!」 きゃはは、と悠理は笑った。だけど、悠理はわかっていた。清四郎ほど頼りになる男はいない。 経験に裏打ちされた、絶対の信頼感。野梨子の言葉は、今ならば頷ける。
笑っている悠理の髪に、清四郎は手を伸ばした。 「後悔は、信用させ過ぎたことです。」 大きな手が跳ねる髪の先を撫で、頬の周りで指に絡めた。 「?」 悠理の頬に、彼の指先がわずかに触れる。 悠理はくすぐったさに笑顔のまま、首をすくめた。
「最近、思うんですよ。安全パイなんて、あんまりじゃないか、とね。」
清四郎は悠理の髪を指先で巻き取ったまま、身を屈めた。 悠理の視界から紅葉が消える。 唇に、かすかに触れた温もり。
口づけられたのだと、気づくのに、数秒かかった。
目を見開いたまま凝固している悠理の髪から、ようやく清四郎は指を離した。 「少しくらい警戒してもいいだろう?僕だって男なんですよ。」 彼は目を細め、笑みを浮かべる。 それは、もう少年の笑顔ではなかった。
「ここにもう一度、おまえと来たかった。僕らが新しい関係に、踏み出すために。」
擦り傷だらけの顔で微笑んでいた、澄んだ黒い瞳は同じなのに。 記憶の中の少年が、大人の男の顔に変わる。
あっけにとられていた悠理は、震える手で、自分の胸元をつかんだ。 心臓が爆発しそうな勢いで高鳴る。 胸に満ちるのは、苦しいくらいの感情の奔流だった。
悔しさと、切なさと――――認めたくはなかったけれど、怖れ。 それは、かつて彼に対して抱いていた感情に似ていた。 そして、彼との長い年月が、その感情に違う色を乗せる。 赤青黄、心のパレットにありったけの絵の具をぶちまけて。
言葉も出ず、身動き一つままならなかったのに。 「・・・・おいで、悠理。」 両腕を広げた清四郎の言葉に、悠理の体は自然に動いていた。 ふたりの距離が、また、ゼロになる。
思い出を凌駕する、温もりと力強さに包まれて。 悠理は瞼を閉じた。 悠理の頭を抱きかかえた彼に、再び唇を奪われる。今度は、深く。激しく。 逃げられぬよう、大きな手が髪の後を押さえつける。 そんなことをしなくても、逃げはしないのに。彼が望む、警戒など悠理にできるはずもない。 もう、随分と長い間、悠理は清四郎にすべてを委ねることに慣れてしまっている。 経験からくる、信頼。
それでも、こんな彼は知らなかった。 いや、知っていたのかも知れない。 悔しさと、切なさと、怖れとから――――認めたくはなかっただけで。
口づけから解放されても、強く抱きしめる腕は解かれなかった。 色づき始めた紅葉が、悠理の瞼の裏に映る。 目を開けると、秋の山々がふたりを見守っていた。
どちらからともなく、落ち葉の上に腰を下ろした。 悠理は背中を清四郎の胸に預ける。 彼の腕の中は、あの日と同じように温かかった。
「・・・・悠理。」
背後から悠理の耳元に口を寄せ、清四郎は囁く。 探すまでもなく、悠理の心の奥底にもあった、同じ想いを。
心地良い関係からの変化は、少し怖かったけれど。 それは、ふたりにとって自然な変化だった。 季節が変わるように。 緑の葉が、色づくように。
澄んだ高い空。 秋を装う山々が、見守る中で。
新しいふたりの思い出が、塗り重ねられていく。 セピアのキャンパスに、鮮やかな色を乗せて。
END(2007.11.2)
育んできたものはあるけれど、やっぱり清×悠は運命の出会い(蹴り)での怒涛の一目惚れ♪ 本来親しくなった中三で初恋に気づくところが、双方の恋愛指数の低さゆえ、高校卒業頃までただの友人として引っ張った、ということで。 なので、中坊時代は清四郎くんも無自覚です。でないと、中三時点でも非童貞に違いない彼が、あの状態で一晩我慢するはずはない。(爆) |
背景:めぐりん様