執事の視点 4

 

 

 

「ああ、ええ湯だっただ〜〜!」

 

深夜の便で帰宅された万作様ご夫婦は、お二人で大浴場を楽しまれた。リクエストに応えて、私が用意した富士の湯”熱海温泉源泉の元”入りだ。

「長時間フライトでしたから、お風呂のおかげで生き返りましたわ。五代も温泉で療養すればよろしいのに。」

「裕作、五代はまだ寝込んでいるだか?」

「ありがとうございます、ご心配なく。本人は職場復帰したくて仕方がないようなんですが、歳が歳ですので家族が無理やり寝かせているんですよ。」

居間でくつろがれているお二人に飲み物を出しながら、私は心からの感謝を感じていた。

お嬢様の部屋で清四郎様と向かい合う拷問のような時間から、救い出してくれたことではなく。いや、それもだが。

 

剣菱夫妻は昔から、祖父に対しても私に対しても、家族同然に接してくれるのだ。悠理様も、また同様に。

だから、私も主家に対して畏れ多いことながら、彼らを身内のように感じ成長した。

悠理お嬢様は、やんちゃで可愛い妹。

その彼女の傍に、いつの間にかあのような男性が存在するようになるとは、感慨深い。

 

「おお、清四郎くん!」

彼のことを考えていた時、ちょうどその当人が居間に現れた。

ぐったりと憔悴した悠理様の首根っこを掴むようにして連行している。

「と〜ちゃ〜ん・・・か〜ちゃ〜ん・・・」

「今夜はこれぐらいでカンベンしてやることにしますよ。伯父さん伯母さんも戻られたことだし。」

悠理様の様子では、今夜課せられた小テストの具合が今ひとつのようだ。

「あらあら、酷い顔ね、悠理。いつもごめんなさいね、清四郎ちゃん。」

満面の笑顔の百合子奥様と万作様の表情から、清四郎様は彼らのお気に入りであることが一目瞭然。

手のかかるお嬢様の、家庭教師兼ボーイフレンドとして、保護者的役割を担ってもらえるのだから、私とて同様だった。

長身で大人びた風貌の青年は、猫のようにぶら下げられているお嬢様の、まるで飼い主。

最初はあまりに凸凹な組み合わせに戸惑ったが、不思議なもので、今では微笑ましく感じられる。 自分に火の粉さえ降りかからなければ。

 

婚約は解消したとはいえ、お二人の様子はとても自然に睦まじい。

悠理様は世話係の私の欲目抜きにもたいそうお可愛らしい方だが、色々とアレでナンなので、彼にライバルがいるとも思えない。

清四郎様が彼女に近づく男へ殺気を放つわけがわからなかった。

 

先ほどの恐怖を思い出して血の気の引いた顔に、私は愛想笑いを必死で浮かべた。

「悠理様も、お風呂に入ってらしたらどうですか。汗びっしょりですね。」

私の言葉に、万作様も頷いた。

「ええ湯だっただよ。久しぶりに母ちゃんと一緒に入っただ♪」

ご夫妻は羨ましくなるほどラブラブだ。

百合子様もご機嫌で団扇を振った。

「そうね。悠理も入ってらしゃいな、清四郎ちゃんと♪」

「・・・・?!」

しかし百合子様のこの発言に、私だけでなく万作様と悠理様も絶句する。

 

「「か、母ちゃん、何言うんだ!」」

「奥様!」

思わず、私まで非難じみた声を上げてしまった。

 

「あら、裕作、あなただって悠理とこの前まで一緒にお風呂に入って世話してくれていたじゃない。」

「ひっ?!」

私は泡を吹きそうになった。

「そ、そんな昔のことをっ!それに、お嬢様のお風呂じゃなく、猫達を洗うのを手伝っていただけですっ!」

必死で言い募る私は、白目を剥いていただろう。

「そうなのよねぇ、悠理は猫達と一緒にお風呂に入ってしまうから・・・・・そういえば、この間清四郎ちゃんに電話で呼ばれて裸で飛び出して行った時も、猫達と一緒に入ってたのよね。」

「あいつら、綺麗なんだぞ!あたいよか、清潔だじょー!」

悠理様はアサッテの方向性で抗議している。

 

「裸でって・・・・」

奥様の言葉に、クスクス笑い出したのは、清四郎様だった。

「もしかして、あの時ですかね?寒空に濡れ鼠だったのに、風邪ひとつひかなかったという・・・しかしバスローブひとつで裸足で都心に現れるからびっくりしましたよ。」

「あれは、おまえが理由も言わずに、一億持って来い、とか言うからだろー!」

「ひっ?!い、一億?!」

この場でただひとりの庶民の私はそこに慄いた。

子供の頃には目を放すとすぐ裸族と化していたお嬢様のハダカより、電話一本で一億円引き出そうとする男友達に、理由も聞かずに駆けつけた事実の方が驚愕だ。

「印鑑通帳持って、走って行ったのによ。」

「結局、無駄でしたね。まぁ、でもあの時おまえはがんばりましたよ。」

清四郎様は、悠理様の頭をヨシヨシ撫でる。

「風邪はひかなかったけど、後で腎炎なったもんなぁ。プレジデント学園がなくならずにすんで、あたいの犠牲も報われたよな!」

「おまえの唯一進学できる学校ですからね。」

「これからも一緒に学校に居られて良かったな♪」

撫でられながら、悠理様は上目遣いで清四郎様に笑みを向けた。

清四郎様はコホンと咳払いして、悠理様の頭から手を放す。

「一緒に進級できるかは、ここ数日のがんばりにかかっているんですよ。明日の息抜きは許可するが、今日の小テストの結果があんまりだったから、明日の夜再テストだぞ。」

「・・・げげ・・・。」

一挙に表情の曇った悠理様だったが、厳しいことを言いながら、清四郎様の顔がわずかに赤らんでいたように見えたのは、気のせいじゃないだろう。

 

 

 *****

 

 

翌日。

予告どおり、剣菱邸に来客が現れ、華やかであわただしい一日となった。

噂の有閑倶楽部が勢ぞろいということで、私の心が浮き立っていたことは否めない。

 

「あら、新しい執事の方?」

「五代さんのお孫さんですわ、可憐、美童。」

「悠理の世話係だって?大変だなぁ、それは。お察しするよ。」

 

その三人が現れた途端、剣菱家のエントランスが花畑と化した。ように見えた。

彼らの笑顔に、星が散り花が舞う。

チカチカする目を擦りながら私がご挨拶をしていると、悠理様と清四郎様のみならず、百合子夫人まで彼らの出迎えに現れた。

 

「お久しぶりね〜。相変わらず綺麗ね、可憐ちゃん。そのイヤリング、凝ったデザインでいい感じだわね。」

「うちの店の新作ですわ。でもおば様には安物過ぎましてよ。母が今度おば様にもっと良いものをお勧めさせていただきますわ。」

大輪の薔薇を髣髴とさせるゴージャスな美女、黄桜可憐様。

年下にはまったく興味ないロリコン度ゼロ(=安心安全健全保育士)な私が、思わずググッと引き寄せられる、豊満な胸元を強調したボディラインも露な服装だったが、なぜか下品には見えない。

にっこり笑顔を落としてくれたものの、男の賞賛の視線を浴びることが当然というように、以降まったく私の視線をスルーしているところも、小気味いい。(というより、私は対象外?)

とてもうちのお嬢様と同い年どころか同性にすら思えなかった。

 

「野梨子ちゃん、悠理はあいかわらず清四郎ちゃんを手こずらせているようなのよ。また面倒見てやってくださいな。」

「清四郎に任せておけば安心ですわよ、おば様。私、ダメ出しは清四郎に対してさせていただきますわ。」

鈴の音のような声でコロコロ笑うのは、日本人形のような美少女、白鹿野梨子様。

清四郎様は野梨子様の言葉に苦笑する。

「怖い怖い。しかし、いったい僕のどこにダメ出しするっていうんですか。」

「あらだって、清四郎が悠理の暴走をおもしろがっているのはわかってましてよ。」

ツンと辛らつな言葉を吐いても、大きな黒い瞳と真っ赤な唇は、清楚で可憐。

顔貌が似ているわけでもないのに、清四郎様と並ぶと兄妹のように見えるのは、どうしてだろう?

 

そして、もう一人は少女漫画から抜け出たような金髪碧眼の、美童グランマニエ様。

「おば様、いつもお美しい。おば様がお帰りになっているかもと、用意しておいて良かった。」

美童様は優雅な所作で背後からカトレアの花束を取り出した。

「んまあ!美童ちゃんたらっv

奥様の語尾にはハートマークがついていたが、私は唖然。では、美童様の背中に見えていた花は、妄想の産物ではなかったわけだ。

奥様をとろけさせる一方で、美童様はそつなく悠理様にもお菓子の包みを差し出した。

「ハイ、悠理にはこっちね。熊猫堂のエクレアだよ♪」

「うきゃきゃ〜んっ大好きーー!!美童あんがと〜vv

悠理様の語尾にもハートマーク。

ブーケは奥様の手に移ったが、まだ彼の背負った花がキラキラお星様つきで見えるような気がする美男子ぶりに、私は感嘆のため息を漏らした。

 

しかし、美童様はあまりにも奥様のツボを突きすぎたようだ。

「んもう、美童ちゃんてば、相変わらず素敵なんだからv やっぱり悠理と結婚してうちの子にならない〜?美童ちゃん似の孫を抱かせて欲しいわ〜!」

 

百合子様のこの言葉に、私の心臓は縮みあがった。

 

奥様は清四郎様がお気に入りではなかったのか?!

たしかに美童様は奥様の趣味ど真ん中、ディズニー映画に出てくるプリンスチャーミングのようなお人だが、魔王清四郎様の暗黒波動に立ち向かえる勇者にはとても見えない。

 

私は美童様に襲い来る凶刃を夢想し、ダラダラ脂汗をかいていた。それは、私自身の実体験からくる恐怖だったのだが。

しかし。

 

「あはは、おば様、美童と悠理の子なんて、本能に忠実過ぎな子になるわよ〜!」

「ですわ、ね。剣菱家の行く末に暗雲ですわ。」

「酷いな〜!でも僕も、おば様が義母になるのは残念だなぁ〜。」

 

アハハハと、明るい笑い声が吹き抜けのエントランスに響く。

奥様の爆弾発言に、一同動じる気配はない。

 

おそるおそる伺うと、悠理様は話を聞いてもいないようでエクレアの箱に顔を突っ込み。

清四郎様は、その隣であろうことか楽しそうにニコニコしていた。

 

絶対零度の暗黒オーラは?!

寄らば刺さんという白刃の殺気は?!

当然荒れ狂うはずの嫉妬の嵐は?!

 

 疑問符一杯の頭で唖然と清四郎様を見つめていると、気づいて彼が私を見返した。

「なにか?五代さん。」

美童様への鷹揚な笑みの代わりに、私には冷然な形だけの微笑が向けられる。

 

その時。

バルルルと大きな排気音が近づいて来た。

「あ、魅録かな?」

「え、ミロク・・・・」

お嬢様が口にした名が引っかかり、私は口の中で呟いた。

 

私が前回この家で臨時執事をしたのは、まだお嬢様が中学生だった頃だ。

悠理様の口からご友人の名が出ることは昔からほとんどなかったが、”魅録”という名には聞き覚えがあった。

 

「魅録は、頼んだものを持ってきてくれましたかね。」

「ん?清四郎もなんか頼んだの?あたいも新しいCD頼んでるんだよな。昨日発売だったのに、おまえが外出させてくんないからさぁ〜」

お嬢様のその言葉で、記憶が蘇った。

 

「あっ、”魅録”って、お嬢様のお好きな!」

ポン、と手を打ってそう口に出し。しまった、と私は青ざめた。

ドツボに自らダイブしたことを自覚する。

 

跨っていた大型バイクから、ひらりと細身の若者が降り立った。

メットを外すと、鮮やかなピンクの髪。そぎ落としたような鋭角な頬と鋭い眼光は、とても普通の高校生には見えない。

 

「あ、いやその、好きな・・・・歌手の名前じゃなかったでしたっけ・・・・?」

己の失言に気づき、私はアワアワ焦った。

 

そう、昔、悠理様の口から何度も聞いた名前。バンド名だか暴走族の名だかわからないが、よく顔を輝かせてその名を悠理様が口にしていたのを憶えていたため、思わず口走ってしまったのだ。

 

悠理様はポカン。

可憐様も野梨子様も美童様も、怪訝な顔で焦る私を注視している。

あら♪と嬉しそうな百合子様の表情に、私はますます焦った。

 

「む、昔の話ですし、記憶違いですね、ハハハ、すみませ・・・・」

 

「”好きな歌手”が同じ、と悠理が言ってたのを間違って記憶していたんじゃないですか。魅録は軽音部ですが、歌声はいただけませんからねぇ。」

 

助け舟を出してくれたのは、なんと清四郎様だった。

清四郎様は肩を竦めてクスクス笑っている。 

先ほどの、美童様の時と同じだ。

 

「だーれが、歌はイマイチだと?」

広間に入って来た松竹梅魅録様は、笑っている清四郎様の肩にメットをコツンとぶつける。

清四郎様は笑ってそれを受け止めた。 

二人の様子は、気の置けない親友同士のようだ。

 

 魅録様は清四郎様や美童様よりは、お嬢様とカラーが似ている。派手な髪の色のせいばかりではないだろう。

清四郎様が悠理様の古くからのご友人だという事実は意外だったが、魅録様にはそんな違和感がなかった。

ただ、優等生然とした清四郎様と、不良少年のような風体の魅録様は、正反対に見えて共通項があることに気がついた。

年齢にそぐわない、妙な迫力だ。

 

「悠理、ほらよ、CD。」

お嬢様の手のひらに、魅録様はCDの包みを落とした。

「あ、サンキュ!魅録ちゃん、愛してる〜vv

CDにスリスリしている悠理様の問題発言ハートマークにも、清四郎様の表情は変わらなかった。

 

 まったく嫉妬の欠片も見せない清四郎様の態度に、私はわけがわからなくなる。

清四郎様がお嬢様に恋をしている、と思ったのは私の早合点なんだろうか。

 

 

「で、魅録、僕の頼んだものは?」

「持って来たけどな〜〜・・・・おまえさんも、好きだねぇ。」

清四郎様は魅録様から紙袋を受け取っている。

「そんなことはありません。今日は、皆も来たことだし、悠理には息抜きさせてやると約束しているんですよ。」

 

「僕は優しいでしょう?」

 

ニッコリ微笑んだ清四郎様の笑みは、雲ひとつない快晴だった。

 

-----------のに、なぜかしら私は戦慄した。

 

 

 

NEXT

 


すみません、こんな感じでタラタラ続きます。今回は有閑倶楽部勢ぞろいが書きたかったんですね〜。ここんとこ随分原作を読んでないから、なんか懐かしくなって原作エピも入れてみました。夏休みに読み返そうかな。(←書く前に読め!) 

TOP

背景:素材通り